コスモス薬品:宇野回天堂薬局の創業と小商圏型メガドラッグストアの展開
宇野回天堂薬局から300坪型メガドラッグストアへ
1973年〜延岡の個人薬局から郊外の売場へ
1973年2月、宇野正晃は医薬品の販売を目的として、宮崎県延岡市に宇野回天堂薬局を個人で開業した。コスモス薬品が事業の出発点として挙げるのは、この個人薬局である。10年後の1983年12月、医薬品・化粧品・雑貨等の販売を目的とする有限会社コスモス薬品が同じ延岡市に設立され、第一号店の岡富店が開いた。売場面積は66平方メートルにすぎない。上場後に会社が掲げた沿革も、有限会社の設立と岡富店の開店を一行に並べている。薬を調えて客の求めに応じる薬局と、日用の消耗品を並べて客自身に選ばせる店とでは、要る売場の広さも仕入れの量も違う。宇野は薬局を畳まずに別の法人を立て、後者を試す場をそこへ置いた。
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [1]1973年2月、宇野正晃が医薬品の販売を目的として宮崎県延岡市に宇野回天堂薬局を創業し、これがコスモス薬品の事業の出発点とされる
- [2]1973年2月、宇野正晃が医薬品の販売を目的として宮崎県延岡市に宇野回天堂薬局を創業し、これがコスモス薬品の事業の出発点とされる
- [3]1983年12月、医薬品・化粧品・雑貨等の販売を目的として宮崎県延岡市に有限会社コスモス薬品を設立し、同市に岡富店(売場面積66平方メートル)を開店
- [4]1983年12月、医薬品・化粧品・雑貨等の販売を目的として宮崎県延岡市に有限会社コスモス薬品を設立し、同市に岡富店(売場面積66平方メートル)を開店
- コスモス薬品 公式サイト 沿革(2005年12月時点)
- [5]上場後の公式沿革は「昭和58年12月 有限会社コスモス薬品を設立し、岡富店を開店」と一項目で記載している
1987年11月、コスモス薬品は初の郊外型店舗として、延岡市に平原店を開いた。郊外型という呼び方を会社がこの店に初めて当てている。売場面積は165平方メートル、坪に直せば50坪であり、岡富店の2.5倍にあたる。郊外へ出るとは、商店街を歩いて来る客ではなく、自動車で乗りつける客を相手にすることである。駐車場を備えれば敷地が要り、広い敷地は地価の低い市街の外にしかない。売場が広がれば医薬品と化粧品だけでは棚が埋まらず、雑貨や食品が入ってくる。もっとも50坪という広さ自体は、当時の市街地の薬局と大きく違うものではない。郊外型と呼ばれた理由は面積ではなく、店を置いた場所と客の来かたにあった。売場の広さ・扱う品目・客の来かたの三つは互いに縛り合っており、どれか一つだけを動かすことはできない。
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [6]1987年11月、当社として初の郊外型店舗として宮崎県延岡市に平原店(売場面積165平方メートル)を開店
- [7]1987年11月、当社として初の郊外型店舗として宮崎県延岡市に平原店(売場面積165平方メートル)を開店
- コスモス薬品 公式サイト 会社概要(2002年8月時点)
- [8]1987年11月、郊外型ドラッグストアとして平原店(売場面積50坪)を開店
1990年2月、宇野正晃は調剤薬局の運営を目的として、有限会社なの花薬局を設立した。翌1991年4月には有限会社コスモス薬品が株式会社へ組織変更され、会社が公表した沿革も同じ年月を組織変更の時点として記している。1993年1月、経営基盤の強化を目的に、株式会社回天堂薬局と有限会社なの花薬局が吸収合併された。創業の薬局・調剤の薬局・物販のドラッグストアと三つに分かれていた法人は、ここで一つになった。仕入れも資金も人も別々に置いたまま店数だけを増やせば、伸びるほど管理が重くなる。合併から11か月後、コスモス薬品は最初の大型店を開いて多店舗展開に入る。法人を一つへまとめたうえで店数を増やしにかかった順序に、この合併の意味がある。
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [9]1990年2月、代表取締役宇野正晃が調剤薬局の運営を目的として有限会社なの花薬局を設立し、1991年4月に有限会社コスモス薬品を株式会社コスモス薬品へ組織変更
- [10]1990年2月、代表取締役宇野正晃が調剤薬局の運営を目的として有限会社なの花薬局を設立し、1991年4月に有限会社コスモス薬品を株式会社コスモス薬品へ組織変更
