決断
借りた技術は更新せず、期限が切れるたび自前へ切り替えた。1965年5月に米ミルトン・ロイ社との提携期間が切れると再契約せずに自力開発へ移り、独自のミルフロー制御容量ポンプは定量注入ポンプで世界2位の売上を占めた。ケミポンプ社との10年の提携が切れたあとのノンシールポンプも、自社技術で作り直している。人工腎臓も1967年に同じミルトン・ロイ社製の輸入販売から入り、2年後の1969年に国産第1号機を完成させた。図面と資料を写すだけになっていた技術陣が、わずかなミスが人命に直結する装置の設計まで担った。