SMC:濾過体の部材販売から空気圧機器への業態転換
焼結濾過体から直動形電磁弁への内製範囲の拡張
1959年〜濾過体の部材から主力三機器へ拡充した製品系列
大村進氏は、1939年に東京帝国大学工学部を卒業して東京タングステンに入社し、ステンレスやブロンズの焼結理論を研究していた技術者である。その研究を元手に、1959年4月27日、東京都千代田区に焼結金属工業を設立した。目的は、空気圧機器の作動に必要な清浄な空気を導くための焼結濾過体、すなわちフィルタ用焼結金属の製造・販売だった。大村氏は設立と同時に取締役社長へ就いたが、東京タングステンを退社したのは1973年5月で、14年のあいだ籍を残したままの創業だった。粉末冶金法でつくる濾過体は、空気圧機器へ清浄な空気を導くための部材であり、それだけでは何も動かさない。大村氏は後年、この製品を選んだことで以後は空気とのつながりが強くなったと振り返っている『当社は昭和34年4月、焼結金属フィルターの製造・販売を目的に、東京都千代田区に設立された焼結金属工業株式会社として発足したが、この製品は空気圧機器の中のゴミを取り除く濾過体ということで、以後、空気とのつながりが強くなった。』。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [1]大村進は1939年3月に東京帝国大学工学部を卒業し、同年4月に東京タングステンへ入社して、ステンレス・ブロンズ等の焼結理論の研究を続けていた。
- [2]焼結金属工業株式会社の設立年月日は1959年4月27日で、設立地は東京都千代田区である。
- [4]大村進は1959年4月に焼結金属工業を設立して取締役社長に就任し、東京タングステンを退社したのは1973年5月である。
- [5]創業の製品は、空気圧機器の作動に必要な清浄な空気を導入するための粉末冶金法による焼結濾過体(フィルタ用焼結金属)である。
- 有価証券報告書【沿革】
- [3]1959年4月、焼結濾過体(フィルタ用焼結金属)の製造及び販売を目的に、東京都千代田区に焼結金属工業株式会社を設立した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [6]大村進は、焼結金属フィルターが空気圧機器の中のゴミを取り除く濾過体であったことから、以後、空気とのつながりが強くなったと述べている。
部材の供給にとどまらず、大村進氏は圧縮空気を使う機器そのものへ進んだ。1960年7月にフィルタ付減圧弁の製造販売を始め、1961年9月には空気圧補助機器、いわゆるエア三点セットの製造・販売へ移った。空気圧の系は、圧縮空気をつくるコンプレッサに始まり、清浄化機器、補助機器、方向制御機器、駆動機器の順に並ぶ。焼結金属工業はこの並びを川下へ辿り、1970年6月に駆動機器のエアシリンダ、1971年1月に方向制御機器の直動形電磁弁を加えた。コンプレッサを除く工程を12年で自前に収め、主力三機器を揃えた総合メーカーとなった。濾過体一点の商いでは需要も価格も相手の設計に握られるため、内製の範囲を広げることは主導権を取り返す手だったとみられる。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [7]1960年7月にフィルタ付減圧弁の製造販売を開始した。
- 有価証券報告書【沿革】
- [8]1961年9月、空気圧補助機器(エア三点セット)の製造・販売を開始した。
- [10]1970年6月に駆動機器(エアシリンダ)、1971年1月に方向制御機器(直動形電磁弁)の製造・販売を開始した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [9]空気圧制御機器の基本システムは、コンプレッサで圧縮空気をつくり、圧縮空気清浄化機器で除湿し、空気圧補助機器で圧力調整と除塵を行い、方向制御機器で流れる方向を切り替え、シリンダーへ送り込む構成である。
- [11]1960年には空気圧補助機器だけだったが1971年にはすべて作れるようになり、以後は空気圧機器の総合メーカーとなった。主力製品は空気圧補助機器・方向制御機器・シリンダーの三つである。
空気圧機器は、ユーザーの自動化設備ごとに仕様が変わるため、寸法も形も一品ごとに違う。焼結金属工業は用途別に品種を増やし続け、1988年時点で24万種類以上の製品を抱えるに至った。基本形はおよそ5,000種で、そこへ大きさや付属品の違いを掛け合わせて品目が膨らむ構造である。1987年3月期の国内シェアは41.9%で第1位、第2位のメーカーの21%の2倍に達していた。技術担当者は社員の4分の1を占め、研究開発には売上高の6%程度を投じ、毎年の売上高の約10%を新製品が占めた。過去10年のあいだにこの分野へ転じようとした他業種の業者はいずれも途中でやめたという。品種を網羅すること自体が、後から入る者への壁になっていた。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [12]ユーザーの自動化生産設備の仕様が異なるため、同社は多品種少量の生産形態をとっている。