- [12]1993年1月、経営基盤強化の目的で株式会社回天堂薬局及び有限会社なの花薬局を吸収合併
- コスモス薬品 公式サイト 会社概要(2003年8月時点)
- [11]1991年4月、(有)コスモス薬品を(株)コスモス薬品に組織変更
- コスモス薬品 公式サイト 沿革(2005年12月時点)
- [13]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店を開店し、多店舗展開を開始
参考文献[1]-[13]
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [1]1973年2月、宇野正晃が医薬品の販売を目的として宮崎県延岡市に宇野回天堂薬局を創業し、これがコスモス薬品の事業の出発点とされる
- [2]1973年2月、宇野正晃が医薬品の販売を目的として宮崎県延岡市に宇野回天堂薬局を創業し、これがコスモス薬品の事業の出発点とされる
- [3]1983年12月、医薬品・化粧品・雑貨等の販売を目的として宮崎県延岡市に有限会社コスモス薬品を設立し、同市に岡富店(売場面積66平方メートル)を開店
- [4]1983年12月、医薬品・化粧品・雑貨等の販売を目的として宮崎県延岡市に有限会社コスモス薬品を設立し、同市に岡富店(売場面積66平方メートル)を開店
- [6]1987年11月、当社として初の郊外型店舗として宮崎県延岡市に平原店(売場面積165平方メートル)を開店
- [7]1987年11月、当社として初の郊外型店舗として宮崎県延岡市に平原店(売場面積165平方メートル)を開店
- [9]1990年2月、代表取締役宇野正晃が調剤薬局の運営を目的として有限会社なの花薬局を設立し、1991年4月に有限会社コスモス薬品を株式会社コスモス薬品へ組織変更
- [10]1990年2月、代表取締役宇野正晃が調剤薬局の運営を目的として有限会社なの花薬局を設立し、1991年4月に有限会社コスモス薬品を株式会社コスモス薬品へ組織変更
- [12]1993年1月、経営基盤強化の目的で株式会社回天堂薬局及び有限会社なの花薬局を吸収合併
- [5]上場後の公式沿革は「昭和58年12月 有限会社コスモス薬品を設立し、岡富店を開店」と一項目で記載している
- [13]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店を開店し、多店舗展開を開始
- [8]1987年11月、郊外型ドラッグストアとして平原店(売場面積50坪)を開店
- [11]1991年4月、(有)コスモス薬品を(株)コスモス薬品に組織変更
1993年〜米国型ドラッグストアの移植と300坪という単位
1993年12月、コスモス薬品は初の本格的なドラッグストア店舗として、宮崎市に浮之城店を開いた。売場面積は600平方メートルで、平原店の3.6倍である。有報はこの開店をもって多店舗展開の開始と記し、上場後の公式沿革も同じ年月を、本格的なドラッグストアによる多店舗展開を開始した時点として書いている。1983年の岡富店も1987年の平原店も、会社の言い方に従えば本格的なドラッグストアではない。600平方メートルという広さが、その線を引いている。1店を大きくすることと店数を増やすことは、要る資金の面では逆を向く。売場が3.6倍になれば1店あたりの投資も在庫も膨らみ、同じ元手で開ける店は減る。コスモス薬品はその両方を同じ月から始めた。
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [14]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [15]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [16]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [18]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [19]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- コスモス薬品 公式サイト 沿革(2005年12月時点)
- [17]平成5年12月、宮崎県宮崎市に初の売場面積600平米型ドラッグストア浮之城店を開店し、本格的なドラッグストアによる多店舗展開を開始
