松井証券:松井房吉商店の創業と松井證券への改称
1918年〜日本橋の米仲買から出た個人商店と、株式取引員の株式会社松井商店
松井証券の起点は、1918年5月に東京・日本橋で開かれた松井房吉商店である。店の商いは株式ではなく、米の仲買。創業者の松井房吉氏は、若いうちに投機の世界へ入り、米穀の取引で商いの腕を磨いた人物として紹介された。1935年の人物録は、松井房吉氏について、相場の駆け引きと先行きの見通しに長けた点を挙げた。同じ人物録は、松井房吉氏が売りでも買いでも一度定めた方針を長く貫く相場の張り方をとったと記した。米の仲買で培った相場を読む力が、のちに株式の取次ぎへ転じる土台になったとみられる。
- 松井証券「業務及び財産の状況に関する説明書」(1998年12月)会社の沿革
- [1]1918年5月、東京・日本橋で米の仲買商として松井房吉商店が創業
- [2]1918年5月、東京・日本橋で米の仲買商として松井房吉商店が創業
- 現代業界人物集(経世社出版部、1935年)「株式取引員、松井商店・松井房吉君」p211
- [3]松井房吉は若くして投機界に入り米穀界で経験を積んだ。相場の駆け引き・見通しに優れ、方針を長く堅持する張り方をとった
- [4]松井房吉は若くして投機界に入り米穀界で経験を積んだ。相場の駆け引き・見通しに優れ、方針を長く堅持する張り方をとった
- [5]松井房吉は若くして投機界に入り米穀界で経験を積んだ。相場の駆け引き・見通しに優れ、方針を長く堅持する張り方をとった
1931年3月、松井房吉氏は個人商店を法人組織に改め、株式会社松井商店を設立。1935年の人物録は、株式会社松井商店を株式取引員の店として掲げ、松井房吉氏をその代表取締役と記した。同じ人物録は、米穀の取引が往年の勢いを失うなかで、松井房吉氏が株式の世界へ商いの軸を移したと書いた。松井房吉氏は東京株式取引所の商議員にも推された。店の営業について、人物録は『顧客本位に堅實なる經營方針』で地盤を広げたと評した。米から株式へ商いの中心が移る時期に法人へ改めたのは、取引員としての信用を固めるためだったと推察される。
- 松井証券「業務及び財産の状況に関する説明書」(1998年12月)会社の沿革
- [6]1931年3月、法人組織に改組し株式会社松井商店を設立
- 現代業界人物集(経世社出版部、1935年)「株式取引員、松井商店・松井房吉君」p211
- [7]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員、代表取締役は松井房吉。米穀界の衰退を背景に株式界へ移り、東株商議員に推された。顧客本位の堅実経営で地盤を獲得
- [8]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員、代表取締役は松井房吉。米穀界の衰退を背景に株式界へ移り、東株商議員に推された。顧客本位の堅実経営で地盤を獲得
- [9]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員、代表取締役は松井房吉。米穀界の衰退を背景に株式界へ移り、東株商議員に推された。顧客本位の堅実経営で地盤を獲得
- [10]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員、代表取締役は松井房吉。米穀界の衰退を背景に株式界へ移り、東株商議員に推された。顧客本位の堅実経営で地盤を獲得
参考文献[1]-[10]
- 松井証券「業務及び財産の状況に関する説明書」(1998年12月)会社の沿革
- [1]1918年5月、東京・日本橋で米の仲買商として松井房吉商店が創業
- [2]1918年5月、東京・日本橋で米の仲買商として松井房吉商店が創業
- [6]1931年3月、法人組織に改組し株式会社松井商店を設立
- 現代業界人物集(経世社出版部、1935年)「株式取引員、松井商店・松井房吉君」p211
- [3]松井房吉は若くして投機界に入り米穀界で経験を積んだ。相場の駆け引き・見通しに優れ、方針を長く堅持する張り方をとった
- [4]松井房吉は若くして投機界に入り米穀界で経験を積んだ。相場の駆け引き・見通しに優れ、方針を長く堅持する張り方をとった
- [5]松井房吉は若くして投機界に入り米穀界で経験を積んだ。相場の駆け引き・見通しに優れ、方針を長く堅持する張り方をとった
- [7]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員、代表取締役は松井房吉。米穀界の衰退を背景に株式界へ移り、東株商議員に推された。顧客本位の堅実経営で地盤を獲得
- [8]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員、代表取締役は松井房吉。米穀界の衰退を背景に株式界へ移り、東株商議員に推された。顧客本位の堅実経営で地盤を獲得
- [9]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員、代表取締役は松井房吉。米穀界の衰退を背景に株式界へ移り、東株商議員に推された。顧客本位の堅実経営で地盤を獲得
- [10]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員、代表取締役は松井房吉。米穀界の衰退を背景に株式界へ移り、東株商議員に推された。顧客本位の堅実経営で地盤を獲得
1947年〜松井證券への改称・証券業登録と、長野県に開いた岡谷営業所
1947年12月、株式会社松井商店は商号を松井證券株式会社に改めた。社名から「商店」の語を外し、「證券」を掲げる改称だった。翌1948年8月、松井證券は証券業の登録を受けた。戦前の松井商店は、東京株式取引所の取引員として株式の売買を取り次いだ店だった。改称から登録までの8か月で、松井證券は戦前の取引員から戦後の証券業者へ立場を移した。改称と登録は、戦後の新しい証券制度の下で営業の資格を改めて得るための手続きだったのだろう。
