オカムラ:岡村製作所の設立と横浜工場での鋼製家具の生産
1945年〜職を失った航空技術者が岡村町で興した工場と、資本金19万8000円の有限会社
1945年10月、航空機の技術者だった吉原謙二郎氏を中心に、職を失った技術者たちが横浜市の岡村町で事業を始めた。敗戦で軍需産業は進駐軍の命令により生産を止められ、部下の大半が職を失い、吉原謙二郎氏のもとに身を寄せた。横浜に工場を持つ日本飛行機の社長だった大野広氏は、吉原謙二郎氏に『お前一つ横浜に残っている人たちを生活させてやつてくれ』と求め、これが創業の発端となった。技術者たちは各自の貯えを持ち寄り、協同で営む工業として出発し、所在地の町名を社名に採った。創立時の人員は約60名だった。軍需の停止で行き場を失った技術者の生活を支えることが、創業の第一の目的だったとみられる。
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [1]1945年10月、吉原謙二郎を中心に航空機関係技術者が貯蓄を持ち寄り「協同の工業、岡村製作所」として発足。社名は本社工場所在地の横浜市岡村町から
- [4]1945年10月、吉原謙二郎を中心に航空機関係技術者が貯蓄を持ち寄り「協同の工業、岡村製作所」として発足。社名は本社工場所在地の横浜市岡村町から
- 野田経済 1964年11月30日号(949)(抜粋)
- [2]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止、部下の多くが失職し吉原を頼った。日本飛行機社長の大野広が横浜に残った人々の生活を吉原に託し会社が生まれた
- [3]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止、部下の多くが失職し吉原を頼った。日本飛行機社長の大野広が横浜に残った人々の生活を吉原に託し会社が生まれた
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [5]岡村製作所の創立は昭和20年、当時の人員約60名。協同の工業という建前で発足し名称を岡村町の地名にとった
創業月の1945年10月、岡村製作所は一般家庭用の厨房品の製造から事業を始めた。担い手は航空機の機体や発動機を手がけてきた技術者で、航空機そのものの生産は進駐軍の命令で止められていた。創業の元手は指導者の間で集めた5万円足らずで、大型の設備を新たに調えられる額ではなかった。吉原謙二郎氏は1964年の対談で、機体を担った者がスチールの家具の製作へ、発動機を担った者が流体変速機の製作へ移ったと振り返った。1968年の企業史も、航空機関係の技術者の集まりとして創業の経緯を記した。少ない元手で機体の板金の技能を生かせる民需品として、厨房品が最初の製品に選ばれたと推察される。
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [6]1945年10月、一般家庭用厨房品の製造を開始(横浜市磯子区)
- 野田経済 1964年11月30日号(949)(抜粋)
- [7]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止。元手は指導者間で集めた5万円足らず。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担った
- [8]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止。元手は指導者間で集めた5万円足らず。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担った
- [9]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止。元手は指導者間で集めた5万円足らず。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担った
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [10]1945年10月、航空機関係技術者が集まり発足
1946年7月、吉原謙二郎氏らは有限会社岡村製作所を資本金19万8000円で設立した。創業時に集めた元手5万円足らずからの、法人化にあわせた資本の積み増し。1948年8月には資本金を100万円とした。同じ1948年8月、岡村製作所は有限会社から株式会社へ組織を改めた。出資は働き手が担い、1958年ごろまで従業員持株制度を採っていた。1962年時点でも社長の吉原謙二郎氏の持株は3%程度である。企画室の並木竹彦氏は1962年の座談会で、終戦時にゼロから出発した会社が協力を資本として歩んできたと説明した。少数の出資者でなく働き手が資本を持つ協同の色合いは、株式会社へ改めた後も残ったのだろう。
- 野田経済 1964年11月30日号(949)(抜粋)
- [11]元手は5万円足らず。1946年7月に有限会社岡村製作所を資本金19万8000円で設立
- [12]元手は5万円足らず。1946年7月に有限会社岡村製作所を資本金19万8000円で設立
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [13]1948年(昭和23年)8月に資本金を100万円とし株式会社岡村製作所へ組織変更
