第3章 年〜年

三越:銀座・新宿・池袋への出店と小売業首位の陥落

1924年〜商号変更と、六年で六店を開設した支店網

震災の翌年にあたる大正13年10月、三越は資本金を1,500万円へ増やした。資本金は震災直後に700万円まで減っており、増資はその2倍を超える水準にあたる。あわせて東京市内の各マーケットを分店とし、のちの新宿店と銀座店の開設につなげている。復旧の過程で開いた仮設の売場が、そのまま常設の分店へ変わった。昭和2年4月には本店全館の修築が完成し、三越ホールが開場した。同じ年の7月には、食品の製造卸売を手がける二幸商会を設けている。大正12年9月に本店を失ってから、修築の完成までに3年7か月を要している。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「三越」
    • [1]大正13年10月 資本金1,500万円へ増資
    • [3]東京市内の各マーケットを分店とし、新宿支店・銀座支店の開設につながった
    • [4]震災の応急マーケットが常設の分店に転じた
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」
    • [2]震災の損害補填で資本金を700万円へ減額していた
  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
    • [5]昭和2年4月 本店修築完成、三越ホール開場
    • [6]昭和2年7月 食品製造卸売の株式会社二幸商会を設立
    • [7]大正12年9月の本店全焼から昭和2年4月の本店修築完成まで3年7か月

昭和3年6月、三越は商号を株式会社三越へ変更し、同じ月に神戸店を出店した。呉服店の名を外したのは、デパートメントストア宣言から24年後にあたる。昭和5年4月に銀座店、同年10月に新宿店を出店し、6年3月に高松店、7年5月に札幌店、8年4月に仙台店と続けている。昭和3年から8年にかけての6年間で、三越は6つの支店を開設し、信用を全国へ広げた。銀座店と新宿店については、震災の応急マーケットが開設の機縁になっている。昭和6年4月には資本金を3,000万円へ増やし、株式を東株の長期清算市場へ上場した。昭和7年には地下鉄の三越前駅が開設されて地下売場と直結し、昭和10年10月に本店の大増築改修工事が完成している。

  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
    • [8]昭和3年6月 商号を株式会社三越へ変更、神戸店開店
    • [9]明治37年12月のデパートメントストア宣言から昭和3年6月の商号変更まで24年
    • [10]昭和5年4月銀座店・5年10月新宿店・6年3月高松店・7年5月札幌店・8年4月仙台店を開設
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」
    • [11]昭和3年から8年にかけて新宿・銀座・神戸・高松・仙台・札幌に支店を開設し、支店網の確立により信用を全国に広めた
    • [12]震災の応急マーケットが新宿・銀座両支店開設の機縁
    • [15]昭和10年10月 本店の大増築改修工事が完成
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「三越」
    • [13]昭和6年4月 資本金3,000万円へ増資し東株の長期清算市場へ上場
    • [14]昭和7年 地下鉄「三越前駅」開設で地下売場と直結
参考文献[1]-[15]
    • [1]大正13年10月 資本金1,500万円へ増資
    • [3]東京市内の各マーケットを分店とし、新宿支店・銀座支店の開設につながった
    • [4]震災の応急マーケットが常設の分店に転じた
    • [13]昭和6年4月 資本金3,000万円へ増資し東株の長期清算市場へ上場
    • [14]昭和7年 地下鉄「三越前駅」開設で地下売場と直結
    • [2]震災の損害補填で資本金を700万円へ減額していた
    • [11]昭和3年から8年にかけて新宿・銀座・神戸・高松・仙台・札幌に支店を開設し、支店網の確立により信用を全国に広めた
    • [12]震災の応急マーケットが新宿・銀座両支店開設の機縁
    • [15]昭和10年10月 本店の大増築改修工事が完成
  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
    • [5]昭和2年4月 本店修築完成、三越ホール開場
    • [6]昭和2年7月 食品製造卸売の株式会社二幸商会を設立
    • [7]大正12年9月の本店全焼から昭和2年4月の本店修築完成まで3年7か月
    • [8]昭和3年6月 商号を株式会社三越へ変更、神戸店開店
    • [9]明治37年12月のデパートメントストア宣言から昭和3年6月の商号変更まで24年
    • [10]昭和5年4月銀座店・5年10月新宿店・6年3月高松店・7年5月札幌店・8年4月仙台店を開設

