第3章 年〜年

タクマ:日本機工承継による水処理参入と全連続ごみ焼却プラントの納入

1962年〜日本機工の買収で揃えた水処理と、大阪市の日量450トンごみ焼却炉

田熊汽罐製造は1962年7月、日本機工の工業所有権と営業権を5000万円で譲り受け、職員45人を迎えて水処理へ参入した。日本機工は年商約4億円の会社で、米国ウォーカー・プロセス社との技術提携をもとに会津若松市のし尿処理プラントを受注していた。同年4月に設けた社内の検討委員会が吸収合併よりも事業の取得を得策と判断し、社長の田中益三氏が契約に署名した。背景にあったのは、都市への人口集中に伴うごみ処理・し尿処理・下水道の設備需要の急増だった。水処理装置の納入先もごみ焼却炉と同じく官公庁が中心で、営業の相手が重なっていた。燃焼と水処理を1社で揃えれば、自治体の環境衛生設備をまとめて受注できると見たのだろう。

  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [1]1962年4月日本機工吸収合併検討委員会設置、買収が得策と決定。同年7月10日譲受価格5000万円・職員45人引継ぎ(契約者 社長田中益三)。日本機工は年商約4億円・ウォーカー・プロセス社と技術提携・会津若松市のし尿処理受注
    • [2]1962年4月日本機工吸収合併検討委員会設置、買収が得策と決定。同年7月10日譲受価格5000万円・職員45人引継ぎ(契約者 社長田中益三)。日本機工は年商約4億円・ウォーカー・プロセス社と技術提携・会津若松市のし尿処理受注
    • [3]1962年4月日本機工吸収合併検討委員会設置、買収が得策と決定。同年7月10日譲受価格5000万円・職員45人引継ぎ(契約者 社長田中益三)。日本機工は年商約4億円・ウォーカー・プロセス社と技術提携・会津若松市のし尿処理受注
    • [4]昭和30年代後半、都市施設整備に必要な環境衛生機器の需要が急増し、1962年に日本機工を買収して水処理部門を強化
  • 1968 産業フロンティア物語「ボイラ〈田熊汽罐(タクマ)〉」
    • [5]1962年7月日本機工の業務を継承。水処理装置も環境衛生分野で需要先は官公庁中心とごみ焼却と共通

田熊汽罐製造は1961年6月、大阪市から日量150トンの焼却炉3基、計450トンのごみ焼却プラントを受注した。1957年に機械式焼却炉の研究を始め、播磨工場に日量20トンの実験炉を建てて試験を重ねていた。大阪市住吉工場の連続機械式焼却炉は1963年に完成し、全国の市から引き合いが続いた。続く京都市の南工場には乾燥と燃焼の火格子を横に並べて建屋を低くしたSCR型を提案し、1964年5月に日量300トンの設備を納めた。1966年11月の時点で、ごみ焼却プラントの基数と容量は大手業者の受注の40%を占めた。住吉の稼働実績が、実績を重んじる自治体からの後続の受注を呼び込んだとみられる。

  • 1968 産業フロンティア物語「ボイラ〈田熊汽罐(タクマ)〉」
    • [6]1957年機械式焼却炉の研究着手、播磨工場に日量20トン実験炉。1961年6月大阪市から日量150トン炉3基を受注
    • [7]1957年機械式焼却炉の研究着手、播磨工場に日量20トン実験炉。1961年6月大阪市から日量150トン炉3基を受注
  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [8]住吉工場は1963年完成。京都市南(横大路)工場に乾燥・燃焼ストーカ並列のSCR型を提示、1962年11月内示、150t/d×2基・300t/dで1964年5月完成
    • [9]住吉工場は1963年完成。京都市南(横大路)工場に乾燥・燃焼ストーカ並列のSCR型を提示、1962年11月内示、150t/d×2基・300t/dで1964年5月完成
    • [10]1966年11月15日付株主あて文書:ごみ焼却プラントで基数容量とも大手業者中40%の実績

田熊汽罐製造の1966年9月期の無配転落は、大阪市住吉工場の焼却炉と川崎製鉄千葉製鉄所向けボイラの開発費の処理から生じた。大蔵省証券局の指導を受け、未償却の5億円余を特別損失として一度に償却した。社長の清水英二氏は1966年11月15日付の株主あて文書で、経営責任を明らかにするため退任すると株主に伝えた。同月には会長の田中益三氏も退任し、専務の川嶋昌雄氏が社長に就任した。第7代社長となった川嶋昌雄氏を、日本勧業銀行から専務に迎えた重野厚次氏が代表取締役として補佐する体制を敷いた。環境設備への先行投資の損失処理が、経営陣の刷新と主力銀行の関与を同時に招いたと推察される。

