シーイーシー:コンピューターエンジニアーズの設立とシーイーシーへの改称
1968年〜三岩商事から分かれたコンピューターエンジニアーズと、富士通川崎工場のベーシックソフト
1968年2月、富士通の情報機器を扱う三岩商事から開発部門が分離し、株式会社コンピューターエンジニアーズが発足した。本店は東京都港区高輪、資本金は100万円。新会社の代表取締役社長は、1958年4月に富士通へ入社した経歴を持つ創業者の岩崎宏達氏である。岩崎宏達氏は1990年11月の講演で、富士通では技術部の経理部門に在籍し、そこで得た信用が創業期の事業を支えたと説明した。新会社は設立当初から富士通との取引が深く、大型の汎用機に載せるソフトウエアを主に扱った。販売ディーラーの付随業務にとどめず、開発を専業とする会社として切り出し、富士通から直接受注できる会社にしたとみられる。
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革
- [1]1968年2月、富士通の情報機器販売ディーラー三岩商事のソフトウエア開発事業部門が分離し、コンピューターエンジニアーズとして設立。社長の前職の関係で設立時より富士通との関係が深く、当初は富士通の大型汎用機向けソフトを扱った
- [5]1968年2月、富士通の情報機器販売ディーラー三岩商事のソフトウエア開発事業部門が分離し、コンピューターエンジニアーズとして設立。社長の前職の関係で設立時より富士通との関係が深く、当初は富士通の大型汎用機向けソフトを扱った
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】【役員の状況】
- [2]1968年2月、資本金100万円で東京都港区高輪に設立。岩崎宏達氏は1958年4月富士通入社、1968年2月に設立し代表取締役社長
- [3]1968年2月、資本金100万円で東京都港区高輪に設立。岩崎宏達氏は1958年4月富士通入社、1968年2月に設立し代表取締役社長
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年12月 岩崎宏逹 講演要旨
- [4]岩崎宏達氏はかつて富士通の技術部経理部門に属していたことによる信用が当社の成長に大きく寄与したと説明(1990年11月8日講演)
コンピューターエンジニアーズは発足当初から、富士通製コンピュータ向けのベーシックソフトウエアを開発して事業を育てた。創業当時、コンピュータメーカーはベーシックソフトウエアを最高機密として扱っていたが、新会社は富士通川崎工場の発注を受けた。基本ソフトはハードメーカーが自社や子会社で手がけるのが一般的で、外部の会社が富士通と並んで開発を担う取引は少数である。この受注の背景を、岩崎宏達氏は自身の富士通時代の信用に求めている。富士通との取引で高めた技術とノウハウは、他メーカーのソフトの開発へも転用された。1990年11月時点で、ベーシックソフトウエア部門には400人以上の技術者が在籍し、創業期の受注が技術者集団の土台となった。
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年12月 岩崎宏逹 講演要旨
- [6]創業当時ベーシックソフトはメーカーの最高機密事項だったが、富士通川崎工場から注文を受けた。富士通時代の信用が寄与。1990年時点でベーシックソフト部門に400人以上
- [7]創業当時ベーシックソフトはメーカーの最高機密事項だったが、富士通川崎工場から注文を受けた。富士通時代の信用が寄与。1990年時点でベーシックソフト部門に400人以上
- [9]創業当時ベーシックソフトはメーカーの最高機密事項だったが、富士通川崎工場から注文を受けた。富士通時代の信用が寄与。1990年時点でベーシックソフト部門に400人以上
- [11]創業当時ベーシックソフトはメーカーの最高機密事項だったが、富士通川崎工場から注文を受けた。富士通時代の信用が寄与。1990年時点でベーシックソフト部門に400人以上
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革・2.事業の内容
- [8]基本ソフトは通常ハードメーカーが自社・子会社で開発するが、同社は富士通と共に開発してきた。富士通との取引で技術力を向上させ、ノウハウを蓄積して他メーカーのソフトも扱い事業を拡大
- [10]基本ソフトは通常ハードメーカーが自社・子会社で開発するが、同社は富士通と共に開発してきた。富士通との取引で技術力を向上させ、ノウハウを蓄積して他メーカーのソフトも扱い事業を拡大
