千葉銀行:千葉第九十八国立銀行の設立と県内74行の乱立
1878年〜千葉町に開いた第九十八国立銀行と、県内74行にふくらんだ小銀行
千葉銀行の系譜で最も古い流れは、1878年11月に千葉町で設立された千葉第九十八国立銀行。1876年8月の国立銀行条例改正は正貨兌換の条項を廃し、資本金の8割を金禄公債で納めれば同額の紙幣を下付する方式に改めた。家禄の代わりに公債を受け取った華士族にとって銀行の出資は有利な運用先となり、全国から設立の願書が大蔵省へ相次いだ。千葉では近藤勘助氏ら5人が発起人となり、鶴舞・八幡・横渚の士族数百名と千葉町の有力者を株主として公債を出資させた。当初の計画は資本金9万8,000円だったものの加入の申し込みが続いたため、1878年6月4日に資本金12万円で出願し直した。3行合併で千葉銀行を構成した前身行のうち、1878年まで遡るのはこの行だけである。
- 日本会社史総覧 1995年「千葉銀行」
- [1]1878年(明治11年)11月、千葉第九十八国立銀行が設立された(千葉銀行の歴史の起点)
- 第九十八銀行六十五年誌(第九十八銀行, 1943年)
- [2]1876年8月の国立銀行条例改正で正貨兌換の条項を削除し、資本金の8割を金禄公債で大蔵省に預け同額の銀行紙幣を下付する方式とした。華士族の発起による設立願が各地から大蔵省へ殺到した
- [3]1876年8月の国立銀行条例改正で正貨兌換の条項を削除し、資本金の8割を金禄公債で大蔵省に預け同額の銀行紙幣を下付する方式とした。華士族の発起による設立願が各地から大蔵省へ殺到した
- [4]発起人は近藤勘助ら5名。鶴舞・八幡・横渚の各藩士族数百名と千葉町の有力者が結合し金禄公債を出資金とした。当初資本金9万8千円で1878年4月に出願、加入者続出で6月4日に取り下げ資本金12万円で再出願。1878年11月16日に第九十八国立銀行として創立
- [5]発起人は近藤勘助ら5名。鶴舞・八幡・横渚の各藩士族数百名と千葉町の有力者が結合し金禄公債を出資金とした。当初資本金9万8千円で1878年4月に出願、加入者続出で6月4日に取り下げ資本金12万円で再出願。1878年11月16日に第九十八国立銀行として創立
- ちばぎん50年のあゆみ(千葉銀行, 1994年)前身行の記述
- [6]千葉銀行は1943年3月31日に千葉合同・小見川農商・第九十八の3行合併で誕生し、母体3行のうち最も古いのが1878年11月設立の第九十八銀行
千葉県内の銀行は1901年のピーク時に74行に達し、その多くがのちの千葉銀行の前身銀行となった。1893年7月の銀行条例の施行で私立銀行の組織が一定の型にそろい、政府の監督下で預金者の信用も増した。日清戦争後には銀行の設立熱が高まり、県内では1896年だけで成田銀行・安房銀行ほか9行が設立された。成田銀行は1896年2月20日、下埴生郡成田町で開業した。設立を計画したのは成田山新勝寺の貫主三池照鳳氏で、地元の商人や東京の信徒と諮ったうえでの、鉄道敷設と並ぶ町の振興策。相談役には渋沢栄一氏と大倉喜八郎氏が名を連ね、資本金20万円で発足して1897年5月に50万円へ増資した。成田銀行は門前町の振興という地元の目的を背負って出発したと推察される。
- 日本会社史総覧 1995年「千葉銀行」
- [7]明治時代、千葉県内には1901年(明治34年)のピーク時で74行の銀行が存在し、その多くが千葉銀行の前身銀行
- 千葉銀行史(千葉銀行, 1975年)
- [8]1893年(明治26年)7月に銀行条例が施行され、銀行の組織が一定し政府の監督下で信用が加わった。日清戦争後の銀行熱のなか、県内では1896年(明治29年)に成田銀行・安房銀行など9行が設立された
