能美防災:損害保険19社の出資と消防法改正による売上100億円
1949年〜損害保険19社の資本参加と総合防災への拡張
輝一氏はかねて、国の防火に直接かかわるのは消防と建築、そして推進役としての火災保険であるべきだと書いていた。資本金は1944年5月の発足時に100万円で、1949年2月に300万円、同年6月には4万株の第三者割当で500万円となり、このうち1949年の増資は損害保険関係19社の資本参加によるものだった。報知機の代金を負担する建物側ではなく、火災で払う保険金を抑えたい側を株主として迎えた格好である。1962年12月に上場した際の大株主にも、東京海上火災保険と安田火災海上が各5万4千株、千代田火災海上・大東京火災海上・日本火災海上が各3万6千株で名を連ねていた。
- 能美防災工業株式会社50年史(1974年)
- [1]能美輝一は「元来、一国の防火と直接の関係をもつものは、消防であり、建築であり、また、プロモーターとしての火災保険でなければならない」と述べていた
- 証券(新規上場会社紹介)1963年
- [2]資本金は昭和19年5月の設立時100万円、昭和24年2月に300万円、昭和24年6月に第三者割当4万株で500万円となった
- [4]昭和37年9月30日現在の大株主は能美輝一340,500株、能美正55,500株、能美汎満55,500株、東京海上火災保険54,000株、安田火災海上54,000株、千代田火災海上36,000株、大東京火災海上36,000株、日本火災海上36,000株、大正火災海上30,000株、日本電気30,000株
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [3]昭和24年、損保関係19社の資本参加を得て資本金を500万円に増資した
報知の次に手がけたのは、火を消す側の設備だった。1962年3月期の売上構成は、自動火災報知装置46.7%、活線碍子洗滌装置25.4%、炭酸瓦斯消火装置15.1%、サーベラスその他12.0%、船舶用火災探知機0.8%で、報知機以外の製品が過半を占めていた。炭酸瓦斯消火装置の製造と工事請負は、1951年に大阪で設立した高圧瓦斯工業で始めたものである。1955年には活線碍子洗浄装置の研究を成功させ、送電を止めないまま碍子を洗える、火災報知とは系統の異なる製品を獲得した。国産第1号となる船舶用スプリンクラーはあるぜんちな丸に取り付けられ、水噴霧消火設備の草分けとなった。トンネル防災という分野を開いたのも同社である。
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [5]昭和26年に大阪で高圧瓦斯工業を設立して炭酸瓦斯消火装置の製造・工事請負を開始し、昭和30年には活線碍子洗浄装置の研究に成功して総合防災メーカーとして各部門に進出した
- [7]昭和26年、大阪に高圧瓦斯工業を設立し炭酸瓦斯消火装置の製造および工事請負を開始した
- 証券(新規上場会社紹介)1963年
- [6]昭和37年3月期の売上比率は自動火災報知装置46.7%、活線碍子洗滌装置25.4%、炭酸瓦斯消火装置15.1%、サーベラスその他12.0%、船舶用火災探知機0.8%
- 実業往来 1968年
- [8]昭和30年、活線碍子洗浄装置を完成した
- [9]船舶用スプリンクラーの国産第一号を「あるぜんちな丸」に設置して水噴霧消火設備のパイオニアとなり、トンネル防災の分野を切り開いた
多角化した製品を買ったのは、主に官公庁だった。1962年3月期の受注先別の比率は官庁60%・民需40%で、国宝建造物および米駐留軍関係はほとんど100%を受注施工していた。戦前に宮中や三十三間堂、内閣印刷局へ納めた実績が、そのまま戦後の官需につながった。製品ごとの主な販売先は、碍子洗滌装置が東京電力、炭酸瓦斯消火装置が日立製作所、自動火災報知装置が関東電気工事だった。火災報知器関係の業界における地位は、1961年までの過去3カ年累計平均で各製品とも約40%の占有率を持ち、全国第1位にあった。従業員は1962年8月末で493名、1963年7月末で580人だった。
- 証券(新規上場会社紹介)1963年
- [10]昭和37年3月期の受注先別比率は官庁60%・民需40%
- [11]国宝建造物および米駐留軍関係はほとんど100%を受注施行している
- [13]火災報知器関係業界における同社の地位は昭和36年までの過去3カ年累計平均で各製品とも約40%の占有率で全国第1位
- [14]従業員数493名(昭和37年8月31日現在)
- 株式会社年鑑 1964年版「能美防災工業」
- [12]主なる取引先は販売が碍子洗滌装置=東京電力、炭酸瓦斯消火装置=日立製作所、自動火災報知装置=関東電気工事
- [15]従業員580人
参考文献[1]-[15]
- 能美防災工業株式会社50年史(1974年)
- [1]能美輝一は「元来、一国の防火と直接の関係をもつものは、消防であり、建築であり、また、プロモーターとしての火災保険でなければならない」と述べていた
