中国電力:中国配電・日本発送電の合併による発足と火力発電の拡大
1951年〜日本発送電と中国配電を継いだ資本金5億4,000万円の発足と、広域運営への参加
1951年5月1日、中国配電と日本発送電の中国地方の資産が統合され、資本金5億4,000万円の中国電力が発足した。日本発送電は1939年4月に発足し、全国の主要な発送変電設備を国家管理のもとで一元的に運営してきた。配電でも1942年4月の配電統制令に基づき、山陽配電・広島電気・出雲電気と山口県の電気事業を統合した中国配電が設立。新会社は発送配電を一貫して担い、中国5県と香川・愛媛両県の一部を供給区域とした。社長には中国配電の社長だった島田兵蔵氏が就任し、発電から配電までを一社で経営する体制が整った。設備投資と需給の判断を、国家管理から地域の会社の自主責任へ移す再編だったとみられる。
- 会社銀行八十年史 1955「中国電力」
- [1]1951年5月1日、電気事業再編成で中国配電と日本発送電(中国地区)が統合し資本金5億4,000万円で設立。日本発送電は1939年4月発足で全国の主要発送変電設備を国家管理下で一元運営
- [2]1951年5月1日、電気事業再編成で中国配電と日本発送電(中国地区)が統合し資本金5億4,000万円で設立。日本発送電は1939年4月発足で全国の主要発送変電設備を国家管理下で一元運営
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- [3]1942年4月配電統制令で山陽配電・広島電気・山口県・出雲電気の4者が解散し中国配電設立。中国電力は発送配電一貫で中国5県と香川・愛媛の一部を供給区域とした
- [4]1942年4月配電統制令で山陽配電・広島電気・山口県・出雲電気の4者が解散し中国配電設立。中国電力は発送配電一貫で中国5県と香川・愛媛の一部を供給区域とした
- 日本企業要覧 1960年版「中国電力」
- [5]島田兵蔵氏は中国配電取締役社長を経て1951年中国電力取締役社長に就任
発足当初は設備の荒廃と資材不足に異常渇水が重なり、供給力の回復が遅れて配電制限が繰り返された。中国電力は電源拡充5カ年計画を立て、1954年までの4年間に水力と火力で計20万4,000KWの設備を完成させた。設立期の貸借対照表では長期借入金2,892,832千円と社債770,231千円が、資本金540,000千円を大きく上回った。外部資本への依存を和らげるため、1952年11月から増資を重ね、資本金は1955年2月に54億6,750万円となった。株式は東京・大阪・広島の3取引所に上場され、1959年12月時点の株主43,427名のうち36,309名が中国地方の株主だった。借入金に偏った資本構成を改めるには、地元を中心に株主の裾野を広げる必要があったのだろう。
- 会社銀行八十年史 1955「中国電力」
- [6]発足当初は設備荒廃・資材不足・異常渇水で配電制限。4年間で水力・火力計20万4,000KWを完成。1952年11月の16億2,000万円への増資以降、1955年2月に資本金54億6,750万円
- [7]発足当初は設備荒廃・資材不足・異常渇水で配電制限。4年間で水力・火力計20万4,000KWを完成。1952年11月の16億2,000万円への増資以降、1955年2月に資本金54億6,750万円
- [9]発足当初は設備荒廃・資材不足・異常渇水で配電制限。4年間で水力・火力計20万4,000KWを完成。1952年11月の16億2,000万円への増資以降、1955年2月に資本金54億6,750万円
- 株式会社年鑑 1952年版「中國電力」
- [8]設立期貸借対照表で資本金540,000千円、社債770,231千円、長期借入金2,892,832千円
- 日本企業要覧 1960年版「中国電力」
- [10]上場市場は東京・大阪・広島。1959年12月の株主43,427名のうち中国地方36,309名
1957年7月の東北電力と北陸電力の値上げを機に、自民党の特別委員会は電源開発が進むほど原価と料金の地域差が膨らむ点を問題視した。対策として最も注目されたのは、9電力会社の経営を残したまま地域ブロックごとに需給と電源開発を調整する広域運営方式。中国電力は九州電力・四国電力と同じブロックに属し、地域協議会を通じて電力融通と開発計画をすり合わせることになった。中国電力も1951年8月の料金改定の後に2度の値上げを実施した。認可料金は申請額を大きく下回り、減価償却費や支払利息の増加を賄いきれなかった。単独で開発を続けて料金を上げるより、隣の2社と開発を調整して原価の上昇を抑える方を選んだと推察される。
- 経済情報 9(6) 1958「躍進つづく中国電力」
- [11]1957年7月の東北・北陸の料金引上げを契機に自民党特別委員会が電源開発に伴うコスト高と料金の地域差を指摘し、9電力の私企業形態のまま中国-九州-四国などのブロックで需給・電源開発を調整する広域運営方式が注目された