  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [11]1966年9月期に開発費を一挙償却し無配転落。住吉工場向け焼却炉と川鉄千葉向けスルザー型ボイラの開発費、未償却5億円余を特別損失に。清水社長が1966年11月15日付株主あて文書で退任表明
    • [12]1966年9月期に開発費を一挙償却し無配転落。住吉工場向け焼却炉と川鉄千葉向けスルザー型ボイラの開発費、未償却5億円余を特別損失に。清水社長が1966年11月15日付株主あて文書で退任表明
    • [13]1966年9月期に開発費を一挙償却し無配転落。住吉工場向け焼却炉と川鉄千葉向けスルザー型ボイラの開発費、未償却5億円余を特別損失に。清水社長が1966年11月15日付株主あて文書で退任表明
    • [15]1966年11月30日、第7代社長に川嶋昌雄が就任。日本勧業銀行の重野厚次取締役が専務・代表取締役として補佐
  • 1968 産業フロンティア物語「ボイラ〈田熊汽罐(タクマ)〉」
    • [14]1966年11月、会長田中益三・社長清水英二が退陣し、専務川嶋昌雄が社長就任、重野厚次が専務に
参考文献[1]-[15]
  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [1]1962年4月日本機工吸収合併検討委員会設置、買収が得策と決定。同年7月10日譲受価格5000万円・職員45人引継ぎ(契約者 社長田中益三)。日本機工は年商約4億円・ウォーカー・プロセス社と技術提携・会津若松市のし尿処理受注
    • [2]1962年4月日本機工吸収合併検討委員会設置、買収が得策と決定。同年7月10日譲受価格5000万円・職員45人引継ぎ(契約者 社長田中益三)。日本機工は年商約4億円・ウォーカー・プロセス社と技術提携・会津若松市のし尿処理受注
    • [3]1962年4月日本機工吸収合併検討委員会設置、買収が得策と決定。同年7月10日譲受価格5000万円・職員45人引継ぎ(契約者 社長田中益三)。日本機工は年商約4億円・ウォーカー・プロセス社と技術提携・会津若松市のし尿処理受注
    • [4]昭和30年代後半、都市施設整備に必要な環境衛生機器の需要が急増し、1962年に日本機工を買収して水処理部門を強化
    • [8]住吉工場は1963年完成。京都市南(横大路)工場に乾燥・燃焼ストーカ並列のSCR型を提示、1962年11月内示、150t/d×2基・300t/dで1964年5月完成
    • [9]住吉工場は1963年完成。京都市南(横大路)工場に乾燥・燃焼ストーカ並列のSCR型を提示、1962年11月内示、150t/d×2基・300t/dで1964年5月完成
    • [10]1966年11月15日付株主あて文書:ごみ焼却プラントで基数容量とも大手業者中40%の実績
    • [11]1966年9月期に開発費を一挙償却し無配転落。住吉工場向け焼却炉と川鉄千葉向けスルザー型ボイラの開発費、未償却5億円余を特別損失に。清水社長が1966年11月15日付株主あて文書で退任表明
    • [12]1966年9月期に開発費を一挙償却し無配転落。住吉工場向け焼却炉と川鉄千葉向けスルザー型ボイラの開発費、未償却5億円余を特別損失に。清水社長が1966年11月15日付株主あて文書で退任表明
    • [13]1966年9月期に開発費を一挙償却し無配転落。住吉工場向け焼却炉と川鉄千葉向けスルザー型ボイラの開発費、未償却5億円余を特別損失に。清水社長が1966年11月15日付株主あて文書で退任表明
    • [15]1966年11月30日、第7代社長に川嶋昌雄が就任。日本勧業銀行の重野厚次取締役が専務・代表取締役として補佐
  • 1968 産業フロンティア物語「ボイラ〈田熊汽罐(タクマ)〉」
    • [5]1962年7月日本機工の業務を継承。水処理装置も環境衛生分野で需要先は官公庁中心とごみ焼却と共通
    • [6]1957年機械式焼却炉の研究着手、播磨工場に日量20トン実験炉。1961年6月大阪市から日量150トン炉3基を受注
    • [7]1957年機械式焼却炉の研究着手、播磨工場に日量20トン実験炉。1961年6月大阪市から日量150トン炉3基を受注
    • [14]1966年11月、会長田中益三・社長清水英二が退陣し、専務川嶋昌雄が社長就任、重野厚次が専務に