- [9]1893年(明治26年)7月に銀行条例が施行され、銀行の組織が一定し政府の監督下で信用が加わった。日清戦争後の銀行熱のなか、県内では1896年(明治29年)に成田銀行・安房銀行など9行が設立された
- [10]成田銀行は1896年2月20日に下埴生郡成田町で開業。新勝寺貫主三池照鳳が有力商人・東京の有志信徒と諮り、下総鉄道の敷設と並び殖産興業の金融の便を図って設立を計画。相談役に渋沢栄一・大倉喜八郎。資本金20万円で発足し1897年5月に50万円
- [11]成田銀行は1896年2月20日に下埴生郡成田町で開業。新勝寺貫主三池照鳳が有力商人・東京の有志信徒と諮り、下総鉄道の敷設と並び殖産興業の金融の便を図って設立を計画。相談役に渋沢栄一・大倉喜八郎。資本金20万円で発足し1897年5月に50万円
- [12]成田銀行は1896年2月20日に下埴生郡成田町で開業。新勝寺貫主三池照鳳が有力商人・東京の有志信徒と諮り、下総鉄道の敷設と並び殖産興業の金融の便を図って設立を計画。相談役に渋沢栄一・大倉喜八郎。資本金20万円で発足し1897年5月に50万円
第九十八国立銀行は1897年9月1日に株式会社第九十八銀行へ改組し、資本金を倍の24万円とした。改組は、1883年5月の国立銀行条例改正が国立銀行に開業免許から満20年以内の私立銀行への転換を義務づけたことによる。1900年から1901年の金融恐慌の余波で経営が破綻の危機に陥ると、奥山三郎氏の斡旋で大株主の安田善次郎氏が救援に入り、相談役に就任した。安田銀行から林耕作氏が頭取に、天野吉辰氏が取締役兼支配人に派遣され、第九十八銀行は安田関係銀行となった。一方の成田銀行は周辺の群小銀行の併合を重ね、1918年6月に総武銀行へ改称した。安田家の後ろ盾を得た国立銀行の流れと地場の小銀行を併せ続けた成田銀行の流れは、この時期にすでに異なる性格を帯びていたとみられる。
- 第九十八銀行六十五年誌(第九十八銀行, 1943年)
- [13]1897年(明治30年)9月1日、国立銀行を株式会社第九十八銀行に改組し、資本金を倍増して24万円とした
- [15]明治33・34年の全国的金融恐慌の余波で破綻の危機に直面し、奥山三郎の斡旋で安田善次郎の救援を得た。安田は奥山とともに相談役となり、安田銀行の林耕作を頭取に、天野吉辰を取締役兼支配人として派遣し、安田関係銀行となった
- [16]明治33・34年の全国的金融恐慌の余波で破綻の危機に直面し、奥山三郎の斡旋で安田善次郎の救援を得た。安田は奥山とともに相談役となり、安田銀行の林耕作を頭取に、天野吉辰を取締役兼支配人として派遣し、安田関係銀行となった
- 千葉銀行史(千葉銀行, 1975年)
- [14]1883年(明治16年)5月の国立銀行条例改正で、国立銀行は開業免許の日から満20年以内に私立銀行へ転換することとされた
- 会社銀行八十年史 1955年「千葉銀行」【創業】
- [17]成田銀行は群小銀行を併合しつつ1918年(大正7年)6月に総武銀行と改称
参考文献[1]-[17]
- 日本会社史総覧 1995年「千葉銀行」
- [1]1878年(明治11年)11月、千葉第九十八国立銀行が設立された(千葉銀行の歴史の起点)
- [7]明治時代、千葉県内には1901年(明治34年)のピーク時で74行の銀行が存在し、その多くが千葉銀行の前身銀行
- 第九十八銀行六十五年誌(第九十八銀行, 1943年)
- [2]1876年8月の国立銀行条例改正で正貨兌換の条項を削除し、資本金の8割を金禄公債で大蔵省に預け同額の銀行紙幣を下付する方式とした。華士族の発起による設立願が各地から大蔵省へ殺到した
