権田銈次

豊田自動織機・元取締役社長

Gonda Keiji(敬称略)

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社長就任 1969年
生年月日 —
学歴 岡崎市立商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

創業家でも外部招聘でもなく、豊田自動織機製作所の内部から役員に上がった社長である。1961年3月時点の大株主上位10位に個人名は無く、東洋信託銀行10.0%、トヨタ自動車工業8.8%、住友信託銀行4.9%と法人が並んでいた。1975年3月の筆頭株主はトヨタ自動車工業で、持株比率は19.70%だった。持株の裏づけを持たず、勤め上げで頂点に立った経営者だったとみられる。

社長に選ばれた経緯
抜擢

石田退三氏の後任として1969年に社長へ就任した。石田氏は1950年からトヨタ自動車工業の社長を兼ね、同社の再建にもあたった経営者であり、その22年を継ぐ交代だった。会社の側では1967年5月に長草工場が操業を開始し、トヨタ自動車の車両を受託生産する専業工場が社内に置かれたところだった。1969年3月期の売上高は463億円で、2年前の238億円からほぼ倍に伸びていた。

在任中の主な施策
施策

受託生産の受け皿を広げ、1970年9月には高浜工場が操業へ入った。部門別ではFY1966に57億円だった産業用車両がFY1977に477億円へ伸び、同じ期間の繊維機械が62億円から207億円にとどまったのと対照をなした。カーエアコン用コンプレッサーは1960年1月に製造が始まっており、国内ではデンソー向けの供給を積み上げた。売上高は1969年3月期の463億円から1977年3月期の1405億円へ、経常利益は97.2億円へ達している。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1969〜1977年
在任中の業績
就任前(FY68)463億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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