第4章 年〜年

キヤノン:御手洗冨士夫のセル生産と原価改善による過去最高益

1995年〜急逝した御手洗肇氏から継いだ御手洗冨士夫氏の連結経営と、タイプライター・パソコンからの撤退

1995年、社長の御手洗肇氏が在任中に死去し、副社長の御手洗冨士夫氏が後任の社長に就任した。御手洗冨士夫氏は1989年に23年の米国駐在を終えて帰任していた。帰任後は管理部門の責任者として赤字事業の問題を指摘したが、当時の序列は5番目で提案は通らなかった。社長就任時の借入金は8400億円に達し、事業部制の行き過ぎが投資の無駄と赤字事業の拡大を生んでいた。御手洗冨士夫氏は短期の目標を財務の立て直しに置き、米国で学んだ連結とキャッシュフローで損益を見る方式を全社に持ち込んだ。同じ1995年には、分散していた複写機とプリンターの技術者約1300人を、1996年3月開設の富士裾野リサーチパークへ集約すると決めた。

  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [1]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [3]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [4]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [2]御手洗冨士夫氏は23年の米国駐在を経て1989年に帰国。連結経営・キャッシュフローの考え方を米国駐在で学んだ
    • [5]御手洗冨士夫氏は23年の米国駐在を経て1989年に帰国。連結経営・キャッシュフローの考え方を米国駐在で学んだ
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
    • [6]1996年3月新設の富士裾野リサーチパークに、事業所に分散していた複写機・レーザープリンターなどの技術系社員約1300人を集結させると決定(総投資約1000億円)

御手洗冨士夫氏は会社の目的を利益の追求と定め、事業はその手段と位置づけた。そのうえで不採算の事業から大小7つを一度に撤退し、年間260億円を超えていた赤字を損益から外した。撤退は損益が堅調だった1996年から1997年に終え、タイプライターやパソコンが対象に入った。パソコンから撤退した理由は、東芝・NEC・富士通がLSIを自社で作るのに対し、キヤノンは購入部品を組み立てるだけだった点にある。基幹技術を自前で持たない事業は続けないという基準だった。ただしパソコンの技術者は社内に残し、デジタル複写機の心臓部にあたるコントローラーの開発に充てた。撤退後はデジタルカメラなどの新事業を立ち上げ、国内の雇用を維持した。

  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [7]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [8]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [10]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [11]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [12]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [9]タイプライターやパソコンからの撤退などのリストラは、業績が堅調だった1996年から1997年にかけて終えた。その後はデジタルカメラのような新事業で国内の雇用を守った
    • [13]タイプライターやパソコンからの撤退などのリストラは、業績が堅調だった1996年から1997年にかけて終えた。その後はデジタルカメラのような新事業で国内の雇用を守った

1996年、キヤノンは5年を1期とする中長期の経営計画「グローバル優良企業グループ構想」を始めた。全体最適と利益優先を判断の基準に置き、第1期は事業の選択と集中、財務体質の強化に充てた。1998年8月時点で、連結業績は4期連続の増収増益と2期連続の最高益更新を記録していた。第1期を終えた2000年12月期の連結売上高は2兆6964億円、当期純利益は1340億円だった。構想前の1995年12月期の連結当期純利益は550億円だった。御手洗冨士夫氏は2002年の年次報告書で、第1期を『The management reformation strategies we introduced in 1996 under Phase I of the Excellent Global Corporation Plan placed Canon firmly on the path to profitability.』(訳:1996年に構想の第1期として導入した経営改革が、キヤノンを収益の軌道に確実に乗せた)と総括した。事業を先に絞ったため、構想は規模の目標ではなく利益の目標として機能したとみられる。

