第1章 年〜年

めぶきフィナンシャルグループ:足利銀行の創立

1895年〜機業地の手形を引き受ける後発の地元銀行

足利銀行は1895年8月31日、足利の織物業の金融を円滑にする目的で設立された。発起したのは足利機業の関係者で、経営陣と取引先の多くを織物関係者が占めた。初代頭取は24歳の荻野万太郎氏で、役職員14名での開業である。足利ではすでに第四十・第四十一の両国立銀行が支店を置き、手形割引を盛んに手がけていた。1890年の割引手形の期間総高は、第四十一国立銀行足利支店が41万9,971円、第四十国立銀行足利支店が54万8,581円に上る。機業地の手形需要は他所に本店を持つ銀行の支店だけでは満たされず、地元資本の銀行が入る余地が残っていたとみられる。

  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎
    • [1]足利銀行は明治28年8月31日、地元織物業の円滑な金融を図るため設立された
    • [3]経営陣が織物関係者で構成され、取引先も織物関係者が多かった
    • [4]明治28年に24歳の頭取荻野万太郎以下14名の役職員で発足した
  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
    • [2]足利銀行は明治28年に足利機業の関係者によって設立された
    • [5]設立前の足利では第四十国立銀行と第四十一国立銀行の支店が手形割引を活発に行っていた
    • [6]明治23年の割引手形貸出の期間総高は第四十一国立銀行足利支店419,971円、第四十国立銀行足利支店548,581円

後発の足利銀行は、それまで銀行と取引のなかった中小の織元を新たな顧客として開拓した。取引の中心は織元が買継商から受け取る小額の約束手形の割引で、割引手形の大半は当所割引手形だった。足利銀行は創業期の記録に、その方針を『従来未ダ銀行ノ利用ヲ知ラザリシ新顧客ヲ勧誘シ,銀行ヲ利用セシメテ金融ノ疎通ヲ計リ地方物産ニ向テ資金融通ヲ与』と書き残した。一方で買継商本体の手形取引は、先発の四十・四十一両行が押さえたままだった。1896年には両毛地方最大の買継商である佐羽商店が破綻し、信用不安が広がった。足利銀行は自らの信用判断で借入れを重ね、取引先への資金融通を続けた。大口の買継商ではなく小口の織元を顧客基盤に据えたことが、後発行としての差別化要因だったのだろう。

  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
    • [7]先発銀行が相手にしなかった中小機業家(織元)を新顧客として勧誘した
    • [8]織元の持ち込む買継商振出しの小口の手形を積極的に割り引き、割引手形の圧倒的部分が当所割引手形だった
    • [9]買継商との直接取引は先発の四十・四十一銀行などに掌握され、足利銀行は容易に割り込めなかったとみられる
    • [10]明治29年に桐生の買継商佐羽商店が破綻した
  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎
    • [11]開業早々、両毛地方最大の買継商の倒産があった
    • [12]明治29年下期の営業報告書は、信用不安のなか自らの信用判断で借入その他を尽くして顧客の便を図ったことを伝える
参考文献[1]-[12]
  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎
    • [1]足利銀行は明治28年8月31日、地元織物業の円滑な金融を図るため設立された
    • [3]経営陣が織物関係者で構成され、取引先も織物関係者が多かった
    • [4]明治28年に24歳の頭取荻野万太郎以下14名の役職員で発足した
    • [11]開業早々、両毛地方最大の買継商の倒産があった
    • [12]明治29年下期の営業報告書は、信用不安のなか自らの信用判断で借入その他を尽くして顧客の便を図ったことを伝える
  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
    • [2]足利銀行は明治28年に足利機業の関係者によって設立された
    • [5]設立前の足利では第四十国立銀行と第四十一国立銀行の支店が手形割引を活発に行っていた
    • [6]明治23年の割引手形貸出の期間総高は第四十一国立銀行足利支店419,971円、第四十国立銀行足利支店548,581円
    • [7]先発銀行が相手にしなかった中小機業家(織元)を新顧客として勧誘した
    • [8]織元の持ち込む買継商振出しの小口の手形を積極的に割り引き、割引手形の圧倒的部分が当所割引手形だった
    • [9]買継商との直接取引は先発の四十・四十一銀行などに掌握され、足利銀行は容易に割り込めなかったとみられる
    • [10]明治29年に桐生の買継商佐羽商店が破綻した