1972年〜田熊汽罐製造からタクマへの商号変更と、石油危機の後に出したバコティン・ヒーター

社長の川嶋昌雄氏のもとで田熊汽罐製造は1972年6月1日、商号を株式会社タクマに改めた。ごみ焼却と水処理を合わせた環境衛生部門の売上高は、1969年度に主力の産業用ボイラ部門とほぼ並び、1971年の事業再編成でその傾向が強まった。ボイラの製造を示す旧社名は、事業の実体と合わなくなった。新社名には、海外の取引先にも発音しやすいカタカナで、創業者の功績をしのべる簡明な名を選んだ。改称から3年後の1975年3月期には、ごみ焼却プラントが20140百万円で売上高の52%を占め、ボイラの25%を上回った。社名から汽罐の語を外したことは、ボイラ専業から環境設備の企業へ移る意思を取引先と株主に示す手段だったと思われる。

  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [16]1972年6月1日商号を(株)タクマに変更。同年4月に川嶋昌雄社長が藍綬褒章を受章(社長在任)
    • [17]環境衛生部門が1969年度に産業用ボイラ事業とほぼ同額の売上規模に。旧商号は社業の実体とそぐわず、発音しやすいカナ書きで創業者の功績をしのべる社名を選び、1972年5月31日の第65期定時株主総会で6月1日付の変更を決定
    • [18]環境衛生部門が1969年度に産業用ボイラ事業とほぼ同額の売上規模に。旧商号は社業の実体とそぐわず、発音しやすいカナ書きで創業者の功績をしのべる社名を選び、1972年5月31日の第65期定時株主総会で6月1日付の変更を決定
    • [19]環境衛生部門が1969年度に産業用ボイラ事業とほぼ同額の売上規模に。旧商号は社業の実体とそぐわず、発音しやすいカナ書きで創業者の功績をしのべる社名を選び、1972年5月31日の第65期定時株主総会で6月1日付の変更を決定
  • 会社年鑑 1976年版「タクマ」
    • [20]1975年3月期 単体部門別売上高:ごみ焼却プラント20140百万円(52%)、タクマボイラ9802百万円(25%)

タクマは1973年、札幌市の豊平川下水処理場に熱回収ボイラ付きの階段式汚泥焼却炉を納入した。燃料は、加熱して脱水しやすくした汚泥のケーキである。熱処理の技術は英国のNTH社から1968年7月に導入し、1970年には豊平川で国内初の本格的な大容量プラントとして建設省の認可を得た。家庭から出る大型の耐久消費財が増えたため、同じ1973年には大阪府茨木市へ処理能力50t/5hの粗大ごみ破砕選別プラントの1号機を納めた。1975年3月期の水処理プラントの売上高は3173百万円で、全体の8%にとどまった。ごみ焼却で積んだ燃焼の技術を、自治体の別の処理工程へ広げる動きだったと考えられる。

  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [21]1968年7月英国NTH社からポーチアス法汚泥熱処理技術を導入。1970年札幌市豊平川下水処理場でわが国初の本格的大容量熱処理法プラントの建設が認可。1973年同処理場に脱水ケーキを燃料とする熱回収ボイラ付階段式汚泥焼却炉を納入
    • [22]1968年7月英国NTH社からポーチアス法汚泥熱処理技術を導入。1970年札幌市豊平川下水処理場でわが国初の本格的大容量熱処理法プラントの建設が認可。1973年同処理場に脱水ケーキを燃料とする熱回収ボイラ付階段式汚泥焼却炉を納入
    • [23]1968年7月英国NTH社からポーチアス法汚泥熱処理技術を導入。1970年札幌市豊平川下水処理場でわが国初の本格的大容量熱処理法プラントの建設が認可。1973年同処理場に脱水ケーキを燃料とする熱回収ボイラ付階段式汚泥焼却炉を納入
    • [24]大型耐久消費財の廃棄増加に対応し近畿工業と回転式破砕機を開発、1973年茨木市に粗大ごみ破砕選別プラントを建設し50t/5h能力の第1号機を納入
  • 会社年鑑 1976年版「タクマ」
    • [25]1975年3月期 単体部門別売上高:水処理プラント3173百万円(8%)