  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [14]1996年に中長期の「グローバル優良企業グループ構想」を開始。全体最適と利益優先を基準とし、第1期は事業の選択と集中と財務体質の強化に取り組んだ
    • [15]1996年に中長期の「グローバル優良企業グループ構想」を開始。全体最適と利益優先を基準とし、第1期は事業の選択と集中と財務体質の強化に取り組んだ
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
    • [16]1998年8月時点で4期連続の増収増益、2期連続の最高益更新
  • 有価証券報告書(2000年12月期)
    • [17]2000年12月期 連結売上高26964億円、当期純利益1340億円
  • 証券調査
    • [18]1995年12月期 連結当期純利益550億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [19]2002年の年次報告書で御手洗冨士夫氏が、1996年導入の第1期の改革が収益の軌道を築いたと総括
参考文献[1]-[19]
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [1]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [3]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [4]1995年 前社長の死去で御手洗冨士夫氏が社長に就任。帰任後は管理部門トップ(序列5番目)で赤字事業を指摘しても通らず。就任時の借入金8400億円、事業部制の行き過ぎで投資の無駄と赤字事業が拡大
    • [7]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [8]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [10]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [11]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
    • [12]利益優先主義を掲げ、不採算部門を大小7つ一気に切り捨てた(赤字は年間260億円以上)。パソコンはLSIを自社で作らず組み立てるだけで競争力がないため撤退し、技術者はデジタル複写機のコントローラー開発に充てた
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [2]御手洗冨士夫氏は23年の米国駐在を経て1989年に帰国。連結経営・キャッシュフローの考え方を米国駐在で学んだ
    • [5]御手洗冨士夫氏は23年の米国駐在を経て1989年に帰国。連結経営・キャッシュフローの考え方を米国駐在で学んだ
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
    • [6]1996年3月新設の富士裾野リサーチパークに、事業所に分散していた複写機・レーザープリンターなどの技術系社員約1300人を集結させると決定(総投資約1000億円)
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [9]タイプライターやパソコンからの撤退などのリストラは、業績が堅調だった1996年から1997年にかけて終えた。その後はデジタルカメラのような新事業で国内の雇用を守った
    • [13]タイプライターやパソコンからの撤退などのリストラは、業績が堅調だった1996年から1997年にかけて終えた。その後はデジタルカメラのような新事業で国内の雇用を守った
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [14]1996年に中長期の「グローバル優良企業グループ構想」を開始。全体最適と利益優先を基準とし、第1期は事業の選択と集中と財務体質の強化に取り組んだ
    • [15]1996年に中長期の「グローバル優良企業グループ構想」を開始。全体最適と利益優先を基準とし、第1期は事業の選択と集中と財務体質の強化に取り組んだ
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
    • [16]1998年8月時点で4期連続の増収増益、2期連続の最高益更新
  • 有価証券報告書(2000年12月期)
    • [17]2000年12月期 連結売上高26964億円、当期純利益1340億円
  • 証券調査
    • [18]1995年12月期 連結当期純利益550億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [19]2002年の年次報告書で御手洗冨士夫氏が、1996年導入の第1期の改革が収益の軌道を築いたと総括

1998年〜ベルトコンベヤーをやめたセル生産と、ニューヨーク証券取引所への上場

キヤノンは1997年から生産ラインのベルトコンベヤーを外し、少人数で製品を組み上げるセル生産を全面的に取り入れた。御手洗冨士夫氏が調べると、年間50億円のコストダウンは外注先への値下げ要請に依存し、工場自身の改善は進んでいなかった。指導にはトヨタ生産方式を広めたPEC産業教育センター所長の山田日登志氏を招いた。複写機工場では仕掛品が20日分から7〜8日分に減り、完成品の在庫は2か月分から半減した。生産性は中級機で4割、高級機で3割改善した。御手洗冨士夫氏は全社の切り替えについて、『Our Groupwide shift to cell production, which was completed in 2002, eliminated more than 20 kilometers of conveyor belt and dozens of automated storage systems, freeing large volumes of internal and external floor space.』(訳:2002年に完了したグループ全体のセル生産への移行で、20kmを超えるベルトコンベヤーと数十の自動倉庫を撤去し、社内外の広い床面積を空けた)と記した。

  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [20]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [22]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [23]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [24]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [21]年間50億円のコストダウンは外注先から値切るだけで工場自身の努力がなかったため、ベルトコンベヤーをやめてセル生産とジャスト・イン・タイムを導入した
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [25]グループ全体のセル生産への移行は2002年に完了し、20km超のベルトコンベヤーと数十の自動倉庫を撤去した

