第1章 年〜年

平和不動産:証券市場建物の現物出資による設立と各地証券取引所への上場

1947年〜日本証券取引所の解散で引き継いだ取引所建物と、3万6,147名の株主

1947年4月16日、戦時統制に協力した国策会社の日本証券取引所(日証)は解散し、清算に入った。清算は債務を整理したうえで残る財産を換金し、出資者へ分配して終える手続きだった。各地の旧取引所の土地と建物まで売却すれば、再開を控えた新しい証券取引所は立会の場所を失う。戦後の混乱期に用地を新たに確保し、取引所の施設を建てることは事実上できなかった。そこで日証は旧取引所の施設を引き取って新取引所へ貸す不動産会社を、清算とは別に設けることにした。日証は1943年5月に東京・大阪など11の株式取引所が合体した組織で、その建物は明治以来の取引所から受け継いだ財産である。

  • 平和不動産四十年史(1990)1章 占領下の会社設立
    • [1]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [2]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [3]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [4]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [5]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
  • 会社銀行八十年史(1955)平和不動産
    • [6]日証は1943年5月、東京・大阪など11株式取引所が合体して創立された国策会社

GHQは新会社に施設を各取引所へ貸すよう求め、取引所にも借りることを義務づけた。日証解散法は、出資者の過半数の同意を条件に、日証が保有財産の一部を元手に不動産賃貸会社を設けることを認めていた。設立の期限は解散から3か月以内とされ、日証は1947年5月6日から出資者へ同意を求める文書を送った。6月9日時点の同意は3万9,246名中2万1,756名、口数で68%となり、設立の条件が整った。日証は土地・建物・什器を現物出資し、その帳簿価格6,700万円を資本金として、1947年7月に平和不動産を発起設立した。原始定款は、証券取引所と証券業者などへの不動産賃貸を目的の第一に掲げた。日証1社が発起人・引受人・出資者を兼ねる手続きは、短い期限に合わせた仮の発足だったとみられる。

  • 平和不動産四十年史(1990)1章 占領下の会社設立
    • [7]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [8]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [9]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [10]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [11]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [12]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
  • 株式会社年鑑 1950年版 平和不動產
    • [13]創立 昭和22年7月15日、資本金6,700万円で創立。営業目的の1は証券取引所並びに証券業者等に対する不動産の賃貸

日証の清算分配として、1947年11月1日現在の出資者に出資証券1口あたり0.335株の平和不動産株が割り当てられた。名義書換を終えた12月26日から3万6,147名の株主へ株券が送られ、定款が1人1%超の保有を禁じたため筆頭の山崎証券でも保有比率は0.99%にとどまった。これに先立つ12月15日、日本工業倶楽部での臨時株主総会が取締役7名と監査役2名を選任。取締役会の互選で藍澤彌八氏が社長、村山一馬氏が常務に就任した。証券界の長老のうち徳田昂平氏が証券取引委員会の委員長に転じたため、業界首脳の協議で藍澤彌八氏が推された経緯がある。所有建物約2万3,000坪の4割強にあたる1万坪を占領軍が接収し、証券業者などへの賃貸は3,300坪にすぎず、社長の藍澤彌八氏は総会で『地道に考えまして,消極的な経営をしていく以外に方法はないのではないかと思うのであります』と経費を抑える方針を示した。