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [14]1946年7月設立、1948年8月株式会社に改組
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [15]社長の持株は3%程度、昭和33年頃まで従業員持株制。並木竹彦(企画室)は終戦時ゼロから出発し協力を資本にしてきたと発言
- [16]社長の持株は3%程度、昭和33年頃まで従業員持株制。並木竹彦(企画室)は終戦時ゼロから出発し協力を資本にしてきたと発言
- [17]社長の持株は3%程度、昭和33年頃まで従業員持株制。並木竹彦(企画室)は終戦時ゼロから出発し協力を資本にしてきたと発言
参考文献[1]-[17]
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [1]1945年10月、吉原謙二郎を中心に航空機関係技術者が貯蓄を持ち寄り「協同の工業、岡村製作所」として発足。社名は本社工場所在地の横浜市岡村町から
- [4]1945年10月、吉原謙二郎を中心に航空機関係技術者が貯蓄を持ち寄り「協同の工業、岡村製作所」として発足。社名は本社工場所在地の横浜市岡村町から
- [10]1945年10月、航空機関係技術者が集まり発足
- [13]1948年(昭和23年)8月に資本金を100万円とし株式会社岡村製作所へ組織変更
- 野田経済 1964年11月30日号(949)(抜粋)
- [2]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止、部下の多くが失職し吉原を頼った。日本飛行機社長の大野広が横浜に残った人々の生活を吉原に託し会社が生まれた
- [3]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止、部下の多くが失職し吉原を頼った。日本飛行機社長の大野広が横浜に残った人々の生活を吉原に託し会社が生まれた
- [7]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止。元手は指導者間で集めた5万円足らず。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担った
- [8]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止。元手は指導者間で集めた5万円足らず。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担った
- [9]軍需産業は進駐軍の命令で生産停止。元手は指導者間で集めた5万円足らず。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担った
- [11]元手は5万円足らず。1946年7月に有限会社岡村製作所を資本金19万8000円で設立
- [12]元手は5万円足らず。1946年7月に有限会社岡村製作所を資本金19万8000円で設立
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [5]岡村製作所の創立は昭和20年、当時の人員約60名。協同の工業という建前で発足し名称を岡村町の地名にとった
- [15]社長の持株は3%程度、昭和33年頃まで従業員持株制。並木竹彦(企画室)は終戦時ゼロから出発し協力を資本にしてきたと発言
- [16]社長の持株は3%程度、昭和33年頃まで従業員持株制。並木竹彦(企画室)は終戦時ゼロから出発し協力を資本にしてきたと発言
- [17]社長の持株は3%程度、昭和33年頃まで従業員持株制。並木竹彦(企画室)は終戦時ゼロから出発し協力を資本にしてきたと発言
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [6]1945年10月、一般家庭用厨房品の製造を開始(横浜市磯子区)
- [14]1946年7月設立、1948年8月株式会社に改組
1950年〜トルクコンバーターとスチールデスクの試作と、追浜に移転した岡村町の工場
1950年9月、岡村製作所は横浜市西区北幸町に横浜工場を新設し、鋼製家具の生産を始めた。同じ1950年には、流体変速機のトルクコンバーターの生産も事務用家具とあわせて開始。吉原謙二郎氏は、木の家具は材木が育つまで20〜30年を要し、森林も減っているため、スチールの家具がこれから求められると判断した。機体を手がけた技術者は鋼板の家具へ、発動機を手がけた技術者はトルクコンバーターへ移った。1952年5月には本社を北幸町へ移した。1962年の営業内容にも、鋼製家具と並んで流体変速機類の製造販売が載っていた。家具と機械の二本立ては、旧航空機技術者の持ち場をそのまま事業に置き換える選択だったと考えられる。
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [18]1950年9月、横浜工場(横浜市西区北幸町)を新設し鋼製家具の生産を開始。1952年5月本社を北幸町へ移転
- [22]1950年9月、横浜工場(横浜市西区北幸町)を新設し鋼製家具の生産を開始。1952年5月本社を北幸町へ移転
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [19]1950年(昭和25年)、新製品トルクコンバーターとあわせて事務用家具の生産を開始