1973年秋の第1次石油危機で購入資材と工事費が高騰し、タクマのボイラ本部の部門採算は大きく悪化した。タクマが1972年6月にスイスのストッツ社と技術提携して売り出した真空式温水機が、バコティン・ヒーターである。暖房には高温の蒸気より低い温度の熱源が熱経済上有利で、密閉容器の中で熱媒水を沸かす方式は90%を超える熱効率を実現した。大阪瓦斯との共同開発を経て1975年度に600台の納入契約を得て、1980年度の受注は2000台超、33億円強まで伸びた。ただし全社では1980年3月期に20.9億円の経常損失を計上した。温水機は省エネ投資の需要を捉えたものの、産業用ボイラの不振を埋めるには規模が足りなかった可能性が高い。

  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [26]1973年秋の第1次石油危機で購入資材・工事費が高騰し、ボイラ本部の部門採算が著しく悪化
    • [27]1972年6月23日スイス・ストッツ社と技術提携しバコティン・ヒーターと命名。1973年2月大阪瓦斯と共同開発契約、1975年度600台の成約。1980年度受注台数2000台超・受注額33億円強
    • [28]暖房は低温熱源の利用が熱経済上得策。バコティン・ヒーターは熱効率90%超で石油危機下の産業界から注目
    • [29]1972年6月23日スイス・ストッツ社と技術提携しバコティン・ヒーターと命名。1973年2月大阪瓦斯と共同開発契約、1975年度600台の成約。1980年度受注台数2000台超・受注額33億円強
  • 会社年鑑 1986年版「タクマ」
    • [30]1980年3月期 単体経常利益 -20.9億円
参考文献[16]-[30]
  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [16]1972年6月1日商号を(株)タクマに変更。同年4月に川嶋昌雄社長が藍綬褒章を受章(社長在任)
    • [17]環境衛生部門が1969年度に産業用ボイラ事業とほぼ同額の売上規模に。旧商号は社業の実体とそぐわず、発音しやすいカナ書きで創業者の功績をしのべる社名を選び、1972年5月31日の第65期定時株主総会で6月1日付の変更を決定
    • [18]環境衛生部門が1969年度に産業用ボイラ事業とほぼ同額の売上規模に。旧商号は社業の実体とそぐわず、発音しやすいカナ書きで創業者の功績をしのべる社名を選び、1972年5月31日の第65期定時株主総会で6月1日付の変更を決定
    • [19]環境衛生部門が1969年度に産業用ボイラ事業とほぼ同額の売上規模に。旧商号は社業の実体とそぐわず、発音しやすいカナ書きで創業者の功績をしのべる社名を選び、1972年5月31日の第65期定時株主総会で6月1日付の変更を決定
    • [21]1968年7月英国NTH社からポーチアス法汚泥熱処理技術を導入。1970年札幌市豊平川下水処理場でわが国初の本格的大容量熱処理法プラントの建設が認可。1973年同処理場に脱水ケーキを燃料とする熱回収ボイラ付階段式汚泥焼却炉を納入
    • [22]1968年7月英国NTH社からポーチアス法汚泥熱処理技術を導入。1970年札幌市豊平川下水処理場でわが国初の本格的大容量熱処理法プラントの建設が認可。1973年同処理場に脱水ケーキを燃料とする熱回収ボイラ付階段式汚泥焼却炉を納入
    • [23]1968年7月英国NTH社からポーチアス法汚泥熱処理技術を導入。1970年札幌市豊平川下水処理場でわが国初の本格的大容量熱処理法プラントの建設が認可。1973年同処理場に脱水ケーキを燃料とする熱回収ボイラ付階段式汚泥焼却炉を納入
    • [24]大型耐久消費財の廃棄増加に対応し近畿工業と回転式破砕機を開発、1973年茨木市に粗大ごみ破砕選別プラントを建設し50t/5h能力の第1号機を納入
    • [26]1973年秋の第1次石油危機で購入資材・工事費が高騰し、ボイラ本部の部門採算が著しく悪化
    • [27]1972年6月23日スイス・ストッツ社と技術提携しバコティン・ヒーターと命名。1973年2月大阪瓦斯と共同開発契約、1975年度600台の成約。1980年度受注台数2000台超・受注額33億円強
    • [28]暖房は低温熱源の利用が熱経済上得策。バコティン・ヒーターは熱効率90%超で石油危機下の産業界から注目
    • [29]1972年6月23日スイス・ストッツ社と技術提携しバコティン・ヒーターと命名。1973年2月大阪瓦斯と共同開発契約、1975年度600台の成約。1980年度受注台数2000台超・受注額33億円強
  • 会社年鑑 1976年版「タクマ」
    • [20]1975年3月期 単体部門別売上高:ごみ焼却プラント20140百万円(52%)、タクマボイラ9802百万円(25%)
    • [25]1975年3月期 単体部門別売上高:水処理プラント3173百万円(8%)
  • 会社年鑑 1986年版「タクマ」
    • [30]1980年3月期 単体経常利益 -20.9億円