- [12]1957年7月の東北・北陸の料金引上げを契機に自民党特別委員会が電源開発に伴うコスト高と料金の地域差を指摘し、9電力の私企業形態のまま中国-九州-四国などのブロックで需給・電源開発を調整する広域運営方式が注目された
- [13]1957年7月の東北・北陸の料金引上げを契機に自民党特別委員会が電源開発に伴うコスト高と料金の地域差を指摘し、9電力の私企業形態のまま中国-九州-四国などのブロックで需給・電源開発を調整する広域運営方式が注目された
- 会社銀行八十年史 1955「中国電力」
- [14]1951年8月の料金改訂後2回の値上げは申請料金より低く、減価償却や支払利息など資本費の増大をカバーできなかった
- [15]1951年8月の料金改訂後2回の値上げは申請料金より低く、減価償却や支払利息など資本費の増大をカバーできなかった
参考文献[1]-[15]
- 会社銀行八十年史 1955「中国電力」
- [1]1951年5月1日、電気事業再編成で中国配電と日本発送電(中国地区)が統合し資本金5億4,000万円で設立。日本発送電は1939年4月発足で全国の主要発送変電設備を国家管理下で一元運営
- [2]1951年5月1日、電気事業再編成で中国配電と日本発送電(中国地区)が統合し資本金5億4,000万円で設立。日本発送電は1939年4月発足で全国の主要発送変電設備を国家管理下で一元運営
- [6]発足当初は設備荒廃・資材不足・異常渇水で配電制限。4年間で水力・火力計20万4,000KWを完成。1952年11月の16億2,000万円への増資以降、1955年2月に資本金54億6,750万円
- [7]発足当初は設備荒廃・資材不足・異常渇水で配電制限。4年間で水力・火力計20万4,000KWを完成。1952年11月の16億2,000万円への増資以降、1955年2月に資本金54億6,750万円
- [9]発足当初は設備荒廃・資材不足・異常渇水で配電制限。4年間で水力・火力計20万4,000KWを完成。1952年11月の16億2,000万円への増資以降、1955年2月に資本金54億6,750万円
- [14]1951年8月の料金改訂後2回の値上げは申請料金より低く、減価償却や支払利息など資本費の増大をカバーできなかった
- [15]1951年8月の料金改訂後2回の値上げは申請料金より低く、減価償却や支払利息など資本費の増大をカバーできなかった
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- [3]1942年4月配電統制令で山陽配電・広島電気・山口県・出雲電気の4者が解散し中国配電設立。中国電力は発送配電一貫で中国5県と香川・愛媛の一部を供給区域とした
- [4]1942年4月配電統制令で山陽配電・広島電気・山口県・出雲電気の4者が解散し中国配電設立。中国電力は発送配電一貫で中国5県と香川・愛媛の一部を供給区域とした
- 日本企業要覧 1960年版「中国電力」
- [5]島田兵蔵氏は中国配電取締役社長を経て1951年中国電力取締役社長に就任
- [10]上場市場は東京・大阪・広島。1959年12月の株主43,427名のうち中国地方36,309名
- 株式会社年鑑 1952年版「中國電力」
- [8]設立期貸借対照表で資本金540,000千円、社債770,231千円、長期借入金2,892,832千円
- 経済情報 9(6) 1958「躍進つづく中国電力」
- [11]1957年7月の東北・北陸の料金引上げを契機に自民党特別委員会が電源開発に伴うコスト高と料金の地域差を指摘し、9電力の私企業形態のまま中国-九州-四国などのブロックで需給・電源開発を調整する広域運営方式が注目された
- [12]1957年7月の東北・北陸の料金引上げを契機に自民党特別委員会が電源開発に伴うコスト高と料金の地域差を指摘し、9電力の私企業形態のまま中国-九州-四国などのブロックで需給・電源開発を調整する広域運営方式が注目された
- [13]1957年7月の東北・北陸の料金引上げを契機に自民党特別委員会が電源開発に伴うコスト高と料金の地域差を指摘し、9電力の私企業形態のまま中国-九州-四国などのブロックで需給・電源開発を調整する広域運営方式が注目された
1959年〜水力を上回った火力の発電設備と、平均3.91%の料金値下げ
1959年12月末の中国電力の発電設備は火力644,565KW、水力593,152KWとなり、火力が水力を上回った。発足からの新設分も水力18カ所274,900KWに対し火力11カ所382,385KWで、増設の主力は火力だった。水力は主要河川の開発が進むほど上流に水源を求めざるをえず、建設費と発電原価が割高になった。1958年の改訂5カ年計画も火力40万7,000KWと水力20万1,800KWを盛り込み、火力の比重を高めた。新宇部火力の第1期は1958年8月に完成し、1960年からは設備と発電電力量の両面で火主水従へ転換。渇水に左右されにくい火力の厚みが、異常渇水の年にも供給を保つ備えになったと考えられる。