- [3]1876年8月の国立銀行条例改正で正貨兌換の条項を削除し、資本金の8割を金禄公債で大蔵省に預け同額の銀行紙幣を下付する方式とした。華士族の発起による設立願が各地から大蔵省へ殺到した
- [4]発起人は近藤勘助ら5名。鶴舞・八幡・横渚の各藩士族数百名と千葉町の有力者が結合し金禄公債を出資金とした。当初資本金9万8千円で1878年4月に出願、加入者続出で6月4日に取り下げ資本金12万円で再出願。1878年11月16日に第九十八国立銀行として創立
- [5]発起人は近藤勘助ら5名。鶴舞・八幡・横渚の各藩士族数百名と千葉町の有力者が結合し金禄公債を出資金とした。当初資本金9万8千円で1878年4月に出願、加入者続出で6月4日に取り下げ資本金12万円で再出願。1878年11月16日に第九十八国立銀行として創立
- [13]1897年(明治30年)9月1日、国立銀行を株式会社第九十八銀行に改組し、資本金を倍増して24万円とした
- [15]明治33・34年の全国的金融恐慌の余波で破綻の危機に直面し、奥山三郎の斡旋で安田善次郎の救援を得た。安田は奥山とともに相談役となり、安田銀行の林耕作を頭取に、天野吉辰を取締役兼支配人として派遣し、安田関係銀行となった
- [16]明治33・34年の全国的金融恐慌の余波で破綻の危機に直面し、奥山三郎の斡旋で安田善次郎の救援を得た。安田は奥山とともに相談役となり、安田銀行の林耕作を頭取に、天野吉辰を取締役兼支配人として派遣し、安田関係銀行となった
- ちばぎん50年のあゆみ(千葉銀行, 1994年)前身行の記述
- [6]千葉銀行は1943年3月31日に千葉合同・小見川農商・第九十八の3行合併で誕生し、母体3行のうち最も古いのが1878年11月設立の第九十八銀行
- 千葉銀行史(千葉銀行, 1975年)
- [8]1893年(明治26年)7月に銀行条例が施行され、銀行の組織が一定し政府の監督下で信用が加わった。日清戦争後の銀行熱のなか、県内では1896年(明治29年)に成田銀行・安房銀行など9行が設立された
- [9]1893年(明治26年)7月に銀行条例が施行され、銀行の組織が一定し政府の監督下で信用が加わった。日清戦争後の銀行熱のなか、県内では1896年(明治29年)に成田銀行・安房銀行など9行が設立された
- [10]成田銀行は1896年2月20日に下埴生郡成田町で開業。新勝寺貫主三池照鳳が有力商人・東京の有志信徒と諮り、下総鉄道の敷設と並び殖産興業の金融の便を図って設立を計画。相談役に渋沢栄一・大倉喜八郎。資本金20万円で発足し1897年5月に50万円
- [11]成田銀行は1896年2月20日に下埴生郡成田町で開業。新勝寺貫主三池照鳳が有力商人・東京の有志信徒と諮り、下総鉄道の敷設と並び殖産興業の金融の便を図って設立を計画。相談役に渋沢栄一・大倉喜八郎。資本金20万円で発足し1897年5月に50万円
- [12]成田銀行は1896年2月20日に下埴生郡成田町で開業。新勝寺貫主三池照鳳が有力商人・東京の有志信徒と諮り、下総鉄道の敷設と並び殖産興業の金融の便を図って設立を計画。相談役に渋沢栄一・大倉喜八郎。資本金20万円で発足し1897年5月に50万円
- [14]1883年(明治16年)5月の国立銀行条例改正で、国立銀行は開業免許の日から満20年以内に私立銀行へ転換することとされた
- 会社銀行八十年史 1955年「千葉銀行」【創業】
- [17]成田銀行は群小銀行を併合しつつ1918年(大正7年)6月に総武銀行と改称
出典・参考
5件
- ちばぎん50年のあゆみ(千葉銀行, 1994年)前身行の記述
- 会社銀行八十年史 1955年「千葉銀行」【創業】
- 日本会社史総覧 1995年「千葉銀行」
- 第九十八銀行六十五年誌(第九十八銀行, 1943年)
- 千葉銀行史(千葉銀行, 1975年)