足立護

川崎汽船・元代表取締役社長

Adachi Mamoru(敬称略)

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社長就任 1969年
生年月日 —
学歴 東京帝国大学
出自 —
社長就任までの出自
出自

1912年に兵庫で生まれ、1937年3月に東京帝国大学を出て同年4月に川崎汽船へ入社している。1958年5月に取締役、1961年5月に常務取締役へ進んだ。1964年2月には常務取締役を辞して飯野海運の取締役社長へ移り、同年11月から川崎汽船の監査役、1966年11月には取締役を兼ねる。1968年5月に飯野海運の社長を退任して川崎汽船の専務取締役へ戻り、1969年11月に取締役副社長となった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1970年5月、服部元三氏の後任として社長へ就任した。服部氏は同月に取締役会長へ移っている。就任の直前は1968年10月の初のフルコンテナ船、同年11月の自動車ばら積み兼用船と専用船の投資が続いた時期にあたる。川崎汽船が飯野汽船を吸収合併した1964年に、足立氏は飯野海運の社長へ出ていた。海運集約で結ばれた相手先を任され、戻って副社長・社長へ進んだ経路だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

就任の2か月後、1970年7月に日本で初めての自動車専用船が竣工する。1972年6月にはロングビーチ港へ初の海外自営コンテナターミナルを構え、1974年9月にLPG船さんりばーを就航させて船種を広げた。売上高は1971年3月期の1,177億円から1975年3月期の2,343億円へ倍増している。ただし石油危機後の海運不況で、退任直前の1976年3月期は経常損失89億円を計上した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1969〜1975年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

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