- 日本企業要覧 1960年版「中国電力」
- [16]1959年12月末の総発電力は水力593,152KW、火力約644,565KW、計1,237,717KW。設立以来の新規完成は水力18カ所274,900KW、火力11カ所382,385KW
- [17]1959年12月末の総発電力は水力593,152KW、火力約644,565KW、計1,237,717KW。設立以来の新規完成は水力18カ所274,900KW、火力11カ所382,385KW
- 経済情報 9(6) 1958「躍進つづく中国電力」
- [18]水力は上流の水源を求めるため建設費と発電コストが割高。新五カ年計画は水力20万1,800KW・火力40万7,000KWで新宇部・坂・岡山の火力を計画
- [19]水力は上流の水源を求めるため建設費と発電コストが割高。新五カ年計画は水力20万1,800KW・火力40万7,000KWで新宇部・坂・岡山の火力を計画
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- [20]1958年8月新宇部(1期)建設を画期に新鋭火力を建設し、1960年から設備と発電電力量で水主火従から火主水従へ転換
1965年10月、中国電力は物価の値上がりが続くなかで、全国で初めて産業用電力を中心に平均3.91%の料金引き下げを実施した。中国電力は1954年の料金改定で高い料金水準を認められ、その後の合理化で資産内容を固めた。1958年時点でも中国電力の料金は他社より高く、需要の伸びを妨げるおそれが指摘された。瀬戸内臨海工業地帯の需要急増に対しては設備の増強を先行させ、需給の均衡が保たれた。値下げが通期で効いた決算期も、総販売電力量は51億909万キロワット時と前年同期を18.3%上回った。販売量の伸びで値下げ後も増収を確保できる見通しが、引き下げに踏み切った理由と思われる。
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- [21]1965年10月、全国初の産業用電力主体の平均3.91%の料金引き下げ。経営方針は電力需給の均衡と電気料金の長期安定
- 日本企業要覧 1966年版「中国電力」
- [22]1954年の料金改訂で高料金を獲得し、その後の合理化で優れた内容を築いた
- 経済情報 9(6) 1958「躍進つづく中国電力」
- [23]中国電力は電気料金が他社に比べて高く、需要に響くおそれがあると指摘
- 日本企業要覧 1967年版「中国電力」
- [24]いちはやく設備を増やし需給バランスは円滑。値下げが通期に効いた期の総販売電力量は51億909万kWhで前年同期比18.3%増、電灯料11%・電力料13%増収
- [25]いちはやく設備を増やし需給バランスは円滑。値下げが通期に効いた期の総販売電力量は51億909万kWhで前年同期比18.3%増、電灯料11%・電力料13%増収
参考文献[16]-[25]
- 日本企業要覧 1960年版「中国電力」
- [16]1959年12月末の総発電力は水力593,152KW、火力約644,565KW、計1,237,717KW。設立以来の新規完成は水力18カ所274,900KW、火力11カ所382,385KW
- [17]1959年12月末の総発電力は水力593,152KW、火力約644,565KW、計1,237,717KW。設立以来の新規完成は水力18カ所274,900KW、火力11カ所382,385KW
- 経済情報 9(6) 1958「躍進つづく中国電力」
- [18]水力は上流の水源を求めるため建設費と発電コストが割高。新五カ年計画は水力20万1,800KW・火力40万7,000KWで新宇部・坂・岡山の火力を計画
- [19]水力は上流の水源を求めるため建設費と発電コストが割高。新五カ年計画は水力20万1,800KW・火力40万7,000KWで新宇部・坂・岡山の火力を計画
- [23]中国電力は電気料金が他社に比べて高く、需要に響くおそれがあると指摘
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- [20]1958年8月新宇部(1期)建設を画期に新鋭火力を建設し、1960年から設備と発電電力量で水主火従から火主水従へ転換
- [21]1965年10月、全国初の産業用電力主体の平均3.91%の料金引き下げ。経営方針は電力需給の均衡と電気料金の長期安定
- 日本企業要覧 1966年版「中国電力」
- [22]1954年の料金改訂で高料金を獲得し、その後の合理化で優れた内容を築いた
- 日本企業要覧 1967年版「中国電力」
