第1章 年〜年

ニトリ:似鳥家具店の開業とチェーンストア化

米国視察から札幌ドミナント出店へ

1967年〜札幌の家具店が突き当たった仕入れと資金の壁

問屋に断られ、メーカーを自分で回って仕入れる

似鳥昭雄氏は、1967年12月に札幌市で約99平方メートルの似鳥家具店を開き、家具の小売から出発した。売上高は1969年2月期に0.2億円、1970年2月期に0.4億円、1971年2月期でも0.5億円にとどまり、札幌の一角だけを商圏とする零細な店であった。家具の問屋は新参の小規模店を取引先として認めず、似鳥氏は自ら零細メーカーを訪ねて商品を直接仕入れるほかなかった。この経路は当初、既存の流通から締め出された結果にすぎない。しかし卸の口銭を負担せずに売値を自ら決められる構造でもあり、既存の家具店より安く売る余地がここで生まれた。のちの低価格を支える原型は、創業まもない時期の仕入れ難から出ている。

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [1]1967年12月、似鳥昭雄氏が札幌市に売場面積約99平方メートルの似鳥家具店を開業した
  • 近代中小企業 1977年11月号(中小企業経営研究会)
    • [2]似鳥家具店の売上高は1969年2月期0.2億円、1970年2月期0.4億円、1971年2月期0.5億円であった
  • 日経ビジネス 1995年9月11日号(日経BP社)
    • [3]ニトリは問屋に相手にされず、家具メーカーを自ら回って直接仕入れることで低い売値を実現した
大型2号店の隣に競合が出て融資が止まる

1971年6月、似鳥氏は札幌市東区に売場面積250坪の大型2号店を開いた。ところが開業からまもなく、その近隣に1000坪の大型店が進出した。売場の広さで4倍の開きがあり、似鳥家具店の売上は伸び悩んだ。売上が落ちるなかで似鳥氏は資金繰りのために銀行を回り、店は倒産の危機に直面した。規模で上回る相手が同じ商圏に入れば、単独の仕入れ力しか持たない小売店は価格でも品揃えでも抗しきれない。1972年3月、似鳥氏は個人経営を株式会社似鳥家具卸センターへ組織変更した。法人化は資金調達のための会社組織を整える手続きであると同時に、家具店ではなく卸の機能まで抱える会社を名乗る宣言でもあった。

  • 日経ビジネス 1995年9月11日号(日経BP社)
    • [4]1971年6月、似鳥家具店は札幌市に売場面積250坪の大型2号店を開いた
    • [5]2号店の近隣に1000坪の大型店が進出した
    • [6]2号店の近くに大型店が進出して打撃を受け、似鳥氏は資金繰りのために銀行を渡り歩き、倒産の危機に瀕した
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [7]1972年3月、個人経営から株式会社似鳥家具卸センターへ組織変更した
米国で3分の1の価格を見て多店舗化へ舵を切る

1972年春、似鳥氏は米国視察の機会を得て、1週間ほど現地に滞在した。現地では500店、1000店という規模のチェーンが、大量仕入れと海外調達によって日本の3分の1以下の価格で家具を並べていた。似鳥氏は、安く売るには多店舗のチェーンストアになるほかないと判断した。帰国後の1973年6月、札幌市北区に3号店の麻生店を開き、以後は毎年1店のペースで店を増やした。法人化した1973年2月期の売上高は1.5億円で、1971年2月期の0.5億円から3倍に増えてはいたものの、視察で見たチェーンとは桁が違った。それでもこの渡米が、多店舗化・低価格・海外調達という以後の三つの柱を一度に決めている。