- 証券(新規上場会社紹介)1963年
- [2]資本金は昭和19年5月の設立時100万円、昭和24年2月に300万円、昭和24年6月に第三者割当4万株で500万円となった
- [4]昭和37年9月30日現在の大株主は能美輝一340,500株、能美正55,500株、能美汎満55,500株、東京海上火災保険54,000株、安田火災海上54,000株、千代田火災海上36,000株、大東京火災海上36,000株、日本火災海上36,000株、大正火災海上30,000株、日本電気30,000株
- [6]昭和37年3月期の売上比率は自動火災報知装置46.7%、活線碍子洗滌装置25.4%、炭酸瓦斯消火装置15.1%、サーベラスその他12.0%、船舶用火災探知機0.8%
- [10]昭和37年3月期の受注先別比率は官庁60%・民需40%
- [11]国宝建造物および米駐留軍関係はほとんど100%を受注施行している
- [13]火災報知器関係業界における同社の地位は昭和36年までの過去3カ年累計平均で各製品とも約40%の占有率で全国第1位
- [14]従業員数493名(昭和37年8月31日現在)
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [3]昭和24年、損保関係19社の資本参加を得て資本金を500万円に増資した
- [5]昭和26年に大阪で高圧瓦斯工業を設立して炭酸瓦斯消火装置の製造・工事請負を開始し、昭和30年には活線碍子洗浄装置の研究に成功して総合防災メーカーとして各部門に進出した
- [7]昭和26年、大阪に高圧瓦斯工業を設立し炭酸瓦斯消火装置の製造および工事請負を開始した
- 実業往来 1968年
- [8]昭和30年、活線碍子洗浄装置を完成した
- [9]船舶用スプリンクラーの国産第一号を「あるぜんちな丸」に設置して水噴霧消火設備のパイオニアとなり、トンネル防災の分野を切り開いた
- 株式会社年鑑 1964年版「能美防災工業」
- [12]主なる取引先は販売が碍子洗滌装置=東京電力、炭酸瓦斯消火装置=日立製作所、自動火災報知装置=関東電気工事
- [15]従業員580人
1960年〜サーベラス社との提携と上場による生産能力の先行投資
1960年6月、スイスのサーベラス社とイオン式感知器および受信機に関する技術援助契約を締結した。イオン式は熱が上がってから動く方式と異なり、目に見えない0.1ミクロンから1ミクロンの粒子を捉え、燃焼生成物を熱より先に検知した。日本でこれを扱えたのは、極東の総代理となった能美防災工業1社だけだった。価格は他方式より高かったが、1個あたりの警戒面積が広く、設備一式で割り出せば必ずしも割高ではなかった。難燃化したビルや地下街では、燃えずにくすぶって煙が出る火災が増えており、熱をとらえる方式では間に合わない領域が広がっていた。
- 株式会社年鑑 1964年版「能美防災工業」
- [16]昭和35年6月、スイス国サーベラス社とサーベラス式感知器および受信機に関し技術援助契約を締結した
- 実業往来 1968年
- [17]イオン式火災感知器は他の方式が熱が上がった時に感知するのに対し、熱以前に燃焼生成物をとらえ、人間の目に見えない0.1ミクロンから1ミクロンの粒子を検知する
- [18]イオン式火災感知器はスイスのサーベラス社と技術提携した能美防災が極東の総代理となっており、日本では同社一社だけが取り扱っている
- [19]イオン式は価格が他のものと比較して若干高いが警戒面積が非常に広く、設備一式で割り出せば必ずしも割高ではない
- [20]超高層の建物が増え地下街が開発されて建物が難燃化したことにより、熱以前に煙が出る・燃えずにくすぶる火災が多くなり、煙に対する感知器への関心が高まっている
1961年の消防関係法令の適用拡大により、需要の上昇が見込まれた。1962年12月1日、東京証券取引所市場第二部へ株式を上場し、公募80万株によって資本金を1億6千万円とした。調達した資金は既存の三鷹工場の設備補強と研究施設の拡充に加え、埼玉県妻沼町に3万平方メートルの敷地を買収しての新工場建設に向けられた。この第一次計画の所要資金は1億6300万円で、1963年末の完成を予定していた。生産能力は三鷹工場の補強完成後に約30%、新工場の第一次計画分の完成後にさらに約60%の向上を見込んだ。法令が需要を押し上げる前に、生産能力を先に積む判断だった。
- 証券(新規上場会社紹介)1963年
- [21]需要の見通しは昭和36年の消防関係法令の適用拡大により上昇が予想される
- [23]上場年月日は昭和37年12月1日、東京証券取引所第二部・電気機器、銘柄コード番号6744
- [24]昭和37年12月、資本金1億6千万円(2:1・公募80万株)
- [25]既存三鷹工場の設備補強・研究施設の拡充に加え、埼玉県妻沼町に敷地3万m2を買収して新工場の建設に着工している
- [26]諸施設の第一次計画は所要資金163百万円、昭和38年末完成の予定