- [24]いちはやく設備を増やし需給バランスは円滑。値下げが通期に効いた期の総販売電力量は51億909万kWhで前年同期比18.3%増、電灯料11%・電力料13%増収
- [25]いちはやく設備を増やし需給バランスは円滑。値下げが通期に効いた期の総販売電力量は51億909万kWhで前年同期比18.3%増、電灯料11%・電力料13%増収
1966年〜島根原子力発電所の建設決定と、揚水式の新成羽川30万3,000キロワット
中国電力は島根県鹿島町を予定地に46万KWの原子力発電所の建設を決め、1974年10月の運転開始を目標に据えた。原子力に託した目標は『豊富で安い電力の開発』であり、料金を引き下げた後の次の電源と位置づけた。中国地方は大きな河川にも石炭産地にも恵まれず、電源の確保に構造的な制約を抱えた。1968年3月末の発電設備は水力64万2,000KWと火力154万8,000KWの計219万KWで、設立時の約3.5倍となった。中国地方の電力需要は重化学工業と鉄鋼を中心に全国最高の伸び率を示した。伸び続ける需要に安い電源を長く確保する手段として、原子力が選ばれたとうかがえる。
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- [26]原子力発電所(46万KW)の建設を決め島根県鹿島町を予定地に1974年10月運転開始を目標。1968年3月末の設備は水力64万2,000KW・火力154万8,000KW計219万KWで設立時の約3.5倍。需要の伸び率は全国最高
- [29]原子力発電所(46万KW)の建設を決め島根県鹿島町を予定地に1974年10月運転開始を目標。1968年3月末の設備は水力64万2,000KW・火力154万8,000KW計219万KWで設立時の約3.5倍。需要の伸び率は全国最高
- [30]原子力発電所(46万KW)の建設を決め島根県鹿島町を予定地に1974年10月運転開始を目標。1968年3月末の設備は水力64万2,000KW・火力154万8,000KW計219万KWで設立時の約3.5倍。需要の伸び率は全国最高
- 日本企業要覧 1967年版「中国電力」
- [27]大きい河川や石炭産地に恵まれない。原子力発電の建設を決定し「豊富で安い電力の開発」を目ざす
- [28]大きい河川や石炭産地に恵まれない。原子力発電の建設を決定し「豊富で安い電力の開発」を目ざす
中国電力は1966年度に、揚水式の新成羽川発電所(303,000kW)の着工を計画した。1968年時点では新成羽川のほか、田原など3つの水力発電所が建設中だった。揚水式は深夜や豊水期の余った電力で上部の貯水池へ水を汲み上げ、必要なときに落として発電する方式である。1966年時点で中国電力の電源は火力の比重が高く、下関火力156,000kWの建設も続いた。1970年版の企業要覧の時点で設備は火力1,568,575kWに対し水力978,791kWとなり、火力の比重はさらに上がった。出力を一定に保ちたい火力や原子力が増えるほど、昼夜の需要差を埋める揚水式の役割は大きくなったのではないか。
- 日本企業要覧 1966年版「中国電力」
- [31]1966年度に揚水式の新成羽川(303,000kW)などの着工を計画。火力は下関(156,000kW)を継続建設し、火力の比重が高い
- [34]1966年度に揚水式の新成羽川(303,000kW)などの着工を計画。火力は下関(156,000kW)を継続建設し、火力の比重が高い
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- [32]1968年時点で揚水式の新成羽川(30万3,000KW)、田原・黒鳥・新椋梨川の各水力発電所が建設中
- 経済情報 9(6) 1958「躍進つづく中国電力」
- [33]揚水発電は深夜や豊水期の余裕電力で上部貯水池に揚水し、必要時にその水で発電する方式(四国電力大森川の例)
- 日本企業要覧 1970年版「中国電力」
- [35]水力発電所99カ所978,791kW、火力発電所12カ所1,568,575kW
1970年時点で中国電力は、玉島火力1・2号(各35万kW)と岩国火力2号(35万kW)、島根原子力(46万kW)の建設を並行して進めた。同年度の新規着工として水島火力3号(35万kW)と下松火力2号(37.5万kW)を計画し、設備工事資金に448億円を見込んだ。1969年度の電力需要は153億2,886万kWhで前年度比116.7%となり、全国一の伸び率を記録した。1972年10月から1973年3月までの半期の売上高は723億4,300万円と前年同期比14.1%増え、利益も31億7,200万円と31.0%増えた。同期の損益計算書には原子力発電工事償却準備金984,167千円と公害防止準備金130,364千円の引当が計上された。大型火力と原子力の建設が並ぶなか、公害対策と原子力の費用が決算に表れ始めた時期といえよう。
- 日本企業要覧 1970年版「中国電力」