  • 平和不動産四十年史(1990)1章 占領下の会社設立
    • [14]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
    • [15]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
    • [16]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
    • [18]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
    • [19]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
  • 株式会社年鑑 1950年版 平和不動產
    • [17]1950年版の役員欄に社長 藍澤彌八、常務 村山一馬
参考文献[1]-[19]
  • 平和不動産四十年史(1990)1章 占領下の会社設立
    • [1]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [2]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [3]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [4]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [5]日証は1947年4月16日に解散・清算入り。取引所施設まで処分すれば新取引所設立に支障、戦後に用地を得て建設するのは不可能で、施設を引き取り賃貸する不動産会社の設立が必要とされた
    • [7]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [8]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [9]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [10]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [11]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [12]GHQは施設の取引所への賃貸を指示。日証解散法10条で出資者過半数の同意を条件に設立可。3か月以内の内命。5月6日から同意要請、6月9日現在3万9,246名中2万1,756名・口数68%が同意。現物出資の帳簿価格6,700万円を資本金に発起設立、7月1日創立。原始定款の目的は取引所と関係業者への不動産賃貸
    • [14]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
    • [15]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
    • [16]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
    • [18]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
    • [19]1947年11月1日現在の日証出資者に1口あたり0.335株を割当。12月26日から3万6,147名に株券送付。定款で1%超保有禁止、筆頭山崎証券0.99%。12月15日日本工業倶楽部で臨時株主総会、取締役7名・監査役2名選任。徳田昂平が証取委委員長となり藍澤彌八を社長に推した。建物約2万3,000坪のうち1万坪接収、一般賃貸3,300坪
  • 会社銀行八十年史(1955)平和不動産
    • [6]日証は1943年5月、東京・大阪など11株式取引所が合体して創立された国策会社
  • 株式会社年鑑 1950年版 平和不動產
    • [13]創立 昭和22年7月15日、資本金6,700万円で創立。営業目的の1は証券取引所並びに証券業者等に対する不動産の賃貸
    • [17]1950年版の役員欄に社長 藍澤彌八、常務 村山一馬

1949年〜東京・大阪・名古屋の取引所再開で始めたスライド賃貸料と、「世直し増資」の人気株

東京・大阪・名古屋の証券取引所は1949年5月16日に売買立会を始め、平和不動産は前日の15日から3取引所への建物の賃貸を始めた。賃料の決め方は、社長の藍澤彌八氏が1948年6月の取締役会で、取引所と一体の経営を前提にスライド制の検討を提起していた。接収と未利用の建物を抱えて経営が苦しく、改修費も重く、再開後の取引所の運営も読めなかったので、賃料に弾力性を持たせる必要があった。東京では事務室を月額40万8,156円の固定とし、立会場は月間1日平均売買高80万株までを78万6,000円とする段階制にした。立会場の特殊な設備を平和不動産が負担した分、投下資本に見合う賃料を市場の繁閑に応じて受け取る仕組みである。市況に連動する賃料は、平和不動産株を戦前の取引所株のような人気株に育てる狙いも担った。

  • 平和不動産四十年史(1990)1章 占領下の会社設立
    • [20]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
    • [21]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
    • [22]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
    • [23]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
    • [25]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
  • 会社銀行八十年史(1955)平和不動産
    • [24]各取引所の立会場は同社が多額の市場特殊施設費を負担したため、投下資本相応の賃料を市場の繁閑に応じて徴収するスライド制

平和不動産株は1950年までに東京・大阪・名古屋・京都・神戸・広島・福岡の7取引所に上場していた。資本金は1948年に1億円、1950年5月に2億1,000万円へ増えた。1951年10月には資産再評価の差額を資本に組み入れて旧株1株に0.5株の新株を無償交付し、1955年7月には有償・無償各0.5株の倍額増資を実施。資本金は1956年11月に13億2,300万円となった。東京市場の売買高は1951年の209万株から1953年に9,600万株へ増え、大阪では1950年から1958年まで9年続けて売買高1位を占めた。1956年6月、社長の藍澤彌八氏は『当社のすべての利益は株主と証券業者に還元すべきものだと堅く信じているからである』として、配当より増資で株主に報い、スライド料金の是正で証券業者の負担を軽くする方針を示した。「世直し増資」と呼ばれた増資の連続は、家主の利益を株主と証券界へ戻す経営だったといえる。

