三菱化学:東京田辺製薬との提携と光磁気ディスクの量産
1980年〜東京田辺製薬への出資と、医薬再参入で出した抗喘息薬
1980年の年頭、鈴木永二社長は80年代の経営課題の筆頭に『重点志向による個性化戦略の推進』を置いた。鈴木永二社長は、80年代後半には産油国の原料立地による基礎化学品の生産と途上国の追い上げが進むとみていた。そのため付加価値の高いスペシャリティ商品の拡充と、新規ファイン事業の収益化を全社に求めた。1981年に始めた経営戦略会議は、1990年の目標を機能商品の売上高3,000億円・売上比率30%と定めた。研究費の80%は、高機能材料・情報電子・医薬・ライフサイエンスの4分野に投じると決めた。1971年に設けた生命科学研究所の研究を医薬事業へつなぐ計画が、この重点化で初めて数値目標を伴ったとみられる。
- 80年代わが社の戦略(1980)「三菱化成工業」(鈴木永二)
- [1]1980年の年頭あいさつで鈴木永二社長が80年代の中長期課題の第一に重点志向による個性化戦略を挙げた
- [2]80年代後半に海外原料立地での基礎化学品生産と途上国の追い上げが進むと予見
- [3]高付加価値のスペシャリティ商品・事業の拡充と新規ファイン事業の収益化を指示
- Business research 757 1987年7月「三菱化成工業――新規事業の推進と成功への仕掛けづくり」(石橋恒彦 経営企画室部長)
- [4]1981年(昭和56年)に経営戦略会議を始め、1990年(昭和65年)目標に機能商品売上3,000億円・売上比率30%を設定
- [5]重点分野を高機能材料・情報電子・医薬・ライフサイエンスに絞り全研究費の80%を投入
1981年2月、三菱化成工業は東京田辺製薬の第三者割当増資を引き受け、業務提携を始めた。1982年初めまでに日研化学の株式も取得し、医薬の販売体制を他社への出資で整えた。技術開発担当の鈴木三郎副社長は、新事業を短期間にすべて自前で築くのは無理だとみていた。鈴木三郎副社長は、その考え方を『庭の樹木で必要なものは成木の形で買った方が早い』とたとえた。品目も外部から取り入れ、1979年に米キー・ファーマシューティカルズへ資本参加して日本と極東のライセンス権を得ていた。販路は出資先に委ね、自社は研究と製剤に資源を集中する分業が、この時期に医薬事業の基本方針になったと推察される。
- 三菱化学 有価証券報告書(2014年度)沿革
- [6]1981年2月 東京田辺製薬の第三者割当増資を引き受け業務提携を開始
- 日経ビジネス 1982年1月25日号
- [7]医薬分野の販売体制強化のため日研化学・東京田辺製薬の株式を取得(1982年1月時点)
- [8]鈴木三郎副社長(技術開発統括)は短期間にすべて自前で建てるのは無理と説明
- [9]鈴木三郎副社長が必要なものは成木で買う方が早いとたとえた
- 投資月報 36(9) 1985年9月「企業研究 三菱化成工業」
- [10]1979年(昭和54年)に米キー・ファーマシューティカルズに資本参加し、全製品の日本・極東でのライセンス権を取得
1984年4月、三菱化成工業は徐放性の喘息薬テオドールを発売した。米キー・ファーマシューティカルズからの導入品で、三菱化成工業は製剤化までを担い、販売は日研化学が受け持った。年間30億円規模の売上を見込む、三菱化成工業の本格的な医薬品の第1号であった。1971年に生命科学研究所を設けて医薬再参入の起点としてから、最初の商品まで10年以上を要した。同じ1984年、生命科学研究所は三菱化成工業の研究開発費の1割にあたる20億円余りを毎年使い、研究員約70名を抱えていた。山谷渉常務は、苦しい時期にも資金を出し続けてきたとして、生命科学研究所の成果にはまだ満足できないと評した。
- 投資月報 36(9) 1985年9月「企業研究 三菱化成工業」
- [11]1984年(昭和59年)4月に徐放性喘息薬テオドールを発売
- [12]キー社からの導入品。当社は製剤化まで担当し、販売は日研化学