- [36]工事中は玉島火力1・2号(各35万kW)、岩国火力2号(35万kW)、島根原子力(46万kW)。新規着工に水島火力3号(35万kW)・下松火力2号(37.5万kW)を計画し45年度工事資金448億円。44年度需要153億2,886万kWhで前年比116.7%、全国一の伸び率
- [37]工事中は玉島火力1・2号(各35万kW)、岩国火力2号(35万kW)、島根原子力(46万kW)。新規着工に水島火力3号(35万kW)・下松火力2号(37.5万kW)を計画し45年度工事資金448億円。44年度需要153億2,886万kWhで前年比116.7%、全国一の伸び率
- [38]工事中は玉島火力1・2号(各35万kW)、岩国火力2号(35万kW)、島根原子力(46万kW)。新規着工に水島火力3号(35万kW)・下松火力2号(37.5万kW)を計画し45年度工事資金448億円。44年度需要153億2,886万kWhで前年比116.7%、全国一の伸び率
- 日本企業要覧 1973年版「中国電力」
- [39]1972年10月から1973年3月までの半期の営業収入723億4,300万円(前年同期比14.1%増)、利益31億7,200万円(同31.0%増)。原子力発電工事償却準備金引当984,167千円、公害防止準備金引当130,364千円
- [40]1972年10月から1973年3月までの半期の営業収入723億4,300万円(前年同期比14.1%増)、利益31億7,200万円(同31.0%増)。原子力発電工事償却準備金引当984,167千円、公害防止準備金引当130,364千円
参考文献[26]-[40]
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- [26]原子力発電所(46万KW)の建設を決め島根県鹿島町を予定地に1974年10月運転開始を目標。1968年3月末の設備は水力64万2,000KW・火力154万8,000KW計219万KWで設立時の約3.5倍。需要の伸び率は全国最高
- [29]原子力発電所(46万KW)の建設を決め島根県鹿島町を予定地に1974年10月運転開始を目標。1968年3月末の設備は水力64万2,000KW・火力154万8,000KW計219万KWで設立時の約3.5倍。需要の伸び率は全国最高
- [30]原子力発電所(46万KW)の建設を決め島根県鹿島町を予定地に1974年10月運転開始を目標。1968年3月末の設備は水力64万2,000KW・火力154万8,000KW計219万KWで設立時の約3.5倍。需要の伸び率は全国最高
- [32]1968年時点で揚水式の新成羽川(30万3,000KW)、田原・黒鳥・新椋梨川の各水力発電所が建設中
- 日本企業要覧 1967年版「中国電力」
- [27]大きい河川や石炭産地に恵まれない。原子力発電の建設を決定し「豊富で安い電力の開発」を目ざす
- [28]大きい河川や石炭産地に恵まれない。原子力発電の建設を決定し「豊富で安い電力の開発」を目ざす
- 日本企業要覧 1966年版「中国電力」
- [31]1966年度に揚水式の新成羽川(303,000kW)などの着工を計画。火力は下関(156,000kW)を継続建設し、火力の比重が高い
- [34]1966年度に揚水式の新成羽川(303,000kW)などの着工を計画。火力は下関(156,000kW)を継続建設し、火力の比重が高い
- 経済情報 9(6) 1958「躍進つづく中国電力」
- [33]揚水発電は深夜や豊水期の余裕電力で上部貯水池に揚水し、必要時にその水で発電する方式(四国電力大森川の例)
- 日本企業要覧 1970年版「中国電力」
- [35]水力発電所99カ所978,791kW、火力発電所12カ所1,568,575kW
- [36]工事中は玉島火力1・2号(各35万kW)、岩国火力2号(35万kW)、島根原子力(46万kW)。新規着工に水島火力3号(35万kW)・下松火力2号(37.5万kW)を計画し45年度工事資金448億円。44年度需要153億2,886万kWhで前年比116.7%、全国一の伸び率
- [37]工事中は玉島火力1・2号(各35万kW)、岩国火力2号(35万kW)、島根原子力(46万kW)。新規着工に水島火力3号(35万kW)・下松火力2号(37.5万kW)を計画し45年度工事資金448億円。44年度需要153億2,886万kWhで前年比116.7%、全国一の伸び率
- [38]工事中は玉島火力1・2号(各35万kW)、岩国火力2号(35万kW)、島根原子力(46万kW)。新規着工に水島火力3号(35万kW)・下松火力2号(37.5万kW)を計画し45年度工事資金448億円。44年度需要153億2,886万kWhで前年比116.7%、全国一の伸び率
- 日本企業要覧 1973年版「中国電力」
