参天製薬:参天堂としての創業と大阪での薬種業
1890年〜北浜の田口参天堂が販売した風邪薬ヘブリン丸と、三田忠幸氏が継いだ合資会社参天堂
田口謙吉氏は1890年(明治23年)、大阪の北浜に営業所を置き、高麗橋には薬をつくる工場を構えた。屋号は田口参天堂とし、最初の商品には風邪薬のヘブリン丸を選んだ。1964年の株式上場時に出た会社紹介も、起点を田口謙吉氏が大阪で始めた個人経営の店と記した。創業の時点から、売る拠点と製造の拠点を分けて持ち、自家製の薬を自前の店で販売していた。北浜の本社と高麗橋の工場は、1945年の終戦時に焼失するまで参天堂の拠点として使われた。一般の客が症状を自覚して買い求める風邪薬から入ったことで、医師を介さない売薬の流通に乗る足場を得たのだろう。
- 企業の歴史 : 明治百年 1968年「参天製薬」(pid3442940 コマ141)
- [1]1890年(明治23年)田口謙吉が大阪市北浜に営業所・高麗橋に工場を設け、田口参天堂の商号で風邪薬ヘブリン丸を発売。終戦で北浜本社・高麗橋工場を焼失
- [2]1890年(明治23年)田口謙吉が大阪市北浜に営業所・高麗橋に工場を設け、田口参天堂の商号で風邪薬ヘブリン丸を発売。終戦で北浜本社・高麗橋工場を焼失
- [4]1890年(明治23年)田口謙吉が大阪市北浜に営業所・高麗橋に工場を設け、田口参天堂の商号で風邪薬ヘブリン丸を発売。終戦で北浜本社・高麗橋工場を焼失
- [5]1890年(明治23年)田口謙吉が大阪市北浜に営業所・高麗橋に工場を設け、田口参天堂の商号で風邪薬ヘブリン丸を発売。終戦で北浜本社・高麗橋工場を焼失
- 証券 16(5)(181) 1964年 p78-87
- [3]沿革:明治23年、故田口謙吉が大阪で個人経営の田口参天堂を創業
1896年(明治29年)、三田忠幸氏が田口参天堂の事業を継承した。三田忠幸氏は継承に合わせて個人経営をやめ、事業を合資会社の組織に改めた。社名からは創業者の姓を外し、参天堂と改称した。1964年の上場時の会社紹介でも、創業時の形態は田口謙吉氏による個人経営の店とされた。1964年時点の社長は三田良蔵氏で、専務・常務にも三田姓の役員が就任していた。出資者の責任の範囲を定める合資会社への改組は、引き継いだ事業を個人の財産から切り分ける狙いがあったと推察される。
- 企業の歴史 : 明治百年 1968年「参天製薬」(pid3442940 コマ141)
- [6]1896年(明治29年)三田忠幸が事業を継承し、個人経営を合資会社に改組、社名を参天堂に改称
- [7]1896年(明治29年)三田忠幸が事業を継承し、個人経営を合資会社に改組、社名を参天堂に改称
- [8]1896年(明治29年)三田忠幸が事業を継承し、個人経営を合資会社に改組、社名を参天堂に改称
- 証券 16(5)(181) 1964年 p78-87
- [9]沿革:明治23年に田口謙吉が個人経営の田口参天堂を創業。1964年時点の役員は社長三田良蔵・専務三田省二・常務三田周ほか
- [10]沿革:明治23年に田口謙吉が個人経営の田口参天堂を創業。1964年時点の役員は社長三田良蔵・専務三田省二・常務三田周ほか
参考文献[1]-[10]
- 企業の歴史 : 明治百年 1968年「参天製薬」(pid3442940 コマ141)
- [1]1890年(明治23年)田口謙吉が大阪市北浜に営業所・高麗橋に工場を設け、田口参天堂の商号で風邪薬ヘブリン丸を発売。終戦で北浜本社・高麗橋工場を焼失
- [2]1890年(明治23年)田口謙吉が大阪市北浜に営業所・高麗橋に工場を設け、田口参天堂の商号で風邪薬ヘブリン丸を発売。終戦で北浜本社・高麗橋工場を焼失
- [4]1890年(明治23年)田口謙吉が大阪市北浜に営業所・高麗橋に工場を設け、田口参天堂の商号で風邪薬ヘブリン丸を発売。終戦で北浜本社・高麗橋工場を焼失