- 野田経済 1964年11月30日号(949)(抜粋)
- [20]木は成長に20〜30年かかり減っているのでスチールが必要と考えた。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担当
- [21]木は成長に20〜30年かかり減っているのでスチールが必要と考えた。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担当
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [23]1962年時点の営業内容は鋼製家具、事務機器、流体変速機類の製造販売
スチール家具の最初のまとまった需要は進駐軍の特需である。吉原謙二郎氏の記憶では1951年7月ごろ、進駐軍がスチール家具を求め、岡村製作所はクラブハウス向けのチェアとテーブルを鋼製で納めた。事務用デスクの本格生産のきっかけは、スタンダード(のちのエッソスタンダード)の首脳から試作を持ちかけられたことだった。その首脳が示した外国製の見本をもとに、岡村製作所は初めてスチールデスクを製作した。前年の1950年に始めた事務用家具の生産は、こうした注文で量を得た。1962年には営業内容の筆頭に鋼製家具と事務機器を掲げるまでになった。外国式の執務空間を知る顧客が、国内に先行して鋼製の事務家具の需要をつくったと思われる。
- 野田経済 1964年11月30日号(949)(抜粋)
- [24]1951年7月ごろ進駐軍がスチール家具を要求し、特需でクラブハウスのチェアやテーブルを製作。スタンダード(現エッソスタンダード)会長の殿村氏から外国の見本を示されスチールデスクを試作したのが本格的家具の始まり
- [25]1951年7月ごろ進駐軍がスチール家具を要求し、特需でクラブハウスのチェアやテーブルを製作。スタンダード(現エッソスタンダード)会長の殿村氏から外国の見本を示されスチールデスクを試作したのが本格的家具の始まり
- [26]1951年7月ごろ進駐軍がスチール家具を要求し、特需でクラブハウスのチェアやテーブルを製作。スタンダード(現エッソスタンダード)会長の殿村氏から外国の見本を示されスチールデスクを試作したのが本格的家具の始まり
- [27]1951年7月ごろ進駐軍がスチール家具を要求し、特需でクラブハウスのチェアやテーブルを製作。スタンダード(現エッソスタンダード)会長の殿村氏から外国の見本を示されスチールデスクを試作したのが本格的家具の始まり
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [28]1950年に事務用家具の生産を開始
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [29]1962年時点の岡村製作所の営業内容は鋼製家具、事務機器、流体変速機類の製造販売
1955年、岡村製作所は航空技術を生かし、朝日新聞社の依頼で軽飛行機や小型四輪車を製作した。品目が家具から乗り物まで広がるなか、1958年6月に横浜市磯子区岡村町の岡村工場を横須賀市浦郷町5丁目へ移転。移転先は追浜工場として発足し、創業の地である岡村町の工場は閉鎖した。1957年ごろには市場の急変で販売態勢を急いで整える必要が生じ、社内から希望者を面接して営業へ人材を集めた。人員の増加で従業員持株制は続けられなくなり、1958年に労働組合が結成された。生産と販売の規模が創業時の借り受け工場の枠を超えたことが、移転の背景にあったとうかがえる。
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [30]1955年(昭和30年)朝日新聞依頼の軽飛行機や小型四輪を製作。1958年(昭和33年)岡村町の工場を閉鎖し横須賀市に追浜工場として移転
- [32]1955年(昭和30年)朝日新聞依頼の軽飛行機や小型四輪を製作。1958年(昭和33年)岡村町の工場を閉鎖し横須賀市に追浜工場として移転
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [31]1958年6月、横浜市磯子区岡村町所在の岡村工場を横須賀市浦郷町5丁目に移転
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [33]昭和32年頃市場の急変で販売態勢を急ぎ整える必要が生じ、社内面接で人材を営業に集めた。昭和33年頃まで従業員持株制、人員増で組合結成の気運。労組結成は昭和33年
- [34]昭和32年頃市場の急変で販売態勢を急ぎ整える必要が生じ、社内面接で人材を営業に集めた。昭和33年頃まで従業員持株制、人員増で組合結成の気運。労組結成は昭和33年
参考文献[18]-[34]
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [18]1950年9月、横浜工場(横浜市西区北幸町)を新設し鋼製家具の生産を開始。1952年5月本社を北幸町へ移転
- [22]1950年9月、横浜工場(横浜市西区北幸町)を新設し鋼製家具の生産を開始。1952年5月本社を北幸町へ移転
- [31]1958年6月、横浜市磯子区岡村町所在の岡村工場を横須賀市浦郷町5丁目に移転
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [19]1950年(昭和25年)、新製品トルクコンバーターとあわせて事務用家具の生産を開始