- [27]生産能力は三鷹工場の補強完成後に現在より30%増加、新工場第1次計画分完成後はさらに約60%向上の見込み
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [22]昭和36年の消防法改正をさかいに需要が急増した
三鷹工場には受信機関係だけを残し、感知器と電鈴は新設の妻沼工場へ移して、工場ごとの専門化による合理化も並行して進めた。妻沼工場の新設は1964年で、3万3千平方メートルの敷地に4億5千万円をかけ、金型と冶工具の製作から完成品までを一か所で通して手がけ、工程はすべてコンベアで流す方式とした。材料の試験から製品の試験までを担う品質管理室も置いた。だが日本電気や沖電気といった大手が参入して競争が厳しくなり、1965年3月期は売上高28億5500万円・税引利益1億1700万円で、増収ながら減益に終わった。減益の理由は償却費と諸経費の増加に加え、競争激化による製品の値下がりだった。
- 経済展望 1965年
- [28]妻沼新工場の本格稼動によって三鷹工場は受信機関係だけを残して感知器・電鈴などを移設し、工場の専門化による合理化を同時に行なった
- [30]妻沼工場は敷地3万3千平方メートル・資金4億5千万円で建設され、金型・冶工具生産から製品までの一貫生産体制をとり、すべてコンベアによる流れ作業方式を採用している
- [31]妻沼工場は材料試験から製品試験まで行なう品質管理室を設けるなど品質管理に重点を置いている
- [32]日本電気・沖電気など大手の進出でこの業界も競争が激化しており、前3月期は売上28億5500万円・税引利益1億1700万円で増収減益となった
- [33]減益の理由は償却費増・諸経費増に加えて競争激化による製品の値下がりなどがあったため
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [29]昭和39年、埼玉県妻沼町に新鋭妻沼工場を新設した
参考文献[16]-[33]
- 株式会社年鑑 1964年版「能美防災工業」
- [16]昭和35年6月、スイス国サーベラス社とサーベラス式感知器および受信機に関し技術援助契約を締結した
- 実業往来 1968年
- [17]イオン式火災感知器は他の方式が熱が上がった時に感知するのに対し、熱以前に燃焼生成物をとらえ、人間の目に見えない0.1ミクロンから1ミクロンの粒子を検知する
- [18]イオン式火災感知器はスイスのサーベラス社と技術提携した能美防災が極東の総代理となっており、日本では同社一社だけが取り扱っている
- [19]イオン式は価格が他のものと比較して若干高いが警戒面積が非常に広く、設備一式で割り出せば必ずしも割高ではない
- [20]超高層の建物が増え地下街が開発されて建物が難燃化したことにより、熱以前に煙が出る・燃えずにくすぶる火災が多くなり、煙に対する感知器への関心が高まっている
- 証券(新規上場会社紹介)1963年
- [21]需要の見通しは昭和36年の消防関係法令の適用拡大により上昇が予想される
- [23]上場年月日は昭和37年12月1日、東京証券取引所第二部・電気機器、銘柄コード番号6744
- [24]昭和37年12月、資本金1億6千万円(2:1・公募80万株)
- [25]既存三鷹工場の設備補強・研究施設の拡充に加え、埼玉県妻沼町に敷地3万m2を買収して新工場の建設に着工している
- [26]諸施設の第一次計画は所要資金163百万円、昭和38年末完成の予定
- [27]生産能力は三鷹工場の補強完成後に現在より30%増加、新工場第1次計画分完成後はさらに約60%向上の見込み
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [22]昭和36年の消防法改正をさかいに需要が急増した
- [29]昭和39年、埼玉県妻沼町に新鋭妻沼工場を新設した
- 経済展望 1965年
- [28]妻沼新工場の本格稼動によって三鷹工場は受信機関係だけを残して感知器・電鈴などを移設し、工場の専門化による合理化を同時に行なった
- [30]妻沼工場は敷地3万3千平方メートル・資金4億5千万円で建設され、金型・冶工具生産から製品までの一貫生産体制をとり、すべてコンベアによる流れ作業方式を採用している
- [31]妻沼工場は材料試験から製品試験まで行なう品質管理室を設けるなど品質管理に重点を置いている
- [32]日本電気・沖電気など大手の進出でこの業界も競争が激化しており、前3月期は売上28億5500万円・税引利益1億1700万円で増収減益となった
- [33]減益の理由は償却費増・諸経費増に加えて競争激化による製品の値下がりなどがあったため
1968年〜消防法改正が生んだ売上100億円と、その次
