東京製鐵:岡山工場の平炉と電気炉による鋼材の量産
1934年〜戦前東京足立区での創業と岡山工場への主軸移転
1934年11月、東京都足立区にて各種鋼材の製造販売を目的として、岡田菊治郎氏が資本金100万円で東京製鐵株式会社を設立した。平炉2基・電気炉1基・中形小形圧延工場で各種特殊鋼の生産に従事する小規模な発足で、戦前の電炉鋼メーカーとして創業した。電炉鋼の量産化を志向するこの起点が、後に"鉄鋼業界の暴れん坊"と呼ばれる独自路線の経営姿勢の原型となる。戦後は池谷太郎氏(1917年8月生まれ、池谷正一氏の次男)が岡田創業者から経営を継承し、1958年6月の鉄鋼公開販売には加わらず、同年9月には全国の平電炉が相次いで加盟するなか第1回以来の鉄屑カルテルから脱退した(復帰は新日本製鐵が発足した1970年7月)。
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [1]1934年11月 東京都足立区にて各種鋼材の製造販売を目的に東京製鐵株式会社を設立(資本金100万円・岡田菊治郎)
- [2]平炉2基・電気炉1基・中形小形圧延工場で各種特殊鋼を生産する小規模発足
- STEEL STORY JAPAN「東京製鉄と電炉経営 ゼロカーボン時代に考える」(2021年7月4日)
- [3]1958年6月の鉄鋼公開販売に加わらず、同年9月に第1回以来の鉄屑カルテルから脱退(1970年7月に復帰)
池谷太郎氏は1917年8月に東京で生まれ、1935年に日本大学付属中学校を卒業した。同年、父・池谷正一氏が営む鉄鋼問屋の池谷正一商店へ取締役として入社した。20歳で父と死別したのち、1939年に鋼管メーカーの東亜鋼管工業を設立した。1949年、池谷太郎氏は東京製鐵の社長へ就いた。戦後の千住工場は戦勝国への賠償指定施設とされ、建物も生産設備もGHQの管理下に置かれて、稼働のたびに許可を仰がねばならなかった。賠償施設の稼働申請に通商産業省が動かないため無断で操業したところ、GHQのマーカット少将に呼び出されて軍事裁判にかけられた。判定は、通産省の側が怠慢であるというものだった。統制と価格カルテルを嫌う姿勢は、この許認可との衝突を通じて固まった。
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊、1993年)
- [4]池谷太郎は1917年8月東京生まれ、1935年に日本大学付属中学校を卒業
- [5]1935年4月 父・池谷正一の経営する鉄鋼問屋 池谷正一商店に取締役として入社
- [7]1949年 池谷太郎が東京製鐵の社長に就任
- [8]戦後、千住工場が戦勝国への賠償指定施設となり、建物・生産設備がGHQの管理下に置かれ、稼働のたびに許可が必要だった
- 日経ビジネス 1979年3月12日号
- [6]20歳で父と死別したのち、1939年に鋼管メーカーの東亜鋼管工業を設立
- [9]賠償指定工場の稼働申請に通産省が動かないため無断で稼働させ、GHQのマーカット少将に呼び出されて軍事裁判にかけられた
- [10]軍事裁判の判定は通産省側の怠慢であるとされた
1953年3月に東亜鋼管工業(資本金250万円)を吸収合併、戦後復興期の電炉再編に乗じて事業基盤を拡大した。1960年7月、岡山県倉敷市に工場用地約50万3,000平方メートルを工場誘致条例に基づき取得し、西日本電炉の中核拠点づくりに着手した。1962年10月に岡山工場第1号平炉が完成・操業開始し、以後120トン平炉5基と中形小形圧延設備が稼動する量産体制が立ち上がった。1969年1月には岡山工場大形圧延工場が完成し、電炉メーカーとしては初の大形H形鋼量産に乗り出した。建築鋼材市場への参入基盤を整えた本工場稼動は、同社が高炉メーカー独占品種への挑戦に乗り出す転換点となる。
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [11]1953年3月 東亜鋼管工業(資本金250万円)を吸収合併
- [12]1960年7月 岡山県倉敷市に工場用地約50万3,000平方メートルを工場誘致条例に基づき取得
- [13]1962年10月 岡山工場第1号平炉完成・操業開始(以後120トン平炉5基と中形小形圧延設備が稼動)
- [14]1969年1月 岡山工場大形圧延工場完成・H形鋼の生産開始(電炉メーカー初の大形H形鋼量産)
参考文献[1]-[14]
