決断
統合の波に呑まれても、自前の車両と営業所を持ち続けて長距離路線へ広げてきた会社である。1941年3月に同業の大垣トラック合同を買収し、2社で37台を抱えて翌年の戦時統合に臨んだ。戦後は運輸省と同業者の反対を押し切り、1946年11月に統合会社から分かれて水都産業を発足させている。1948年11月に大垣―名古屋58キロの路線免許を得ると、出先の配送を手数料2割程度の水屋に委ねず、直営の営業所を置く方針を採った。1954年9月には東京―大阪を22時間で結ぶ弾丸便を走らせ、足かけ3日が普通だった区間の所要時間で同業路線との差を示した。