- [15]1987年3月期の空気圧機器業界における市場占有率は41.9%で第1位である(日本油空圧工業会の出荷統計に基づく同社推定値)。第2位のメーカーのシェアは21%である。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [13]業種によって適用する品種が異なるため、製品は24万種類以上に達した。
- [14]約5,000種類の基本形をベースとし、フレキシビリティのある中間的な組み立て部品を在庫することで量産体制を取っている。
- [16]技術担当が社員の4分の1を占め、売上高比6%程度を研究開発に投入しており、毎年の売上高の約10%を新製品が占めている。
- [17]過去10年間に他の業種からこの分野に転向してきた業者はなく、計画したものはいずれも途中でやめた。
参考文献[1]-[17]
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [1]大村進は1939年3月に東京帝国大学工学部を卒業し、同年4月に東京タングステンへ入社して、ステンレス・ブロンズ等の焼結理論の研究を続けていた。
- [2]焼結金属工業株式会社の設立年月日は1959年4月27日で、設立地は東京都千代田区である。
- [4]大村進は1959年4月に焼結金属工業を設立して取締役社長に就任し、東京タングステンを退社したのは1973年5月である。
- [5]創業の製品は、空気圧機器の作動に必要な清浄な空気を導入するための粉末冶金法による焼結濾過体(フィルタ用焼結金属)である。
- [7]1960年7月にフィルタ付減圧弁の製造販売を開始した。
- [12]ユーザーの自動化生産設備の仕様が異なるため、同社は多品種少量の生産形態をとっている。
- [15]1987年3月期の空気圧機器業界における市場占有率は41.9%で第1位である(日本油空圧工業会の出荷統計に基づく同社推定値)。第2位のメーカーのシェアは21%である。
- 有価証券報告書【沿革】
- [3]1959年4月、焼結濾過体(フィルタ用焼結金属)の製造及び販売を目的に、東京都千代田区に焼結金属工業株式会社を設立した。
- [8]1961年9月、空気圧補助機器(エア三点セット)の製造・販売を開始した。
- [10]1970年6月に駆動機器(エアシリンダ)、1971年1月に方向制御機器(直動形電磁弁)の製造・販売を開始した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [6]大村進は、焼結金属フィルターが空気圧機器の中のゴミを取り除く濾過体であったことから、以後、空気とのつながりが強くなったと述べている。
- [9]空気圧制御機器の基本システムは、コンプレッサで圧縮空気をつくり、圧縮空気清浄化機器で除湿し、空気圧補助機器で圧力調整と除塵を行い、方向制御機器で流れる方向を切り替え、シリンダーへ送り込む構成である。
- [11]1960年には空気圧補助機器だけだったが1971年にはすべて作れるようになり、以後は空気圧機器の総合メーカーとなった。主力製品は空気圧補助機器・方向制御機器・シリンダーの三つである。
- [13]業種によって適用する品種が異なるため、製品は24万種類以上に達した。
- [14]約5,000種類の基本形をベースとし、フレキシビリティのある中間的な組み立て部品を在庫することで量産体制を取っている。
- [16]技術担当が社員の4分の1を占め、売上高比6%程度を研究開発に投入しており、毎年の売上高の約10%を新製品が占めている。
- [17]過去10年間に他の業種からこの分野に転向してきた業者はなく、計画したものはいずれも途中でやめた。
1968年〜即納を成立させた直販網と草加第二工場のオンライン化
同業他社が元卸・卸・小売という経路で売っていたのに対し、焼結金属工業は代理店を客先とみなさなかった。代理店は自社の営業所を補う相手と位置づけ、ユーザーへ直接売る小売商社のなかから選んだ。営業所や出張所では手の届かない小規模・遠隔地のユーザーを、その代理店が受け持つ。1987年時点の販売網は、東京・名古屋・大阪・厚木・広島の5営業所と38の出張所、97の代理店からなる。営業拠点は早くから西へ延びており、1960年5月に大阪、1963年4月に名古屋、1967年9月に広島を置いていた。卸の機能を省いたぶん流通経路は他社より短く、大村進氏はそれが値決めの納得と原価の低さにつながると述べている『直販に近い形でユーザーに接しており、それによって、ユーザーの納得のいく値決めができ、また当社がPRしたい点や向こうの欲しい点などについて情報交換ができることだ。代理店とはパートナーとして協力体制を築いており、流通経路が他社よりも短いのでコストが安いのも当社の特徴のひとつである。』。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [18]他社が元卸・卸・小売といった販売経路で販売しているのに対し、同社は代理店を客先とは考えず、自社の営業所等を補助するパートナーとして位置付け、ユーザーへの直販を基本としている。