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [1]1934年11月 東京都足立区にて各種鋼材の製造販売を目的に東京製鐵株式会社を設立(資本金100万円・岡田菊治郎)
- [2]平炉2基・電気炉1基・中形小形圧延工場で各種特殊鋼を生産する小規模発足
- [11]1953年3月 東亜鋼管工業(資本金250万円)を吸収合併
- [12]1960年7月 岡山県倉敷市に工場用地約50万3,000平方メートルを工場誘致条例に基づき取得
- [13]1962年10月 岡山工場第1号平炉完成・操業開始(以後120トン平炉5基と中形小形圧延設備が稼動)
- [14]1969年1月 岡山工場大形圧延工場完成・H形鋼の生産開始(電炉メーカー初の大形H形鋼量産)
- [3]1958年6月の鉄鋼公開販売に加わらず、同年9月に第1回以来の鉄屑カルテルから脱退(1970年7月に復帰)
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊、1993年)
- [4]池谷太郎は1917年8月東京生まれ、1935年に日本大学付属中学校を卒業
- [5]1935年4月 父・池谷正一の経営する鉄鋼問屋 池谷正一商店に取締役として入社
- [7]1949年 池谷太郎が東京製鐵の社長に就任
- [8]戦後、千住工場が戦勝国への賠償指定施設となり、建物・生産設備がGHQの管理下に置かれ、稼働のたびに許可が必要だった
- 日経ビジネス 1979年3月12日号
- [6]20歳で父と死別したのち、1939年に鋼管メーカーの東亜鋼管工業を設立
- [9]賠償指定工場の稼働申請に通産省が動かないため無断で稼働させ、GHQのマーカット少将に呼び出されて軍事裁判にかけられた
- [10]軍事裁判の判定は通産省側の怠慢であるとされた
1969年〜全国4極体制の構築と東証一部上場
1969年2月に土佐電気製鋼所より高知工場を譲受、1970年2月に福岡県北九州市に工場用地約15万4,000平方メートルを取得し、四国・九州への展開を始めた。1971年9月、1969年7月以降全株式を取得していた大丸製鋼を吸収合併して九州工場として操業開始、同年11月には同工場に50トン電気炉2基・連続鋳造設備2基が完成した。九州工場の電炉化と連続鋳造への切替で生産性が一段引き上がり、西日本に続く九州拠点獲得で全国カバレッジの土台が整った。1973年2月の九州工場圧延工場完成・中形形鋼の生産開始、1973年6月の岡山工場連続鋳造設備完成は、連続鋳造によるコスト競争力向上をもたらした。
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [15]1969年2月 土佐電気製鋼所より高知工場を譲受
- [16]1970年2月 福岡県北九州市に工場用地約15万4,000平方メートルを取得
- [17]1971年9月 大丸製鋼(1969年7月以降全株式取得)を吸収合併し九州工場として操業開始
- [18]1971年11月 九州工場に50トン電気炉2基・連続鋳造設備2基完成
- [19]1973年2月 九州工場圧延工場完成・中形形鋼の生産開始/1973年6月 岡山工場連続鋳造設備完成
1974年5月に本社を東京都足立区から千代田区に移転、同年7月に東京証券取引所市場第二部に上場した。1975年12月には土佐電気製鋼所を吸収合併し高松工場として生産開始、旧土佐電気製鋼所の事業を取り込み高松拠点を整備した。1975年に長男・池谷正成氏が父・太郎氏から社長職を継承、創業家第二世代経営の時代に入った。1976年9月、二部上場からわずか2年で東京証券取引所市場第一部と大阪証券取引所市場第一部に同時上場し、主要鉄鋼株として評価された。株式公開により資金調達手段を多様化し、電炉メーカーの上場会社入りを果たす急速な資本市場への参入を参入した。
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [20]1974年5月 本社を東京都足立区から千代田区に移転
- [21]1974年7月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [22]1975年12月 土佐電気製鋼所を吸収合併し高松工場として生産開始
- [24]1976年9月 東京証券取引所市場第一部・大阪証券取引所市場第一部に同時上場
- STEEL STORY JAPAN 鉄鋼・鉄スクラップ業 主要人物事典
- [23]1975年 長男・池谷正成が父・池谷太郎から社長職を継承(創業家第二世代経営)