1969年3月、コンピューターエンジニアーズは本店を東京都渋谷区恵比寿へ移転。同年6月には、受託計算とデータエントリーを主とする情報処理サービスに着手し、事業を開発との2本立てにした。1991年1月の新規上場会社紹介は、この参入を後年のパッケージ販売と並ぶ事業多角化の一つに数えた。情報処理サービスはのちに官公庁を中心とする安定した顧客を得て、ソフトウエア開発に次ぐ収益源となった。1990年1月期の情報処理サービスの売上高は17億1,900万円で、全体の8.8%にあたる。設立から1年余りの時点で開発の請負に事業を限らず、蓄えた技術を計算の受託にも生かして収入の源を分散させたとみられる。
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】
- [12]1969年3月、本店を渋谷区恵比寿に移転。同年6月、情報処理サービス事業を開始
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革・2.事業の内容
- [13]1969年6月に受託計算・データエントリー中心の情報処理サービスを開始し、事業多角化の一環とされる。官公庁中心に安定顧客。1990年1月期の情報処理サービス売上17億1,900万円(構成比8.8%)
- [14]1969年6月に受託計算・データエントリー中心の情報処理サービスを開始し、事業多角化の一環とされる。官公庁中心に安定顧客。1990年1月期の情報処理サービス売上17億1,900万円(構成比8.8%)
- [15]1969年6月に受託計算・データエントリー中心の情報処理サービスを開始し、事業多角化の一環とされる。官公庁中心に安定顧客。1990年1月期の情報処理サービス売上17億1,900万円(構成比8.8%)
- [16]1969年6月に受託計算・データエントリー中心の情報処理サービスを開始し、事業多角化の一環とされる。官公庁中心に安定顧客。1990年1月期の情報処理サービス売上17億1,900万円(構成比8.8%)
参考文献[1]-[16]
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革
- [1]1968年2月、富士通の情報機器販売ディーラー三岩商事のソフトウエア開発事業部門が分離し、コンピューターエンジニアーズとして設立。社長の前職の関係で設立時より富士通との関係が深く、当初は富士通の大型汎用機向けソフトを扱った
- [5]1968年2月、富士通の情報機器販売ディーラー三岩商事のソフトウエア開発事業部門が分離し、コンピューターエンジニアーズとして設立。社長の前職の関係で設立時より富士通との関係が深く、当初は富士通の大型汎用機向けソフトを扱った
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】【役員の状況】
- [2]1968年2月、資本金100万円で東京都港区高輪に設立。岩崎宏達氏は1958年4月富士通入社、1968年2月に設立し代表取締役社長
- [3]1968年2月、資本金100万円で東京都港区高輪に設立。岩崎宏達氏は1958年4月富士通入社、1968年2月に設立し代表取締役社長
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年12月 岩崎宏逹 講演要旨
- [4]岩崎宏達氏はかつて富士通の技術部経理部門に属していたことによる信用が当社の成長に大きく寄与したと説明(1990年11月8日講演)
- [6]創業当時ベーシックソフトはメーカーの最高機密事項だったが、富士通川崎工場から注文を受けた。富士通時代の信用が寄与。1990年時点でベーシックソフト部門に400人以上
- [7]創業当時ベーシックソフトはメーカーの最高機密事項だったが、富士通川崎工場から注文を受けた。富士通時代の信用が寄与。1990年時点でベーシックソフト部門に400人以上
- [9]創業当時ベーシックソフトはメーカーの最高機密事項だったが、富士通川崎工場から注文を受けた。富士通時代の信用が寄与。1990年時点でベーシックソフト部門に400人以上
- [11]創業当時ベーシックソフトはメーカーの最高機密事項だったが、富士通川崎工場から注文を受けた。富士通時代の信用が寄与。1990年時点でベーシックソフト部門に400人以上
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革・2.事業の内容
- [8]基本ソフトは通常ハードメーカーが自社・子会社で開発するが、同社は富士通と共に開発してきた。富士通との取引で技術力を向上させ、ノウハウを蓄積して他メーカーのソフトも扱い事業を拡大
- [10]基本ソフトは通常ハードメーカーが自社・子会社で開発するが、同社は富士通と共に開発してきた。富士通との取引で技術力を向上させ、ノウハウを蓄積して他メーカーのソフトも扱い事業を拡大
