SMC:髙田芳行社長の就任と中国・韓国での現地生産
ホロン経営による現場への権限委譲と中国・韓国への生産移転
1989年〜創業時からの専務が継いだ代替わりと権限の分割
髙田芳行氏は1926年8月20日に生まれ、1959年4月の設立と同時に焼結金属工業の取締役となった。1964年5月に専務取締役へ進み、1977年4月からはSMCアメリカの取締役社長を兼ね、1988年12月に営業本部長へ就いた。1987年12月の東証二部上場の時点でも、役員は取締役社長の大村進氏、専務取締役の髙田氏、常務取締役の白井二朗氏という顔ぶれである。髙田氏が代表取締役社長となったのは1989年5月だった。同年9月、SMCは東京証券取引所市場第一部の銘柄に指定された。引き継いだのは、世界で約10%のシェアを持ち、三大メーカーの一角を占める会社だった。創業から30年、専務の席で事業の拡大を見続けた者への交代である。
- 有価証券報告書【役員の状況】
- [1]髙田芳行は大正15年8月20日生まれで、昭和34年4月に当社取締役へ就任した。
- [2]髙田芳行は昭和39年5月に専務取締役、昭和52年4月にSMCアメリカ取締役社長、昭和63年12月に当社営業本部長に就いた。
- [4]髙田芳行は1989年5月に代表取締役社長へ就任した。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [3]1987年12月の上場時点の役員は、取締役社長 大村進、専務取締役 高田芳行、常務取締役 白井二朗である。
- 有価証券報告書【沿革】
- [5]1989年9月、東京証券取引所市場第一部銘柄に指定された。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [6]1988年時点で全世界の空気圧機器市場の約10%のシェアを占め、世界3大メーカーのひとつとなっていた。
製品は30万品目に及び、伝票一つでも組織として捌くのは難しかったため、ユーザーと担当部署をじかにつなぐほうが速かった。情報も膨大に入り組んでトップが一人で処理できる量を超えており、権限を下へ渡して小さい単位で動かすほうがよいと髙田芳行氏は見ていた。そこで敷いたのがホロン経営で、社内を小グループに細分し、各グループが自ら仕事を探して動く。営業では4営業所体制を15営業所体制へ割り直し、その下に地域の出張所を置いた。1987年の販売網が5営業所と38出張所だったことを思えば、拠点の数え方そのものが変わっている。工場も同じ形をとり、160ほどのグループに分けて独自の考えを出させた。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [7]製品が30万品目に及ぶため伝票一つを組織的に処理するのは困難であり、ユーザーとその部署をダイレクトに結び、その部署で処理するほうがよいと判断した。
- [8]ホロン経営を採用した背景には、情報量が膨大で錯綜しており、トップでもその情報を処理しきれないという事情があった。
- [9]ホロン経営を採用した背景には、もともと権限を下のほうに委譲して小さい単位でやったほうがよいという認識があった。
- [10]ホロン経営とは、会社の組織を小さなグループに分け、それぞれが独自に自立した仕事をしていく仕組みであり、上から与えられた仕事をするのではなく、その人に合った仕事を自分で探し出す形をとる。
- [11]営業では4営業所体制を15営業所体制にし、その下に地域の出張所をつけて、それぞれのグループで自主的に運営させた。
- [13]工場も同じスタイルをとり、160くらいのグループに分けて独自にいろいろな考えを出させている。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [12]1987年時点の販売拠点は5つの営業所(東京、名古屋、大阪、厚木、広島)と38の出張所である。
グループごとに損得を計算させる習慣は、ホロン経営より前からあった。30年ほど前から、経理を交えずに自分たちで損得を計算する油算計算を続けており、部門別独立採算制よりも小さい単位だった。自分で計算させると、給与を5%上げるか10%上げるかという話が下のほうから出なくなるという『自分で実際にやってみますとね、給料を5%上げるとか、10%上げるというと、これじゃ上げられないなって。私らの話じゃなくて、下のほうから』。縦に割ったグループへ技術部や生産技術部、原価の組織が横断的に入る形も、このころ構想されていた。他社より製造原価が安く利益の出やすい体質は、大村進氏が1988年に挙げた同社の特徴の一つでもあった。売上高経常利益率は過去数年、11%から13%の間に保たれていた。原価を誰が握るかを現場へ降ろしたことが、その体質を支えたとみられる。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [14]30年ほど前からグループ別に、経理が参加せず自分たちで損得を計算する「油算計算」を行っていた。
- [15]油算計算は部門別独立採算制よりもっと小さい単位のものである。
- [16]高田芳行は、自分たちで損得を計算させると、給料を5%上げる10%上げるという話が下のほうから出てこなくなると述べている。