  • 日経ビジネス 1995年9月11日号(日経BP社)
    • [8]似鳥昭雄氏は1972年春に米国を視察し、1週間ほど滞在して現地の家具・インテリアチェーンを訪れた
    • [9]米国では500店・1000店規模のチェーンが日本の3分の1以下の価格を実現していた
    • [10]似鳥昭雄氏は視察を経て、安売りを徹底するには多店舗のチェーンストアしかないと確信した
    • [11]帰国後の1973年6月に3号店の麻生店(札幌市北区)を開き、その後は毎年1店のペースで出店した
  • 近代中小企業 1977年11月号(中小企業経営研究会)
    • [12]似鳥家具卸センターの売上高は1971年2月期0.5億円、1973年2月期1.5億円であった
参考文献[1]-[12]
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [1]1967年12月、似鳥昭雄氏が札幌市に売場面積約99平方メートルの似鳥家具店を開業した
    • [7]1972年3月、個人経営から株式会社似鳥家具卸センターへ組織変更した
  • 近代中小企業 1977年11月号(中小企業経営研究会)
    • [2]似鳥家具店の売上高は1969年2月期0.2億円、1970年2月期0.4億円、1971年2月期0.5億円であった
    • [12]似鳥家具卸センターの売上高は1971年2月期0.5億円、1973年2月期1.5億円であった
  • 日経ビジネス 1995年9月11日号(日経BP社)
    • [3]ニトリは問屋に相手にされず、家具メーカーを自ら回って直接仕入れることで低い売値を実現した
    • [4]1971年6月、似鳥家具店は札幌市に売場面積250坪の大型2号店を開いた
    • [5]2号店の近隣に1000坪の大型店が進出した
    • [6]2号店の近くに大型店が進出して打撃を受け、似鳥氏は資金繰りのために銀行を渡り歩き、倒産の危機に瀕した
    • [8]似鳥昭雄氏は1972年春に米国を視察し、1週間ほど滞在して現地の家具・インテリアチェーンを訪れた
    • [9]米国では500店・1000店規模のチェーンが日本の3分の1以下の価格を実現していた
    • [10]似鳥昭雄氏は視察を経て、安売りを徹底するには多店舗のチェーンストアしかないと確信した
    • [11]帰国後の1973年6月に3号店の麻生店(札幌市北区)を開き、その後は毎年1店のペースで出店した

1973年〜チェーン化構想と自動立体倉庫

チェーン化構想を発表する

米国視察で得た多店舗化の構想は、6年後に形になった。店主の目が届く範囲を超えてなお店を増やすには、仕入れも管理も個人の裁量から仕組みへ移すほかない。1978年1月、似鳥家具卸センターはチェーン化構想を発表し、札幌市内で同一商圏に店を重ねるドミナント出店に着手した。当時の売上高は14.5億円(1978年2月期)で、視察先の米国で見た500店・1000店規模のチェーンとは規模が釣り合わなかった。それでも商圏を広く薄く取らず札幌へ集中して出す形は、物流と広告の費用を店数で回収する設計であった。

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [13]1978年1月にチェーン化構想を発表し、札幌市内でドミナント出店を開始した
  • 家具産業会社年鑑 1981年版
    • [14]似鳥家具卸センターの1978年2月期の売上高は14.5億円であった
直接仕入れを新店へ複製して売上を伸ばす

価格の源泉は仕入れ経路そのものにあった。似鳥家具卸センターは問屋を通さず、メーカーへ独自仕様の商品を直接発注して買い取りで仕入れる方式を貫き、返品を前提とする家具流通の慣行から外れた。1977年11月の業界誌は、同社の成功の秘訣は『他者にない仕入れ方法と、徹底した合理化にある』と評している。1977年2月期の売上高は11億円、従業員は94人で、開業時の一店舗の規模からは隔たっていた。1978年2月期は売上高14.5億円・従業員108人、1979年2月期は22.4億円、1980年2月期は29.4億円と伸びた。増加分の多くは、新しい商材を探して得たものではなく、同じ仕入れ方式を新店へ複製して得たものであった。

  • 日経流通新聞(1994年6月14日)
    • [15]ニトリは買い取り仕入れを基本に、内外のメーカーへ独自仕様の商品を直接発注して低価格販売を進めた
  • 近代中小企業 1977年11月号(中小企業経営研究会)
    • [16]1977年の業界誌は似鳥家具卸センターの成功を、他社にない仕入れ方法と徹底した合理化にあると評した
    • [17]似鳥家具卸センターの1977年2月期の売上高は11.0億円、従業員数は94人であった
  • 家具産業会社年鑑 1981年版
    • [18]似鳥家具卸センターの売上高は1978年2月期14.5億円、1979年2月期22.4億円、1980年2月期29.4億円、従業員数は1978年2月期108人であった
店より先に自動立体倉庫へ投じる

