第1章 年〜年

ニチハ:日本ハードボード工業の設立と窯業系外装材の事業化

1956年〜中村國一氏が合板工場の廃材で起こした日本ハードボード工業と、家電・自動車へ売った硬質繊維板

1956年6月、中村國一氏は繊維板の製造・販売を目的として、日本ハードボード工業を愛知県名古屋市に設立した。中村國一氏は当時、のちに日本ハードボード工業の親会社となる合板工場を経営していた。合板の製造では多くの廃材が出ており、中村國一氏はその活用を新会社の設立の狙いに据えた。有価証券報告書の沿革も、設立の目的を木材資源の高度利用と記している。本店の所在地は名古屋市港区木場町で、名古屋工場は同じ港区の汐止町に建設。合板の原料となる木材を端材まで製品に変える仕組みを、グループの中に持とうとしたとみられる。

  • 証券 49(1)(574) 1997年1月(新規上場会社紹介)
    • [1]創業者の中村國一氏が1956年6月、繊維板の製造販売を目的に日本ハードボード工業を名古屋市に設立。経営する合板工場(後の親会社)の廃材の有効利用が目的
    • [2]創業者の中村國一氏が1956年6月、繊維板の製造販売を目的に日本ハードボード工業を名古屋市に設立。経営する合板工場(後の親会社)の廃材の有効利用が目的
    • [3]創業者の中村國一氏が1956年6月、繊維板の製造販売を目的に日本ハードボード工業を名古屋市に設立。経営する合板工場(後の親会社)の廃材の有効利用が目的
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1956年6月、木材資源の高度利用を目的に日本ハードボード工業を設立。本店は名古屋市港区木場町、港区汐止町に名古屋工場を建設
    • [5]1956年6月、木材資源の高度利用を目的に日本ハードボード工業を設立。本店は名古屋市港区木場町、港区汐止町に名古屋工場を建設

1957年8月、日本ハードボード工業はハードボード(硬質繊維板)の生産を始めた。ハードボードは合板に代わる材料として、主に家電や自動車の内装材に採用された。1958年8月には、室内の防音・断熱に向けたインシュレーションボード(軟質繊維板)の生産を追加。販売は設立時から、安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を代理店とした。親会社の合板工場が、原材料の輸入や製品の輸出でこの4社を経由していた取引の縁を引き継いだ。商社を通す取引は、代金回収の事務を軽くし、販売先の信用を商社が補う利点も持っていた。

  • 有価証券報告書【沿革】
    • [6]1957年8月ハードボード生産開始、1958年8月インシュレーションボード生産開始
    • [9]1957年8月ハードボード生産開始、1958年8月インシュレーションボード生産開始
  • 証券 49(1)(574) 1997年1月(新規上場会社紹介)
    • [7]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
    • [8]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
    • [10]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
    • [11]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
    • [12]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
参考文献[1]-[12]
  • 証券 49(1)(574) 1997年1月(新規上場会社紹介)
    • [1]創業者の中村國一氏が1956年6月、繊維板の製造販売を目的に日本ハードボード工業を名古屋市に設立。経営する合板工場(後の親会社)の廃材の有効利用が目的
    • [2]創業者の中村國一氏が1956年6月、繊維板の製造販売を目的に日本ハードボード工業を名古屋市に設立。経営する合板工場(後の親会社)の廃材の有効利用が目的
    • [3]創業者の中村國一氏が1956年6月、繊維板の製造販売を目的に日本ハードボード工業を名古屋市に設立。経営する合板工場(後の親会社)の廃材の有効利用が目的
    • [7]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
    • [8]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
    • [10]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
    • [11]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
    • [12]最初の製品ハードボードは合板の代替として主に家電・自動車の内装材に採用。1958年8月に防音・断熱材向けインシュレーションボードを追加。設立当初から安宅産業・伊藤忠商事・住友商事・三菱商事の4商社を販売代理店とし、親会社の輸出入取引の経緯による。債権管理の簡素化と信用補完の利点
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [4]1956年6月、木材資源の高度利用を目的に日本ハードボード工業を設立。本店は名古屋市港区木場町、港区汐止町に名古屋工場を建設
    • [5]1956年6月、木材資源の高度利用を目的に日本ハードボード工業を設立。本店は名古屋市港区木場町、港区汐止町に名古屋工場を建設
    • [6]1957年8月ハードボード生産開始、1958年8月インシュレーションボード生産開始
    • [9]1957年8月ハードボード生産開始、1958年8月インシュレーションボード生産開始

1970年〜建築基準法の改正で伸び悩む繊維板外装材と、抄造技術を生かした窯業系外装材の事業化

1970年6月の建築基準法の改正を受け、一般住宅の外装材は燃えない材料への切り替えが進んだ。日本ハードボード工業は繊維板を住宅の外装材にも供給しており、その市場が伸び悩む恐れが生じた。当時の製品は、1957年に始めたハードボードと1958年に加えたインシュレーションボードで、どちらも繊維板である。そこで日本ハードボード工業は、繊維板以外の新規事業を推進する方針を決めた。不燃化の規制は主力製品の需要を制度の面から縮める変化であり、繊維板の品目を増やすだけでは対応できないと判断したと推察される。