- [17]縦型のグループに対し、技術部・生産技術部・原価といった組織が横断的に入る部門を超えた現場のサポートシステムを、今後強化していく方針を示した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [18]大村進は1988年に、生産方式に特徴があり他社よりも製造原価が安く利益も出やすい体質になっていることを同社の特徴の第四に挙げた。
- [19]過去数年、経常利益(売上高経常利益率)を11〜13%の間に保っており、今後もこれを保っていけるよう努める方針である。
参考文献[1]-[19]
- 有価証券報告書【役員の状況】
- [1]髙田芳行は大正15年8月20日生まれで、昭和34年4月に当社取締役へ就任した。
- [2]髙田芳行は昭和39年5月に専務取締役、昭和52年4月にSMCアメリカ取締役社長、昭和63年12月に当社営業本部長に就いた。
- [4]髙田芳行は1989年5月に代表取締役社長へ就任した。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [3]1987年12月の上場時点の役員は、取締役社長 大村進、専務取締役 高田芳行、常務取締役 白井二朗である。
- [12]1987年時点の販売拠点は5つの営業所(東京、名古屋、大阪、厚木、広島)と38の出張所である。
- 有価証券報告書【沿革】
- [5]1989年9月、東京証券取引所市場第一部銘柄に指定された。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [6]1988年時点で全世界の空気圧機器市場の約10%のシェアを占め、世界3大メーカーのひとつとなっていた。
- [18]大村進は1988年に、生産方式に特徴があり他社よりも製造原価が安く利益も出やすい体質になっていることを同社の特徴の第四に挙げた。
- [19]過去数年、経常利益(売上高経常利益率)を11〜13%の間に保っており、今後もこれを保っていけるよう努める方針である。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [7]製品が30万品目に及ぶため伝票一つを組織的に処理するのは困難であり、ユーザーとその部署をダイレクトに結び、その部署で処理するほうがよいと判断した。
- [8]ホロン経営を採用した背景には、情報量が膨大で錯綜しており、トップでもその情報を処理しきれないという事情があった。
- [9]ホロン経営を採用した背景には、もともと権限を下のほうに委譲して小さい単位でやったほうがよいという認識があった。
- [10]ホロン経営とは、会社の組織を小さなグループに分け、それぞれが独自に自立した仕事をしていく仕組みであり、上から与えられた仕事をするのではなく、その人に合った仕事を自分で探し出す形をとる。
- [11]営業では4営業所体制を15営業所体制にし、その下に地域の出張所をつけて、それぞれのグループで自主的に運営させた。
- [13]工場も同じスタイルをとり、160くらいのグループに分けて独自にいろいろな考えを出させている。
- [14]30年ほど前からグループ別に、経理が参加せず自分たちで損得を計算する「油算計算」を行っていた。
- [15]油算計算は部門別独立採算制よりもっと小さい単位のものである。
- [16]高田芳行は、自分たちで損得を計算させると、給料を5%上げる10%上げるという話が下のほうから出てこなくなると述べている。
- [17]縦型のグループに対し、技術部・生産技術部・原価といった組織が横断的に入る部門を超えた現場のサポートシステムを、今後強化していく方針を示した。
1989年〜販売会社の設置から中国・韓国での現地生産へ
1967年のオーストラリアを皮切りに、海外の子会社はすべてSMCの名で呼んでおり、名乗りで揺れたことはない。そのうち生産を担った最初の拠点は、1986年9月設立のSMCシンガポール製造である。1988年に大村進氏が打ち出したのは、欧米とNICSを軸に売る網を厚くしながら工場も現地へ移し、日本から送るものは主要な部品に限るという方針で『欧米やNICSを中心とする海外販売網をさらに強化すると同時に、生産の一層の現地化を進め、輸出は主要部品にとどめて、国際化を図っていく方針である。』、これに沿って1989年10月に台湾、1990年10月にスペインへ現地法人ができた。1987年度の空気圧機器の市場規模は、日本で1,280億円、世界では約5,000億円と推計されていた。国内で4割を握っても、世界で見れば取り残しのほうが大きい。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [20]1967年にオーストラリアへ子会社を設立して以来、海外各地の子会社の社名はすべてSMCとしてきた。
- 有価証券報告書【沿革】
- [21]1986年9月、SMCシンガポール製造を設立した。
- [23]1989年10月にSMC台湾、1990年10月にSMCスペインを設立した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [22]大村進は1988年に、欧米やNICSを中心とする海外販売網を強化すると同時に、生産の一層の現地化を進め、輸出は主要部品にとどめて国際化を図る方針を示した。