- [19]同社の代理店は、ユーザーへ直接販売している小売商社の中から選定している。
- [20]自社の営業所及び出張所がユーザー開発・配送等を行うには困難な小規模・遠隔地のユーザーを代理店がフォローする形をとっている。
- [21]販売拠点として全国に5つの営業所(東京、名古屋、大阪、厚木、広島)と38の出張所を設置し、97の代理店を組織している。
- [22]1960年5月に関西以西の販売拠点として大阪営業所、1963年4月に中部・東海・北陸地区の販売拠点として名古屋営業所、1967年9月に中国・四国地方の販売拠点として広島営業所を設置した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [23]大村進は、代理店とパートナーとして協力体制を築き、流通経路が他社よりも短いためコストが安いこと、直販に近い形でユーザーの納得のいく値決めができることを同社の特徴として挙げている。
空気圧機器のユーザーは、設備の新設でも故障時の補修でも即納を求める。焼結金属工業がその要求に応える仕組みを構想したのは、石油危機後の業績が苦しい時期だった。生産拠点は、1968年6月の草加工場、1973年3月の越谷工場、1973年6月の草加第二工場と重ねてきた。その草加第二工場で1978年、コンピュータを使って営業所と工場の生産ラインを結ぶオンラインシステムを開発した。営業担当者の注文をプログラムに直すと、必要な工程と加工データが引き出され、機械の空き時間を調べたうえで現場へ生産指令が出る。当時専務だった髙田芳行氏は、3〜4年前まで2週間かかっていた納期が2日に縮んだと語った『3~4年前までは注文をとってから製品を納入するまでどうしても2週間かかった。それが今では2日だ。特別の注文なら5時間で仕上げてみせる』。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [24]空圧機器のユーザーは新設でも補修でも即納を強く求めるため、同社は使用生産設備の故障時などに備え短期即納体制を確立している。
- [26]1968年6月に草加工場(現在の草加第一工場)、1973年3月に越谷工場、1973年6月に草加第二工場を設置し生産体制の増強を図った。
- 日経ビジネス 1981年10月19日号(No.303) p46-53
- [25]焼結金属工業は、即納の要求にこたえるシステムを石油危機後の苦しい時期に構想し、作り出してきた。
- [27]1978年に電磁弁やシリンダーの草加第2工場を作るにあたり、コンピューターを利用して営業所と工場の生産ラインを結ぶオンラインシステムを開発した。
- [28]営業マンの注文をプログラム化するとコンピューターが必要な工程と加工データを引き出し、管理している機械の空き時間を調べて現場へ生産指令を出す仕組みである。
- [29]1981年当時に専務取締役だった高田芳行は、3〜4年前まで受注から納入まで2週間かかっていた納期が2日に短縮されたと述べた。
生産は、受注の継続性と量を勘案して共通性のある工程までを見込生産で進め、その先を受注生産へ切り替える折衷方式をとった。基本形をつくり置き、融通の利く中間組立部品を適切に在庫しておけば、多品種でも量産の効果を引き出せる。代理店に在庫を持たせない方針のため、1987年3月期の棚卸資産は98億2,500万円、回転期間は3.74か月と高い水準にあった。組立に要する時間が短く、工程在庫である仕掛品の残高は低位にとどまった。現金・預金は売上高の3か月程度を保有する方針で、その残高も高水準で推移した。1980年度の売上高は2年前より68%伸び、従業員の増加は15%にとどまっている。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [30]受注の継続性及び生産量を勘案し、共通性のある工程までを見込生産形態で行い、その後は受注生産を行うという折衷生産的方式を採っている。
- [32]基本的に代理店に在庫を保有させずユーザーの短期即納に対応しているため、棚卸資産の保有高は1987年3月期で98億2,500万円、回転期間は3.74か月と高い水準で推移している。
- [33]工程在庫である仕掛品は製品の組立時間が短時間であることからその保有高は低位である。