1982年〜福田順吉氏が開いた台湾田熊と、14億円の経常赤字から2年で得た44億円

1982年12月15日に社長の川嶋昌雄氏が急逝し、同月20日の取締役会で専務の福田順吉氏が第8代社長に選ばれた。同じ12月20日には元社長の清水英二氏も死去し、福田順吉氏は相談相手を欠いたまま経営を担った。当時、タクマが保証した化粧品販売子会社の債務は1982年度末で10億2000万円強に膨らんでいた。福田順吉氏は食品と化粧品の両事業からの撤収を決め、1984年3月までにタクマ・フーズとロワール化粧品の清算を終えた。産業用ボイラの受注は内外とも低調で、採算の悪い事業を整理し人員を1000人体制として固定費を削減した。多角化の失敗の後始末を先に終えたことが、ごみ処理プラントへ経営資源を集中する前提になったと解される。

  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [31]1982年12月15日川嶋昌雄社長急逝、12月20日取締役会で福田順吉専務が第8代社長に。1982年度末のロワール化粧品向け保証債務10億2000万円強。食品・化粧品事業の撤収を決め、タクマ・フーズ1984年3月16日、ロワール化粧品1984年3月15日清算完了。産業用ボイラ低調のなか人員1000人体制で固定費削減
    • [33]1982年12月15日川嶋昌雄社長急逝、12月20日取締役会で福田順吉専務が第8代社長に。1982年度末のロワール化粧品向け保証債務10億2000万円強。食品・化粧品事業の撤収を決め、タクマ・フーズ1984年3月16日、ロワール化粧品1984年3月15日清算完了。産業用ボイラ低調のなか人員1000人体制で固定費削減
    • [34]1982年12月15日川嶋昌雄社長急逝、12月20日取締役会で福田順吉専務が第8代社長に。1982年度末のロワール化粧品向け保証債務10億2000万円強。食品・化粧品事業の撤収を決め、タクマ・フーズ1984年3月16日、ロワール化粧品1984年3月15日清算完了。産業用ボイラ低調のなか人員1000人体制で固定費削減
    • [35]1982年12月15日川嶋昌雄社長急逝、12月20日取締役会で福田順吉専務が第8代社長に。1982年度末のロワール化粧品向け保証債務10億2000万円強。食品・化粧品事業の撤収を決め、タクマ・フーズ1984年3月16日、ロワール化粧品1984年3月15日清算完了。産業用ボイラ低調のなか人員1000人体制で固定費削減
  • 日経ビジネス 1983年5月30日号
    • [32]1982年に前社長・前々社長が相次いで急逝し、福田順吉氏は相談相手もなく経営を担う。1982年12月20日社長就任

1984年度は政府の公共投資が抑えられ、ごみ処理施設の補助対象事業量は数年来の最低となった。海外では1982年の韓国ソウル市木洞地区のごみ焼却プラントの引き合いを機に、1983年4月に韓国の大林産業と案件ごとの共同事業で合意した。台北市でも近代的な焼却プラントの計画が動き、1987年10月には内湖清掃工場の日量900トンの発電ボイラ付き全連続式プラントの受注を得た。社長の福田順吉氏のもとで、タクマは1988年2月に現地の宇慶企業と60対40で出資し、台北市に台湾田熊を設立した。1993年9月の台湾企業へのごみ焼却技術の供与も、台北での受注の延長にある。国内の補助金の波に左右されない受注先を、近隣の新興市場に求めた判断とみてよい。