- [39]1972年10月から1973年3月までの半期の営業収入723億4,300万円(前年同期比14.1%増)、利益31億7,200万円(同31.0%増)。原子力発電工事償却準備金引当984,167千円、公害防止準備金引当130,364千円
- [40]1972年10月から1973年3月までの半期の営業収入723億4,300万円(前年同期比14.1%増)、利益31億7,200万円(同31.0%増)。原子力発電工事償却準備金引当984,167千円、公害防止準備金引当130,364千円
1951年〜1973年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1951年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | 152 | n/a | 10 | n/a | 3 | 2.0% | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | 169 | +11.2% | 13 | n/a | 4 | 2.4% | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | 167 | ▲1.2% | 25 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | 194 | +16.2% | 32 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | 214 | +10.3% | 32 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | 243 | +13.6% | 42 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | 248 | +2.1% | n/a | n/a | 14 | 5.6% | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | 283 | +14.1% | n/a | n/a | 12 | 4.2% | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | 341 | +20.5% | n/a | n/a | 18 | 5.3% | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | 392 | +15.0% | n/a | n/a | 18 | 4.6% | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | 636 | n/a | n/a | n/a | 37 | 5.8% | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | 754 | +18.6% | n/a | n/a | 39 | 5.2% | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | 854 | +13.3% | n/a | n/a | 43 | 5.0% | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | 990 | +15.9% | n/a | n/a | 60 | 6.1% | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 1,104 | +11.5% | n/a | 119 | 50 | 4.5% | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 1,240 | +12.3% | n/a | 119 | 54 | 4.4% | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 1,402 | +13.1% | n/a | 141 | 61 | 4.4% | n/a |
出所:上場会社総覧 昭和31年版 半期合算、上場会社総覧 昭和31年版、昭和34年版 半期合算、上場会社総覧 昭和34年版 半期合算、会社年鑑(1963年版)半期合算、会社年鑑(1971年版)半期合算、会社年鑑(1976年版)半期合算
出典・参考
9件
- 株式会社年鑑 1952年版「中國電力」
- 会社銀行八十年史 1955「中国電力」
- 企業の歴史 明治百年 1968「中国電力」
- 経済情報 9(6) 1958「躍進つづく中国電力」
- 日本企業要覧 1960年版「中国電力」
- 日本企業要覧 1966年版「中国電力」
- 日本企業要覧 1967年版「中国電力」
- 日本企業要覧 1970年版「中国電力」
- 日本企業要覧 1973年版「中国電力」