1937年〜百貨店法と戦時統制、売場八割の供出

昭和12年の百貨店法施行、日華事変の勃発、太平洋戦争への移行が続き、三越は統制の強化と売場の供出を受けた。供出は売場面積の8割に達している。百貨店法により店舗の拡張や新設にも制限がかかり、店を増やして伸びてきた三越の手法はそこで止まった。昭和13年頃からは物資の統制で販売が窮屈になり、電力制限でエスカレーターが運休し、鉄鋼品供出令によってその姿を消した。代用品の開発普及、慰問品や防空用品の売場開設など、時勢の要求に応じる商いへ変わっている。三越はここで、創業以来の最悪期を迎えた。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」
    • [16]「十二年の百貨店法施行日華事変の勃発、太平洋戦争への移行と戦火が拡大されるに及んで統制の強化、売場の供出(売場面積の八〇%)等受難時代を迎え」
    • [17]売場の供出は売場面積の80%
    • [18]百貨店法により店舗の拡張・新設に制限を受けた
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「三越」
    • [19]昭和13年頃から物資統制で販売が窮屈になり、電力制限でエスカレーター運休、鉄鋼品供出令で撤去された
    • [20]代用品の開発普及、慰問品・防空用品売場の開設など時勢の要求に即応した
    • [21]戦時期は創業以来の最悪期にあたる

銀座・高松・仙台の各支店は空襲によって焼失した。終戦にともない大阪と札幌の両支店は接収され、京城と大連の在外支店も失われている。戦前に敷いた支店網は、そのまま戦災と接収の対象になった。昭和20年10月、三越は戦災を免れた日本橋本店の復旧を急いだ。翌21年10月には松山店を出店し、23年1月に三越縫製工場を新設している。同じ23年10月には、資本金を9,000万円へ増やしている。生活必需品の配給と物価の安定に協力しながら、三越劇場と展覧会場で催物を開き、財団法人三越診療所も設けている。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」
    • [22]銀座・高松・仙台の各支店が空襲により焼失
    • [23]終戦にともない大阪・札幌の両支店が接収され、在外支店を喪失
    • [24]戦前に確立した支店網が戦災・接収の対象となった
    • [27]昭和23年10月 資本金9,000万円へ増資
    • [28]生活必需品の配給・物価安定に協力し、三越劇場と展覧会場で催物、財団法人三越診療所を設置
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「三越」
    • [25]昭和20年10月 戦災を免れた日本橋本店の復旧を急いだ
  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
    • [26]昭和21年10月 松山店開店、昭和23年1月 三越縫製工場設立

昭和24年5月、三越は東京証券取引所の開設と同時に株式を上場した。昭和26年には本店の全館を再び使えるようになり、店舗施設は戦前を上回る水準へ戻っている。朝鮮動乱を契機に消費景気は回復し、三越は店舗施設の拡充と更新投資を続けながら機構の近代化に努めた。同26年の資本金は15億円、年間売上は169億円強、利益は2億9,200万円だった。昭和26年10月に再評価積立金の一部を組み入れて資本金を15億円とし、29年12月には資本組入により18億6,000万円へ引き上げている。戦後の増資は、いずれも再評価積立金の組み入れによるものだった。

  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
    • [29]昭和24年5月 東京証券取引所の開設と同時に株式を上場
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」
    • [30]昭和26年 本店全館の使用を回復し、店舗施設が戦前を上回る水準に復活
    • [33]昭和26年10月 再評価積立金の一部組入で15億円、昭和29年12月 資本組入で18億6,000万円
    • [34]戦後の増資は再評価積立金の組み入れによるもの
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「三越」
    • [31]朝鮮動乱を契機に消費景気が回復し、店舗施設の拡充・更新投資と機構近代化を継続
    • [32]昭和26年 資本金15億円・年間売上169億円強・利益2億9,200万円
参考文献[16]-[34]
    • [16]「十二年の百貨店法施行日華事変の勃発、太平洋戦争への移行と戦火が拡大されるに及んで統制の強化、売場の供出(売場面積の八〇%)等受難時代を迎え」
    • [17]売場の供出は売場面積の80%
    • [18]百貨店法により店舗の拡張・新設に制限を受けた
    • [22]銀座・高松・仙台の各支店が空襲により焼失
    • [23]終戦にともない大阪・札幌の両支店が接収され、在外支店を喪失
    • [24]戦前に確立した支店網が戦災・接収の対象となった
    • [27]昭和23年10月 資本金9,000万円へ増資
    • [28]生活必需品の配給・物価安定に協力し、三越劇場と展覧会場で催物、財団法人三越診療所を設置
    • [30]昭和26年 本店全館の使用を回復し、店舗施設が戦前を上回る水準に復活
    • [33]昭和26年10月 再評価積立金の一部組入で15億円、昭和29年12月 資本組入で18億6,000万円
    • [34]戦後の増資は再評価積立金の組み入れによるもの
    • [19]昭和13年頃から物資統制で販売が窮屈になり、電力制限でエスカレーター運休、鉄鋼品供出令で撤去された
    • [20]代用品の開発普及、慰問品・防空用品売場の開設など時勢の要求に即応した
    • [21]戦時期は創業以来の最悪期にあたる
    • [25]昭和20年10月 戦災を免れた日本橋本店の復旧を急いだ
    • [31]朝鮮動乱を契機に消費景気が回復し、店舗施設の拡充・更新投資と機構近代化を継続
    • [32]昭和26年 資本金15億円・年間売上169億円強・利益2億9,200万円
  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
    • [26]昭和21年10月 松山店開店、昭和23年1月 三越縫製工場設立
    • [29]昭和24年5月 東京証券取引所の開設と同時に株式を上場

