第1章 年〜年

日本コロムビア:日本蓄音器商会の設立と英米コロムビアの資本参加

1910年〜川崎で始めた国産初の蓄音器と、資本金35万円の日本蓄音器商会

1907年、F.W.ホーン氏の個人経営の日米蓄音器商会と同系の製造会社として、日米蓄音器製造株式会社が設立された。工場は現在の川崎工場の敷地の一部に置かれた。蓄音器と円盤の双方を日本で作り始めた会社としては、日米蓄音器製造が最も早かった。1955年時点で日本コロムビアの本社は川崎市港町にあり、創業の工場の地に本拠を置き続けた。1968年刊の企業史にも、日米蓄音器製造を国内初の蓄音器とレコードの製造者とする記述がある。販売を担う商会は個人経営のままで、製造と販売は2つの主体に分かれて出発した。輸入盤では邦楽の品揃えに限りがあり、機械と円盤の双方を国内で作る体制を販売の法人化より先に整えたとみられる。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [1]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [2]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [3]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [4]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [6]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [5]1907年設立の日米蓄音器製造が国内で初めて蓄音器とレコードの製造にあたった

1910年10月1日、F.W.ホーン氏は個人で営んでいた商会を、資本金35万円の株式会社日本蓄音器商会に改組した。初代社長にはF.W.ホーン氏自身が就任。1964年版の会社総覧は、この設立を日本最初の蓄音器とレコードの製造会社の起点に位置づけている。法人化の翌年の1911年、日本蓄音器商会は日本で最初の国産のラッパなし蓄音機を発売した。ラッパなし蓄音機は人気を得て、大正末期まで使われ続けた。1968年時点の日本コロムビアも、この1910年10月1日を設立日としていた。売る側を株式会社に改めたことで、製造会社の新製品を全国へ流す販売の体制が整ったと読める。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [7]前身はF.W.ホーン氏個人経営の日米蓄音器商会(のち日本蓄音器商会)で、1910年10月に資本金35万円の株式会社に改組
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [8]1910年10月1日創立、初代社長F.W.ホーン氏。1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された。1968年時点の設立日も1910年10月1日
    • [10]1910年10月1日創立、初代社長F.W.ホーン氏。1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された。1968年時点の設立日も1910年10月1日
    • [11]1910年10月1日創立、初代社長F.W.ホーン氏。1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された。1968年時点の設立日も1910年10月1日
    • [12]1910年10月1日創立、初代社長F.W.ホーン氏。1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された。1968年時点の設立日も1910年10月1日
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本コロムビア」
    • [9]1910年10月、資本金35万円で日本最初の蓄音器・レコードの製造会社として設立

1912年4月、日本蓄音器商会は日米蓄音器製造を吸収合併した。1907年の製造会社の設立から5年を経て、製造と販売は1つの会社に統合された。この合併が、のちの日本コロムビアの土台である。合併後の会社は、1955年時点で国内最古かつ最大のレコード会社となり、国内レコード総生産高の40%近くを占めた。同じ時点で邦楽の専属芸能人は約200名を数え、新譜の生産は毎月およそ100種類に及んだ。製造会社の設立と販売会社の改組の順に進めた体制づくりは、合併で一巡した。録音とプレスから販売までを一社に統合した判断が、のちの規模の起点になったと推察される。