- [24]1987年度の空気圧機器業界の市場規模は、日本で1,280億円、世界では約5,000億円になろうという推計であった。
空気圧機器の需要は、産業の別も国の別も問わずに現れる。髙田芳行氏は空気圧の利点を操作性・耐環境性・経済性・安全性に求め、公害が出ない点も挙げた。一方で精密な位置決めは電気や油圧に及ばない。この棲み分けの内側で、電車の扉の開閉、エアジェット式自動織機、郵便物の仕分け機、自動洗車機、自動車や時計の組立ラインまでが受け持ちになる。第一次産業から第三次産業まで自動化の進む先には必ず需要があり、1988年の時点で販売とサービスの網は主要30か国へ届いていた。もっとも空気圧機器は既製品をそのまま持ってきて使えるものが少なく、輸入品の国内シェアは4%程度にとどまっていた。同じ制約は輸出の側にも働き、使う場所の近くで作る理由になる。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [25]空気圧機器は第1次産業から第3次産業にいたるあらゆる分野のオートメーション化に使われている。
- [26]空気圧のすぐれている点は操作性、耐環境性、経済性、安全性などであり、公害がないことも挙げられる。
- [27]精密に位置を決定することでは空気圧は電気や油圧に及ばず、1トンを超える力を加える用途は油圧などの領域になる。
- [28]電車のドアの開閉、エアジェット式自動織機、郵便物の配送仕分け機、自動洗車機、自動車・時計の組み立てラインの制御に空気圧機器が利用されている。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [29]空気圧制御機器は一次産業、二次産業、三次産業のあらゆる分野でオートメ化の役割を務めている。
- [30]1988年時点で主要30カ国にわたって販売とサービスのネットワークを築いている。
- [31]欧米などからの輸入製品の国内市場におけるシェアは4%程度と小さく、空気圧機器は既製品を持ってきてすぐ使えるものが少ないため、円高で値段が安くなるだけでは販売が伸びない面がある。
1994年9月、SMCは中国に製造子会社のSMC中国製造を設立した。翌1995年3月にはSMC韓国を設けている。1988年の大村進氏の方針は、顧客を業種ごとに細かく切り分け、区分ごとに無駄のない売り方をするというもので、すぐ届ける体制のために要所へデポジットを置く考えも添えていた。1987年に5営業所・38出張所・97代理店だった体制は、1992年には営業拠点47、代理店100社、代理店の店舗500弱にまで広がっていた。売り手の密度は5年でほぼ倍になった勘定である。こうして国内に細かく張った網を、海外の主要市場にも持ち込もうとしたとみられる。
- 有価証券報告書【沿革】
- [32]1994年9月、SMC中国製造を設立した。
- [33]1995年3月、SMC韓国を設立した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [34]大村進は1988年に、製品の差別化による拡販と同時に、市場の業種をできるだけ細分化し、そのひとつひとつに効率的な販売を促進する方針を示した。
- [35]大村進は1988年に、即納体制をさらに強化するため、必要な場所にデポジットを設置する方針を示した。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [36]1992年時点の国内の営業拠点は47で、その下に代理店が100社あり、代理店の店舗数は500弱である。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [37]1987年時点の販売網は5つの営業所と38の出張所、97の代理店である。
参考文献[20]-[37]
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [20]1967年にオーストラリアへ子会社を設立して以来、海外各地の子会社の社名はすべてSMCとしてきた。
- [25]空気圧機器は第1次産業から第3次産業にいたるあらゆる分野のオートメーション化に使われている。
- [26]空気圧のすぐれている点は操作性、耐環境性、経済性、安全性などであり、公害がないことも挙げられる。
- [27]精密に位置を決定することでは空気圧は電気や油圧に及ばず、1トンを超える力を加える用途は油圧などの領域になる。
- [28]電車のドアの開閉、エアジェット式自動織機、郵便物の配送仕分け機、自動洗車機、自動車・時計の組み立てラインの制御に空気圧機器が利用されている。
- [36]1992年時点の国内の営業拠点は47で、その下に代理店が100社あり、代理店の店舗数は500弱である。
- 有価証券報告書【沿革】
- [21]1986年9月、SMCシンガポール製造を設立した。
- [23]1989年10月にSMC台湾、1990年10月にSMCスペインを設立した。
- [32]1994年9月、SMC中国製造を設立した。
- [33]1995年3月、SMC韓国を設立した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [22]大村進は1988年に、欧米やNICSを中心とする海外販売網を強化すると同時に、生産の一層の現地化を進め、輸出は主要部品にとどめて国際化を図る方針を示した。
