三島海雲

カルピス・元代表取締役社長

Mishima Kaiun(敬称略)

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社長就任 1942年
生年月日 —
学歴 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1878年7月2日、大阪府豊能郡萱野村の西本願寺派教学寺に生まれ、13歳で得度した。1899年に文学寮を卒業し、山口市の開導中学で英語教師となった。25歳から38歳までの13年間を中国と蒙古で過ごし、北京で日華洋行を営み、蒙古では緬羊の牧畜と品種改良を手がけた。1915年に妻の病気で帰国し、翌年春に3,000円を携えて上京して醍醐味合資会社を設立した。1917年にカルピスを売り出した。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1939年、資本金50万円を倍額に増資する際に味の素が50万円を引き受けて過半数の株を握り、三島氏は代表権を失って会長へ就任した。2年後、後援会「無名会」の交渉で鈴木忠治氏が持ち株を全部譲り、藤田建設が出した50万円でこれを買い戻して経営へ戻った。1942年の社長就任は、この株式の取り戻しの延長にあったとみられる。

在任中の主な施策
施策

1950年、実弟に任せた経営で負債が1億5,000万円、税金の滞納が8,000万円に達し、第一・三井・協和・山梨中央の4行の協調融資を受けて代表権のない会長へ就任した。三島氏は会社に伏せたまま乳酸菌飲料の研究を続け、1956年8月に明治乳業などとピルマンを設立し、同年に社長へ戻った。復帰後のカルピスは単品で伸び、売上高は1956年12月期の22億円から1970年12月期の377億円になった。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1917〜1970年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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