売場の広さには手本があった。宇野正晃は2002年の公式サイトに自ら経営方針を掲げ、日本の流通業はスーパーもディスカウントストアも米国の業態を取り入れて変化してきたと述べ、米国では医薬品や化粧品にとどまらず日常の消耗品すべてを扱うドラッグストアが主流になっていると書いた。処方箋も米国と同じようにドラッグストアへ集まるだろうという見通しを、そこへ添えている。当時脚光を浴びていた業態はコンビニエンスストアであり、宇野はそれを引き合いに出したうえで、コンビニ以上にドラッグストアが人々の生活に溶け込む日は遠くないと書いた。そのうえで宇野は『ドラッグストアとは水道や公園のようなもの。つまり、ドラッグストアは今、地域住民のライフラインになっていると言っても過言ではありません』と記し、300坪のドラッグストアを多店舗展開することで地域社会に貢献したいと結んだ。300坪はおよそ990平方メートルであり、浮之城店の600平方メートルはその途中にある。
- コスモス薬品 公式サイト 経営方針(2002年4月時点)
- [20]宇野正晃名義の「経営方針」は、米国では医薬品・化粧品にとどまらず日常消耗品を扱うドラッグストアが主流であり、日本でも処方箋がドラッグストアへ集中するとの見通しを示したうえで、300坪のドラッグストアの多店舗展開による地域貢献を掲げた
- [21]宇野正晃名義の「経営方針」は、米国では医薬品・化粧品にとどまらず日常消耗品を扱うドラッグストアが主流であり、日本でも処方箋がドラッグストアへ集中するとの見通しを示したうえで、300坪のドラッグストアの多店舗展開による地域貢献を掲げた
- [22]宇野正晃名義の「経営方針」は、米国では医薬品・化粧品にとどまらず日常消耗品を扱うドラッグストアが主流であり、日本でも処方箋がドラッグストアへ集中するとの見通しを示したうえで、300坪のドラッグストアの多店舗展開による地域貢献を掲げた
- [23]宇野正晃名義の「経営方針」は、米国では医薬品・化粧品にとどまらず日常消耗品を扱うドラッグストアが主流であり、日本でも処方箋がドラッグストアへ集中するとの見通しを示したうえで、300坪のドラッグストアの多店舗展開による地域貢献を掲げた
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [24]1993年12月開店の浮之城店の売場面積は600平方メートル
広い売場を構えながら、コスモス薬品が選んだのは小さな商圏だった。会社は後年、自社の型を日本で初めて小商圏を対象としたメガドラッグストアの多店舗展開だと説明し、商圏人口を1万5千人から2万人に限ると書いている。この規模に絞れば、競合は食品スーパー・小商圏型ディスカウントストア・コンビニエンスストア・500平方メートル型ドラッグストアに限られる。九州はドラッグストアのほかディスカウントストアやスーパーがひしめく日本有数の価格競争地域であり、広い商圏で正面から戦えば体力の差がそのまま出る。小商圏では1店あたりの売上は見劣りするが、商圏を小さく刻むほど置ける店の数は増える。医薬品・化粧品に雑貨と一般食品まで積む品揃えは、その狭い商圏の日用品需要をひととおり引き受けるためのものである。
- コスモス薬品 公式サイト 企業戦略(2007年1月時点)
- [25]小商圏(商圏人口15,000〜20,000人)を対象としたメガドラッグストアの多店舗展開を自社の型と位置づけ、小商圏での競合を食品スーパー・小商圏型ディスカウントストア・コンビニエンスストア・500平方メートル型ドラッグストアに限られるとした
- [26]小商圏(商圏人口15,000〜20,000人)を対象としたメガドラッグストアの多店舗展開を自社の型と位置づけ、小商圏での競合を食品スーパー・小商圏型ディスカウントストア・コンビニエンスストア・500平方メートル型ドラッグストアに限られるとした
- [28]小商圏(商圏人口15,000〜20,000人)を対象としたメガドラッグストアの多店舗展開を自社の型と位置づけ、小商圏での競合を食品スーパー・小商圏型ディスカウントストア・コンビニエンスストア・500平方メートル型ドラッグストアに限られるとした
- コスモス薬品 公式サイト 企業戦略(2006年1月時点)
- [27]九州地区はドラッグストア・ディスカウントストア・スーパーマーケット・百貨店がひしめく日本有数の価格競争地域とされる
- コスモス薬品 有価証券報告書【事業の内容】(2025年5月期)