在庫の圧縮は、借入金の返済と研究開発の原資を同時に生んだ。仕掛品と部品の在庫が減って工場の運転資金は3分の1以下となり、千数百億円の資金が浮いた。1998年12月末から1999年10月末にかけて在庫は600億円減り、円高で減収減益の年でも現金は増えた。有利子負債は1992年12月期に8218億円あり、2001年9月末の2.8倍の水準だった。一方で2000年12月期の研究開発費は売上高の7%にあたる1945億円、設備投資は1709億円を維持した。御手洗冨士夫氏は、次の収益源が育つまでの間を財務体質を整えたまま耐えることを、キャッシュフロー経営の目的に置いた。キヤノンは2002年の年次報告書で『By reducing our dependency on debt, we have freed sufficient capital to invest in new technology development without relying on debt financing.』(訳:借入への依存を減らしたことで、借入に頼らずに新技術の開発へ投資できる資本を確保した)と記した。

  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [26]セル生産とジャスト・イン・タイムで仕掛品・部品在庫が減り、工場の運転資金が3分の1以下になって千数百億円の資金が浮き、8年間で約7000億円の借金を返済した
    • [27]セル生産とジャスト・イン・タイムで仕掛品・部品在庫が減り、工場の運転資金が3分の1以下になって千数百億円の資金が浮き、8年間で約7000億円の借金を返済した
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [28]1998年12月末から1999年10月末で在庫が600億円減少し、円高で減収減益でもキャッシュは増えた。次の柱が出るまでの間を財務体質を整えて耐えるのがキャッシュフロー経営
    • [31]1998年12月末から1999年10月末で在庫が600億円減少し、円高で減収減益でもキャッシュは増えた。次の柱が出るまでの間を財務体質を整えて耐えるのがキャッシュフロー経営
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [29]1992年12月期の有利子負債8218億円は2001年9月末の2.8倍。2000年12月期の研究開発費1945億円(売上高の7%)、設備投資1709億円
    • [30]1992年12月期の有利子負債8218億円は2001年9月末の2.8倍。2000年12月期の研究開発費1945億円(売上高の7%)、設備投資1709億円
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [32]借入依存を減らし、借入に頼らず新技術開発へ投資する資本を確保した

2000年9月、キヤノンはニューヨーク証券取引所に上場した。キヤノンは連結財務諸表を米国会計基準で作成しており、開示の基準はすでに米国の投資家と揃っていた。1999年時点で連結売上高に占める日本国内の比率は27%程度で、キヤノン製品に限れば20%を下回っていた。従業員約8万人のうち半数以上が日本人以外だった。御手洗冨士夫氏は、米国人の6割がキヤノンを米国の会社と認識しているという調査結果も挙げていた。御手洗冨士夫氏は同じ時期、日本・米国・欧州に本社を置く3本社制を構想し、米欧の本社代表を日本本社の役員に加える考えを示していた。売上と人員の過半を海外に置く会社として、株主の構成も米国の市場へ開く必要があると判断したのだろう。