- [34]売上高の3か月程度を現金・預金で保有するという方針をもっているため、現金・預金の保有高は高水準で推移している。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [31]約5,000種類の基本形をベースに、フレキシビリティのある中間的な組み立て部品を適切に在庫し、この二つをプールすることで量産体制をとり量産効果を生み出している。
- 日経ビジネス 1981年10月19日号(No.303) p46-53
- [35]オンラインシステムにより、1980年度は2年前に比べ従業員数15%増に対し売上高は68%の伸びを達成した。
参考文献[18]-[35]
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [18]他社が元卸・卸・小売といった販売経路で販売しているのに対し、同社は代理店を客先とは考えず、自社の営業所等を補助するパートナーとして位置付け、ユーザーへの直販を基本としている。
- [19]同社の代理店は、ユーザーへ直接販売している小売商社の中から選定している。
- [20]自社の営業所及び出張所がユーザー開発・配送等を行うには困難な小規模・遠隔地のユーザーを代理店がフォローする形をとっている。
- [21]販売拠点として全国に5つの営業所(東京、名古屋、大阪、厚木、広島)と38の出張所を設置し、97の代理店を組織している。
- [22]1960年5月に関西以西の販売拠点として大阪営業所、1963年4月に中部・東海・北陸地区の販売拠点として名古屋営業所、1967年9月に中国・四国地方の販売拠点として広島営業所を設置した。
- [24]空圧機器のユーザーは新設でも補修でも即納を強く求めるため、同社は使用生産設備の故障時などに備え短期即納体制を確立している。
- [26]1968年6月に草加工場(現在の草加第一工場)、1973年3月に越谷工場、1973年6月に草加第二工場を設置し生産体制の増強を図った。
- [30]受注の継続性及び生産量を勘案し、共通性のある工程までを見込生産形態で行い、その後は受注生産を行うという折衷生産的方式を採っている。
- [32]基本的に代理店に在庫を保有させずユーザーの短期即納に対応しているため、棚卸資産の保有高は1987年3月期で98億2,500万円、回転期間は3.74か月と高い水準で推移している。
- [33]工程在庫である仕掛品は製品の組立時間が短時間であることからその保有高は低位である。
- [34]売上高の3か月程度を現金・預金で保有するという方針をもっているため、現金・預金の保有高は高水準で推移している。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [23]大村進は、代理店とパートナーとして協力体制を築き、流通経路が他社よりも短いためコストが安いこと、直販に近い形でユーザーの納得のいく値決めができることを同社の特徴として挙げている。
- [31]約5,000種類の基本形をベースに、フレキシビリティのある中間的な組み立て部品を適切に在庫し、この二つをプールすることで量産体制をとり量産効果を生み出している。
- 日経ビジネス 1981年10月19日号(No.303) p46-53
- [25]焼結金属工業は、即納の要求にこたえるシステムを石油危機後の苦しい時期に構想し、作り出してきた。
- [27]1978年に電磁弁やシリンダーの草加第2工場を作るにあたり、コンピューターを利用して営業所と工場の生産ラインを結ぶオンラインシステムを開発した。
- [28]営業マンの注文をプログラム化するとコンピューターが必要な工程と加工データを引き出し、管理している機械の空き時間を調べて現場へ生産指令を出す仕組みである。
- [29]1981年当時に専務取締役だった高田芳行は、3〜4年前まで受注から納入まで2週間かかっていた納期が2日に短縮されたと述べた。
- [35]オンラインシステムにより、1980年度は2年前に比べ従業員数15%増に対し売上高は68%の伸びを達成した。
1967年〜海外網の先行整備と東証二部への株式公開
最初の海外拠点は、現地業者の要請に応じる形で生まれた。1967年11月、オーストラリアのAirmate SMC Pty.へ資本参加したのがその始まりである。1974年8月にはSMCシンガポールを設立した。1976年9月には欧州市場の開拓を目的として、スイスへSMC Fluid Application GmbHを設けている。1977年3月には米国での販売を目的に、インディアナ州へSMC Pneumatics, Inc.を設立した。1978年に英国と西ドイツ、1981年12月にイタリアへ資本参加し、1988年には販売網が主要30か国に及んだ。海外子会社の名はいずれもSMCで統一され、商標も創立時からSMCを用いていた。国内では焼結金属工業、海外ではSMCという二重の名乗りが、20年近く続いたことになる。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [36]1967年11月、現地業者の要請に応えオーストラリアのAirmate SMC Pty.に資本参加したことが海外戦略の契機となった。