- [28]1950年に事務用家具の生産を開始
- [30]1955年(昭和30年)朝日新聞依頼の軽飛行機や小型四輪を製作。1958年(昭和33年)岡村町の工場を閉鎖し横須賀市に追浜工場として移転
- [32]1955年(昭和30年)朝日新聞依頼の軽飛行機や小型四輪を製作。1958年(昭和33年)岡村町の工場を閉鎖し横須賀市に追浜工場として移転
- 野田経済 1964年11月30日号(949)(抜粋)
- [20]木は成長に20〜30年かかり減っているのでスチールが必要と考えた。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担当
- [21]木は成長に20〜30年かかり減っているのでスチールが必要と考えた。機体関係の者がスチール家具、発動機関係の者がトルクコンバーターを担当
- [24]1951年7月ごろ進駐軍がスチール家具を要求し、特需でクラブハウスのチェアやテーブルを製作。スタンダード(現エッソスタンダード)会長の殿村氏から外国の見本を示されスチールデスクを試作したのが本格的家具の始まり
- [25]1951年7月ごろ進駐軍がスチール家具を要求し、特需でクラブハウスのチェアやテーブルを製作。スタンダード(現エッソスタンダード)会長の殿村氏から外国の見本を示されスチールデスクを試作したのが本格的家具の始まり
- [26]1951年7月ごろ進駐軍がスチール家具を要求し、特需でクラブハウスのチェアやテーブルを製作。スタンダード(現エッソスタンダード)会長の殿村氏から外国の見本を示されスチールデスクを試作したのが本格的家具の始まり
- [27]1951年7月ごろ進駐軍がスチール家具を要求し、特需でクラブハウスのチェアやテーブルを製作。スタンダード(現エッソスタンダード)会長の殿村氏から外国の見本を示されスチールデスクを試作したのが本格的家具の始まり
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [23]1962年時点の営業内容は鋼製家具、事務機器、流体変速機類の製造販売
- [29]1962年時点の岡村製作所の営業内容は鋼製家具、事務機器、流体変速機類の製造販売
- [33]昭和32年頃市場の急変で販売態勢を急ぎ整える必要が生じ、社内面接で人材を営業に集めた。昭和33年頃まで従業員持株制、人員増で組合結成の気運。労組結成は昭和33年
- [34]昭和32年頃市場の急変で販売態勢を急ぎ整える必要が生じ、社内面接で人材を営業に集めた。昭和33年頃まで従業員持株制、人員増で組合結成の気運。労組結成は昭和33年
1960年〜三菱商事・富士製鐵と共同出資した関西岡村製作所と、資本金4億7500万円の上場
1960年9月、岡村製作所は三菱商事・富士製鐵・大同鋼板と共同出資し、関西岡村製作所を設立した。追浜工場への移転から2年後、岡村製作所は関東の外に生産の拠点を設けた。新会社は大阪市に置いた鋼製事務用家具の専門会社で、スチール家具の需要の伸びに応える生産拠点である。岡村製作所は生産の拡充とあわせて三菱商事との提携を深め、販売の体制を強めた。1968年の企業史は、この関西進出と販売の提携を後の発展の基礎と位置づけた。出資には鋼板を供給する鉄鋼会社2社と全国に販路を持つ商社が加わった。素材の調達と関西以西への販売を一度に固めることが、共同出資の狙いだったと推測される。
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [35]1960年9月、三菱商事・富士製鐵・大同鋼板との共同出資で関西岡村製作所を設立
- [36]1960年9月、三菱商事・富士製鐵・大同鋼板との共同出資で関西岡村製作所を設立
- [40]1960年9月、三菱商事・富士製鐵・大同鋼板との共同出資で関西岡村製作所を設立
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [37]1960年(昭和35年)スチール家具の需要増に対処し大阪市に鋼製事務用家具専門の関西岡村製作所を設立、三菱商事と緊密に提携して販売体制を強化。これが今日の繁栄の基礎
- [38]1960年(昭和35年)スチール家具の需要増に対処し大阪市に鋼製事務用家具専門の関西岡村製作所を設立、三菱商事と緊密に提携して販売体制を強化。これが今日の繁栄の基礎
- [39]1960年(昭和35年)スチール家具の需要増に対処し大阪市に鋼製事務用家具専門の関西岡村製作所を設立、三菱商事と緊密に提携して販売体制を強化。これが今日の繁栄の基礎
1961年4月、岡村製作所は株式を公開した。同年10月には東京証券取引所市場第二部への上場が続く。同じ1961年10月の再増資で資本金は4億7500万円となり、1948年の100万円から13年で475倍になった。1962年の資料では、売上高は40億円、従業員は男子1,072名と女子240名の計1,302名だった。創立時の約60名と比べ、20倍を超える人員にあたる。社長の吉原謙二郎氏は当時48歳である。1968年の企業史では、資本金は7億6000万円、従業員は1,735名に増えていた。追浜工場への移転と関西岡村製作所への出資が続いた時期であり、上場は設備と合弁の資金を市場から得る手段だったと見てよい。