1968年、イオン式感知器を手がけるスイスのサーベラス社と技術および資本の提携を行い、資本金を3億5500万円に増資した。1971年の時点で、筆頭株主の座にはサーベラス社がついていた。方針の一つは、イオン式煙感知器を国産化し、都市構造と建築様式の近代化につれて膨らむ需要に応えることだった。あわせて、労働力不足に悩む同社の生産力を国際分業で補い、その販売ルートを通じて各国へ輸出するとした。同じ1968年に完成した36階建ての三井霞ケ関ビルでは、能美防災工業の感知器が館内すべてに使われた。
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [34]昭和43年、世界的に最も進歩したといわれるイオン式感知器メーカー、スイスのサーベラス社と技術および資本提携を行ない、資本金3億5500万円に増資した
- [36]サーベラス社との提携強化によりイオン式煙感知装置を国産化し、都市構造・建築様式の近代化に伴う需要増大に対処するとともに、労働力不足に悩むサ社の生産力増強の一助としての国際分業体制をとり、サ社の販売ルートを通じ世界各国に輸出する方針である
- 東邦経済 1971年「爆発的な急成長から安定成長へ 能美防災工業」
- [35]スイス・サーベラス社は当社の筆頭株主である
- 実業往来 1968年
- [37]三井霞ケ関ビルには全館にわたって能美防災の技術の粋を結集した感知器が採用されている
- [38]霞ケ関の三十六階建のビルを始め超高層の建物が増え、また同時に地下街が開発されてきた
1971年3月期の売上高は101億5800万円に達し、1969年3月期の45億6700万円から1970年3月期の62億7600万円を経て急増した。純利益も1億5000万円、2億7500万円、6億7900万円と推移し、2期で4.5倍になっている。1969年4月には改正消防法が施行され、ホテル・病院・映画館など一般大衆が集まる建物では火災報知器を、超高層ビルや地下街では煙感知器を備えることが義務になった。とくに火災報知器は前々期の42億3700万円から77.4%増の72億1600万円に達した。配当は1割3分から1割5分、さらに普通1割5分に特別5分を加えた2割へ引き上げられた。
- 東邦経済 1971年「爆発的な急成長から安定成長へ 能美防災工業」
- [39]売上高は昭和44年3月期45億6700万円、昭和45年3月期62億7600万円、昭和46年3月期101億5800万円
- [40]利益は昭和44年3月期1億5000万円、昭和45年3月期2億7500万円、昭和46年3月期6億7900万円
- [42]消防法改正により公共施設・ホテル・旅館・病院・映画館・劇場など一般大衆が集まる建築物には火災報知機の設置が、超高層ビルには煙感知器の設置が義務づけられた
- [44]配当は昭和44年3月期が1割3分、昭和45年3月期が1割5分(普通1割3分・記念2分)、昭和46年3月期が2割(普通1割5分・特別5分)
- 東邦経済 1971年「消防法の改正で飛躍的に成長 能美防災工業」
- [41]昭和44年4月に消防法改正が施行された
- [43]火災報知器の売上げは前々期の42億3700万円に比べ77.4%増の72億1600万円に達した
1971年の時点では、日立製作所や松下電器産業も火災報知設備へ積極的に進出していた。競争がよりきびしさを加えるとみた会社側は、1972年3月期の予想を売上高120億円・純利益7億5000万円から8億円と、前期比2割増に控えめに置いた。すでに1968年には、需要急増と半独占の強みによる高収益の時期が過ぎ、高成長から安定成長期に入っていた。内需が中心で消防法改正の裏づけがあるため先行きの懸念は小さかったが、この2〜3年のような急成長は見込みにくくなっていた。火災報知機の義務範囲がマンションや住宅公団まで広がる消防法の再改正が実現すれば、需要は再び大きく伸びる余地があった。需要の大きさを決めるのは技術ではなく法令であり、能美防災工業はその外側に成長の源を置く会社になっていた。
- 東邦経済 1971年「消防法の改正で飛躍的に成長 能美防災工業」
- [45]日立製作所・松下電器産業などの火災報知設備への進出も積極的である
- [46]競争はよりきびしさを加えるとみて、売上高は前期比20%増の120億円、純利益は7億5000万円から8億円と控えめに見込んでいる
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [47]かつては需要急増と半独占の強みで高収益を満喫していたが、近年は高成長から安定成長期にはいった
- 東邦経済 1971年「爆発的な急成長から安定成長へ 能美防災工業」
- [48]当社の場合は内需中心であり消防法改正のウラづけもあるので先行きの不安は全くないが、この2〜3年にみせたような急成長は今後むずかしい
- [49]火災報知機の義務範囲の拡大、マンション・住宅公団までの義務づけをふくむ消防法再改正という気運が現実化すれば、ふたたび大きく飛躍することも考えられる
参考文献[34]-[49]
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- [34]昭和43年、世界的に最も進歩したといわれるイオン式感知器メーカー、スイスのサーベラス社と技術および資本提携を行ない、資本金3億5500万円に増資した