- [39]1976年9月、ヨーロッパ地域の市場開拓を目的として、スイスにSMC Fluid Application GmbHを設立した。
- [40]1977年3月、米国における販売を目的としてインディアナ州にSMC Pneumatics, Inc.を設立した。
- 有価証券報告書【沿革】
- [37]1967年11月、SMCオーストラリアに資本参加した。
- [38]1974年8月、SMCシンガポールを設立した。
- [41]1978年2月にSMCイギリス、1978年6月にSMCドイツを設立し、1981年12月にSMCイタリアへ資本参加した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [42]1988年時点で主要30カ国にわたって販売とサービスのネットワークを築いている。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [43]創立時から商標名はSMCであり、1967年のオーストラリア子会社設立以来、海外子会社の社名はすべてSMCとしてきた。
1980年代前半の需要は、各種産業の自動化・省力化と先端技術産業の発展に支えられていた。焼結金属工業は生産増強のため、1983年1月に筑波工場を新設している。売上高は1985年3月期に467億8,600万円、1986年3月期には516億4,600万円へ伸びた。ところが1987年3月期は、円高不況による市場低迷で502億1,800万円へ落ちた。もっとも10年でみれば、売上高は1978年3月期の126億1,700万円から4.0倍になっている。経常利益も同じ10年で10億4,700万円から63億9,500万円へ6.1倍に増えた。円高への答えとして、1986年9月にSMCシンガポール製造を設立した。大村進氏は、直営の生産拠点を充実させて原価を下げ、同時に為替相場へのヘッジ力を高めると述べている『円高と競争激化に対処するために、現在シンガポールにある直営の生産拠点をさらに充実させて、コスト・ダウンを図ると同時に、為替相場へのヘッジ力を高めていく考えだ。』。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [44]1980年代は各種産業における自動化・省力化の推進とエレクトロニクスをはじめとする先端技術産業の発展に伴い需要が大幅に拡大した。
- [46]売上高は1985年3月期46,786百万円、1986年3月期51,646百万円と推移した。
- [47]1987年3月期の売上高は円高不況による市場低迷から若干の減少となり、50,218百万円となった。
- [48]売上高は1978年3月期の12,617百万円から1987年3月期の50,218百万円へ10年間で4.0倍に増加した。
- [49]経常利益は1978年3月期の1,047百万円から1987年3月期の6,395百万円へ6.1倍に増加した。
- 有価証券報告書【沿革】
- [45]1983年1月、生産増強のため筑波工場を設置した。
- [50]1986年9月、SMCシンガポール製造を設立した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [51]大村進は、円高と競争激化への対処として、シンガポールの直営生産拠点を充実させてコストダウンを図り、為替相場へのヘッジ力を高める方針を示した。
業容が安定してきた1982年ごろ、大村進氏は株式公開の準備に取りかかった。1986年4月、社名を焼結金属工業からSMCへ改めた。旧社名の英語名の頭文字であり、商標としても海外子会社の名としても既に使われていた語を、国内の商号に合わせた形である。髙田芳行氏は後年、ルノーが欧州で製品を採用した際にSMCで会社を探したが誰も知らなかったと語っている『ルノーがヨーロッパでわが社の製品を採用した時、日本に来てSMCで会社を探したらしいんですね。ところがだれも知らない』。1987年12月23日、東京証券取引所市場第二部へ株式を上場した。同年3月末の従業員は2,377人である。1992年3月期までの5年間に国内だけで約250億円の設備投資を計画していたが、その資金は利益と償却で十分に賄える見通しだった。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [52]1982年ごろには業容がかなり安定してきたため、先行き上場するための準備に取りかかった。