1954年〜東洋一の規模と、ダイエーに明け渡した首位

昭和29年(1954年)の三越の年間総売上高は248億円で、全国百貨店の13%強を占めた。商品券の売上高は9億3,000万円に達し、こちらは全国の29%強にあたる。本支店の店舗面積は延4万2,800坪で、全国百貨店の11%強である。売上のシェアが面積のシェアを2ポイント上回り、商品券では3割近くを取っていた。同年12月には本店隣接の土地467坪に、延4,600坪の増築工事へ着手している。完成すれば2万坪強の店舗となり、東洋一の百貨店になる計算だった。当時の社長は岩瀬英一郎氏である。

  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」
    • [35]昭和29年 年間総売上高248億円(全国百貨店の13%強)
    • [36]昭和29年 商品券売上高9億3,000万円(全国の29%強)
    • [37]本支店の店舗面積は延4万2,800坪(全国百貨店の11%強)
    • [38]売上シェア13%強に対し面積シェアは11%強、商品券は29%強
    • [39]昭和29年12月 本店隣接地467坪に延4,600坪の増築工事へ着工
    • [40]増築完成後は2万坪強の店舗となり東洋一の百貨店となる見込み
    • [41]1955年時点の社長は岩瀬英一郎

昭和36年度の売上高は548億円、利益は13億9,100万円で、10年間で売上は3倍強、利益は5倍に伸びた。昭和41年度にはさらに利益28億円、売上高935億円へ達し、26年比では利益が10倍、売上が5.5倍となっている。増資は昭和29年12月以降に5回を数え、42年7月払込みの半額増資で資本金は100億円を超えた。昭和43年の従業員は1万500名、総売場面積は17万平方メートルである。松田伊三雄氏が社長として積極経営を前面に押し出した時期にあたる。昭和43年2月期は歳末の大型消費景気を捉えて半期売上高が500億円を突破し、純益17億円を計上した。

  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「三越」
    • [42]昭和36年度 売上548億円・利益13億9,100万円(10年で売上3倍強・利益5倍)
    • [43]昭和41年度 利益28億円・売上高935億円(昭和26年比で利益10倍・売上5.5倍)
    • [44]昭和29年12月以降5回の増資、昭和42年7月払込みの半額増資で資本金100億円を突破
    • [45]従業員1万500名、総売場面積17万平方メートル
    • [46]松田伊三雄社長が自ら指揮して積極経営を前面に押し出した
    • [47]昭和43年2月期 歳末の大型消費景気で半期売上高500億円突破・純益17億円

戦後の店舗網はさらに広がり、昭和32年10月に池袋店、43年7月に枚方店を出店し、46年6月には海外第一号店としてパリ三越を出店している。一方でスーパーストアやチェーンストアの追い上げを受けて業界は苦境に立ち、三越は関連企業を通じて都市近郊に衛星店を設ける策を採った。それでも昭和47年、ダイエーが売上高3,052億円で3,000億円を突破し、2,924億円にとどまった三越を抜いて小売業の首位に立った。ダイエーの創業から15年での交代である。三越が小売業の売上首位を明け渡したのは、この年にあたる。