  • 有価証券報告書(第101期)
    • [33]平成12年(2000年)9月 ニューヨーク証券取引所に上場
    • [34]米国会計基準によって連結財務諸表を作成している
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [35]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [36]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [37]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [38]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
参考文献[20]-[38]
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
    • [20]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [22]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [23]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [24]97年からPEC産業教育センター山田日登志所長の指導でライン無しのセル方式を全面導入。仕掛品20日分→7〜8日分、完成品在庫2カ月分→半減、生産性は中級複写機で4割・高級機で3割改善
    • [29]1992年12月期の有利子負債8218億円は2001年9月末の2.8倍。2000年12月期の研究開発費1945億円(売上高の7%)、設備投資1709億円
    • [30]1992年12月期の有利子負債8218億円は2001年9月末の2.8倍。2000年12月期の研究開発費1945億円(売上高の7%)、設備投資1709億円
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [21]年間50億円のコストダウンは外注先から値切るだけで工場自身の努力がなかったため、ベルトコンベヤーをやめてセル生産とジャスト・イン・タイムを導入した
    • [26]セル生産とジャスト・イン・タイムで仕掛品・部品在庫が減り、工場の運転資金が3分の1以下になって千数百億円の資金が浮き、8年間で約7000億円の借金を返済した
    • [27]セル生産とジャスト・イン・タイムで仕掛品・部品在庫が減り、工場の運転資金が3分の1以下になって千数百億円の資金が浮き、8年間で約7000億円の借金を返済した
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [25]グループ全体のセル生産への移行は2002年に完了し、20km超のベルトコンベヤーと数十の自動倉庫を撤去した
    • [32]借入依存を減らし、借入に頼らず新技術開発へ投資する資本を確保した
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
    • [28]1998年12月末から1999年10月末で在庫が600億円減少し、円高で減収減益でもキャッシュは増えた。次の柱が出るまでの間を財務体質を整えて耐えるのがキャッシュフロー経営
    • [31]1998年12月末から1999年10月末で在庫が600億円減少し、円高で減収減益でもキャッシュは増えた。次の柱が出るまでの間を財務体質を整えて耐えるのがキャッシュフロー経営
    • [35]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [36]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [37]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
    • [38]1999年時点で連結売上高の国内比率は27%程度、キヤノン製品のみでは20%未満。従業員8万人の半分以上が日本人以外。日米欧3本社制を構想し、米欧本社代表を日本本社役員にする考え。米国人の6割はキヤノンを米国の会社と思っている
  • 有価証券報告書(第101期)
    • [33]平成12年(2000年)9月 ニューヨーク証券取引所に上場
    • [34]米国会計基準によって連結財務諸表を作成している

2002年〜特許網で守った自前主義と、アネルバ買収のあとに達成した営業利益7566億円

2001年からの構想第2期で、キヤノンは基幹部品とデバイスの自社開発を主要戦略に置き、年次報告書に『Developing key components and devices in-house is a primary strategy under Phase II of the Excellent Global Corporation Plan』(訳:基幹部品とデバイスの自社開発は、グローバル優良企業グループ構想第2期の主要戦略である)と記した。御手洗冨士夫氏は米国の販売会社で、決め手のないパソコンやカムコーダーの販売に苦労した経験から、基幹部品の内製を重んじた。デジタル一眼レフの光センサーは、1999年にNKKから工場を取得し、三菱電機から技術を導入して自社で作った。電子写真のエンジンに関する米国の特許登録件数は、1998年の178件から2002年には270件に増え、競合各社を上回った。2005年には米国特許の取得件数で民間2位となり、14年続けて上位3社に入った。

  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [39]基幹部品とデバイスの自社開発を構想第2期の主要戦略と位置づけた
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [40]米国販社で決め手のないパソコンやカムコーダーを売らされた経験からキーデバイスの重要性を痛感。一眼レフ用CMOSセンサーは99年にNKKから工場を取得し三菱電機から技術導入して内製した
    • [41]米国販社で決め手のないパソコンやカムコーダーを売らされた経験からキーデバイスの重要性を痛感。一眼レフ用CMOSセンサーは99年にNKKから工場を取得し三菱電機から技術導入して内製した
  • 日経ビジネス 2003年6月2日号
    • [42]電子写真エンジン分野の米国登録特許件数はキヤノンが1998年178件→2002年270件で、競合5社3グループを上回る
  • CANON ANNUAL REPORT 2005
    • [43]2005年の米国特許取得件数で民間2位、14年連続で上位3位以内

2005年9月30日、キヤノンは真空薄膜技術を持つアネルバの全株式を取得して子会社とし、10月1日にキヤノンアネルバへ改称した。狙いは、製品の差別化に欠かせないと判断した製造装置を自社で持ち、新たなディスプレー事業にも備えることにあった。重点はSEDパネルを低コストで量産する生産技術と設備に置いた。同じ年には大阪証券取引所第2部に上場していたNECマシナリーの株式も取得した。自動化機械の設計・製造技術を持つ同社は、キヤノンマシナリーとしてグループに加わった。キヤノンは2005年に生産自動化の特別委員会を設け、人手に依存しない生産方式の確立を目標に掲げた。2006年からの構想第3期は、国際競争力を保つ新しい生産システムの確立を5つの重点戦略の一つとした。