- [5]1890年(明治23年)田口謙吉が大阪市北浜に営業所・高麗橋に工場を設け、田口参天堂の商号で風邪薬ヘブリン丸を発売。終戦で北浜本社・高麗橋工場を焼失
- [6]1896年(明治29年)三田忠幸が事業を継承し、個人経営を合資会社に改組、社名を参天堂に改称
- [7]1896年(明治29年)三田忠幸が事業を継承し、個人経営を合資会社に改組、社名を参天堂に改称
- [8]1896年(明治29年)三田忠幸が事業を継承し、個人経営を合資会社に改組、社名を参天堂に改称
- 証券 16(5)(181) 1964年 p78-87
- [3]沿革:明治23年、故田口謙吉が大阪で個人経営の田口参天堂を創業
- [9]沿革:明治23年に田口謙吉が個人経営の田口参天堂を創業。1964年時点の役員は社長三田良蔵・専務三田省二・常務三田周ほか
- [10]沿革:明治23年に田口謙吉が個人経営の田口参天堂を創業。1964年時点の役員は社長三田良蔵・専務三田省二・常務三田周ほか
1897年〜東京帝国大学の処方で出した大学目薬と、資本金100万円の参天堂株式会社
1897年(明治30年)、参天堂は東京帝国大学眼科教室が考案した目薬の処方を譲り受けた。参天堂はこの処方による製品を大学目薬の名で発売した。企業の歴史は、大学目薬の発売を境に参天堂の社業が大きく上向いたと記している。1964年の上場時にも、大学目薬は広く一般に知られた製品として紹介された。1963年度の目薬類のシェアは約45%で、ロート製薬の約30%を上回り首位にあった。帝国大学の処方を製品名に掲げたことが、風邪薬の店を目薬を主力事業とするメーカーへ変える起点になったとみられる。
- 企業の歴史 : 明治百年 1968年「参天製薬」(pid3442940 コマ141)
- [11]1897年(明治30年)東京帝国大学眼科教室で創案された処方を譲り受け大学目薬を発売、社業が上昇
- [12]1897年(明治30年)東京帝国大学眼科教室で創案された処方を譲り受け大学目薬を発売、社業が上昇
- [13]1897年(明治30年)東京帝国大学眼科教室で創案された処方を譲り受け大学目薬を発売、社業が上昇
- 証券 16(5)(181) 1964年 p78-87
- [14]大学目薬は広く一般に知られる製品。1963年度の目薬類シェア約45%でロート製薬(約30%)を上回り第1位
- [15]大学目薬は広く一般に知られる製品。1963年度の目薬類シェア約45%でロート製薬(約30%)を上回り第1位
参天堂は1925年(大正14年)7月、合資会社を改めて参天堂株式会社を設立した。設立時の資本金は1,000千円。この株式会社への改組は、大学目薬で上向いた社業を足場にした発展的な改組であった。設立の日付には1925年8月6日とする記録もあり、7月とする記録と割れている。資本金の1,000千円は、戦後の1948年8月に5,000千円へ増資するまで変わらなかった。大学目薬の販売が広がり、合資会社の出資の枠では事業の規模に見合わなくなったと思われる。
- 証券 16(5)(181) 1964年 p78-87
- [16]大正14年7月、参天堂(株)として設立。設立時資本金1,000千円、昭和23年8月に5,000千円
- [17]大正14年7月、参天堂(株)として設立。設立時資本金1,000千円、昭和23年8月に5,000千円
- [20]大正14年7月、参天堂(株)として設立。設立時資本金1,000千円、昭和23年8月に5,000千円
- 企業の歴史 : 明治百年 1968年「参天製薬」(pid3442940 コマ141)
- [18]大正14年に株式会社へ発展的改組。会社概要の設立日は大正14年8月6日
- [19]大正14年に株式会社へ発展的改組。会社概要の設立日は大正14年8月6日