- 松井証券「業務及び財産の状況に関する説明書」(1998年12月)会社の沿革
- [11]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更、1948年8月に証券業登録
- [12]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更、1948年8月に証券業登録
- [13]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更、1948年8月に証券業登録
- [15]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更、1948年8月に証券業登録
- 現代業界人物集(経世社出版部、1935年)「株式取引員、松井商店・松井房吉君」p211
- [14]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員(東京株式取引所)の店
1948年9月、松井證券は長野県岡谷市加茂町に岡谷営業所を開設した。証券業の登録を受けた翌月の開設であり、登録後に最初に沿革へ記された拠点である。岡谷営業所はその後も存続し、1998年時点では長野センターと名を改めていた。本社は東京・日本橋に置き続け、1957年2月の広告では所在地を中央区日本橋茅場町と示した。登録直後に長野県へ拠点を設けたのは、兜町から遠い地域の投資家の注文を取り込む狙いがあったと思われる。
- 松井証券「業務及び財産の状況に関する説明書」(1998年12月)会社の沿革
- [16]1948年9月、岡谷営業所(長野県岡谷市加茂町)を開設。1998年時点の長野センター
- [17]1948年9月、岡谷営業所(長野県岡谷市加茂町)を開設。1998年時点の長野センター
- [18]1948年9月、岡谷営業所(長野県岡谷市加茂町)を開設。1998年時点の長野センター
- 日証 (2)(日証出版社、1957年2月)「松井証券」p31
- [19]1957年2月の広告で松井証券の所在地は東京都中央区日本橋茅場町一ノ一八
1949年4月、再開された東京証券取引所へ松井證券が正会員として加入。戦前の株式会社松井商店は東京株式取引所の取引員であり、1935年には松井房吉氏が同所の商議員にも推されていた。戦後の正会員加入で、松井證券は戦前と同じく取引所の会員業者の立場を取り戻した。1957年2月の広告では、松井証券は兜町局の電話番号と茅場町の所在地を掲げた。東証の正会員資格は1998年12月時点でも続き、大阪証券取引所への加入は1998年10月まで待つことになった。東証の正会員の資格が、次の章で扱う兜町の中小証券としての営業の足場になったと考えられる。
- 松井証券「業務及び財産の状況に関する説明書」(1998年12月)会社の沿革
- [20]1949年4月、再開された東京証券取引所の正会員に加入。大阪証券取引所正会員加入は1998年10月
- [22]1949年4月、再開された東京証券取引所の正会員に加入。大阪証券取引所正会員加入は1998年10月
- [24]1949年4月、再開された東京証券取引所の正会員に加入。大阪証券取引所正会員加入は1998年10月
- 現代業界人物集(経世社出版部、1935年)「株式取引員、松井商店・松井房吉君」p211
- [21]松井房吉は株式取引員・松井商店の代表取締役で東株商議員に推された(1935年)
- 日証 (2)(日証出版社、1957年2月)「松井証券」p31
- [23]1957年2月の広告で松井証券は電話兜町(6)二二九一、所在地は中央区日本橋茅場町一ノ一八
参考文献[11]-[24]
- 松井証券「業務及び財産の状況に関する説明書」(1998年12月)会社の沿革
- [11]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更、1948年8月に証券業登録
- [12]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更、1948年8月に証券業登録
- [13]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更、1948年8月に証券業登録
- [15]1947年12月に松井證券株式会社へ商号変更、1948年8月に証券業登録
- [16]1948年9月、岡谷営業所(長野県岡谷市加茂町)を開設。1998年時点の長野センター
- [17]1948年9月、岡谷営業所(長野県岡谷市加茂町)を開設。1998年時点の長野センター
- [18]1948年9月、岡谷営業所(長野県岡谷市加茂町)を開設。1998年時点の長野センター
- [20]1949年4月、再開された東京証券取引所の正会員に加入。大阪証券取引所正会員加入は1998年10月
- [22]1949年4月、再開された東京証券取引所の正会員に加入。大阪証券取引所正会員加入は1998年10月
- [24]1949年4月、再開された東京証券取引所の正会員に加入。大阪証券取引所正会員加入は1998年10月
- 現代業界人物集(経世社出版部、1935年)「株式取引員、松井商店・松井房吉君」p211
- [14]1935年時点で株式会社松井商店は株式取引員(東京株式取引所)の店
- [21]松井房吉は株式取引員・松井商店の代表取締役で東株商議員に推された(1935年)
- 日証 (2)(日証出版社、1957年2月)「松井証券」p31
- [19]1957年2月の広告で松井証券の所在地は東京都中央区日本橋茅場町一ノ一八
- [23]1957年2月の広告で松井証券は電話兜町(6)二二九一、所在地は中央区日本橋茅場町一ノ一八
出典・参考
3件
- 現代業界人物集(経世社出版部、1935年)「株式取引員、松井商店・松井房吉君」p211
- 日証 (2)(日証出版社、1957年2月)「松井証券」p31
- 松井証券「業務及び財産の状況に関する説明書」(1998年12月)会社の沿革