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [41]1961年(昭和36年)4月株式を公開、同年10月の再増資で資本金4億7500万円。1968年時点で資本金7億6000万円、従業員1735名
- [43]1961年(昭和36年)4月株式を公開、同年10月の再増資で資本金4億7500万円。1968年時点で資本金7億6000万円、従業員1735名
- [47]1961年(昭和36年)4月株式を公開、同年10月の再増資で資本金4億7500万円。1968年時点で資本金7億6000万円、従業員1735名
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [42]1961年10月、東京証券取引所市場第二部に上場
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [44]1962年時点:資本金4億7500万円、売上高40億円、従業員 男子1,072名・女子240名・計1,302名、創立時約60名、社長吉原謙二郎(48才)
- [45]1962年時点:資本金4億7500万円、売上高40億円、従業員 男子1,072名・女子240名・計1,302名、創立時約60名、社長吉原謙二郎(48才)
- [46]1962年時点:資本金4億7500万円、売上高40億円、従業員 男子1,072名・女子240名・計1,302名、創立時約60名、社長吉原謙二郎(48才)
1961年から1964年にかけ、岡村製作所は西ドイツや米国の企業とガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机と椅子の製造販売で提携した。提携の狙いは、資本自由化に備えて国際競争力をつけることにある。産業機械でも、清掃機器・荷役機械・建設機械向けのトルクコンバーターと流体継手へ品目を広げた。1968年刊の企業史は、年商120億円を超えたスチール家具のトップメーカーとして、利益5億5000万円と配当1割5分の継続を挙げた。売上高は1968年12月期に148億円、1969年12月期に194億円だった。1969年12月期の経常利益は14億円に達した。
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [48]1961〜64年に西ドイツ・米国などとガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子の製造販売で提携。資本自由化に対処し国際競争力をつける。年商120億円突破、利益5億5000万円、配当1割5分継続、スチール家具のトップメーカー。産業機械(トルクコンバーター・流体継手)へ進出
- [49]1961〜64年に西ドイツ・米国などとガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子の製造販売で提携。資本自由化に対処し国際競争力をつける。年商120億円突破、利益5億5000万円、配当1割5分継続、スチール家具のトップメーカー。産業機械(トルクコンバーター・流体継手)へ進出
- [50]1961〜64年に西ドイツ・米国などとガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子の製造販売で提携。資本自由化に対処し国際競争力をつける。年商120億円突破、利益5億5000万円、配当1割5分継続、スチール家具のトップメーカー。産業機械(トルクコンバーター・流体継手)へ進出
- [51]1961〜64年に西ドイツ・米国などとガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子の製造販売で提携。資本自由化に対処し国際競争力をつける。年商120億円突破、利益5億5000万円、配当1割5分継続、スチール家具のトップメーカー。産業機械(トルクコンバーター・流体継手)へ進出
- 会社年鑑 1976年版「岡村製作所」(日本経済新聞社)
- [52]売上高 1968年12月期148億円・1969年12月期194億円、経常利益 1969年12月期14億円(単体)
- [53]売上高 1968年12月期148億円・1969年12月期194億円、経常利益 1969年12月期14億円(単体)
参考文献[35]-[53]
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- [35]1960年9月、三菱商事・富士製鐵・大同鋼板との共同出資で関西岡村製作所を設立
- [36]1960年9月、三菱商事・富士製鐵・大同鋼板との共同出資で関西岡村製作所を設立
- [40]1960年9月、三菱商事・富士製鐵・大同鋼板との共同出資で関西岡村製作所を設立
- [42]1961年10月、東京証券取引所市場第二部に上場
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- [37]1960年(昭和35年)スチール家具の需要増に対処し大阪市に鋼製事務用家具専門の関西岡村製作所を設立、三菱商事と緊密に提携して販売体制を強化。これが今日の繁栄の基礎
- [38]1960年(昭和35年)スチール家具の需要増に対処し大阪市に鋼製事務用家具専門の関西岡村製作所を設立、三菱商事と緊密に提携して販売体制を強化。これが今日の繁栄の基礎
- [39]1960年(昭和35年)スチール家具の需要増に対処し大阪市に鋼製事務用家具専門の関西岡村製作所を設立、三菱商事と緊密に提携して販売体制を強化。これが今日の繁栄の基礎