  • 株式会社年鑑 1950年版 平和不動產
    • [26]上場市場 東京・大阪・名古屋・京都・神戸・福岡・広島(1950年版)
  • 株式会社年鑑 1959年版 平和不動産
    • [27]沿革:1948年資本金1億円、1950年5月2億1,000万円、1956年11月13億2,300万円(無償1対0.05)
    • [29]沿革:1948年資本金1億円、1950年5月2億1,000万円、1956年11月13億2,300万円(無償1対0.05)
  • 平和不動産四十年史(1990)2章 経営基盤の整備(3章 昭33〜48 を含む)
    • [28]1951年10月再評価積立金組入れで1対0.5無償交付、1955年7月有償・無償各0.5の倍額増資。東京市場売買高1951年209万株→1953年9,600万株、大阪で1950-58年の9年間売買高1位。1956年6月藍澤社長が利益は株主と証券業者に還元、配当より増資、スライド料金是正の方針。世直し増資と呼ばれた
    • [30]1951年10月再評価積立金組入れで1対0.5無償交付、1955年7月有償・無償各0.5の倍額増資。東京市場売買高1951年209万株→1953年9,600万株、大阪で1950-58年の9年間売買高1位。1956年6月藍澤社長が利益は株主と証券業者に還元、配当より増資、スライド料金是正の方針。世直し増資と呼ばれた
    • [31]1951年10月再評価積立金組入れで1対0.5無償交付、1955年7月有償・無償各0.5の倍額増資。東京市場売買高1951年209万株→1953年9,600万株、大阪で1950-58年の9年間売買高1位。1956年6月藍澤社長が利益は株主と証券業者に還元、配当より増資、スライド料金是正の方針。世直し増資と呼ばれた

神戸では旧取引所建物がGHQに接収されたまま1949年の再開を迎え、神戸証券取引所はほかのビルを借りて立会を始めた。新しい取引所ビルを早く建ててほしいという地元の要望は強かった。平和不動産は1949年9月、神戸証券取引所理事長の藤井忠兵衛氏らの所有地1,015㎡を610万円で取得し、1950年8月21日に竹中工務店の設計・施工で着工した。朝鮮戦争で鋼材が高騰するなか、地上7階・地下1階のビルは1952年1月12日に完成し、総工事費は1億1,666万円だった。立会場は6階に証券と生糸、3階にゴムの各取引所が置かれ、3つの取引所が同居した。増資で調達した資金は、この新築のほか東京・名古屋・大阪の取引所建物の復旧と改修に充当された。新築第1号の経験が、のちの賃貸ビル建設の下地になったと推察される。