- [29]取扱商品は医薬品・化粧品・雑貨・一般食品などの日常生活で必要となる消耗品で構成される
参考文献[14]-[29]
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [14]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [15]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [16]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [18]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [19]1993年12月、当社として初の本格的なドラッグストア店舗となる浮之城店(宮崎県宮崎市・売場面積600平方メートル)を開店し、多店舗展開を開始
- [24]1993年12月開店の浮之城店の売場面積は600平方メートル
- [17]平成5年12月、宮崎県宮崎市に初の売場面積600平米型ドラッグストア浮之城店を開店し、本格的なドラッグストアによる多店舗展開を開始
- [20]宇野正晃名義の「経営方針」は、米国では医薬品・化粧品にとどまらず日常消耗品を扱うドラッグストアが主流であり、日本でも処方箋がドラッグストアへ集中するとの見通しを示したうえで、300坪のドラッグストアの多店舗展開による地域貢献を掲げた
- [21]宇野正晃名義の「経営方針」は、米国では医薬品・化粧品にとどまらず日常消耗品を扱うドラッグストアが主流であり、日本でも処方箋がドラッグストアへ集中するとの見通しを示したうえで、300坪のドラッグストアの多店舗展開による地域貢献を掲げた
- [22]宇野正晃名義の「経営方針」は、米国では医薬品・化粧品にとどまらず日常消耗品を扱うドラッグストアが主流であり、日本でも処方箋がドラッグストアへ集中するとの見通しを示したうえで、300坪のドラッグストアの多店舗展開による地域貢献を掲げた
- [23]宇野正晃名義の「経営方針」は、米国では医薬品・化粧品にとどまらず日常消耗品を扱うドラッグストアが主流であり、日本でも処方箋がドラッグストアへ集中するとの見通しを示したうえで、300坪のドラッグストアの多店舗展開による地域貢献を掲げた
- [25]小商圏(商圏人口15,000〜20,000人)を対象としたメガドラッグストアの多店舗展開を自社の型と位置づけ、小商圏での競合を食品スーパー・小商圏型ディスカウントストア・コンビニエンスストア・500平方メートル型ドラッグストアに限られるとした
- [26]小商圏(商圏人口15,000〜20,000人)を対象としたメガドラッグストアの多店舗展開を自社の型と位置づけ、小商圏での競合を食品スーパー・小商圏型ディスカウントストア・コンビニエンスストア・500平方メートル型ドラッグストアに限られるとした
- [28]小商圏(商圏人口15,000〜20,000人)を対象としたメガドラッグストアの多店舗展開を自社の型と位置づけ、小商圏での競合を食品スーパー・小商圏型ディスカウントストア・コンビニエンスストア・500平方メートル型ドラッグストアに限られるとした
- [27]九州地区はドラッグストア・ディスカウントストア・スーパーマーケット・百貨店がひしめく日本有数の価格競争地域とされる
- コスモス薬品 有価証券報告書【事業の内容】(2025年5月期)
- [29]取扱商品は医薬品・化粧品・雑貨・一般食品などの日常生活で必要となる消耗品で構成される
1997年〜県境を越える1,000平方メートル型と通過型物流センター
宮崎県内で型ができると、コスモス薬品は県境を越えた。1997年6月、大分県に三重店を開き、以後この県への出店を始めた。1998年12月には熊本県に田迎店を開いて熊本へ入り、1999年10月には福岡県に下山門店を開いて福岡へ入った。下山門店の売場は300坪であり、宇野が経営方針に掲げた単位が、そのまま県外一号店に使われている。3年で三県へ広がったこの動きは、宮崎から隣接県をたどる形を崩していない。遠い大都市へ飛ばず、配送と人員の届く範囲の外縁へ次の店を置いていった。県外の一号店に宮崎で試した300坪型をそのまま当てている点も同じで、進出先ごとに店の形を変えていない。同じ形の店を並べるほど、仕入れも配送も店員の教育も一つの型で足りる。