1980年8月、似鳥家具卸センターは札幌市手稲区に自動立体倉庫を備えた物流センターを開設し、本社を併設した。売上高29.4億円、当期純利益0.6億円という1980年2月期の規模からみて、倉庫への投資は身の丈を超えていた。家具は容積が大きく在庫回転も遅いため、店舗ごとに在庫を抱えれば売場が倉庫に変わってしまう。在庫を一カ所へ集めて各店へ配る仕組みを先に置けば、店は売場としてだけ働かせられる。開設後の売上高は1981年2月期34.8億円、1982年2月期43.0億円と伸び、投資は店数の増加で回収へ向かった。店舗より先に物流へ投じるこの順序は、2000年7月に埼玉県白岡町へ関東物流センターを新築したときにも繰り返された。

  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [19]1980年8月、札幌市手稲区に自動立体倉庫を備えた物流センターを開設し、本社を併設した
    • [22]2000年7月、埼玉県白岡町に関東物流センターを新築した
  • 家具産業会社年鑑 1981年版
    • [20]似鳥家具卸センターの1980年2月期は売上高29.4億円、当期純利益0.6億円であった
  • 会社総鑑 未上場会社版(1985年)
    • [21]似鳥家具卸センターの売上高は1981年2月期34.8億円、1982年2月期43.0億円であった
参考文献[13]-[22]
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
    • [13]1978年1月にチェーン化構想を発表し、札幌市内でドミナント出店を開始した
    • [19]1980年8月、札幌市手稲区に自動立体倉庫を備えた物流センターを開設し、本社を併設した
    • [22]2000年7月、埼玉県白岡町に関東物流センターを新築した
  • 家具産業会社年鑑 1981年版
    • [14]似鳥家具卸センターの1978年2月期の売上高は14.5億円であった
    • [18]似鳥家具卸センターの売上高は1978年2月期14.5億円、1979年2月期22.4億円、1980年2月期29.4億円、従業員数は1978年2月期108人であった
    • [20]似鳥家具卸センターの1980年2月期は売上高29.4億円、当期純利益0.6億円であった
  • 日経流通新聞(1994年6月14日)
    • [15]ニトリは買い取り仕入れを基本に、内外のメーカーへ独自仕様の商品を直接発注して低価格販売を進めた
  • 近代中小企業 1977年11月号(中小企業経営研究会)
    • [16]1977年の業界誌は似鳥家具卸センターの成功を、他社にない仕入れ方法と徹底した合理化にあると評した
    • [17]似鳥家具卸センターの1977年2月期の売上高は11.0億円、従業員数は94人であった
  • 会社総鑑 未上場会社版(1985年)
    • [21]似鳥家具卸センターの売上高は1981年2月期34.8億円、1982年2月期43.0億円であった

1982年〜函館店の想定超過と道内中核都市への拡大

函館進出で大型店規制の反発を受ける

大型店を出すには地元の商業者との調整を経なければならず、交渉の焦点は売場面積に置かれた。1982年時点のニトリ家具は札幌市内の各区に1店ずつを置く形で、最も大きな店は850坪であった。札幌の外へ出る最初の一歩が規制に阻まれたのが、1982年の函館進出である。函館では大型店の出店凍結が打ち出されており、亀田商業活動調整協議会の決定でひとまず決着はついたが、地元にはニトリ家具に認めた面積が広すぎるという不満が残り続けた。地元誌の報道によれば、函館市は第5条申請の段階で知事へ意見を具申する用意があると表明しており、売場面積の攻防は『ただならぬ空気を見せている』とされ、出店規制が最も強く効いたこの時期、道内の中核都市へ進むには店ごとに調整を積み重ねるしかなかった。

  • はこだて財界 1982年「80億の函館市場に参入する札幌の大型家具専門店チェーン『ニトリ家具』その企業理念と函館店の店づくり」(函館財界問題研究所)
    • [23]1982年時点、ニトリ家具は札幌市内の各区に1店ずつを置き、札幌で最も大きな店は850坪であった
  • はこだて財界 1982年5月号「ニトリ家具出店本決まり」(函館財界問題研究所)
    • [24]1982年、ニトリ家具の函館進出は亀田商調協の決定で決着したが、許容面積が大きすぎるとする函館側の不満が残った
    • [25]函館市はニトリ家具の第5条申請の段階で知事に意見を具申する用意があることを明らかにした
    • [26]1982年の函館出店は大型店出店凍結宣言と出店規制のうねりのなかで進められた
面積を半分に削られた函館店を標準店舗として開く