  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [13]日米蓄音器製造は1912年4月に日本蓄音器商会に吸収合併された
    • [14]日米蓄音器製造は1912年4月に日本蓄音器商会に吸収合併された
    • [18]日米蓄音器製造は1912年4月に日本蓄音器商会に吸収合併された
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [15]1912年の吸収合併で今日の基礎を築いた。1955年時点で国内最古最大のレコード会社、総生産高の40%近く、邦楽専属約200名、月約100種の新譜
    • [16]1912年の吸収合併で今日の基礎を築いた。1955年時点で国内最古最大のレコード会社、総生産高の40%近く、邦楽専属約200名、月約100種の新譜
    • [17]1912年の吸収合併で今日の基礎を築いた。1955年時点で国内最古最大のレコード会社、総生産高の40%近く、邦楽専属約200名、月約100種の新譜
参考文献[1]-[18]
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [1]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [2]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [3]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [4]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [6]1907年、F.W.ホーン氏個人経営の商会と同系の日米蓄音器製造(株)が現川崎工場の一部に設立され、国内初の蓄音器・レコード製造に着手した
    • [7]前身はF.W.ホーン氏個人経営の日米蓄音器商会(のち日本蓄音器商会)で、1910年10月に資本金35万円の株式会社に改組
    • [15]1912年の吸収合併で今日の基礎を築いた。1955年時点で国内最古最大のレコード会社、総生産高の40%近く、邦楽専属約200名、月約100種の新譜
    • [16]1912年の吸収合併で今日の基礎を築いた。1955年時点で国内最古最大のレコード会社、総生産高の40%近く、邦楽専属約200名、月約100種の新譜
    • [17]1912年の吸収合併で今日の基礎を築いた。1955年時点で国内最古最大のレコード会社、総生産高の40%近く、邦楽専属約200名、月約100種の新譜
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [5]1907年設立の日米蓄音器製造が国内で初めて蓄音器とレコードの製造にあたった
    • [8]1910年10月1日創立、初代社長F.W.ホーン氏。1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された。1968年時点の設立日も1910年10月1日
    • [10]1910年10月1日創立、初代社長F.W.ホーン氏。1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された。1968年時点の設立日も1910年10月1日
    • [11]1910年10月1日創立、初代社長F.W.ホーン氏。1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された。1968年時点の設立日も1910年10月1日
    • [12]1910年10月1日創立、初代社長F.W.ホーン氏。1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された。1968年時点の設立日も1910年10月1日
    • [13]日米蓄音器製造は1912年4月に日本蓄音器商会に吸収合併された
    • [14]日米蓄音器製造は1912年4月に日本蓄音器商会に吸収合併された
    • [18]日米蓄音器製造は1912年4月に日本蓄音器商会に吸収合併された
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本コロムビア」
    • [9]1910年10月、資本金35万円で日本最初の蓄音器・レコードの製造会社として設立

1913年〜関東大震災で損じた横浜の本店と、大和木工の買収

1923年9月の関東大震災で、横浜にあった本店と川崎工場は大きな損害を受けた。1968年刊の企業史も、本店と川崎工場の被災を記録している。日本蓄音器商会が新譜を発売して販売を再開したのは同年11月で、震災から2か月後である。復旧と並行して、1925年ごろにはニッポダインの商標でラジオの生産に着手した。ラジオは蓄音器とレコードに次ぐ製品となり、1943年ごろには月産2,000台前後の規模となった。本店の所在地は、1955年時点では川崎市港町に移っていた。新譜を毎月出し続ける商いでは供給の途切れが顧客の離反に直結するため、工場の復旧を待たずに新譜を優先したと解される。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [19]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [21]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [22]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [23]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [24]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [20]1923年9月の関東大震災で横浜の本店と川崎工場が大損害を受けた

1924年9月、日本蓄音器商会による大和木工の買収。大和木工はのちに日蓄木材工業と改称し、1955年時点で資本金2,000万円の全株式を日本コロムビアが保有した。工場は静岡県の舞坂駅前にあり、製品はラジオと電蓄とテレビのキャビネットである。日本蓄音器商会は1911年に国産のラッパなし蓄音機を発売し、ラッパなし蓄音機は大正末期まで人気を保った。震災の翌年の買収であり、翌1925年ごろにはニッポダインの商標でラジオの生産にも着手した。機械を木の箱に収める製品が主力になったことで、外箱の木工を社内に置く必要が高まったと思われる。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [25]1924年9月に大和木工を買収。現在の日蓄木材工業(資本金2,000万円、全株式所有)で、静岡県舞坂駅前の工場でラジオ・電蓄・テレビのキャビネットを製造。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手
    • [26]1924年9月に大和木工を買収。現在の日蓄木材工業(資本金2,000万円、全株式所有)で、静岡県舞坂駅前の工場でラジオ・電蓄・テレビのキャビネットを製造。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手
    • [27]1924年9月に大和木工を買収。現在の日蓄木材工業(資本金2,000万円、全株式所有)で、静岡県舞坂駅前の工場でラジオ・電蓄・テレビのキャビネットを製造。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手
    • [29]1924年9月に大和木工を買収。現在の日蓄木材工業(資本金2,000万円、全株式所有)で、静岡県舞坂駅前の工場でラジオ・電蓄・テレビのキャビネットを製造。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [28]1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された
参考文献[19]-[29]
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [19]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [21]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [22]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [23]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [24]1923年9月の関東大震災で本店(横浜)と川崎工場が大損害、同年11月に新譜を販売。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手、1943年ごろ月産2,000台前後。1955年時点の本社は川崎市港町
    • [25]1924年9月に大和木工を買収。現在の日蓄木材工業(資本金2,000万円、全株式所有)で、静岡県舞坂駅前の工場でラジオ・電蓄・テレビのキャビネットを製造。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手
    • [26]1924年9月に大和木工を買収。現在の日蓄木材工業(資本金2,000万円、全株式所有)で、静岡県舞坂駅前の工場でラジオ・電蓄・テレビのキャビネットを製造。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手
    • [27]1924年9月に大和木工を買収。現在の日蓄木材工業(資本金2,000万円、全株式所有)で、静岡県舞坂駅前の工場でラジオ・電蓄・テレビのキャビネットを製造。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手
    • [29]1924年9月に大和木工を買収。現在の日蓄木材工業(資本金2,000万円、全株式所有)で、静岡県舞坂駅前の工場でラジオ・電蓄・テレビのキャビネットを製造。1925年ごろニッポダイン商標でラジオ生産に着手
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [20]1923年9月の関東大震災で横浜の本店と川崎工場が大損害を受けた
    • [28]1911年に日本最初の国産ラッパなし蓄音機を発売し、大正末期まで愛用された