- [13]年間30億円ベース。当社の本格的な医薬品第1号
- 日経ビジネス 1993年11月8日号
- [14]医薬品事業への参入は生命科学研究所を設けた1971年で、10年以上商品を発売できず、初の商品は1984年のテオドール
- 日経ビジネス 1984年11月26日号
- [15]生命科学研究所は三菱化成の全研究開発費の1割、年20億円余りを使用し、研究員約70名(1984年)
- [16]山谷渉常務は苦しい時に資金を出し続けてきたとして生命研の成果にまだ満足できないと評価
参考文献[1]-[16]
- 80年代わが社の戦略(1980)「三菱化成工業」(鈴木永二)
- [1]1980年の年頭あいさつで鈴木永二社長が80年代の中長期課題の第一に重点志向による個性化戦略を挙げた
- [2]80年代後半に海外原料立地での基礎化学品生産と途上国の追い上げが進むと予見
- [3]高付加価値のスペシャリティ商品・事業の拡充と新規ファイン事業の収益化を指示
- Business research 757 1987年7月「三菱化成工業――新規事業の推進と成功への仕掛けづくり」(石橋恒彦 経営企画室部長)
- [4]1981年(昭和56年)に経営戦略会議を始め、1990年(昭和65年)目標に機能商品売上3,000億円・売上比率30%を設定
- [5]重点分野を高機能材料・情報電子・医薬・ライフサイエンスに絞り全研究費の80%を投入
- 三菱化学 有価証券報告書(2014年度)沿革
- [6]1981年2月 東京田辺製薬の第三者割当増資を引き受け業務提携を開始
- 日経ビジネス 1982年1月25日号
- [7]医薬分野の販売体制強化のため日研化学・東京田辺製薬の株式を取得(1982年1月時点)
- [8]鈴木三郎副社長(技術開発統括)は短期間にすべて自前で建てるのは無理と説明
- [9]鈴木三郎副社長が必要なものは成木で買う方が早いとたとえた
- 投資月報 36(9) 1985年9月「企業研究 三菱化成工業」
- [10]1979年(昭和54年)に米キー・ファーマシューティカルズに資本参加し、全製品の日本・極東でのライセンス権を取得
- [11]1984年(昭和59年)4月に徐放性喘息薬テオドールを発売
- [12]キー社からの導入品。当社は製剤化まで担当し、販売は日研化学
- [13]年間30億円ベース。当社の本格的な医薬品第1号
- 日経ビジネス 1993年11月8日号
- [14]医薬品事業への参入は生命科学研究所を設けた1971年で、10年以上商品を発売できず、初の商品は1984年のテオドール
- 日経ビジネス 1984年11月26日号
- [15]生命科学研究所は三菱化成の全研究開発費の1割、年20億円余りを使用し、研究員約70名(1984年)
- [16]山谷渉常務は苦しい時に資金を出し続けてきたとして生命研の成果にまだ満足できないと評価
1985年〜機能製品35%の目標と、「工業」を外した三菱化成への改称
1985年5月、宮部義一常務は証券アナリスト向けの講演で、機能製品の売上構成比を1990年までに35%へ高める方針を示した。内訳は高機能材料・加工分野17%、バイオ・インダストリー10%、情報電子8%であった。当時は年商8,000億円の約8割を、石油化学・コークス・肥料の既存事業が占めていた。石油化学では、原料費の負担がほとんどないサウジアラビアの新設備が予定より早く稼働した。アルミ事業は生産能力を30万トン超から4万トンに縮め、3年間で約570億円の損失を計上して無配が続いた。投資月報は、新しい医薬品が出る1989年ごろに収益が上昇局面に入ると見立てた。
- 証券アナリストジャーナル 1985年6月号(宮部義一 常務)
- [17]1985年5月10日の証券アナリスト協会講演で、機能製品の構成比を1990年(昭和65年)までに35%へ高める方針
- [18]内訳は高機能材料および加工分野17%、バイオ・インダストリー10%、情報電子8%