株式会社となった参天堂は、1926年(大正15年)に参天せき薬を発売した。1928年(昭和3年)には結核治療薬のサンテを品目に追加。1931年(昭和6年)には頭痛タミンと腹痛タミンも売り出した。企業の歴史は、これらの新製品によって売上げが急速に増えたと記している。一方で1963年10月期の販売実績でも目薬類が売上高の約90%を占め、一般医薬品は約10%にとどまった。目薬の販路に家庭薬を載せた品目の拡大が、1930年代の工場新設と淀川工場の開設へ向かう生産増強の前提になったと考えられる。
- 企業の歴史 : 明治百年 1968年「参天製薬」(pid3442940 コマ141)
- [21]1926年参天せき薬、1928年結核治療薬サンテ、1931年頭痛タミン・腹痛タミンを発売し売上げが急上昇、1933年以降工場を新設
- [22]1926年参天せき薬、1928年結核治療薬サンテ、1931年頭痛タミン・腹痛タミンを発売し売上げが急上昇、1933年以降工場を新設
- [23]1926年参天せき薬、1928年結核治療薬サンテ、1931年頭痛タミン・腹痛タミンを発売し売上げが急上昇、1933年以降工場を新設
- [24]1926年参天せき薬、1928年結核治療薬サンテ、1931年頭痛タミン・腹痛タミンを発売し売上げが急上昇、1933年以降工場を新設
- 証券 16(5)(181) 1964年 p78-87
- [25]1963年10月期の販売実績で目薬類が全売上高の約90%、一般医薬品が約10%
参考文献[11]-[25]
- 企業の歴史 : 明治百年 1968年「参天製薬」(pid3442940 コマ141)
- [11]1897年(明治30年)東京帝国大学眼科教室で創案された処方を譲り受け大学目薬を発売、社業が上昇
- [12]1897年(明治30年)東京帝国大学眼科教室で創案された処方を譲り受け大学目薬を発売、社業が上昇
- [13]1897年(明治30年)東京帝国大学眼科教室で創案された処方を譲り受け大学目薬を発売、社業が上昇
- [18]大正14年に株式会社へ発展的改組。会社概要の設立日は大正14年8月6日
- [19]大正14年に株式会社へ発展的改組。会社概要の設立日は大正14年8月6日
- [21]1926年参天せき薬、1928年結核治療薬サンテ、1931年頭痛タミン・腹痛タミンを発売し売上げが急上昇、1933年以降工場を新設
- [22]1926年参天せき薬、1928年結核治療薬サンテ、1931年頭痛タミン・腹痛タミンを発売し売上げが急上昇、1933年以降工場を新設
- [23]1926年参天せき薬、1928年結核治療薬サンテ、1931年頭痛タミン・腹痛タミンを発売し売上げが急上昇、1933年以降工場を新設
- [24]1926年参天せき薬、1928年結核治療薬サンテ、1931年頭痛タミン・腹痛タミンを発売し売上げが急上昇、1933年以降工場を新設
- 証券 16(5)(181) 1964年 p78-87
- [14]大学目薬は広く一般に知られる製品。1963年度の目薬類シェア約45%でロート製薬(約30%)を上回り第1位
- [15]大学目薬は広く一般に知られる製品。1963年度の目薬類シェア約45%でロート製薬(約30%)を上回り第1位
- [16]大正14年7月、参天堂(株)として設立。設立時資本金1,000千円、昭和23年8月に5,000千円
- [17]大正14年7月、参天堂(株)として設立。設立時資本金1,000千円、昭和23年8月に5,000千円
- [20]大正14年7月、参天堂(株)として設立。設立時資本金1,000千円、昭和23年8月に5,000千円
- [25]1963年10月期の販売実績で目薬類が全売上高の約90%、一般医薬品が約10%
出典・参考
2件
- 企業の歴史 : 明治百年 1968年「参天製薬」(pid3442940 コマ141)
- 証券 16(5)(181) 1964年 p78-87