1927年〜英国コロムビアの3割超の出資と、二連音符マークへの商標の統一

1927年5月、英国コロムビアは日本蓄音器商会の株式の35.7%を取得し、米国コロムビアも11.7%を取得した。日本蓄音器商会は、この資本参加で英米コロムビアの系列に入った。英米2社の持ち分は合わせて47.4%となり、議決権の半数に迫った。1955年刊の会社史は、英国コロムビアの持ち分を3割以上と記録した。1968年刊の企業史では、英米コロムビアの合計は5割近くとなっている。英米の系列にあった期間は1935年10月まで続き、この離脱で日本蓄音器商会は外国の資本と外国人の経営の双方から離れた。震災の損害から4年後の資本受け入れであり、復旧の資金と英米の録音技術を同時に得る狙いがあったのだろう。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本コロムビア」
    • [30]1927年5月、英国コロムビアが株式の35.7%、米国コロムビアが11.7%を取得し、英米コロムビアの系列となる
    • [31]1927年5月、英国コロムビアが株式の35.7%、米国コロムビアが11.7%を取得し、英米コロムビアの系列となる
    • [32]1927年5月、英国コロムビアが株式の35.7%、米国コロムビアが11.7%を取得し、英米コロムビアの系列となる
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [33]1927年、英国コロムビアが株式の3割以上を取得。1935年10月に初めて外国資本並びに人的支配より離脱
    • [35]1927年、英国コロムビアが株式の3割以上を取得。1935年10月に初めて外国資本並びに人的支配より離脱
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [34]1927年に英米の資本系列下に入り、英米コロムビアが株式の5割近くを取得

1931年7月、日本蓄音器商会はコロムビアの商標の譲渡を受けた。それまで使っていたイーグルなどの商標をやめ、レコードのマークを二連音符のコロムビア・マークに統一した。二連音符のマークは、米国コロムビアがレコードを蝋管から円盤へ切り替える際に選んだ意匠にあたる。英語ではTWIN NOTES(双子の音符)、MAGIC NOTES(魔術の音符)と呼ばれた。同じ1931年、コロムビア・マークのネオンが川崎工場に完成し、東海道線の車窓の名物となった。1955年時点でも、二連音符のマークは社章として使われていた。商標を系列の共通のマークへ一本化したことで、国内の盤と英米の盤を同じ看板で売れるようになったと考えられる。

  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本コロムビア」
    • [36]1931年7月にコロムビア商標の譲渡を受け、「イーグル」その他のマークを二連音符のコロムビアマークに統一
    • [37]1931年7月にコロムビア商標の譲渡を受け、「イーグル」その他のマークを二連音符のコロムビアマークに統一
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [38]二連音符は米国コロムビアが蝋管から円盤への転換時に選定したTWIN NOTES/MAGIC NOTES。1931年に川崎工場にコロムビア・マークのネオンが完成し東海道線の名物に
    • [39]二連音符は米国コロムビアが蝋管から円盤への転換時に選定したTWIN NOTES/MAGIC NOTES。1931年に川崎工場にコロムビア・マークのネオンが完成し東海道線の名物に
    • [40]二連音符は米国コロムビアが蝋管から円盤への転換時に選定したTWIN NOTES/MAGIC NOTES。1931年に川崎工場にコロムビア・マークのネオンが完成し東海道線の名物に
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [41]1931年に二連音符のコロムビア・マークを譲り受け、イーグルその他の商標を統一。1955年時点の社章