  • 平和不動産四十年史(1990)2章 経営基盤の整備(3章 昭33〜48 を含む)
    • [32]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
    • [33]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
    • [34]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
    • [35]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
    • [36]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
  • 会社銀行八十年史(1955)平和不動産
    • [37]増資資金は市場建物・諸設備の復旧改修新設に充当、神戸取引所ビル新設、東京本館・名古屋市場・大阪事務所の改修が目立つ
参考文献[20]-[37]
  • 平和不動産四十年史(1990)1章 占領下の会社設立
    • [20]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
    • [21]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
    • [22]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
    • [23]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
    • [25]3取引所は1949年4月1日設立登記、5月16日売買立会開始。賃貸開始は東京・大阪・名古屋5月15日、新潟・京都・広島・福岡7月2日。1948年6月25日取締役会で藍澤社長がスライド制を提起。経営難・改修費・取引所運営の懸念から賃料に弾力性。東証は事務室固定40万8,156円、立会場は1日平均80万株まで78万6,000円。人気株化の企図
  • 会社銀行八十年史(1955)平和不動産
    • [24]各取引所の立会場は同社が多額の市場特殊施設費を負担したため、投下資本相応の賃料を市場の繁閑に応じて徴収するスライド制
    • [37]増資資金は市場建物・諸設備の復旧改修新設に充当、神戸取引所ビル新設、東京本館・名古屋市場・大阪事務所の改修が目立つ
  • 株式会社年鑑 1950年版 平和不動產
    • [26]上場市場 東京・大阪・名古屋・京都・神戸・福岡・広島(1950年版)
  • 株式会社年鑑 1959年版 平和不動産
    • [27]沿革:1948年資本金1億円、1950年5月2億1,000万円、1956年11月13億2,300万円(無償1対0.05)
    • [29]沿革:1948年資本金1億円、1950年5月2億1,000万円、1956年11月13億2,300万円(無償1対0.05)
  • 平和不動産四十年史(1990)2章 経営基盤の整備(3章 昭33〜48 を含む)
    • [28]1951年10月再評価積立金組入れで1対0.5無償交付、1955年7月有償・無償各0.5の倍額増資。東京市場売買高1951年209万株→1953年9,600万株、大阪で1950-58年の9年間売買高1位。1956年6月藍澤社長が利益は株主と証券業者に還元、配当より増資、スライド料金是正の方針。世直し増資と呼ばれた
    • [30]1951年10月再評価積立金組入れで1対0.5無償交付、1955年7月有償・無償各0.5の倍額増資。東京市場売買高1951年209万株→1953年9,600万株、大阪で1950-58年の9年間売買高1位。1956年6月藍澤社長が利益は株主と証券業者に還元、配当より増資、スライド料金是正の方針。世直し増資と呼ばれた
    • [31]1951年10月再評価積立金組入れで1対0.5無償交付、1955年7月有償・無償各0.5の倍額増資。東京市場売買高1951年209万株→1953年9,600万株、大阪で1950-58年の9年間売買高1位。1956年6月藍澤社長が利益は株主と証券業者に還元、配当より増資、スライド料金是正の方針。世直し増資と呼ばれた
    • [32]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
    • [33]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
    • [34]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
    • [35]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所
    • [36]神戸は旧取引所建物が接収のまま1949年再開、取引所は他ビルを借用、地元が新ビルを強く要望。1949年9月藤井忠兵衛理事長らの土地1,015㎡を610万円で購入、1950年8月21日竹中工務店で着工、1952年1月12日完成。地上7階地下1階、総工事費1億1,666万円、証券・生糸・ゴムの3取引所

1958年〜福岡証券ビル・京都証券ビルの新築と、流山平和台で踏み出した宅地開発

高度成長に伴う株式市場の拡大で、証券業者と一般企業のオフィス需要が増えた。平和不動産はこの需要に応じ、既存建物の改修に加えて賃貸ビルを新築して事業化する段階へ進んだ。福岡では旧福岡証券ビルの床が足りなくなり、取引所と地元証券業者の床を確保するよう地元関係者が求めた。平和不動産は1954年6月に2,500万円で取得した旧ビルの西隣の土地に、1957年6月1日から竹中工務店の設計・施工で新ビルを建てた。1958年7月31日に完成したビルは地上8階・地下1階・延床面積1万56㎡、総工事費4億5,755万円で、3階に取引所が入った。1950年代末には、株式の上場先も新潟・札幌を加えた9つの証券取引所に広がった。取引所の家主から一般のテナントも迎える貸ビル業への移行が、福岡で始まったと思われる。

  • 平和不動産四十年史(1990)2章 経営基盤の整備(3章 昭33〜48 を含む)
    • [38]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [39]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [40]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [41]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [42]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
  • 株式会社年鑑 1959年版 平和不動産
    • [43]上場市場 東京・大阪・名古屋・京都・神戸・広島・福岡・新潟・札幌(1959年版)

1960年7月、平和不動産は業界が長く求めていた京都証券ビルの建設に着手した。1951年に買い増した西側の土地に加え、旧立会場の敷地の一部を大丸に貸す見返りに東側の250㎡を借り、1,312㎡の敷地をまとめた。京都市内には本格的なテナントビルがなく採算への不安も大きかったが、京都証券取引所理事長の奥主一郎氏の協力を得て着工に至った。1962年3月5日、四条通に面する地上8階・地下2階・延床面積1万294㎡のビルが竣工。総工事費は6億1,174万円で、7・8階に京都証券取引所、1・2階に三井信託銀行、3〜6階に大阪証券金融などが入居した。1962年3月末の借入金は長期・短期とも0で、資本金は同月の無償増資で24億円になった。2棟の新築は借入金に依存せず、増資と自己資金で賄われたのだろう。