- [58]1992年3月期までの5年間に国内だけで約250億円の設備投資を計画しており、その資金は利益と償却だけで十分に賄える見通しであった。
- 有価証券報告書【沿革】
- [53]1986年4月、SMC株式会社に社名変更した。
- [56]1987年12月23日、東京証券取引所市場第二部に株式を上場した。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [54]社名SMCは旧社名・焼結金属工業の英語名の頭文字であり、創立時から商標名として、また海外子会社の社名として使われていた。
- [55]高田芳行は、ルノーがヨーロッパで同社製品を採用した際、日本でSMCという名で会社を探したが誰も知らなかったと述べている。
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [57]1987年3月31日現在の従業員数は2,377人(男1,590人、女787人)である。
参考文献[36]-[58]
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- [36]1967年11月、現地業者の要請に応えオーストラリアのAirmate SMC Pty.に資本参加したことが海外戦略の契機となった。
- [39]1976年9月、ヨーロッパ地域の市場開拓を目的として、スイスにSMC Fluid Application GmbHを設立した。
- [40]1977年3月、米国における販売を目的としてインディアナ州にSMC Pneumatics, Inc.を設立した。
- [44]1980年代は各種産業における自動化・省力化の推進とエレクトロニクスをはじめとする先端技術産業の発展に伴い需要が大幅に拡大した。
- [46]売上高は1985年3月期46,786百万円、1986年3月期51,646百万円と推移した。
- [47]1987年3月期の売上高は円高不況による市場低迷から若干の減少となり、50,218百万円となった。
- [48]売上高は1978年3月期の12,617百万円から1987年3月期の50,218百万円へ10年間で4.0倍に増加した。
- [49]経常利益は1978年3月期の1,047百万円から1987年3月期の6,395百万円へ6.1倍に増加した。
- [57]1987年3月31日現在の従業員数は2,377人(男1,590人、女787人)である。
- 有価証券報告書【沿革】
- [37]1967年11月、SMCオーストラリアに資本参加した。
- [38]1974年8月、SMCシンガポールを設立した。
- [41]1978年2月にSMCイギリス、1978年6月にSMCドイツを設立し、1981年12月にSMCイタリアへ資本参加した。
- [45]1983年1月、生産増強のため筑波工場を設置した。
- [50]1986年9月、SMCシンガポール製造を設立した。
- [53]1986年4月、SMC株式会社に社名変更した。
- [56]1987年12月23日、東京証券取引所市場第二部に株式を上場した。
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- [42]1988年時点で主要30カ国にわたって販売とサービスのネットワークを築いている。
- [51]大村進は、円高と競争激化への対処として、シンガポールの直営生産拠点を充実させてコストダウンを図り、為替相場へのヘッジ力を高める方針を示した。
- [52]1982年ごろには業容がかなり安定してきたため、先行き上場するための準備に取りかかった。
- [58]1992年3月期までの5年間に国内だけで約250億円の設備投資を計画しており、その資金は利益と償却だけで十分に賄える見通しであった。
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)
- [43]創立時から商標名はSMCであり、1967年のオーストラリア子会社設立以来、海外子会社の社名はすべてSMCとしてきた。
- [54]社名SMCは旧社名・焼結金属工業の英語名の頭文字であり、創立時から商標名として、また海外子会社の社名として使われていた。
- [55]高田芳行は、ルノーがヨーロッパで同社製品を採用した際、日本でSMCという名で会社を探したが誰も知らなかったと述べている。
筆者考察
焼結金属工業が12年かけて広げたのは、製品の種類ではなく、自社で作る工程の範囲だった。1959年に大村進氏が東京タングステンでの焼結の研究を元手に選んだ焼結濾過体は、圧縮空気から塵を取るだけの部材で、誰かの機器に組み込まれて初めて意味を持つ。部材のままでは、いくつ売れるかも一つあたりいくらで売れるかも、買い手の設計が決める。そこで1961年に空気圧補助機器、1970年に駆動機器、1971年に方向制御機器へ順に手を伸ばし、コンプレッサを除く工程を自前に収めた。1987年3月期の国内シェア41.9%は、品種の数を競った結果ではなく、系全体を一社で供給できる会社が他に無かったことの裏返しである。