  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
    • [48]昭和32年10月 池袋店、昭和43年7月 枚方店、昭和46年6月 海外第一号店パリ三越を開店
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「三越」
    • [49]スーパー・チェーンストアの追い上げで業界は苦境に立ち、関連企業を通じ都市近郊に衛星店を展開
  • 日本産業史 第3巻 金融・商業(日本経済新聞社、1994年)「流通-急成長した総合スーパー」
    • [50]昭和47年 ダイエーが売上高3,052億円で2,924億円の三越を抜き小売業首位
    • [51]ダイエーは昭和32年の創業以来わずか15年で首位に立った
    • [52]昭和47年に三越が小売業の売上首位を明け渡した
参考文献[35]-[52]
    • [35]昭和29年 年間総売上高248億円(全国百貨店の13%強)
    • [36]昭和29年 商品券売上高9億3,000万円(全国の29%強)
    • [37]本支店の店舗面積は延4万2,800坪(全国百貨店の11%強)
    • [38]売上シェア13%強に対し面積シェアは11%強、商品券は29%強
    • [39]昭和29年12月 本店隣接地467坪に延4,600坪の増築工事へ着工
    • [40]増築完成後は2万坪強の店舗となり東洋一の百貨店となる見込み
    • [41]1955年時点の社長は岩瀬英一郎
    • [42]昭和36年度 売上548億円・利益13億9,100万円(10年で売上3倍強・利益5倍)
    • [43]昭和41年度 利益28億円・売上高935億円(昭和26年比で利益10倍・売上5.5倍)
    • [44]昭和29年12月以降5回の増資、昭和42年7月払込みの半額増資で資本金100億円を突破
    • [45]従業員1万500名、総売場面積17万平方メートル
    • [46]松田伊三雄社長が自ら指揮して積極経営を前面に押し出した
    • [47]昭和43年2月期 歳末の大型消費景気で半期売上高500億円突破・純益17億円
    • [49]スーパー・チェーンストアの追い上げで業界は苦境に立ち、関連企業を通じ都市近郊に衛星店を展開
  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
    • [48]昭和32年10月 池袋店、昭和43年7月 枚方店、昭和46年6月 海外第一号店パリ三越を開店
    • [50]昭和47年 ダイエーが売上高3,052億円で2,924億円の三越を抜き小売業首位
    • [51]ダイエーは昭和32年の創業以来わずか15年で首位に立った
    • [52]昭和47年に三越が小売業の売上首位を明け渡した

1924年〜1972年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 億円 利益率
1949年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1950年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1951年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1952年02月期 単体 170 n/a 5 n/a 5 3.4% n/a
1953年02月期 単体 203 +19.5% 6 n/a 6 3.2% n/a
1954年02月期 単体 249 +22.6% 8 n/a 7 3.0% n/a
1955年02月期 単体 245 ▲1.6% 7 n/a 6 2.8% n/a
1956年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1957年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1958年02月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1959年02月期 単体 350 n/a n/a n/a 11 3.2% n/a
1960年02月期 単体 382 +9.0% n/a n/a 12 3.2% n/a
1961年02月期 単体 453 +18.7% n/a n/a 16 3.7% n/a
1962年02月期 単体 548 +20.9% n/a n/a 23 4.3% n/a
1963年02月期 単体 613 +11.9% n/a n/a 29 4.8% n/a
1964年02月期 単体 710 +15.9% n/a n/a 26 3.8% n/a
1965年02月期 単体 793 +11.6% n/a n/a 22 2.9% n/a
1966年02月期 単体 839 +5.8% n/a n/a 24 3.0% n/a
1967年02月期 単体 936 +11.6% n/a n/a 28 3.0% n/a
1968年02月期 単体 1,044 +11.5% n/a n/a 31 3.0% n/a
1969年02月期 単体 1,229 +17.7% n/a n/a 37 3.1% n/a
1970年02月期 単体 1,507 +22.6% n/a n/a 46 3.1% n/a
1971年02月期 単体 1,895 +25.7% n/a 89 50 2.7% n/a
1972年02月期 単体 2,309 +21.9% n/a 98 55 2.4% n/a

出所:上場会社総覧 昭和31年版、会社年鑑 1963年版、会社年鑑 1967年版、会社年鑑 1971年版、会社年鑑 1976年版

出典・参考

4件
出典・参考
  • 株式会社三越 有価証券報告書【沿革】
  • 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)2篇 日本会社史 47_百貨店「三越」
  • 企業の歴史 : 明治百年(経済春秋社、1968年)3編 企業の歴史「三越」
  • 日本産業史 第3巻 金融・商業(日本経済新聞社、1994年)「流通-急成長した総合スーパー」

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