黒田善太郎
コクヨ・元代表取締役社長
社長就任までの出自
1879年2月、富山市長柄町で黒田屋7代目の黒田善三郎氏の長男として生まれた。父はマッチ製造を営んだが38歳で他界し、家業は他家の手に渡っている。1898年11月、20歳で大阪へ出て、今宮のマッチ製造業・電光社に約2年勤めた。23歳で大阪市東区瓦町の小林表紙店に入り、和式帳簿の表紙製造に4年従事したのが紙製品業界に入る端緒となった。1905年10月2日、27歳で西区南堀江上通に借家して黒田表紙店を開店した。元手はわずかな貯金と、働きぶりを見込んだ篤志家が貸した資金だけだった。
社長に選ばれた経緯
株式会社の社長に就任したのは開業から44年後である。個人経営の店は1938年1月、黒田善太郎氏ほか10名の出資金49万5,000円で合名会社黒田国光堂となり、創業33年目に法人化した。戦災でコクヨ商店・西部コクヨ商店・東京国誉商店と東京工場を失い、残ったのは旧本社工場だけだった。1949年5月、戦前に地元卸と共同出資で設けたこの販売3社を合併し、資本金1,044万5,000円の株式会社黒田国光堂が発足した。同氏はその社長を務め、1960年1月に会長へ就任し、副社長の黒田暲之助氏が社長を承継した。
在任中の主な施策
戦後は販売網の作り直しから入った。1946年5月に東京出張所、1947年9月に近畿の発売元となる国誉商事を設けた。1949年のシャウプ税制改革で事務用紙製品の需要が伸び、1950年に京都支店、1951年に名古屋コクヨ商店、1952年に九州支店を開設した。1952年8月には大阪の卸6社との共同出資で大阪コクヨ商事を設立し、取引販売店1,600店の専門代理店へ卸を組み替えた。1959年には紙製品の伸びは続かないと判断し、全社の討議でファイリングキャビネットと感光紙を次の商品に決め、鋼製家具への参入につないだ。
在任の評価
執筆予定
経歴 1905〜1960年
在任中の業績
参考文献 2件
- コクヨ『コクヨ・70年のあゆみ』(1975年)
- コクヨ 有価証券報告書【沿革】