決断
価格を22年据え置いたことが、伸びと行き詰まりの両方を生んだ。1950年に資金繰りが行き詰まり、4行の協調融資と派遣役員を受け入れて以降、借入で事業を広げない判断が役員の間に残った。1956年に社長へ復帰した三島海雲氏は一社一品主義を社是に掲げ、大瓶の小売価格290円を1972年まで動かさなかった。売上高は1960年の36億1,200万円から1972年の538億6,500万円へ12年で約15倍に伸びる。1973年の石油危機で1年弱に3度の値上げを迫られると、1974年12月期の630億円を最後に売上は減少へ転じる。1980年12月期に営業損失10億8,200万円を出しながら無借金と自己資本比率73.2%は保っており、広げなかった財務がそのまま停滞の姿になった。