- [24]1987年度の空気圧機器業界の市場規模は、日本で1,280億円、世界では約5,000億円になろうという推計であった。
- [29]空気圧制御機器は一次産業、二次産業、三次産業のあらゆる分野でオートメ化の役割を務めている。
- [30]1988年時点で主要30カ国にわたって販売とサービスのネットワークを築いている。
- [31]欧米などからの輸入製品の国内市場におけるシェアは4%程度と小さく、空気圧機器は既製品を持ってきてすぐ使えるものが少ないため、円高で値段が安くなるだけでは販売が伸びない面がある。
- [34]大村進は1988年に、製品の差別化による拡販と同時に、市場の業種をできるだけ細分化し、そのひとつひとつに効率的な販売を促進する方針を示した。
- [35]大村進は1988年に、即納体制をさらに強化するため、必要な場所にデポジットを設置する方針を示した。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [37]1987年時点の販売網は5つの営業所と38の出張所、97の代理店である。
1991年〜需要予測に先回りする設備投資と東北への生産移転
予測を管理する部署には数学を専攻した4〜5人が置かれ、数理統計学で見通しの確度を上げていた。その見通しに基づき、需要が現れる前に設備へ資金を投じるのが髙田芳行氏のやり方で、売れると読めた時点で作れる能力を持つため、事をなすには前もって準備が要るという考えで投資を続けてきたと語っている『いくら売れるだろうと予測がたてば、その製品をつくる能力を備えておくために、前もって投資をする、ということです』。設備投資で他社より先に動けたことは、競争上たいへん有利に働いたという。1988年の上場直後にも、1992年3月期までの5年間で約250億円を国内に投じる計画を立て、資金は利益と償却で賄える見込みだった。売上高は1988年3月期の540億円から1992年3月期に750億円へ、年率8.5%で伸ばす中期の計画も置いていた。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [38]予測を管理する部署に4、5人の数学専攻者を置き、数理統計学などを使って予測を確かなものにしている。
- [39]高田芳行は、いくら売れるだろうと予測が立てば、その製品をつくる能力を備えておくために前もって投資をするという方針をとってきた。
- [40]高田芳行は、なにか事をなす時には前もって準備をしておかなければできかねると考えており、実際にそのようにしてきて成功したと述べている。
- [41]競合相手に比べて設備投資が先行しており、その面で非常に有利であった。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [42]1992年3月期までの5年間に国内だけで約250億円の設備投資を計画しており、その資金は利益と償却だけで十分に賄える見通しであった。
- [43]1988年3月期に売上高540億円、1992年3月期に同750億円と、平均して年率8.5%の伸びを中期的に計画していた。
生産の拠点は、1980年代まで草加・越谷・筑波と首都圏の近郊に集まっていた。大村進氏は1988年、研究開発投資を積極化し、先端技術との融合を図る研究所を新設する考えを示していた。SMCは1991年1月に釜石工場を置き、同年4月には筑波技術センターを設けた。技術センターは、1983年1月に据えた筑波工場に続く設備である。1994年8月には福島県の矢祭工場、1997年12月には岩手県の遠野工場を加えている。10年足らずで岩手と福島に三つの工場が並び、生産の中心は首都圏から東北へ移った。需要が現れる前に用地と人を押さえる投資の型が、そのまま拠点の配置を決めたとみられる。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [44]1968年6月に草加工場、1973年3月に越谷工場、1973年6月に草加第二工場、1983年1月に筑波工場を設置した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [45]大村進は1988年に、技術力を強化するための研究開発投資を一段と積極化し、先端技術との融合を図るための研究所などを新設する考えを示した。
- 有価証券報告書【沿革】
- [46]1991年1月に釜石工場、1991年4月に筑波技術センターを設置した。
- [47]1983年1月に筑波工場を設置し、1991年4月に筑波技術センターを設置した。
- [48]1994年8月に矢祭工場、1997年12月に遠野工場を設置した。
- [49]釜石工場と遠野工場は岩手県、矢祭工場は福島県に所在する。