- [19]年商8,000億円の約8割が石油化学・コークス・肥料など既存事業
- [20]サウジアラビアの石化設備が予定より早く稼働し、原料費が見方によってはゼロ
- [21]アルミ生産能力を30万トン超から4万トンへ縮小、3年間で約570億円の損失を計上し3年間無配
- 投資月報 36(9) 1985年9月「企業研究 三菱化成工業」
- [22]新しい医薬品が発売される1989年(昭和64年)頃から収益は大幅な上昇局面と予想
1987年時点で三菱化成工業は6事業本部制をとり、情報電子と医薬の2本部には新規事業だけを担わせた。既存の4本部は、自部門の現在の利益を元手に、炭素繊維のような新規事業を内部で育てた。全社の事業は78のビジネス・ユニットに分け、成長加速・事業基盤確立・収益力確保・選択と重点化の4区分に振り分けた。新規事業の要員は、既存事業部門から約15%を3年ほどかけて段階的に移した。鈴木精二社長は先駆工場制度のもとで、成算の立たない中間設備は途中で打ち切ってよいと社内に伝えた。1985年に参入したハードディスクは、1991年までに年産800万枚・世界シェア約16%の規模になった。
- Business research 757 1987年7月「三菱化成工業――新規事業の推進と成功への仕掛けづくり」(石橋恒彦 経営企画室部長)
- [23]6事業本部制。情報電子と医薬の事業本部は新規事業だけを手がける
- [24]既存4事業本部は部内利益で炭素繊維などの新規事業を育成
- [25]全社を78のビジネス・ユニットに分け、成長加速・事業基盤確立・収益力確保・選択と重点化の4グループに分類
- [26]新規事業の要員は既存事業部門から15%ほどを3年ほどかけて段階的にシフト
- 日経ビジネス 1991年3月11日号
- [27]鈴木精二(社長在任8年)は先駆工場制度で中間設備を試させ、うまくいかなければ途中でやめてよいとした
- 日経ビジネス 1991年3月18日号
- [28]1985年参入のハードディスクは年産800万枚体制・世界シェア約16%(1991年3月時点)
1988年6月、三菱化成工業は社名から「工業」を外し、三菱化成に商号を改めた。翌1989年10月には松山化成を合併し、松山化成の工場を自社の松山工場とした。在任8年の鈴木精二社長が気にかけたのは、ファイン製品の担当者が顧客に片手間の事業とみられることであった。ファイン製品の生産規模は年に50〜100トン程度で、年に何万トンを扱う汎用品とは商売の単位が違った。1990年時点で機能商品が売上高に占める比率は約3割で、1985年に掲げた35%の目標には達していなかった。三菱化成は「工業」を外すことで量産素材の会社という印象を改め、機能商品の会社として顧客に臨もうとしたのだろう。
- 三菱化学 有価証券報告書(2014年度)沿革
- [29]1988年(昭和63年)6月 三菱化成株式会社に商号変更
- [30]1989年(平成元年)10月 松山化成を合併し、同社松山工場を当社松山工場とする
- 日経ビジネス 1991年3月11日号
- [31]鈴木精二は社長を8年務め、ファイン製品の担当者が客先で片手間と言われ迷うようでは成功しないと考えた
- [32]新しいファイン製品は年間50〜100トン程度で、従来の年間何万トン規模と異なる
- 日経ビジネス 1991年3月18日号
- [33]機能商品の売上高比率は約3割(1991年3月時点)
参考文献[17]-[33]
- 証券アナリストジャーナル 1985年6月号(宮部義一 常務)
- [17]1985年5月10日の証券アナリスト協会講演で、機能製品の構成比を1990年(昭和65年)までに35%へ高める方針
- [18]内訳は高機能材料および加工分野17%、バイオ・インダストリー10%、情報電子8%
- [19]年商8,000億円の約8割が石油化学・コークス・肥料など既存事業
- [20]サウジアラビアの石化設備が予定より早く稼働し、原料費が見方によってはゼロ