1899年〜日銀の再割引と両毛・東京への店舗網

旺盛な資金需要に応じるため、足利銀行は日本銀行の手形再割引を資金源として活用した。推進役は、1899年に29歳で招かれ、1906年に支配人となった足利武千代氏である。足利武千代氏はのちに日本銀行総裁となる深井英五氏と同志社の同級で、再割引の実務や銀行経営について助言を得た。足利武千代氏は経営面の相談役を務め、行員の育成にも力を入れたという。1911年の足利銀行は、四十一銀行に次ぐ県内第2位の地位を下野銀行と分け合った。中央銀行の信用を割引の原資に組み込んだことが、創立16年での地位確立を支えたとみられる。

  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎
    • [13]盛んな資金需要にこたえるため、日本銀行の手形再割引を積極的に推進した
    • [14]足利武千代は明治32年に29歳で招聘され、明治39年に支配人となった
    • [15]足利武千代は同志社で深井英五(のち日本銀行総裁)と同級で、再割引のほか銀行経営上の助言と協力を得た
    • [16]足利武千代は経営面のブレーンとなり、人材育成にも意を用いた
  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
    • [17]明治44年に足利銀行は四十一銀行に次ぎ、下野銀行と並ぶ県下有力行としての地位を確定した

店舗は県内にとどまらず、桐生・館林・佐野・伊勢崎の両毛機業地と、繊維と縁の深い東京・高崎・前橋に開設した。1923年末の12店のうち、栃木県内の店は5店にとどまる。規模では先発行に及ばず、1917年末の預金は507万円で、四十銀行の887万円、四十一銀行の961万円を下回った。1918年6月には四十・四十一両行が合併し、八十一銀行が発足した。足利銀行は1919年9月の増資で東京の川崎銀行と提携し、川崎銀行から亀山甚氏を迎えた。県内に預金で3倍超の競合行が生まれたことが、東京の銀行との提携を急がせたとみられる。

  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎
    • [18]桐生・館林・佐野・伊勢崎の両毛機業地と、東京・高崎・前橋に店舗を開設した
    • [19]大正12年末の店舗は12カ店で、そのうち栃木県内店舗は5カ店だった
  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
    • [20]大正6年末の預金額は四十銀行887万円、四十一銀行961万円、足利銀行507万円
    • [21]大正7年6月に四十・四十一両行が合併し八十一銀行が設立された
    • [22]足利銀行は大正8年9月の増資にさいして川崎銀行と提携した
    • [23]川崎銀行から亀山甚が足利銀行へ派遣された
参考文献[13]-[23]
  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎
    • [13]盛んな資金需要にこたえるため、日本銀行の手形再割引を積極的に推進した
    • [14]足利武千代は明治32年に29歳で招聘され、明治39年に支配人となった
    • [15]足利武千代は同志社で深井英五(のち日本銀行総裁)と同級で、再割引のほか銀行経営上の助言と協力を得た
    • [16]足利武千代は経営面のブレーンとなり、人材育成にも意を用いた
    • [18]桐生・館林・佐野・伊勢崎の両毛機業地と、東京・高崎・前橋に店舗を開設した
    • [19]大正12年末の店舗は12カ店で、そのうち栃木県内店舗は5カ店だった
  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
    • [17]明治44年に足利銀行は四十一銀行に次ぎ、下野銀行と並ぶ県下有力行としての地位を確定した
    • [20]大正6年末の預金額は四十銀行887万円、四十一銀行961万円、足利銀行507万円
    • [21]大正7年6月に四十・四十一両行が合併し八十一銀行が設立された
    • [22]足利銀行は大正8年9月の増資にさいして川崎銀行と提携した
    • [23]川崎銀行から亀山甚が足利銀行へ派遣された

1920年〜恐慌期の貸出圧縮と茨城二行の店舗協定

1920年の恐慌を前に足利銀行が断行したのは、貸出の一律無条件3割減である。1923年の関東大震災では、亀山甚氏が支店長を務める東京支店が機敏に対応した。1927年の金融恐慌と、1930年11月の下野中央銀行の破綻に伴う取付けにも、具体的な対策で応じた。破綻した下野中央銀行は、当時の県内最有力行にあたる。昭和初年には預金・貸出金の約半分を群馬・東京の県外店が占め、両毛地区では第一・安田の二大銀行と競合した末に協調関係へ移った。経営陣が織物の相場変動に通じていたことが、景気の転換点で与信を早く絞る判断を可能にしたのだろう。