- [36]サーベラス社との提携強化によりイオン式煙感知装置を国産化し、都市構造・建築様式の近代化に伴う需要増大に対処するとともに、労働力不足に悩むサ社の生産力増強の一助としての国際分業体制をとり、サ社の販売ルートを通じ世界各国に輸出する方針である
- [47]かつては需要急増と半独占の強みで高収益を満喫していたが、近年は高成長から安定成長期にはいった
- 東邦経済 1971年「爆発的な急成長から安定成長へ 能美防災工業」
- [35]スイス・サーベラス社は当社の筆頭株主である
- [39]売上高は昭和44年3月期45億6700万円、昭和45年3月期62億7600万円、昭和46年3月期101億5800万円
- [40]利益は昭和44年3月期1億5000万円、昭和45年3月期2億7500万円、昭和46年3月期6億7900万円
- [42]消防法改正により公共施設・ホテル・旅館・病院・映画館・劇場など一般大衆が集まる建築物には火災報知機の設置が、超高層ビルには煙感知器の設置が義務づけられた
- [44]配当は昭和44年3月期が1割3分、昭和45年3月期が1割5分(普通1割3分・記念2分)、昭和46年3月期が2割(普通1割5分・特別5分)
- [48]当社の場合は内需中心であり消防法改正のウラづけもあるので先行きの不安は全くないが、この2〜3年にみせたような急成長は今後むずかしい
- [49]火災報知機の義務範囲の拡大、マンション・住宅公団までの義務づけをふくむ消防法再改正という気運が現実化すれば、ふたたび大きく飛躍することも考えられる
- 実業往来 1968年
- [37]三井霞ケ関ビルには全館にわたって能美防災の技術の粋を結集した感知器が採用されている
- [38]霞ケ関の三十六階建のビルを始め超高層の建物が増え、また同時に地下街が開発されてきた
- 東邦経済 1971年「消防法の改正で飛躍的に成長 能美防災工業」
- [41]昭和44年4月に消防法改正が施行された
- [43]火災報知器の売上げは前々期の42億3700万円に比べ77.4%増の72億1600万円に達した
- [45]日立製作所・松下電器産業などの火災報知設備への進出も積極的である
- [46]競争はよりきびしさを加えるとみて、売上高は前期比20%増の120億円、純利益は7億5000万円から8億円と控えめに見込んでいる
1949年〜1971年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 13 | n/a | n/a | 1 | 7.3% | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | 21 | +55.5% | n/a | 1 | 8.9% | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | 27 | +28.6% | n/a | 1 | 6.9% | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | 28 | +4.4% | n/a | 1 | 4.2% | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | 31 | +9.4% | n/a | 0 | 1.0% | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | 35 | +14.7% | n/a | 0 | 0.3% | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | 38 | +7.5% | n/a | 0 | 2.1% | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | 45 | +18.4% | n/a | 1 | 3.3% | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | 62 | +37.4% | n/a | 2 | 4.3% | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 102 | +62.4% | 16 | 6 | 6.7% | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
8件
- 能美防災工業株式会社50年史(1974年)
- 株式会社年鑑 1964年版「能美防災工業」
- 企業の歴史:明治百年(1968年)3編 企業の歴史「能美防災工業」
- 証券(新規上場会社紹介)1963年
- 経済展望 1965年
- 実業往来 1968年
- 東邦経済 1971年「爆発的な急成長から安定成長へ 能美防災工業」
- 東邦経済 1971年「消防法の改正で飛躍的に成長 能美防災工業」