  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [36]1984年度は政府の公共投資が抑制され、補助対象事業量はここ数年来の最低
    • [37]1982年韓国ソウル市木洞地区150t/dの引合い、1983年4月大林産業・大林エンジニアリングとプロジェクトごとのJV契約で合意。1987年10月台北市内湖清掃工場900t/d発電ボイラ付き全連続式を受注。1988年2月宇慶企業と共同出資(当社60%)で台湾田熊股分有限公司を台北市に設立(年表は1988年2月5日)
    • [38]1982年韓国ソウル市木洞地区150t/dの引合い、1983年4月大林産業・大林エンジニアリングとプロジェクトごとのJV契約で合意。1987年10月台北市内湖清掃工場900t/d発電ボイラ付き全連続式を受注。1988年2月宇慶企業と共同出資(当社60%)で台湾田熊股分有限公司を台北市に設立(年表は1988年2月5日)
    • [39]1982年韓国ソウル市木洞地区150t/dの引合い、1983年4月大林産業・大林エンジニアリングとプロジェクトごとのJV契約で合意。1987年10月台北市内湖清掃工場900t/d発電ボイラ付き全連続式を受注。1988年2月宇慶企業と共同出資(当社60%)で台湾田熊股分有限公司を台北市に設立(年表は1988年2月5日)
  • 日経ビジネス 1993年11月29日号
    • [40]1993年9月台湾企業にごみ焼却プラントの技術を供与

タクマは1991年3月期に14億円の経常赤字を計上し、2年後の1993年3月期には44億円の経常利益を上げた。1977年3月期の22億円強を上回る、16年ぶりの最高益更新。1991年3月期は前期比3割近い増収だったものの、建物部分の労務費と資材費の値上がりを吸収できなかった。1983年3月期に502.9億円だった売上高は、1993年3月期に917億円へ増えた。1970年代の焼却炉が建て替え期に入り、1991年からの第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円を見込んだ。社長の牛丸章氏は、売上高の68.5%をごみ焼却プラントが占める官公需への依存を下げるため、組織の重複の解消と海外展開を課題に掲げた。

  • 日経ビジネス 1993年11月29日号
    • [41]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
    • [42]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
    • [43]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
    • [45]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
    • [46]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
  • 会社年鑑 1986年版「タクマ」
    • [44]1983年3月期 単体売上高 502.9億円
参考文献[31]-[46]
  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
    • [31]1982年12月15日川嶋昌雄社長急逝、12月20日取締役会で福田順吉専務が第8代社長に。1982年度末のロワール化粧品向け保証債務10億2000万円強。食品・化粧品事業の撤収を決め、タクマ・フーズ1984年3月16日、ロワール化粧品1984年3月15日清算完了。産業用ボイラ低調のなか人員1000人体制で固定費削減
    • [33]1982年12月15日川嶋昌雄社長急逝、12月20日取締役会で福田順吉専務が第8代社長に。1982年度末のロワール化粧品向け保証債務10億2000万円強。食品・化粧品事業の撤収を決め、タクマ・フーズ1984年3月16日、ロワール化粧品1984年3月15日清算完了。産業用ボイラ低調のなか人員1000人体制で固定費削減
    • [34]1982年12月15日川嶋昌雄社長急逝、12月20日取締役会で福田順吉専務が第8代社長に。1982年度末のロワール化粧品向け保証債務10億2000万円強。食品・化粧品事業の撤収を決め、タクマ・フーズ1984年3月16日、ロワール化粧品1984年3月15日清算完了。産業用ボイラ低調のなか人員1000人体制で固定費削減
    • [35]1982年12月15日川嶋昌雄社長急逝、12月20日取締役会で福田順吉専務が第8代社長に。1982年度末のロワール化粧品向け保証債務10億2000万円強。食品・化粧品事業の撤収を決め、タクマ・フーズ1984年3月16日、ロワール化粧品1984年3月15日清算完了。産業用ボイラ低調のなか人員1000人体制で固定費削減
    • [36]1984年度は政府の公共投資が抑制され、補助対象事業量はここ数年来の最低
    • [37]1982年韓国ソウル市木洞地区150t/dの引合い、1983年4月大林産業・大林エンジニアリングとプロジェクトごとのJV契約で合意。1987年10月台北市内湖清掃工場900t/d発電ボイラ付き全連続式を受注。1988年2月宇慶企業と共同出資(当社60%)で台湾田熊股分有限公司を台北市に設立(年表は1988年2月5日)
    • [38]1982年韓国ソウル市木洞地区150t/dの引合い、1983年4月大林産業・大林エンジニアリングとプロジェクトごとのJV契約で合意。1987年10月台北市内湖清掃工場900t/d発電ボイラ付き全連続式を受注。1988年2月宇慶企業と共同出資(当社60%)で台湾田熊股分有限公司を台北市に設立(年表は1988年2月5日)
    • [39]1982年韓国ソウル市木洞地区150t/dの引合い、1983年4月大林産業・大林エンジニアリングとプロジェクトごとのJV契約で合意。1987年10月台北市内湖清掃工場900t/d発電ボイラ付き全連続式を受注。1988年2月宇慶企業と共同出資(当社60%)で台湾田熊股分有限公司を台北市に設立(年表は1988年2月5日)
  • 日経ビジネス 1983年5月30日号
    • [32]1982年に前社長・前々社長が相次いで急逝し、福田順吉氏は相談相手もなく経営を担う。1982年12月20日社長就任
  • 日経ビジネス 1993年11月29日号
    • [40]1993年9月台湾企業にごみ焼却プラントの技術を供与
    • [41]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
    • [42]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
    • [43]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
    • [45]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
    • [46]1991年3月期経常赤字14億円、1993年3月期経常利益44億円で1977年3月期22億円強を上回り16年ぶり最高益。1991年3月期は3割近い増収も建物部分の労務費・資材費高を吸収できず。第7次廃棄物処理施設整備5カ年計画は総額2兆8300億円。売上高は1987年3月期464億円→1993年3月期917億円。ごみ焼却プラントが売上の68.5%。牛丸章社長は組織のダブリ解消と海外展開を課題に
  • 会社年鑑 1986年版「タクマ」
    • [44]1983年3月期 単体売上高 502.9億円