- [41]1961年(昭和36年)4月株式を公開、同年10月の再増資で資本金4億7500万円。1968年時点で資本金7億6000万円、従業員1735名
- [43]1961年(昭和36年)4月株式を公開、同年10月の再増資で資本金4億7500万円。1968年時点で資本金7億6000万円、従業員1735名
- [47]1961年(昭和36年)4月株式を公開、同年10月の再増資で資本金4億7500万円。1968年時点で資本金7億6000万円、従業員1735名
- [48]1961〜64年に西ドイツ・米国などとガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子の製造販売で提携。資本自由化に対処し国際競争力をつける。年商120億円突破、利益5億5000万円、配当1割5分継続、スチール家具のトップメーカー。産業機械(トルクコンバーター・流体継手)へ進出
- [49]1961〜64年に西ドイツ・米国などとガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子の製造販売で提携。資本自由化に対処し国際競争力をつける。年商120億円突破、利益5億5000万円、配当1割5分継続、スチール家具のトップメーカー。産業機械(トルクコンバーター・流体継手)へ進出
- [50]1961〜64年に西ドイツ・米国などとガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子の製造販売で提携。資本自由化に対処し国際競争力をつける。年商120億円突破、利益5億5000万円、配当1割5分継続、スチール家具のトップメーカー。産業機械(トルクコンバーター・流体継手)へ進出
- [51]1961〜64年に西ドイツ・米国などとガス湯沸器・可動式壁材・空調機器・鋼製事務用机・椅子の製造販売で提携。資本自由化に対処し国際競争力をつける。年商120億円突破、利益5億5000万円、配当1割5分継続、スチール家具のトップメーカー。産業機械(トルクコンバーター・流体継手)へ進出
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- [44]1962年時点:資本金4億7500万円、売上高40億円、従業員 男子1,072名・女子240名・計1,302名、創立時約60名、社長吉原謙二郎(48才)
- [45]1962年時点:資本金4億7500万円、売上高40億円、従業員 男子1,072名・女子240名・計1,302名、創立時約60名、社長吉原謙二郎(48才)
- [46]1962年時点:資本金4億7500万円、売上高40億円、従業員 男子1,072名・女子240名・計1,302名、創立時約60名、社長吉原謙二郎(48才)
- 会社年鑑 1976年版「岡村製作所」(日本経済新聞社)
- [52]売上高 1968年12月期148億円・1969年12月期194億円、経常利益 1969年12月期14億円(単体)
- [53]売上高 1968年12月期148億円・1969年12月期194億円、経常利益 1969年12月期14億円(単体)
1945年〜1969年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1949年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1950年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1951年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1952年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1953年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1954年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1955年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1956年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年12月期 | 単体 | 70 | n/a | 4 | 5.7% | 3 | n/a |
| 1967年12月期 | 単体 | 121 | +72.9% | 10 | 8.3% | 6 | n/a |
| 1968年12月期 | 単体 | 148 | +22.3% | 12 | 8.1% | 7 | n/a |
| 1969年12月期 | 単体 | 194 | +31.1% | 14 | 7.2% | 8 | n/a |
出所:会社年鑑(1976年版)変則9ヶ月決算、会社年鑑
出典・参考
5件
- オカムラ 有価証券報告書【沿革】
- 経済春秋社『企業の歴史 : 明治百年』「岡村製作所」(1968年)
- 会社年鑑 1976年版「岡村製作所」(日本経済新聞社)
- HR series (36) 1962年「座談会 加速度成長の原動力――戦後誕生した躍進企業」p25-29
- 野田経済 1964年11月30日号(949)(抜粋)