池谷太郎氏は、経営者が決断力と勇気を保てるのは60歳までだという持論を持ち、社長を退く年齢を早くから公言していた。当初は55歳と言っていたが、社内の定年が3年延びたのに合わせて58歳へ改めた。若いうちから実務を担ってきたため、世代交代も早くすべきだという考えを終始持っていた。後継者と定めた長男の正成氏には、米国での2年間と、丸紅などとともに買収した土佐電気製鋼所の社長を4、5年務めさせた。適任と思えなければ他の親族から探し、それでも見つからなければ社員から選ぶ覚悟だったという。1974年の株式公開も同じ時期の判断で、設備と売上の規模からみて個人企業のまま置くべきではないと考えたためだった。相続税の面では公開しないほうが得だとしながら、知名度と信用力を取った。
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊、1993年)
- [25]経営者が決断力と勇気を保てるのは60歳までだという持論を持ち、社長を退く年齢を早くから公言していた
- [29]息子が適任でなければ他の親族から、それでもだめなら社員から後継者を選ぶ覚悟だった
- 日経ビジネス 1979年3月12日号
- [26]当初は55歳で退くと公言していたが、社内の定年が3年延びたのに合わせて58歳に改めた
- [27]若くして実務を担ってきたため、世代交代も早くすべきだという考えを終始持っていた
- [28]後継者の池谷正成を米国へ2年、丸紅などとともに買収した土佐電気製鋼所の社長を4〜5年務めさせた
- [30]1974年の株式公開は、設備・売上額などの規模からみて個人企業のまま置くべきではないと考えたため
参考文献[15]-[30]
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [15]1969年2月 土佐電気製鋼所より高知工場を譲受
- [16]1970年2月 福岡県北九州市に工場用地約15万4,000平方メートルを取得
- [17]1971年9月 大丸製鋼(1969年7月以降全株式取得)を吸収合併し九州工場として操業開始
- [18]1971年11月 九州工場に50トン電気炉2基・連続鋳造設備2基完成
- [19]1973年2月 九州工場圧延工場完成・中形形鋼の生産開始/1973年6月 岡山工場連続鋳造設備完成
- [20]1974年5月 本社を東京都足立区から千代田区に移転
- [21]1974年7月 東京証券取引所市場第二部に上場
- [22]1975年12月 土佐電気製鋼所を吸収合併し高松工場として生産開始
- [24]1976年9月 東京証券取引所市場第一部・大阪証券取引所市場第一部に同時上場
- [23]1975年 長男・池谷正成が父・池谷太郎から社長職を継承(創業家第二世代経営)
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊、1993年)
- [25]経営者が決断力と勇気を保てるのは60歳までだという持論を持ち、社長を退く年齢を早くから公言していた
- [29]息子が適任でなければ他の親族から、それでもだめなら社員から後継者を選ぶ覚悟だった
- 日経ビジネス 1979年3月12日号
- [26]当初は55歳で退くと公言していたが、社内の定年が3年延びたのに合わせて58歳に改めた
- [27]若くして実務を担ってきたため、世代交代も早くすべきだという考えを終始持っていた
- [28]後継者の池谷正成を米国へ2年、丸紅などとともに買収した土佐電気製鋼所の社長を4〜5年務めさせた
- [30]1974年の株式公開は、設備・売上額などの規模からみて個人企業のまま置くべきではないと考えたため
1977年〜平炉時代の終焉と140トン電気炉導入
1977年12月、岡山工場平炉操業停止により平炉から電炉への移行を完了した。1978年1月に江戸川工場を閉鎖し首都圏の旧来拠点を整理、岡山・九州中心の生産体制に再編する選択と集中を行った。1978年4月、岡山工場に第1号・第2号140トン電気炉が完成・操業開始した。当時としては140トン級の電気炉を導入し、電炉メーカーの設備規模競争で先行する転換点となった。同年12月には岡山工場中形形鋼工場改造工事完成、1979年1月には岡山工場小形棒鋼工場完成と、岡山工場への棒鋼ライン集約化と品種拡充が進んだ。
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [31]1977年12月 岡山工場平炉操業停止(平炉から電炉への移行を完了)