- [13]1969年6月に受託計算・データエントリー中心の情報処理サービスを開始し、事業多角化の一環とされる。官公庁中心に安定顧客。1990年1月期の情報処理サービス売上17億1,900万円(構成比8.8%)
- [14]1969年6月に受託計算・データエントリー中心の情報処理サービスを開始し、事業多角化の一環とされる。官公庁中心に安定顧客。1990年1月期の情報処理サービス売上17億1,900万円(構成比8.8%)
- [15]1969年6月に受託計算・データエントリー中心の情報処理サービスを開始し、事業多角化の一環とされる。官公庁中心に安定顧客。1990年1月期の情報処理サービス売上17億1,900万円(構成比8.8%)
- [16]1969年6月に受託計算・データエントリー中心の情報処理サービスを開始し、事業多角化の一環とされる。官公庁中心に安定顧客。1990年1月期の情報処理サービス売上17億1,900万円(構成比8.8%)
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】
- [12]1969年3月、本店を渋谷区恵比寿に移転。同年6月、情報処理サービス事業を開始
1971年〜名古屋・大阪・福岡の3事業所と、SyncSortの販売権を得たシーイーシー
コンピューターエンジニアーズは1971年10月に名古屋営業所を開設し、1972年1月には大阪営業所を開設した。名古屋の開設時期について、1991年1月の新規上場会社紹介は1971年6月の名古屋支社と記し、有価証券報告書の記載とは月が食い違う。1980年8月には九州支店も開設。九州支店の所在地は福岡で、関東の外の営業拠点は名古屋・大阪・福岡の3地域に広がった。新規上場会社紹介の説明では、関東中心だった拠点を相次いで設けた目的は販売面の強化である。アプリケーションソフトでは資本面で独立系の立場を生かし、IBMユーザーをはじめ富士通以外の顧客も開拓した。名古屋の拠点は1997年時点で中部地区の開発を担い、トヨタ向けのCAD/CAMやNC制御関連のソフトを手がけた。
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】
- [17]1971年10月名古屋営業所(現名古屋支社)、1972年1月大阪営業所(現大阪支社)、1980年8月九州支店(現九州支社)を開設
- [19]1971年10月名古屋営業所(現名古屋支社)、1972年1月大阪営業所(現大阪支社)、1980年8月九州支店(現九州支社)を開設
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革・2.事業の内容
- [18]事業所は当初関東中心、46年(1971年)6月の名古屋支社を始め、47年大阪、55年福岡と営業拠点を設置し販売面を強化(名古屋の月は有報の1971年10月と食い違う)。資本的に独立系のためIBMユーザーなど富士通以外も手がける
- [20]事業所は当初関東中心、46年(1971年)6月の名古屋支社を始め、47年大阪、55年福岡と営業拠点を設置し販売面を強化(名古屋の月は有報の1971年10月と食い違う)。資本的に独立系のためIBMユーザーなど富士通以外も手がける
- [21]事業所は当初関東中心、46年(1971年)6月の名古屋支社を始め、47年大阪、55年福岡と営業拠点を設置し販売面を強化(名古屋の月は有報の1971年10月と食い違う)。資本的に独立系のためIBMユーザーなど富士通以外も手がける
- [22]事業所は当初関東中心、46年(1971年)6月の名古屋支社を始め、47年大阪、55年福岡と営業拠点を設置し販売面を強化(名古屋の月は有報の1971年10月と食い違う)。資本的に独立系のためIBMユーザーなど富士通以外も手がける
- 証券アナリストジャーナル 35(11) 1997年11月 森本洋一 講演要旨
- [23]1997年時点で名古屋支社は中部地区のソフトウエア開発(トヨタ向けCAD/CAM、NC制御関連)を担当
1978年2月、コンピューターエンジニアーズは商号を株式会社シーイーシーへ改めた。岩崎宏達氏は1990年11月の講演で、設立から10年後のこの改称を、ソフトウエアエンジニアリングの草分けとしての歩みの節目に挙げた。社長の森本洋一氏は1998年の会社説明会で、『社名の「シーイーシー」は、Computer Engineering & Consultingの頭文字に由来している』と紹介した。新しい社名は、旧社名の技術を表すエンジニアリングに、顧客の相談に応じるコンサルティングの語を加えたものである。改称の時点で事業は、基本ソフトの開発、名古屋と大阪の営業所を通じた開発の受注、情報処理サービスの3本で構成された。開発を請け負うだけでなく、顧客のシステムの組み立てから相談に応じる会社へ広がる意図を、社名に込めたとみられる。