品目の数は、上場から5年でさらに膨らんだ。1988年の時点で基本形は約5,000種、製品は24万種類以上だった。空気圧機器とは、用途に応じて形も寸法も異なる品を組み上げ、同じ動作を何度も繰り返させるための道具である。長所には、人より精密かつ速く動き、環境面で安全で、安い費用でものを作れる点が挙げられている。1992年の時点で基本タイプは約5,500あり、付属品やサイズ違いとの組み合わせで品目は約30万に及んだ。これだけの品目を数日で届けられたのは、在庫を代理店でなく自社が持つ仕組みにしていたためで、品種が増えて在庫が重くなっても、その重さを背負う側が納期と値付けの主導権を握る。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [50]1988年時点の製品は24万種類以上、1992年時点の品目は約30万である。
- [54]1992年時点の基本タイプは約5,500で、付属品を付けたり大きさを変えたりすると約30万品目になる。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [51]1988年時点で基本形は約5,000種類、製品は24万種類以上である。
- [52]大村進は1988年に、それぞれの目的ごとに違った形・大きさなどの特性を持った製品を組み合わせてシステムを作り、主として繰り返し仕事をさせるものだと説明した。
- [53]空気圧機器の長所として、人間よりも精密な仕事ができること、スピードが速いこと、環境的に非常に安全であること、安いコストで製品を作れることが挙げられている。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [55]基本的に代理店に在庫を保有させず、ユーザーの短期即納というニーズに対応している。
先に投じた設備の効き目は、すぐには数字に出なかった。単体の売上高は1989年3月期の772億円から1991年3月期に1,029億円まで伸びたが、1993年3月期には905億円へ落ちた。経常利益は1991年3月期の82億4,000万円から1993年3月期の33億8,000万円へ半分以下になっている。回復を呼んだのは半導体関連産業の世界的なブームで、1995年3月期の売上高は1,153億円、経常利益は99億7,000万円に達した。制御機器とFA機器を扱う商社の鳥羽洋行にとっても、主力商品のメーカーであるSMCの好調は1995年11月時点の追い風だった。SMCは1998年2月にISO9001、1999年12月にISO14001の認証を取得している。
- 会社年鑑
- [56]1989年3月期から1995年3月期にかけて、単体の売上高は772億円・866億円・1,029億円・1,007億円・905億円・906億円・1,153億円と推移した。
- [57]単体の売上高は1989年3月期772億円、1991年3月期1,029億円、1993年3月期905億円である。
- [58]単体の経常利益は1991年3月期82億4,000万円、1993年3月期33億8,000万円である。
- [59]単体の1995年3月期の売上高は1,153億円、経常利益は99億7,000万円である。
- 証券アナリストジャーナル 1995年 /鳥羽洋行 会社説明会(1995年11月9日・東京)
- [60]鳥羽洋行は1995年11月、世界的規模での半導体関連産業のブームにより、主力商品のメーカーであるSMCの業績もすこぶるよいと述べた。
- 有価証券報告書【沿革】
- [61]1998年2月にISO9001、1999年12月にISO14001の認証を取得した。
参考文献[38]-[61]
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [38]予測を管理する部署に4、5人の数学専攻者を置き、数理統計学などを使って予測を確かなものにしている。
- [39]高田芳行は、いくら売れるだろうと予測が立てば、その製品をつくる能力を備えておくために前もって投資をするという方針をとってきた。
- [40]高田芳行は、なにか事をなす時には前もって準備をしておかなければできかねると考えており、実際にそのようにしてきて成功したと述べている。
- [41]競合相手に比べて設備投資が先行しており、その面で非常に有利であった。
- [50]1988年時点の製品は24万種類以上、1992年時点の品目は約30万である。
- [54]1992年時点の基本タイプは約5,500で、付属品を付けたり大きさを変えたりすると約30万品目になる。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [42]1992年3月期までの5年間に国内だけで約250億円の設備投資を計画しており、その資金は利益と償却だけで十分に賄える見通しであった。
- [43]1988年3月期に売上高540億円、1992年3月期に同750億円と、平均して年率8.5%の伸びを中期的に計画していた。
- [45]大村進は1988年に、技術力を強化するための研究開発投資を一段と積極化し、先端技術との融合を図るための研究所などを新設する考えを示した。
- [51]1988年時点で基本形は約5,000種類、製品は24万種類以上である。
- [52]大村進は1988年に、それぞれの目的ごとに違った形・大きさなどの特性を持った製品を組み合わせてシステムを作り、主として繰り返し仕事をさせるものだと説明した。