  • CANON ANNUAL REPORT 2005
    • [44]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [45]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [46]第3期の重点としてSEDの低コスト生産技術と設備の開発を最優先し、アネルバの高真空薄膜技術の寄与を見込んだ
    • [47]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [48]2005年に生産自動化特別委員会を設置し、労働力に依存しない生産方式を目指す。自動化機械の設計・製造技術を持つキヤノンマシナリーを連結グループに迎えた
    • [49]2005年に生産自動化特別委員会を設置し、労働力に依存しない生産方式を目指す。自動化機械の設計・製造技術を持つキヤノンマシナリーを連結グループに迎えた
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [50]構想第3期の5つの重点戦略の一つに、国際競争力を保つ新しい生産システムの確立

2006年5月、御手洗冨士夫氏は日本経団連の会長に就任し、キヤノンでは会長兼CEOに移った。後任の社長兼COOには内田恒二氏が就任し、構想第3期の目標達成を新体制で進めることになった。2007年12月期の連結営業利益は7566億7300万円、売上高は4兆4813億円だった。内田恒二氏は2008年の目標について、『we are confident that Canon will achieve sales and profit growth for a ninth consecutive year.』(訳:キヤノンは9期連続の増収増益を達成できると確信している)と記した。しかし2008年10月27日、米国の金融機関の破綻に端を発した世界的な株安と円高を受け、通期の見通しを引き下げた。修正後の見通しは売上高4兆2500億円、営業利益5800億円だった。経営の分担を分けた直後に外部環境が急変し、第3期の成長の前提が崩れたと推察される。

  • CANON ANNUAL REPORT 2006
    • [51]2006年5月 御手洗冨士夫氏が日本経団連会長に就任し会長兼CEOに、内田恒二氏が社長兼COOに就任。新体制で第3期目標の達成を進める
    • [52]2006年5月 御手洗冨士夫氏が日本経団連会長に就任し会長兼CEOに、内田恒二氏が社長兼COOに就任。新体制で第3期目標の達成を進める
  • 有価証券報告書(2007年12月期)
    • [53]2007年12月期 連結営業利益756,673百万円、売上高4,481,346百万円
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [54]2008年に9期連続の増収増益を達成できると確信していると社長が記した
  • 決算短信 2008年10月27日(2008年第3四半期連結決算)
    • [55]2008年10月27日 米国金融機関の破綻を発端とする世界的株安と円高(第4四半期想定1ドル100円・1ユーロ135円)を受け、通期見通しを売上高4兆2500億円・営業利益5800億円・純利益3750億円に下方修正
    • [56]2008年10月27日 米国金融機関の破綻を発端とする世界的株安と円高(第4四半期想定1ドル100円・1ユーロ135円)を受け、通期見通しを売上高4兆2500億円・営業利益5800億円・純利益3750億円に下方修正
参考文献[39]-[56]
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
    • [39]基幹部品とデバイスの自社開発を構想第2期の主要戦略と位置づけた
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
    • [40]米国販社で決め手のないパソコンやカムコーダーを売らされた経験からキーデバイスの重要性を痛感。一眼レフ用CMOSセンサーは99年にNKKから工場を取得し三菱電機から技術導入して内製した
    • [41]米国販社で決め手のないパソコンやカムコーダーを売らされた経験からキーデバイスの重要性を痛感。一眼レフ用CMOSセンサーは99年にNKKから工場を取得し三菱電機から技術導入して内製した
  • 日経ビジネス 2003年6月2日号
    • [42]電子写真エンジン分野の米国登録特許件数はキヤノンが1998年178件→2002年270件で、競合5社3グループを上回る
  • CANON ANNUAL REPORT 2005
    • [43]2005年の米国特許取得件数で民間2位、14年連続で上位3位以内
    • [44]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [45]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [46]第3期の重点としてSEDの低コスト生産技術と設備の開発を最優先し、アネルバの高真空薄膜技術の寄与を見込んだ
    • [47]2005年9月30日 アネルバの全株式を取得し子会社化、10月1日にキヤノンアネルバへ改称。製品差別化に不可欠な製造装置の内製化とディスプレー事業が目的。大証2部上場のNECマシナリーの株式も取得
    • [48]2005年に生産自動化特別委員会を設置し、労働力に依存しない生産方式を目指す。自動化機械の設計・製造技術を持つキヤノンマシナリーを連結グループに迎えた
    • [49]2005年に生産自動化特別委員会を設置し、労働力に依存しない生産方式を目指す。自動化機械の設計・製造技術を持つキヤノンマシナリーを連結グループに迎えた
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
    • [50]構想第3期の5つの重点戦略の一つに、国際競争力を保つ新しい生産システムの確立
    • [54]2008年に9期連続の増収増益を達成できると確信していると社長が記した
  • CANON ANNUAL REPORT 2006
    • [51]2006年5月 御手洗冨士夫氏が日本経団連会長に就任し会長兼CEOに、内田恒二氏が社長兼COOに就任。新体制で第3期目標の達成を進める
    • [52]2006年5月 御手洗冨士夫氏が日本経団連会長に就任し会長兼CEOに、内田恒二氏が社長兼COOに就任。新体制で第3期目標の達成を進める
  • 有価証券報告書(2007年12月期)
    • [53]2007年12月期 連結営業利益756,673百万円、売上高4,481,346百万円
  • 決算短信 2008年10月27日(2008年第3四半期連結決算)
    • [55]2008年10月27日 米国金融機関の破綻を発端とする世界的株安と円高(第4四半期想定1ドル100円・1ユーロ135円)を受け、通期見通しを売上高4兆2500億円・営業利益5800億円・純利益3750億円に下方修正
    • [56]2008年10月27日 米国金融機関の破綻を発端とする世界的株安と円高(第4四半期想定1ドル100円・1ユーロ135円)を受け、通期見通しを売上高4兆2500億円・営業利益5800億円・純利益3750億円に下方修正