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】
- [24]1978年2月、株式会社シーイーシーに社名変更。それ以前に1969年6月情報処理サービス開始、1971年10月名古屋・1972年1月大阪の営業所開設
- [28]1978年2月、株式会社シーイーシーに社名変更。それ以前に1969年6月情報処理サービス開始、1971年10月名古屋・1972年1月大阪の営業所開設
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年12月 岩崎宏逹 講演要旨
- [25]1968年2月にコンピューターエンジニアーズとして設立し、ソフトウエアエンジニアリングのパイオニアとして歩み、1978年2月にシーイーシーへ社名変更したと講演で説明
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年10月 森本洋一 講演要旨
- [26]社名「シーイーシー」はComputer Engineering & Consultingの頭文字に由来(社長 森本洋一氏、1998年の講演)
- [27]社名「シーイーシー」はComputer Engineering & Consultingの頭文字に由来(社長 森本洋一氏、1998年の講演)
1978年10月、シーイーシーは米国シンクソート社から「SyncSort」の販売権を得て、パッケージソフトの販売に参入した。岩崎宏達氏によれば、当時の米国ではソフトウエアのコスト高から既製品を使う風潮が広がり、パッケージの流通が盛んになっていた。岩崎宏達氏はこの動きを見て、日本でも同じ変化が必ず起きると予測した。米国の製品はIBM機が前提で国産機には改造が要り、シーイーシーは基本ソフトの技術力を使ってソースプログラムを顧客の機種に合わせた。扱う商品は米国で販売実績のあるものに絞り、販売上のリスクを抑えている。パッケージ販売の売上高は1990年1月期に12億8,400万円となり、全体の6.6%を占めた。
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革・2.事業の内容
- [29]1978年10月、米国シンクソート社製パッケージ「SyncSort」の販売権を獲得しパッケージソフト販売へ。米国で販売実績のある製品を扱いリスクを回避。1990年1月期パッケージソフト販売12億8,400万円(構成比6.6%)
- [33]1978年10月、米国シンクソート社製パッケージ「SyncSort」の販売権を獲得しパッケージソフト販売へ。米国で販売実績のある製品を扱いリスクを回避。1990年1月期パッケージソフト販売12億8,400万円(構成比6.6%)
- [34]1978年10月、米国シンクソート社製パッケージ「SyncSort」の販売権を獲得しパッケージソフト販売へ。米国で販売実績のある製品を扱いリスクを回避。1990年1月期パッケージソフト販売12億8,400万円(構成比6.6%)
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年12月 岩崎宏逹 講演要旨
- [30]12年ほど前から米国でソフトのコスト高により既成品パッケージが流通し、日本でも必ずそうなると予測。IBM向けパッケージは国産機に組み込めず、ベーシックソフトの技術でソースを改造
- [31]12年ほど前から米国でソフトのコスト高により既成品パッケージが流通し、日本でも必ずそうなると予測。IBM向けパッケージは国産機に組み込めず、ベーシックソフトの技術でソースを改造
- [32]12年ほど前から米国でソフトのコスト高により既成品パッケージが流通し、日本でも必ずそうなると予測。IBM向けパッケージは国産機に組み込めず、ベーシックソフトの技術でソースを改造
参考文献[17]-[34]
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】
- [17]1971年10月名古屋営業所(現名古屋支社)、1972年1月大阪営業所(現大阪支社)、1980年8月九州支店(現九州支社)を開設
- [19]1971年10月名古屋営業所(現名古屋支社)、1972年1月大阪営業所(現大阪支社)、1980年8月九州支店(現九州支社)を開設
- [24]1978年2月、株式会社シーイーシーに社名変更。それ以前に1969年6月情報処理サービス開始、1971年10月名古屋・1972年1月大阪の営業所開設
- [28]1978年2月、株式会社シーイーシーに社名変更。それ以前に1969年6月情報処理サービス開始、1971年10月名古屋・1972年1月大阪の営業所開設