函館店の計画は、規制の審議を経て大きく縮んだ。ニトリ家具は当初、年商8億円、3年目から10億円前後を見込んで出店を申請していたが、面積の縮小を受けて似鳥氏は年商を5億円台と見込み直した。売場面積は申請した4,963平方メートルから2,400平方メートルへ、半分以下に削られた。1982年2月期の全社売上高は43.0億円であり、函館の一店は全体の1割強にあたる規模にとどまる。似鳥氏は函館地区の家具市場を60億円、インテリアを含めて80億円とみて、まだ空いている部分が大きいと述べていた。店づくりでは、単品を並べるのではなく部屋ごとに家具とカーテン、カーペットを組み合わせて提案し、年収400万〜500万円までの層に重点を置くとした。面積で譲っても札幌と同じ売り方を持ち込めるかが、札幌の外で店を増やせるかどうかの試金石であった。

  • はこだて財界 1982年「80億の函館市場に参入する札幌の大型家具専門店チェーン『ニトリ家具』その企業理念と函館店の店づくり」(函館財界問題研究所)
    • [27]函館店は申請段階で年商8億円、3年目から10億円内外を見込んでいたが、面積の縮小を受けて似鳥氏は5億円台と見込んだ
    • [28]函館店の売場面積は申請の4,963平方メートルから、大店審で2,400平方メートル(のちに300平方メートルの増床を認める)に決まった
    • [30]似鳥昭雄氏は函館地区の家具市場を60億円、インテリアを含めて80億円とみていた
    • [31]ニトリ家具は部屋ごとに家具とカーテン、カーペットを組み合わせて提案し、年収400万〜500万円までの層に重点を置くとした
  • 会社総鑑 未上場会社版(1985年)
    • [29]似鳥家具卸センターの1982年2月期の売上高は43.0億円であった
道内の中核都市へ同じ形の店を展開する

函館に続いて、ニトリ家具は札幌の外へも店を広げ、1995年には北海道で22店を構えるに至った。売上高は1983年2月期54.3億円、1984年2月期68.8億円と伸び、当期純利益も1983年2月期1.2億円、1984年2月期1.3億円と積み上がった。1986年2月期には売上高77.9億円、当期純利益1.6億円に達している。1973年2月期の1.5億円から13年で50倍を超える伸びだが、この間に扱う商品が入れ替わったわけではない。変わったのは、同じ仕入れと同じ物流を何店に掛けられるかという分母のほうであった。次に問われるのは、店を増やす速さではなく、商品を誰がどこで作るかという上流の問題であった。

  • 日経ビジネス 1995年9月11日号(日経BP社)
    • [32]1995年9月時点でニトリは北海道に22店、千葉・茨城・群馬・宮城の4県に6店を展開していた
  • 会社総鑑 未上場会社版(1985年)
    • [33]似鳥家具卸センターの売上高は1983年2月期54.3億円、1984年2月期68.8億円、当期純利益は1983年2月期1.2億円、1984年2月期1.3億円であった
  • 会社年鑑
    • [34]似鳥家具卸センターの1986年2月期は売上高77.9億円、当期純利益1.6億円であった
参考文献[23]-[34]
  • はこだて財界 1982年「80億の函館市場に参入する札幌の大型家具専門店チェーン『ニトリ家具』その企業理念と函館店の店づくり」(函館財界問題研究所)
    • [23]1982年時点、ニトリ家具は札幌市内の各区に1店ずつを置き、札幌で最も大きな店は850坪であった
    • [27]函館店は申請段階で年商8億円、3年目から10億円内外を見込んでいたが、面積の縮小を受けて似鳥氏は5億円台と見込んだ
    • [28]函館店の売場面積は申請の4,963平方メートルから、大店審で2,400平方メートル(のちに300平方メートルの増床を認める)に決まった
    • [30]似鳥昭雄氏は函館地区の家具市場を60億円、インテリアを含めて80億円とみていた
    • [31]ニトリ家具は部屋ごとに家具とカーテン、カーペットを組み合わせて提案し、年収400万〜500万円までの層に重点を置くとした
  • はこだて財界 1982年5月号「ニトリ家具出店本決まり」(函館財界問題研究所)
    • [24]1982年、ニトリ家具の函館進出は亀田商調協の決定で決着したが、許容面積が大きすぎるとする函館側の不満が残った
    • [25]函館市はニトリ家具の第5条申請の段階で知事に意見を具申する用意があることを明らかにした
    • [26]1982年の函館出店は大型店出店凍結宣言と出店規制のうねりのなかで進められた
  • 会社総鑑 未上場会社版(1985年)
    • [29]似鳥家具卸センターの1982年2月期の売上高は43.0億円であった
    • [33]似鳥家具卸センターの売上高は1983年2月期54.3億円、1984年2月期68.8億円、当期純利益は1983年2月期1.2億円、1984年2月期1.3億円であった
  • 日経ビジネス 1995年9月11日号(日経BP社)
    • [32]1995年9月時点でニトリは北海道に22店、千葉・茨城・群馬・宮城の4県に6店を展開していた
  • 会社年鑑
    • [34]似鳥家具卸センターの1986年2月期は売上高77.9億円、当期純利益1.6億円であった