- コスモス薬品 公式サイト 会社概要(2002年8月時点)
- [30]1997年6月に大分県の三重店、1998年12月に熊本県の田迎店、1999年10月に福岡県の下山門店を開店し、それぞれの県への出店を開始
- [31]1997年6月に大分県の三重店、1998年12月に熊本県の田迎店、1999年10月に福岡県の下山門店を開店し、それぞれの県への出店を開始
- [32]1997年6月に大分県の三重店、1998年12月に熊本県の田迎店、1999年10月に福岡県の下山門店を開店し、それぞれの県への出店を開始
- コスモス薬品 公式サイト 会社概要(2003年8月時点)
- [33]1999年10月に開店した下山門店の売場面積は300坪
1999年4月、コスモス薬品は初の売場面積1,000平方メートル型店舗として、宮崎県日向市に日向店を開いた。岡富店の66平方メートルから15倍である。同じ年の11月、宮崎市花ヶ島に通過型の物流センターを設けた。通過型は在庫を置かず、届いた商品をその日のうちに店別へ仕分けて送り出す方式で、センターに寝かせる在庫を持たずに配送の回数を増やせる。売場が広がるほど1店が抱える品目は増え、店ごとに仕入れ先と配送を持つやり方では追いつかない。12月には100パーセント出資の医薬品販売子会社、株式会社ドラッグコスモス(現・株式会社コスモス・コーポレーション)が設立された。
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [34]1999年4月、当社として初の売場面積1,000平方メートル型店舗となる日向店(宮崎県日向市)を開店。1983年12月開店の岡富店の売場面積は66平方メートル
- [35]1999年4月、当社として初の売場面積1,000平方メートル型店舗となる日向店(宮崎県日向市)を開店。1983年12月開店の岡富店の売場面積は66平方メートル
- [38]1999年12月、医薬品販売子会社として当社100%出資の株式会社ドラッグコスモス(現 株式会社コスモス・コーポレーション、資本金1,000万円)を設立
- コスモス薬品 公式サイト 会社概要(2002年8月時点)
- [36]1999年11月、宮崎花ヶ島に物流センターを開設
- コスモス薬品 公式サイト 沿革(2005年12月時点)
- [37]平成11年11月、宮崎県宮崎市に通過型物流センターを開設
1999年までに宮崎・大分・熊本・福岡の四県へ広がった店は、2001年5月期に48店を数えた。同じ期の売上高は12,396百万円、会社が年商として公表した数字は124億円である。従業員は2001年11月末で1,073人、資本金は1億9,156万円。66平方メートルの岡富店から18年、300坪という単位は九州四県に並び、年商は100億円台へ乗った。翌2000年4月、コスモス薬品は宮崎市新栄町へ本社を移して本部機能を統合し、四県に散った店を一つの本部から動かす形を整えた。店数はここから第20期72店、第21期108店と増えていく。広い売場を小さな商圏へ置く型が宮崎の外でも成り立つことは、この時点で確かめられていた。
- コスモス薬品 公式サイト 成長の軌跡(2005年12月時点)
- [39]第19期(2001年5月期)の店舗数48店・売上高12,396百万円、第20期72店、第21期108店
- [40]第19期(2001年5月期)の店舗数48店・売上高12,396百万円、第20期72店、第21期108店
- [45]第19期(2001年5月期)の店舗数48店・売上高12,396百万円、第20期72店、第21期108店
- コスモス薬品 公式サイト 会社概要(2002年8月時点)
- [41]2001年5月期の年商124億円、従業員数1,073人(2001年11月末)、資本金1億9,156万円
- [42]2001年5月期の年商124億円、従業員数1,073人(2001年11月末)、資本金1億9,156万円
- [43]2001年5月期の年商124億円、従業員数1,073人(2001年11月末)、資本金1億9,156万円
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [44]2000年4月、宮崎県宮崎市に本社を移転し、本部機能を統合
参考文献[30]-[45]
- [30]1997年6月に大分県の三重店、1998年12月に熊本県の田迎店、1999年10月に福岡県の下山門店を開店し、それぞれの県への出店を開始