  • 証券 49(1)(574) 1997年1月(新規上場会社紹介)
    • [13]1970年6月の建築基準法改正で住宅外装材の不燃化が進み、繊維板外装材市場の伸び悩みが懸念されたため、繊維板以外の新規事業の推進を決定
    • [14]1970年6月の建築基準法改正で住宅外装材の不燃化が進み、繊維板外装材市場の伸び悩みが懸念されたため、繊維板以外の新規事業の推進を決定
    • [16]1970年6月の建築基準法改正で住宅外装材の不燃化が進み、繊維板外装材市場の伸び悩みが懸念されたため、繊維板以外の新規事業の推進を決定
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1957年8月ハードボード、1958年8月インシュレーションボードの生産開始

新規事業として日本ハードボード工業が選んだのは、窯業系の外装材の事業化だった。生産では、繊維板づくりで蓄えた抄造の技術を応用できた。販売では、4商社を軸とする既存のルートに新製品を載せられた。1973年4月には、株式の額面を500円から50円に変更するため、東京都千代田区大手町の同名会社と合併した。合併後の本店は名古屋市港区汐止町。新製品には「燃えない」を意味する「モエン」の名を付け、1974年11月の「モエンサイディングM」の生産開始へつないだ。規制で失いかけた住宅外装材の市場に、不燃の材料で戻ろうとした選択と思われる。

  • 証券 49(1)(574) 1997年1月(新規上場会社紹介)
    • [17]新規事業の一環として、生産面の抄造技術と販売面の既存ルートを生かせることから窯業系外装材の事業化を図り、1974年11月にモエン(燃えないの意)サイディングMの生産・販売を開始
    • [18]新規事業の一環として、生産面の抄造技術と販売面の既存ルートを生かせることから窯業系外装材の事業化を図り、1974年11月にモエン(燃えないの意)サイディングMの生産・販売を開始
    • [19]新規事業の一環として、生産面の抄造技術と販売面の既存ルートを生かせることから窯業系外装材の事業化を図り、1974年11月にモエン(燃えないの意)サイディングMの生産・販売を開始
    • [22]新規事業の一環として、生産面の抄造技術と販売面の既存ルートを生かせることから窯業系外装材の事業化を図り、1974年11月にモエン(燃えないの意)サイディングMの生産・販売を開始
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1973年4月、株式額面を500円から50円に変更するため東京都千代田区大手町の日本ハードボード工業と合併し本店を名古屋市港区汐止町に移転。1974年11月モエンサイディングM生産開始
    • [21]1973年4月、株式額面を500円から50円に変更するため東京都千代田区大手町の日本ハードボード工業と合併し本店を名古屋市港区汐止町に移転。1974年11月モエンサイディングM生産開始
    • [23]1973年4月、株式額面を500円から50円に変更するため東京都千代田区大手町の日本ハードボード工業と合併し本店を名古屋市港区汐止町に移転。1974年11月モエンサイディングM生産開始
参考文献[13]-[23]
  • 証券 49(1)(574) 1997年1月(新規上場会社紹介)
    • [13]1970年6月の建築基準法改正で住宅外装材の不燃化が進み、繊維板外装材市場の伸び悩みが懸念されたため、繊維板以外の新規事業の推進を決定
    • [14]1970年6月の建築基準法改正で住宅外装材の不燃化が進み、繊維板外装材市場の伸び悩みが懸念されたため、繊維板以外の新規事業の推進を決定
    • [16]1970年6月の建築基準法改正で住宅外装材の不燃化が進み、繊維板外装材市場の伸び悩みが懸念されたため、繊維板以外の新規事業の推進を決定
    • [17]新規事業の一環として、生産面の抄造技術と販売面の既存ルートを生かせることから窯業系外装材の事業化を図り、1974年11月にモエン(燃えないの意)サイディングMの生産・販売を開始
    • [18]新規事業の一環として、生産面の抄造技術と販売面の既存ルートを生かせることから窯業系外装材の事業化を図り、1974年11月にモエン(燃えないの意)サイディングMの生産・販売を開始
    • [19]新規事業の一環として、生産面の抄造技術と販売面の既存ルートを生かせることから窯業系外装材の事業化を図り、1974年11月にモエン(燃えないの意)サイディングMの生産・販売を開始
    • [22]新規事業の一環として、生産面の抄造技術と販売面の既存ルートを生かせることから窯業系外装材の事業化を図り、1974年11月にモエン(燃えないの意)サイディングMの生産・販売を開始
  • 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1957年8月ハードボード、1958年8月インシュレーションボードの生産開始
    • [20]1973年4月、株式額面を500円から50円に変更するため東京都千代田区大手町の日本ハードボード工業と合併し本店を名古屋市港区汐止町に移転。1974年11月モエンサイディングM生産開始
    • [21]1973年4月、株式額面を500円から50円に変更するため東京都千代田区大手町の日本ハードボード工業と合併し本店を名古屋市港区汐止町に移転。1974年11月モエンサイディングM生産開始
    • [23]1973年4月、株式額面を500円から50円に変更するため東京都千代田区大手町の日本ハードボード工業と合併し本店を名古屋市港区汐止町に移転。1974年11月モエンサイディングM生産開始

出典・参考

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出典・参考
  • 有価証券報告書【沿革】
  • 証券 49(1)(574) 1997年1月(新規上場会社紹介)

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