筆者考察

ニトリの安さは、安く売るという方針から始まったのではなく、仕入れ先を選べなかった事情から始まった。1967年に札幌で開いた99平方メートルの似鳥家具店は問屋から相手にされず、似鳥昭雄氏は零細メーカーを自分で回るしかなかった。この経路は卸の口銭を省くという副産物を生み、売値を自分で決められる小売店を作った。1972年の渡米で似鳥氏が見たのは、その副産物を制度にした姿である。500店を持つ米国のチェーンは同じことを桁違いの量で行い、日本の3分の1の価格を並べていた。仕入れの裏口として始まったやり方に、店数という掛け算を与えれば届く。帰国後に掲げた多店舗化は、新しい発想ではなく既にある強みの引き伸ばしであった。

掛け算の答えは、店ではなく倉庫に現れた。1980年に札幌市手稲区へ置いた自動立体倉庫は、売上高29.4億円の会社にとって過大な設備であり、当時の店数では回収できない規模である。それでも在庫を一カ所に集めなければ、家具のように嵩む商品を扱う店は売場の半分を倉庫に変えてしまう。先に配る仕組みを置き、後から店で埋める順序を選んだからこそ、1982年に決まった函館店は、売場面積を申請の半分に削られても札幌と同じ標準店舗として開けた。売上高は1982年2月期の43.0億円から1986年2月期の77.9億円へ伸びる。米国で見た価格に近づく道は、値札の書き換えではなく、倉庫と店の並べ方にあった。

似鳥家具店・似鳥家具卸センターの単体売上高 1969年2月期から1984年2月期(億円)

0.2 69年2月期 1.5 73年2月期 11 77年2月期 29.4 80年2月期 68.8 84年2月期
  • 単体。出所は近代中小企業 1977年11月号、家具産業会社年鑑 1981年版、会社総鑑 未上場会社版(1985年)。

1967年〜1985年の業績

決算期 区分 売上高 純利益 主な投資
億円 YoY 億円 利益率
1967年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1968年 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1969年02月期 単体 0 n/a n/a n/a n/a
1970年02月期 単体 0 +100.0% n/a n/a n/a
1971年02月期 単体 0 +25.0% n/a n/a n/a
1972年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1973年02月期 単体 1 n/a n/a n/a n/a
1974年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1975年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1976年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a
1977年02月期 単体 11 n/a n/a n/a n/a
1978年02月期 単体 14 +31.8% n/a n/a n/a
1979年02月期 単体 22 +54.5% n/a n/a n/a
1980年02月期 単体 29 +31.3% 0 2.0% n/a
1981年02月期 単体 34 +18.4% 0 0.9% n/a
1982年02月期 単体 43 +23.6% 0 1.2% n/a
1983年02月期 単体 54 +26.3% 1 2.2% n/a
1984年02月期 単体 68 +26.7% 1 1.9% n/a
1985年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a

出所:近代中小企業 12(13)、家具産業会社年鑑 1981年版、会社総艦未上場会社版

出典・参考

9件
出典・参考
  • ニトリ 有価証券報告書(株式会社ニトリホールディングス)【沿革】
  • 家具産業会社年鑑 1981年版
  • 会社年鑑
  • 近代中小企業 1977年11月号(中小企業経営研究会)
  • はこだて財界 1982年5月号「ニトリ家具出店本決まり」(函館財界問題研究所)
  • 日経ビジネス 1995年9月11日号(日経BP社)
  • 日経流通新聞(1994年6月14日)
  • はこだて財界 1982年「80億の函館市場に参入する札幌の大型家具専門店チェーン『ニトリ家具』その企業理念と函館店の店づくり」(函館財界問題研究所)
  • 会社総鑑 未上場会社版(1985年)

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