- [32]1978年1月 江戸川工場閉鎖
- [33]1978年4月 岡山工場第1号・第2号140トン電気炉完成・操業開始
- [34]1978年12月 岡山工場中形形鋼工場改造工事完成/1979年1月 岡山工場小形棒鋼工場完成
岡山工場の全面改修は、1976年に池谷正成社長が担当者へ与えた指示から始まった。『15年先でも最新鋭と呼ばれるような工場を作れ』という水準を置き、直近2年間で220億円を投じた。1978年4月に完成した電気炉の粗鋼生産能力は年産120万トンで、重油を燃料とする平炉時代の60万トンから倍増した。一方、従業員は1,200人と改修前から増えなかった。従業員1人当たりの粗鋼生産量は1,000トンとなり、米国の電炉会社の平均500トンの2倍に達した。製品1トン当たりのエネルギー消費量は重油換算で約35リットルと、業界の常識とされた60リットルを下回った。電気炉は日本鋼管、連続鋳造装置は住友重機械工業と神戸製鋼所、受電所は日立製作所と、設備は一社にまとめず分散して調達した。1977年11月期に経常損益で24億円の赤字を出した直後の投資だった。
- 日経ビジネス 1979年11月5日号
- [35]1976年、池谷正成社長が岡山工場の全面的なスクラップ・アンド・ビルドにあたり担当者へ指示を与えた
- [36]小棒工場と中形形鋼の新設を含めた直近2年間の設備投資額は220億円
- [37]1978年4月完成の岡山工場電気炉は年産120万トンの粗鋼生産能力(改修前は重油を燃料とする平炉で年産60万トン)
- [38]改修後も従業員数は1,200人と改修前から増えていない
- [39]従業員1人当たりの粗鋼生産量は1,000トン(米国の電炉会社の平均的な生産性は500トン)
- [40]製品1トン当たりのエネルギー消費量は重油換算で約35リットル(電炉会社の常識的な水準は60リットル)
- [41]電気炉は日本鋼管、連続鋳造装置は住友重機械工業と神戸製鋼所、受電所は日立製作所と設備を分散して調達
- 会社年鑑
- [42]1977年11月期 経常損益は24億円の赤字
1979年4月、大阪営業所開設・高知工場でビーム・ブランク鋳込みに成功した。ビーム・ブランク連鋳技術の確立は、後のH形鋼向け連続鋳造の前提となる工程短縮の道を開いた。1979年9月の千住工場大・中形形鋼工場改造工事完成で、首都圏拠点の品質改善を行った。創業時の東京足立区から始まった電炉鋼メーカーは、戦後復興・高度成長期を通じて岡山・九州・四国・関東の4極で生産網を構築し、平炉から電炉への完全移行と140トン電気炉導入により、電炉専業化を進める基盤を完成させた。創業者・岡田菊治郎氏から始まり池谷太郎氏が中興の祖として育てたこの45年間は、戦前の小規模電炉メーカーから全国規模の電炉専業メーカーへの転身を完成させた時期にあたる。
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [43]1979年4月 大阪営業所開設・高知工場でビーム・ブランク鋳込みに成功
- [44]1979年9月 千住工場大・中形形鋼工場改造工事完成
参考文献[31]-[44]
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- [31]1977年12月 岡山工場平炉操業停止(平炉から電炉への移行を完了)
- [32]1978年1月 江戸川工場閉鎖
- [33]1978年4月 岡山工場第1号・第2号140トン電気炉完成・操業開始
- [34]1978年12月 岡山工場中形形鋼工場改造工事完成/1979年1月 岡山工場小形棒鋼工場完成
- [43]1979年4月 大阪営業所開設・高知工場でビーム・ブランク鋳込みに成功
- [44]1979年9月 千住工場大・中形形鋼工場改造工事完成
- 日経ビジネス 1979年11月5日号
- [35]1976年、池谷正成社長が岡山工場の全面的なスクラップ・アンド・ビルドにあたり担当者へ指示を与えた
- [36]小棒工場と中形形鋼の新設を含めた直近2年間の設備投資額は220億円
- [37]1978年4月完成の岡山工場電気炉は年産120万トンの粗鋼生産能力(改修前は重油を燃料とする平炉で年産60万トン)
- [38]改修後も従業員数は1,200人と改修前から増えていない
- [39]従業員1人当たりの粗鋼生産量は1,000トン(米国の電炉会社の平均的な生産性は500トン)