- [21]アルミ生産能力を30万トン超から4万トンへ縮小、3年間で約570億円の損失を計上し3年間無配
- 投資月報 36(9) 1985年9月「企業研究 三菱化成工業」
- [22]新しい医薬品が発売される1989年(昭和64年)頃から収益は大幅な上昇局面と予想
- Business research 757 1987年7月「三菱化成工業――新規事業の推進と成功への仕掛けづくり」(石橋恒彦 経営企画室部長)
- [23]6事業本部制。情報電子と医薬の事業本部は新規事業だけを手がける
- [24]既存4事業本部は部内利益で炭素繊維などの新規事業を育成
- [25]全社を78のビジネス・ユニットに分け、成長加速・事業基盤確立・収益力確保・選択と重点化の4グループに分類
- [26]新規事業の要員は既存事業部門から15%ほどを3年ほどかけて段階的にシフト
- 日経ビジネス 1991年3月11日号
- [27]鈴木精二(社長在任8年)は先駆工場制度で中間設備を試させ、うまくいかなければ途中でやめてよいとした
- [31]鈴木精二は社長を8年務め、ファイン製品の担当者が客先で片手間と言われ迷うようでは成功しないと考えた
- [32]新しいファイン製品は年間50〜100トン程度で、従来の年間何万トン規模と異なる
- 日経ビジネス 1991年3月18日号
- [28]1985年参入のハードディスクは年産800万枚体制・世界シェア約16%(1991年3月時点)
- [33]機能商品の売上高比率は約3割(1991年3月時点)
- 三菱化学 有価証券報告書(2014年度)沿革
- [29]1988年(昭和63年)6月 三菱化成株式会社に商号変更
- [30]1989年(平成元年)10月 松山化成を合併し、同社松山工場を当社松山工場とする
1990年〜光磁気ディスクの量産とバーベイタム、三菱油化との合併前夜
1990年6月に就任した古川昌彦社長は、経営企画室長として策定に関わった10年計画の最終年度を引き継いだ。同月、三菱化成は水島工場で光磁気ディスクの量産設備を完成させた。直前の5月には米国のバーベイタムを買収し、フロッピーディスクの製造拠点と世界の販売網を得た。福谷秀夫常務は、自社の技術とバーベイタムの販売力を合わせ、光磁気ディスクでも上位を狙うと説明した。古川昌彦社長は1991年初めまでに、2000年を目標とする次の中期計画の骨格を固めた。計画は2000年に連結売上高150億ドルで世界の化学会社の上位10社に入り、機能商品の比率を50%へ高めるとした。
- 日経ビジネス 1990年8月13日号
- [34]古川昌彦は1990年6月社長就任。経営企画室長時代に策定にかかわった10年計画が1990年に最終年度
- 日経ビジネス 1991年3月18日号
- [35]1990年6月、水島工場に光磁気ディスクの量産設備を完成
- [36]1990年5月、米バーベイタムを買収し製造拠点・販売網・データライフブランドを取得
- [37]福谷秀夫常務は自社の技術力とバーベイタムの販売力の相乗効果で光磁気ディスクのトップグループ入りを狙うと説明
- [39]グローバル・テン計画:2000年に連結売上高150億ドルで世界の化学会社上位10位以内、機能商品比率50%
- 日化協月報 44(1) 1991年1月「クローズアップ 社長インタビュー 古川昌彦」
- [38]古川昌彦社長は2000年を目指す新しい中期計画を策定中で骨格ができたと説明(1991年1月)
1993年4月、三菱化成は医薬の研究を事業化できるテーマだけに絞る体制に改めた。研究開発担当の小野田武常務は、約60ある研究テーマを10年以内に10分の1へ減らすとした。古川昌彦社長は1991年初めの時点で、4年続いた好況に陰りが出るとみていた。実際に全社の業績は1990年3月期から減益が続き、1994年3月期の経常利益は40億円の見込みとなった。これに対し医薬品事業は1990年3月期に初めて黒字化し、1994年3月期の経常利益は35億円を見込んだ。資金に余裕のない三菱化成は、対象を競合の少ない中枢神経系と循環器系に絞り、販売は東京田辺製薬と日研化学に委ねていた。