1995年〜2008年の業績

決算期 区分 売上高 営業利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1995年12月期 連結 21,656 n/a n/a 550 2.5% n/a
1996年12月期 連結 25,582 +18.1% n/a 941 3.7% n/a
1997年12月期 連結 26,695 +4.4% n/a 1,188 4.5% n/a
1998年12月期 連結 27,360 +2.5% n/a 1,095 4.0% n/a
1999年12月期 連結 25,308 ▲7.5% n/a 702 2.8% n/a
2000年12月期 連結 26,964 +6.5% n/a 1,340 5.0% n/a
2001年12月期 連結 29,075 +7.8% n/a 1,675 5.8% n/a
2002年12月期 連結 29,401 +1.1% n/a 1,907 6.5% n/a
2003年12月期 連結 31,980 +8.8% n/a 2,757 8.6% n/a
2004年12月期 連結 34,678 +8.4% 5,438 3,433 9.9% n/a
2005年12月期 連結 37,541 +8.3% 5,830 3,840 10.2% n/a
2006年12月期 連結 41,567 +10.7% 7,070 4,553 11.0% n/a
2007年12月期 連結 44,813 +7.8% 7,567 4,883 10.9% n/a
2008年12月期 連結 40,941 ▲8.6% 4,961 3,091 7.5% n/a

出所:証券調査、有価証券報告書

出典・参考

15件
出典・参考
  • 有価証券報告書(2000年12月期)
  • 有価証券報告書(2007年12月期)
  • 決算短信 2008年10月27日(2008年第3四半期連結決算)
  • 有価証券報告書(第101期)
  • 日経ビジネス 1995年12月4日号
  • 日経ビジネス 1998年8月24日号
  • 日経ビジネス 2000年1月31日号
  • 日経ビジネス 2002年1月7日号
  • 日経ビジネス 2003年6月2日号
  • 日経ビジネス 2004年1月5日号
  • CANON ANNUAL REPORT 2002
  • CANON ANNUAL REPORT 2005
  • CANON ANNUAL REPORT 2006
  • CANON ANNUAL REPORT 2007
  • 証券調査

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