- [40]製品1トン当たりのエネルギー消費量は重油換算で約35リットル(電炉会社の常識的な水準は60リットル)
- [41]電気炉は日本鋼管、連続鋳造装置は住友重機械工業と神戸製鋼所、受電所は日立製作所と設備を分散して調達
- 会社年鑑
- [42]1977年11月期 経常損益は24億円の赤字
筆者考察
高炉メーカーが握る規格と価格の外側に、自前の生産性で居場所を作り続けた45年だった。1934年に東京・足立区で平炉2基と電気炉1基から出発した東京製鐵が、1958年の鉄鋼公開販売に加わらず、同じ年に鉄屑カルテルからも脱退したのは、協調の枠へ入ればシェアが固定され、原価を下げる理由が消えると見たからである。池谷太郎氏が戦後にGHQと通商産業省の双方へ許可を仰いで工場を動かした経験は、規制が保護であると同時に足かせでもあるという見方を残した。倉敷と北九州へ拠点を移した判断も、東京の工場では規模を取れないという同じ計算から出ている。
投資の時期を市況の逆に置いたことが、この会社の輪郭を決めた。1977年11月期に経常損益で24億円の赤字を出した直後、岡山工場へ2年で220億円を投じ、1978年4月に年産120万トンの電気炉を立ち上げている。従業員を1,200人のまま据え置いて粗鋼の生産能力を倍にしたため、1人当たりの生産量は1,000トンとなり、米国の電炉会社の平均の2倍に届いた。平炉をすべて止めて電炉へ寄せた決定も、公害規制と燃料価格の反転を先に読んだ結果だった。1974年の株式公開と1976年の一部上場は、この速度を支える資金と信用を用意するためのものだったとみられる。
1934年〜1979年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年11月期 | 単体 | 131 | n/a | 0 | 0.0% | 1 | n/a |
| 1966年11月期 | 単体 | 158 | +20.6% | 15 | 9.5% | 7 | n/a |
| 1967年11月期 | 単体 | 198 | +25.3% | 31 | 15.7% | 18 | n/a |
| 1968年11月期 | 単体 | 186 | ▲6.1% | 9 | 4.8% | 5 | n/a |
| 1969年11月期 | 単体 | 247 | +32.8% | 34 | 13.8% | 20 | n/a |
| 1970年11月期 | 単体 | 335 | +35.6% | 32 | 9.6% | 23 | n/a |
| 1971年11月期 | 単体 | 251 | ▲25.1% | 10 | 4.0% | 1 | 九州工場の50トン電気炉2基・連続鋳造設備2基完成・生産開始(1971/11) |
| 1972年11月期 | 単体 | 306 | +21.9% | 33 | 10.8% | 13 | n/a |
| 1973年11月期 | 単体 | 507 | +65.7% | 111 | 21.9% | 43 | 九州工場圧延工場完成・中形形鋼の生産開始(1973/02)岡山工場連続鋳造設備完成・操業開始(1973/06) |
| 1974年11月期 | 単体 | 791 | +56.0% | 146 | 18.5% | 67 | n/a |
| 1975年11月期 | 単体 | 520 | ▲34.3% | ▲62 | ▲11.9% | ▲28 | n/a |
| 1976年11月期 | 単体 | 800 | +53.8% | ▲15 | ▲1.9% | ▲10 | n/a |
| 1977年11月期 | 単体 | 741 | ▲7.4% | ▲24 | ▲3.2% | ▲21 | n/a |
| 1978年11月期 | 単体 | 867 | +17.0% | 107 | 12.3% | 64 | n/a |
| 1979年11月期 | 単体 | 1,316 | +51.8% | 134 | 10.2% | 55 | 岡山工場小形棒鋼工場完成・生産開始(1979/01) |
出所:会社年鑑
出典・参考
7件
- 東京製鐵 有価証券報告書【沿革】
- 会社年鑑
- 日経ビジネス 1979年3月12日号
- 日経ビジネス 1979年11月5日号
- 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊、1993年)
- STEEL STORY JAPAN「東京製鉄と電炉経営 ゼロカーボン時代に考える」(2021年7月4日)
- STEEL STORY JAPAN 鉄鋼・鉄スクラップ業 主要人物事典