- [31]1997年6月に大分県の三重店、1998年12月に熊本県の田迎店、1999年10月に福岡県の下山門店を開店し、それぞれの県への出店を開始
- [32]1997年6月に大分県の三重店、1998年12月に熊本県の田迎店、1999年10月に福岡県の下山門店を開店し、それぞれの県への出店を開始
- [36]1999年11月、宮崎花ヶ島に物流センターを開設
- [41]2001年5月期の年商124億円、従業員数1,073人(2001年11月末)、資本金1億9,156万円
- [42]2001年5月期の年商124億円、従業員数1,073人(2001年11月末)、資本金1億9,156万円
- [43]2001年5月期の年商124億円、従業員数1,073人(2001年11月末)、資本金1億9,156万円
- [33]1999年10月に開店した下山門店の売場面積は300坪
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- [34]1999年4月、当社として初の売場面積1,000平方メートル型店舗となる日向店(宮崎県日向市)を開店。1983年12月開店の岡富店の売場面積は66平方メートル
- [35]1999年4月、当社として初の売場面積1,000平方メートル型店舗となる日向店(宮崎県日向市)を開店。1983年12月開店の岡富店の売場面積は66平方メートル
- [38]1999年12月、医薬品販売子会社として当社100%出資の株式会社ドラッグコスモス(現 株式会社コスモス・コーポレーション、資本金1,000万円)を設立
- [44]2000年4月、宮崎県宮崎市に本社を移転し、本部機能を統合
- [37]平成11年11月、宮崎県宮崎市に通過型物流センターを開設
- [39]第19期(2001年5月期)の店舗数48店・売上高12,396百万円、第20期72店、第21期108店
- [40]第19期(2001年5月期)の店舗数48店・売上高12,396百万円、第20期72店、第21期108店
- [45]第19期(2001年5月期)の店舗数48店・売上高12,396百万円、第20期72店、第21期108店
筆者考察
コスモス薬品の1970年代から1990年代は、店が大きくなった過程というより、大きな店を置ける場所を探し当てた過程である。1983年の岡富店は66平方メートル、1987年の平原店は165平方メートル、1993年の浮之城店は600平方メートル、1999年の日向店は1,000平方メートル。16年で15倍というこの伸びは、町の薬局が郊外の消耗品店へ変わる幅そのものだった。宇野正晃が米国の業態から持ち帰ったのは品揃えの広さであり、広い品揃えは広い売場を要し、広い売場は安い地価と駐車場を要した。延岡から宮崎市、さらに大分・熊本・福岡へ向かった順路は、その条件を満たす土地を外へ外へと探した軌跡でもある。
宇野が掲げた300坪という単位は、目指す店の形であると同時に、出店できる商圏の下限を決める道具でもあった。売場が広ければ広い商圏が要る、という順序をコスモス薬品は採らず、商圏人口1万5千人から2万人という小さな枠へ大きな店を置いた。1店あたりの売上は望めないが、枠が小さいほど枠の数は増える。九州が日本有数の価格競争地域だったことも、この選択を後押ししただろう。ディスカウンターの集まる大商圏で正面から競う代わりに、競合が食品スーパーとコンビニエンスストアに限られる小さな町を選び、そこで最も品揃えの厚い店になる。2001年5月期の48店・年商124億円は、その型が宮崎の外でも動いた最初の証拠である。
- 岡富店(1983年12月・延岡市)/平原店(1987年11月・延岡市)/浮之城店(1993年12月・宮崎市)/日向店(1999年4月・日向市)。
- 出所は有価証券報告書【沿革】。
出典・参考
9件
- コスモス薬品 有価証券報告書【沿革】(2025年5月期)
- コスモス薬品 有価証券報告書【事業の内容】(2025年5月期)
- コスモス薬品 公式サイト 会社概要(2002年8月時点)
- コスモス薬品 公式サイト 経営方針(2002年4月時点)
- コスモス薬品 公式サイト 会社概要(2003年8月時点)
- コスモス薬品 公式サイト 沿革(2005年12月時点)
- コスモス薬品 公式サイト 成長の軌跡(2005年12月時点)
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