  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎
    • [24]第1次大戦後、大正9年の恐慌の直前に貸出一律無条件3割減を断行した
    • [25]関東大震災の時、東京支店(支店長亀山甚)が機敏に対応した
    • [27]昭和5年11月の下野中央銀行破綻に際して取付対策を講じた
    • [28]下野中央銀行は県内最有力銀行だった
  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
    • [26]昭和2年の金融恐慌と昭和5年の下野中央銀行破綻への対応が具体的な資料に基づいて描かれている
    • [29]昭和初年には預金・貸出金の約半分を群馬・東京の県外支店が占めた
    • [30]両毛地区で第一・安田の2大銀行の挟撃を受けつつ体質を強め、両行との協調が成立した

のちに足利銀行と経営統合する常陽銀行の源流は、1878年創立の水戸の第六十二国立銀行と土浦の第五十国立銀行である。その流れをくむ水戸の常磐銀行と土浦の五十銀行は、昭和初年の農村不況で収益を大きく落とした。両行の重複店舗は20店に及び、経済力の乏しい狭い地域での店舗の競合も、収益を押し下げる要因にあたる。1929年2月22日、両行は支店の設置に関する覚書を交わし、店舗の競合を収めた。この協定を契機に、両行は1935年の合併による常陽銀行の設立へ向かったという。合併に先立って店舗配置の重複を解いたことが、統合の負担を軽くしたとみられる。

  • 地方金融史研究 8 1977年 書評「常陽銀行編『常陽銀行四十年史』」岡田和喜
    • [31]常陽銀行の系譜図は明治11年の水戸第六十二・土浦第五十の両国立銀行の創立から示されている
    • [33]昭和初年以来の農村不況で常磐・五十両行の収益は著しく低下した
    • [34]両行の重複店舗は20カ店に及び、経済力の貧困な狭い地域での激しい競争が収益低下をもたらした
    • [35]昭和4年2月22日付で両行の間に「支店設置に関する協議(覚書)」が成立し、激しい競合は終焉した
    • [36]覚書を契機に両行は合併・新銀行の成立へ向かい、当局の一県一行主義の指導もあった
  • 実業往来 209 1969年 生まれ変わる銀行シリーズ16
    • [32]水戸の常盤銀行と土浦の五十銀行の前身は国立銀行で、創業から数えると常陽銀行の歴史は90余年に及ぶ
    • [37]常陽銀行は昭和10年7月30日、水戸の常盤銀行と土浦の五十銀行の合併で設立された
参考文献[24]-[37]
  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎
    • [24]第1次大戦後、大正9年の恐慌の直前に貸出一律無条件3割減を断行した
    • [25]関東大震災の時、東京支店(支店長亀山甚)が機敏に対応した
    • [27]昭和5年11月の下野中央銀行破綻に際して取付対策を講じた
    • [28]下野中央銀行は県内最有力銀行だった
  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
    • [26]昭和2年の金融恐慌と昭和5年の下野中央銀行破綻への対応が具体的な資料に基づいて描かれている
    • [29]昭和初年には預金・貸出金の約半分を群馬・東京の県外支店が占めた
    • [30]両毛地区で第一・安田の2大銀行の挟撃を受けつつ体質を強め、両行との協調が成立した
  • 地方金融史研究 8 1977年 書評「常陽銀行編『常陽銀行四十年史』」岡田和喜
    • [31]常陽銀行の系譜図は明治11年の水戸第六十二・土浦第五十の両国立銀行の創立から示されている
    • [33]昭和初年以来の農村不況で常磐・五十両行の収益は著しく低下した
    • [34]両行の重複店舗は20カ店に及び、経済力の貧困な狭い地域での激しい競争が収益低下をもたらした
    • [35]昭和4年2月22日付で両行の間に「支店設置に関する協議(覚書)」が成立し、激しい競合は終焉した
    • [36]覚書を契機に両行は合併・新銀行の成立へ向かい、当局の一県一行主義の指導もあった
  • 実業往来 209 1969年 生まれ変わる銀行シリーズ16
    • [32]水戸の常盤銀行と土浦の五十銀行の前身は国立銀行で、創業から数えると常陽銀行の歴史は90余年に及ぶ
    • [37]常陽銀行は昭和10年7月30日、水戸の常盤銀行と土浦の五十銀行の合併で設立された

出典・参考

4件
出典・参考
  • 地方金融史研究 8 1977年 書評「常陽銀行編『常陽銀行四十年史』」岡田和喜
  • 実業往来 209 1969年 生まれ変わる銀行シリーズ16
  • 地方金融史研究 17 1986年 書評「足利銀行編『足利銀行史』」石井寛治
  • 松平記念経済・文化研究所紀要 6 1988年 書評「足利銀行史」永吉一郎

免責事項およびポリシー