  • 平和不動産四十年史(1990)2章 経営基盤の整備(3章 昭33〜48 を含む)
    • [44]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [45]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [46]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [47]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [48]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
  • 株式会社年鑑 1963年版 平和不動産
    • [49]1962年3月31日現在の借入金は長期・短期とも0。1962年3月に無償1対0.2で資本金24億円

高度成長のもとで住宅不足が深刻になり、政府と民間の不動産各社が宅地造成と住宅建設を進めていた。平和不動産もこの社会的要請に応じて開発事業への参入を決め、1962年4月に千葉県東葛飾郡流山町で土地の買収を始めた。流山町は駅裏の山林と田畑に駅前広場を持つ市街地を造って住民を呼び込む意向で、開発への全面的な協力を約束していた。流山電鉄は1時間に1本の運行だったが、平和不動産は地域の将来性を見込み、1963年初めまでに第一工区の11.5ヘクタールを取得した。1963年11月に流山町平和土地区画整理組合の設立が認可され、組合による造成工事を大成建設が始めた。創立以来続いた無借金経営は、1962年3月末に借入金0だった状態から、開発資金を要する1965年3月期に初の借入金計上へ転じた。

  • 平和不動産四十年史(1990)2章 経営基盤の整備(3章 昭33〜48 を含む)
    • [50]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [51]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [52]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [53]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [54]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [55]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
  • 株式会社年鑑 1963年版 平和不動産
    • [56]1962年3月31日現在の借入金は長期・短期とも0
参考文献[38]-[56]
  • 平和不動産四十年史(1990)2章 経営基盤の整備(3章 昭33〜48 を含む)
    • [38]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [39]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [40]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [41]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [42]高度成長と株式市場拡大でオフィス需要増、福岡証券ビルを皮切りに賃貸ビルを建設し事業化。旧ビル手狭・地元要請で1954年6月総額2,500万円で取得した西隣の土地に1957年6月1日着工、1958年7月31日完成。地上8階地下1階、延床1万56㎡、総工事費4億5,755万円、3階に取引所
    • [44]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [45]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [46]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [47]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [48]1960年7月京都証券ビル着工。1951年買増しの西側地、大丸への賃貸と交換に東側250㎡を賃借し1,312㎡確保。テナントビルがなく不安、奥主一郎理事長の協力で建築を決断。1962年3月5日竣工、地上8階地下2階、延床1万294㎡、総工事費6億1,174万円。7・8階取引所、1・2階三井信託銀行、3-6階大阪証券金融等
    • [50]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [51]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [52]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [53]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [54]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
    • [55]住宅不足解消の社会的要請に応じ、1962年4月から流山平和台の土地買収開始。流山町は新市街地造成の意向で全面協力。流山電鉄は1時間1本。1962年4月-1963年初めに第一工区11.5ha買収。1963年11月区画整理組合認可、大成建設施工。無借金経営から初の借入金計上は1965年3月期
  • 株式会社年鑑 1959年版 平和不動産
    • [43]上場市場 東京・大阪・名古屋・京都・神戸・広島・福岡・新潟・札幌(1959年版)
  • 株式会社年鑑 1963年版 平和不動産
    • [49]1962年3月31日現在の借入金は長期・短期とも0。1962年3月に無償1対0.2で資本金24億円
    • [56]1962年3月31日現在の借入金は長期・短期とも0

出典・参考

6件
出典・参考
  • 平和不動産四十年史(1990)1章 占領下の会社設立
  • 平和不動産四十年史(1990)2章 経営基盤の整備(3章 昭33〜48 を含む)
  • 株式会社年鑑 1950年版 平和不動產
  • 会社銀行八十年史(1955)平和不動産
  • 株式会社年鑑 1959年版 平和不動産
  • 株式会社年鑑 1963年版 平和不動産

免責事項およびポリシー