合弁・提携
35件合弁・提携
35件提携の歴史は、日本企業が「自前主義」と「外部活用」のあいだでどのようにバランスを取ってきたかの記録である。時代ごとの国際関係や技術潮流を背景に、提携の意味と形態は根本的に変化してきた。
戦後日本の提携の原型は「技術導入」であった。GHQによる財閥解体と技術的断絶のなかで、欧米企業とのライセンス契約は産業再建の生命線であった。1950〜60年代に集中する技術提携の波は、当時の外資規制(外資法)のもとで「資本は入れさせないが技術は入れる」という日本独自の政策的選択と不可分である。合成繊維、トランジスタ、自動車部品——多くの基幹産業が海外パートナーからの技術移転を起点に成長したが、注目すべきはこれらの提携が単なる模倣で終わらなかった点である。海外技術を吸収しつつ独自に発展させ、やがてパートナーを超える競争力を獲得する「学習→卒業」のサイクルが、日本製造業の競争力の構造的基盤となった。
1960年代の資本自由化は提携の性質を一変させた。海外企業の直接参入が現実の脅威となるなか、日本企業は防衛的な合弁設立に走った。「自由化ショック」が業界横断で合弁・提携ブームを生んだこの時期は、外部環境の変化が業種を問わず同時多発的に提携判断を誘発する「波」の存在を示している。一社が動けば同業が追随し、追随しない企業は「取り残される」というプレッシャーが働く構造は、その後のM&Aブームやデジタル化対応にも通じるパターンである。
1980年代以降、提携の目的は「学ぶ」から「共に創る」へと進化した。特にアジアでの合弁事業は、現地パートナーの市場知識と日本企業の技術力を組み合わせる「補完型」が主流となった。改革開放後の中国やASEAN諸国の経済成長に合わせ、合弁設立→事業拡大→持分拡大→連結化という段階的なコミットメントの深化が多くの企業で共通して観察される。「最初から100%子会社」ではなく「合弁から入って段階的に主導権を握る」このアプローチは、政治的リスクの高い市場で合理的な戦略であった。
2000年代のインターネット革命は、異業種間の提携を爆発的に増加させた。通信とメディアの融合、金融とITの接近、製造業とプラットフォーマーの連携——産業の境界線が曖昧になるにつれ、同業種内の提携だけでは成長の芽を見出せなくなった。「本業とは遠い」パートナーとの提携が増える傾向は、事業の定義そのものが拡張している時代の反映である。
2020年代のEV・脱炭素トレンドは、かつて激しく競争した企業同士が電池やソフトウェアで手を組む「競合間連携」を常態化させた。開発コストの高騰と技術の複雑化が、単独での全方位開発を不合理にしたのである。「競争する領域」と「協調する領域」を峻別し、後者で徹底的にコスト分担するモデルは、IT業界の「コーペティション」と同じ構造が製造業にも浸透しつつあることを示している。
提携の「終わり方」にも時代性が見える。かつての提携解消は失敗や関係悪化の結果であることが多かったが、近年は計画的な提携終了——目的を達成したから解消する、事業環境が変わったから相手を変える——が増えている。提携を永続的な関係ではなく「目的特化型の時限的パートナーシップ」として設計する傾向は、企業の提携リテラシーが構造的に向上していることの証左である。
海外化学大手からの技術導入で合成繊維の国産化を実現した、日本繊維産業の転換点。「技術を買う」ではなく「技術を学ぶ」ための提携が、産業構造を根本から変えた。
グローバル製薬大手との戦略提携で創薬力を一気に強化するモデルが象徴的。独立性を保ちながらグローバルネットワークを活用する、中堅製薬企業の生存戦略として秀逸。
海外パートナーとの合弁を通じた市場開拓モデルが成長戦略の柱。合弁設立→事業拡大→連結化と、パートナーシップが段階的に深化して最終的に自社主導に転じるパターンが特徴的。
生産・開発の共同化が一貫したテーマ。変速機の合弁から海外生産の合弁、バッテリー工場の提携まで、競合同士が市場や技術ごとに組む合従連衡の構図が数十年にわたり継続。
海外大手からの技術導入で産業の基盤を築いた戦後型から、事業撤退の合意に至る近年型まで、提携の目的が「学び」から「整理」へと変遷。提携は始まりだけでなく終わりにも使われる。