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革・2.事業の内容
- [18]事業所は当初関東中心、46年(1971年)6月の名古屋支社を始め、47年大阪、55年福岡と営業拠点を設置し販売面を強化(名古屋の月は有報の1971年10月と食い違う)。資本的に独立系のためIBMユーザーなど富士通以外も手がける
- [20]事業所は当初関東中心、46年(1971年)6月の名古屋支社を始め、47年大阪、55年福岡と営業拠点を設置し販売面を強化(名古屋の月は有報の1971年10月と食い違う)。資本的に独立系のためIBMユーザーなど富士通以外も手がける
- [21]事業所は当初関東中心、46年(1971年)6月の名古屋支社を始め、47年大阪、55年福岡と営業拠点を設置し販売面を強化(名古屋の月は有報の1971年10月と食い違う)。資本的に独立系のためIBMユーザーなど富士通以外も手がける
- [22]事業所は当初関東中心、46年(1971年)6月の名古屋支社を始め、47年大阪、55年福岡と営業拠点を設置し販売面を強化(名古屋の月は有報の1971年10月と食い違う)。資本的に独立系のためIBMユーザーなど富士通以外も手がける
- [29]1978年10月、米国シンクソート社製パッケージ「SyncSort」の販売権を獲得しパッケージソフト販売へ。米国で販売実績のある製品を扱いリスクを回避。1990年1月期パッケージソフト販売12億8,400万円(構成比6.6%)
- [33]1978年10月、米国シンクソート社製パッケージ「SyncSort」の販売権を獲得しパッケージソフト販売へ。米国で販売実績のある製品を扱いリスクを回避。1990年1月期パッケージソフト販売12億8,400万円(構成比6.6%)
- [34]1978年10月、米国シンクソート社製パッケージ「SyncSort」の販売権を獲得しパッケージソフト販売へ。米国で販売実績のある製品を扱いリスクを回避。1990年1月期パッケージソフト販売12億8,400万円(構成比6.6%)
- 証券アナリストジャーナル 35(11) 1997年11月 森本洋一 講演要旨
- [23]1997年時点で名古屋支社は中部地区のソフトウエア開発(トヨタ向けCAD/CAM、NC制御関連)を担当
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年12月 岩崎宏逹 講演要旨
- [25]1968年2月にコンピューターエンジニアーズとして設立し、ソフトウエアエンジニアリングのパイオニアとして歩み、1978年2月にシーイーシーへ社名変更したと講演で説明
- [30]12年ほど前から米国でソフトのコスト高により既成品パッケージが流通し、日本でも必ずそうなると予測。IBM向けパッケージは国産機に組み込めず、ベーシックソフトの技術でソースを改造
- [31]12年ほど前から米国でソフトのコスト高により既成品パッケージが流通し、日本でも必ずそうなると予測。IBM向けパッケージは国産機に組み込めず、ベーシックソフトの技術でソースを改造
- [32]12年ほど前から米国でソフトのコスト高により既成品パッケージが流通し、日本でも必ずそうなると予測。IBM向けパッケージは国産機に組み込めず、ベーシックソフトの技術でソースを改造
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年10月 森本洋一 講演要旨
- [26]社名「シーイーシー」はComputer Engineering & Consultingの頭文字に由来(社長 森本洋一氏、1998年の講演)
- [27]社名「シーイーシー」はComputer Engineering & Consultingの頭文字に由来(社長 森本洋一氏、1998年の講演)
出典・参考
7件
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】【役員の状況】
- シーイーシー 有価証券報告書(第34期・2002年4月提出)【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 28(12) 1990年12月 岩崎宏逹 講演要旨
- 証券アナリストジャーナル 35(11) 1997年11月 森本洋一 講演要旨
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年10月 森本洋一 講演要旨
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革
- 証券 43(1)(502) 1991年1月 1.沿革・2.事業の内容