1962年〜1994年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1962年03月期 単体 39 n/a n/a 1 4.3% n/a
1963年03月期 単体 42 +7.3% n/a 1 4.4% n/a
1964年03月期 単体 40 ▲6.3% n/a 2 5.0% n/a
1965年03月期 単体 44 +12.0% n/a 1 2.4% n/a
1966年03月期 単体 58 +29.4% n/a 1 2.1% n/a
1967年03月期 単体 53 ▲7.9% n/a ▲2 ▲4.9% n/a
1968年03月期 単体 81 +52.0% n/a 1 1.4% n/a
1969年03月期 単体 100 +24.1% n/a 2 2.8% n/a
1970年03月期 単体 122 +20.9% n/a 3 3.0% n/a
1971年03月期 単体 162 +33.2% 6 3 2.3% n/a
1972年03月期 単体 183 +12.7% 9 4 2.6% n/a
1973年03月期 単体 251 +37.2% 13 7 3.1% n/a
1974年03月期 単体 310 +23.6% 8 6 2.0% n/a
1975年03月期 単体 385 +24.0% 9 4 1.3% n/a
1976年03月期 単体 351 ▲8.9% 17 8 2.4% n/a
1977年03月期 単体 387 +10.3% 22 9 2.4% n/a
1978年03月期 単体 393 +1.5% 11 5 1.3% n/a
1979年03月期 単体 336 ▲14.4% ▲15 ▲2 ▲0.7% n/a
1980年03月期 単体 458 +36.1% ▲20 ▲10 ▲2.4% n/a
1981年03月期 単体 514 +12.3% ▲3 2 0.4% n/a
1982年03月期 単体 490 ▲4.6% 6 2 0.5% n/a
1983年03月期 単体 502 +2.4% 19 3 0.7% n/a
1984年03月期 単体 523 +4.0% 16 0 0.0% n/a
1985年03月期 単体 518 ▲0.9% 16 2 0.5% n/a
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1993年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1994年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a

出所:ダイヤモンド会社産業総覧 1964年版 半期合算、会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1971年版)半期合算、会社年鑑(1976年版)半期合算、会社年鑑

出典・参考

6件
出典・参考
  • 1989 刊行社史『タクマ50年史』
  • 1968 産業フロンティア物語「ボイラ〈田熊汽罐(タクマ)〉」
  • 会社年鑑 1976年版「タクマ」
  • 会社年鑑 1986年版「タクマ」
  • 日経ビジネス 1983年5月30日号
  • 日経ビジネス 1993年11月29日号

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