多品種を選んだ以上、即納できなければ何の意味もない。ユーザーは設備の新設でも故障の補修でも待てない。24万種類にまで膨らんだ製品は、どれも誰かの生産ラインの一部であり、届かなければラインが止まるからである。焼結金属工業は共通工程までを見込みで作り、その先だけを受注で作る折衷の方式を採り、代理店には在庫を持たせず自社で98億円を超える棚卸を抱えた。1978年の草加第二工場では営業所と生産ラインをオンラインで結び、2週間かかった納期を2日へ縮めている。在庫の重さと情報の速さを引き受けた会社が、卸を省いた短い流通と同業他社より高い売上総利益率をあわせて手にした。1987年3月期の棚卸資産の回転期間3.74か月は、その引き受けの代金である。
1959年〜1988年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1959年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 35 | n/a | 0 | 2.3% | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 50 | +42.5% | 2 | 5.4% | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 82 | +64.6% | 3 | 4.1% | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 70 | ▲14.8% | 1 | 2.3% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 68 | ▲2.3% | 1 | 1.5% | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 106 | +54.7% | 3 | 3.3% | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 126 | +18.9% | 4 | 3.8% | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 143 | n/a | 6 | 4.8% | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 188 | +31.5% | 8 | 4.5% | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 238 | +26.6% | 11 | 4.8% | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 280 | +17.6% | 14 | 5.3% | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 290 | +3.6% | 16 | 5.6% | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 364 | +25.5% | 22 | 6.1% | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 467 | +28.3% | 26 | 5.7% | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | 516 | +10.5% | 25 | 5.0% | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | 502 | ▲2.7% | 30 | 6.0% | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | 590 | +17.5% | 40 | 6.9% | n/a |
出所:ダイヤモンド会社要覧 非上場会社版、証券 40(2)、会社年鑑
出典・参考
5件
- 有価証券報告書【沿革】
- 日経ビジネス 1981年10月19日号(No.303) p46-53
- 証券 40(2)(467) 1988年2月号
- 証券アナリストジャーナル 1988年2月号 /空気圧制御機器の専業メーカーとしての沿革・強みと今後の経営方針(大村進)
- あさひ銀総研レポート 1(1)(67) 1992年10月号「SMCの社名の由来と空気圧機器の用途、ホロン経営」(高田芳行)