- [53]空気圧機器の長所として、人間よりも精密な仕事ができること、スピードが速いこと、環境的に非常に安全であること、安いコストで製品を作れることが挙げられている。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [44]1968年6月に草加工場、1973年3月に越谷工場、1973年6月に草加第二工場、1983年1月に筑波工場を設置した。
- [55]基本的に代理店に在庫を保有させず、ユーザーの短期即納というニーズに対応している。
- 有価証券報告書【沿革】
- [46]1991年1月に釜石工場、1991年4月に筑波技術センターを設置した。
- [47]1983年1月に筑波工場を設置し、1991年4月に筑波技術センターを設置した。
- [48]1994年8月に矢祭工場、1997年12月に遠野工場を設置した。
- [49]釜石工場と遠野工場は岩手県、矢祭工場は福島県に所在する。
- [61]1998年2月にISO9001、1999年12月にISO14001の認証を取得した。
- 会社年鑑
- [56]1989年3月期から1995年3月期にかけて、単体の売上高は772億円・866億円・1,029億円・1,007億円・905億円・906億円・1,153億円と推移した。
- [57]単体の売上高は1989年3月期772億円、1991年3月期1,029億円、1993年3月期905億円である。
- [58]単体の経常利益は1991年3月期82億4,000万円、1993年3月期33億8,000万円である。
- [59]単体の1995年3月期の売上高は1,153億円、経常利益は99億7,000万円である。
- 証券アナリストジャーナル 1995年 /鳥羽洋行 会社説明会(1995年11月9日・東京)
- [60]鳥羽洋行は1995年11月、世界的規模での半導体関連産業のブームにより、主力商品のメーカーであるSMCの業績もすこぶるよいと述べた。
筆者考察
創業と同時に取締役となり、30年を専務として過ごした髙田芳行氏が1989年に継いだのは、大村進氏が組み上げた仕組みそのものだった。だから最初に手を入れたのは製品でも市場でもなく、誰が決めるかという権限の配分である。製品が30万品目に達すると、伝票一枚の可否さえ本社では裁けない。ホロン経営と呼ばれた組織の割り方は、4営業所を15営業所へ、工場を160ほどのグループへ分け、損得の計算まで現場へ渡した。経理を交えずに自分たちで数字を出させれば、昇給を言い出す側も現場になる。他社より安い製造原価と11〜13%の経常利益率は、標語ではなく採算の単位を小さく刻んだ結果だったとみてよい。
先に投じて後から売るという順序も、髙田芳行氏は変えなかった。数学を専攻した4〜5人が数理統計で需要を読み、確度が立った時点で作る能力を先に備える。1991年の釜石、1994年の矢祭、1997年の遠野と東北に工場を並べたのは、その型を土地と人へ当てはめた結果である。ただし先行投資は、読みが外れた期には丸ごと重しになる。単体の売上高は1991年3月期の1,029億円から1993年3月期に905億円へ落ち、経常利益は82億円から33億円へ半分以下になった。1995年の半導体需要が1,153億円まで押し戻すまでの4年間、抱えた能力は使われないまま残った。読みの速さではなく、外れた期を持ちこたえる体力のほうが、この型を支えていた。
- 東北への生産移転の起点
- 中国での現地生産の開始
1989年〜1999年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1989年03月期 | 単体 | 772 | n/a | 60 | 7.8% | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | 866 | +12.2% | 76 | 8.9% | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | 1,029 | +18.8% | 82 | 8.0% | n/a |
| 1992年03月期 | 単体 | 1,007 | ▲2.1% | 52 | 5.2% | n/a |
| 1993年03月期 | 単体 | 905 | ▲10.1% | 33 | 3.7% | n/a |
| 1994年03月期 | 単体 | 906 | +0.1% | 39 | 4.4% | n/a |
| 1995年03月期 | 単体 | 1,153 | +27.3% | 99 | 8.6% | n/a |
| 1996年03月期 | 連結 | 1,481 | +28.4% | 160 | 10.8% | n/a |
| 1997年03月期 | 連結 | 1,688 | +14.0% | 169 | 10.0% | n/a |
| 1998年03月期 | 連結 | 1,973 | +16.9% | 193 | 9.8% | n/a |
| 1999年03月期 | 連結 | 1,650 | ▲16.4% | 155 | 9.4% | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
7件
- 有価証券報告書【役員の状況】
- 有価証券報告書【沿革】
- 会社年鑑
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- 証券アナリストジャーナル 1995年 /鳥羽洋行 会社説明会(1995年11月9日・東京)