1932年1月、日本蓄音器商会は営業目的に電気製品とテレビの製造販売を加えた。1955年刊の会社史は、この営業目的の追加をラジオと電蓄とテレビ受像機の生産へ進出する素地と位置づけた。1964年版の会社総覧にも、同じ1932年1月に電器製品とテレビ受像機の製造販売を目的に加えたとの記録がある。1968年刊の企業史は、この追加を電機製品の生産に進出する基礎と記した。3年後の1935年10月、英国コロムビアの持株を日本産業が譲り受け、日本蓄音器商会は外国資本の支配から離脱。蓄音器とレコードに続く収益源を電気製品に求めた判断が、外資離脱後の電機事業の土台になったと推測される。

  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [42]1932年1月に営業目的に電気製品・テレビの製造販売を加え、ラジオ・電蓄・テレビ受像機生産の素地を作った。1935年10月に英国コロムビアの持株を日本産業が譲り受け外国資本から離脱
    • [43]1932年1月に営業目的に電気製品・テレビの製造販売を加え、ラジオ・電蓄・テレビ受像機生産の素地を作った。1935年10月に英国コロムビアの持株を日本産業が譲り受け外国資本から離脱
    • [46]1932年1月に営業目的に電気製品・テレビの製造販売を加え、ラジオ・電蓄・テレビ受像機生産の素地を作った。1935年10月に英国コロムビアの持株を日本産業が譲り受け外国資本から離脱
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本コロムビア」
    • [44]1932年1月、営業目的に電器製品およびテレビ受像機の製造販売を加える
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [45]1932年に営業目的に電気製品・テレビの製造販売を加え、ラジオ・電蓄・テレビ受像機生産進出の基礎をつくった
参考文献[30]-[46]
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本コロムビア」
    • [30]1927年5月、英国コロムビアが株式の35.7%、米国コロムビアが11.7%を取得し、英米コロムビアの系列となる
    • [31]1927年5月、英国コロムビアが株式の35.7%、米国コロムビアが11.7%を取得し、英米コロムビアの系列となる
    • [32]1927年5月、英国コロムビアが株式の35.7%、米国コロムビアが11.7%を取得し、英米コロムビアの系列となる
    • [36]1931年7月にコロムビア商標の譲渡を受け、「イーグル」その他のマークを二連音符のコロムビアマークに統一
    • [37]1931年7月にコロムビア商標の譲渡を受け、「イーグル」その他のマークを二連音符のコロムビアマークに統一
    • [44]1932年1月、営業目的に電器製品およびテレビ受像機の製造販売を加える
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
    • [33]1927年、英国コロムビアが株式の3割以上を取得。1935年10月に初めて外国資本並びに人的支配より離脱
    • [35]1927年、英国コロムビアが株式の3割以上を取得。1935年10月に初めて外国資本並びに人的支配より離脱
    • [41]1931年に二連音符のコロムビア・マークを譲り受け、イーグルその他の商標を統一。1955年時点の社章
    • [42]1932年1月に営業目的に電気製品・テレビの製造販売を加え、ラジオ・電蓄・テレビ受像機生産の素地を作った。1935年10月に英国コロムビアの持株を日本産業が譲り受け外国資本から離脱
    • [43]1932年1月に営業目的に電気製品・テレビの製造販売を加え、ラジオ・電蓄・テレビ受像機生産の素地を作った。1935年10月に英国コロムビアの持株を日本産業が譲り受け外国資本から離脱
    • [46]1932年1月に営業目的に電気製品・テレビの製造販売を加え、ラジオ・電蓄・テレビ受像機生産の素地を作った。1935年10月に英国コロムビアの持株を日本産業が譲り受け外国資本から離脱
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
    • [34]1927年に英米の資本系列下に入り、英米コロムビアが株式の5割近くを取得
    • [38]二連音符は米国コロムビアが蝋管から円盤への転換時に選定したTWIN NOTES/MAGIC NOTES。1931年に川崎工場にコロムビア・マークのネオンが完成し東海道線の名物に
    • [39]二連音符は米国コロムビアが蝋管から円盤への転換時に選定したTWIN NOTES/MAGIC NOTES。1931年に川崎工場にコロムビア・マークのネオンが完成し東海道線の名物に
    • [40]二連音符は米国コロムビアが蝋管から円盤への転換時に選定したTWIN NOTES/MAGIC NOTES。1931年に川崎工場にコロムビア・マークのネオンが完成し東海道線の名物に
    • [45]1932年に営業目的に電気製品・テレビの製造販売を加え、ラジオ・電蓄・テレビ受像機生産進出の基礎をつくった

出典・参考

3件
出典・参考
  • 会社銀行八十年史(1955年)「日本コロムビア」
  • 企業の歴史 明治百年(1968年)「日本コロムビア」
  • ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版「日本コロムビア」

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