- 日経ビジネス 1993年11月8日号
- [40]1993年4月から事業に直結した研究開発体制をスタート
- [41]小野田武常務:研究中の約60テーマを10年以内に10分の1へ
- [43]全社業績は1990年3月期から減益が続き、1994年3月期の経常利益は40億円の見込み
- [44]医薬品事業は1990年3月期に初の黒字化、1994年3月期の経常利益35億円の見込み
- [45]医薬専業大手と違い資金に余裕がなく、競合品の少ない中枢神経系・循環器系に絞り、販売は東京田辺製薬や日研化学にすべて委託
- 日化協月報 44(1) 1991年1月「クローズアップ 社長インタビュー 古川昌彦」
- [42]古川昌彦社長は1991年は4年間続いた好況に翳りが出てやや不況になるとの見方
三菱化成と三菱油化の合併論は、1973年までの数年間に数度取り沙汰され、いずれも噂のまま終わっていた。月刊経済は、三菱油化の創業社長池田亀三郎氏らが、人事が三菱化成主導になるとして合併に反対したと報じた。1985年には両社の提携が進み、低密度ポリエチレンは三菱油化、高密度ポリエチレンは三菱化成に生産を集約していた。1993年2月、三菱油化では前社長の急逝を受けて三浦昭氏が社長に就任した。三菱油化の1993年3月期の経常利益は、前期比74%減の80億円であった。三浦昭社長はのちに、石油化学が主体の三菱油化と、情報電子・医薬・無機を持つ三菱化成は補い合えると説明した。
- 月刊経済 20(11) 1973年11月(藤史郎)
- [46]1973年までの2〜3年に化成・油化の合併話が何度も持ち上がり、そのつど噂の域を出なかった
- [47]油化の池田亀三郎氏と岡藤次郎氏が、合併人事が化成ペースになるとして反対
- 証券アナリストジャーナル 1985年6月号(宮部義一 常務)
- [48]三菱油化と全面提携し、LDPEは油化、HDPEは化成でそれぞれ全部生産(1985年)
- 日経ビジネス 1993年5月17日号
- [49]前社長の急逝を受け、三浦昭氏が1993年2月に三菱油化社長に就任
- [50]三菱油化の1993年3月期経常利益は前期比74%減の80億円
- 日化協月報 47(7) 1994年7月「クローズアップ 社長インタビュー 三浦昭」
- [51]三浦昭社長:油化は石油化学が主、化成には情報電子や医薬、無機があり、効率的に再構築できる
参考文献[34]-[51]
- 日経ビジネス 1990年8月13日号
- [34]古川昌彦は1990年6月社長就任。経営企画室長時代に策定にかかわった10年計画が1990年に最終年度
- 日経ビジネス 1991年3月18日号
- [35]1990年6月、水島工場に光磁気ディスクの量産設備を完成
- [36]1990年5月、米バーベイタムを買収し製造拠点・販売網・データライフブランドを取得
- [37]福谷秀夫常務は自社の技術力とバーベイタムの販売力の相乗効果で光磁気ディスクのトップグループ入りを狙うと説明
- [39]グローバル・テン計画:2000年に連結売上高150億ドルで世界の化学会社上位10位以内、機能商品比率50%
- 日化協月報 44(1) 1991年1月「クローズアップ 社長インタビュー 古川昌彦」
- [38]古川昌彦社長は2000年を目指す新しい中期計画を策定中で骨格ができたと説明(1991年1月)
- [42]古川昌彦社長は1991年は4年間続いた好況に翳りが出てやや不況になるとの見方
- 日経ビジネス 1993年11月8日号
- [40]1993年4月から事業に直結した研究開発体制をスタート
- [41]小野田武常務:研究中の約60テーマを10年以内に10分の1へ
- [43]全社業績は1990年3月期から減益が続き、1994年3月期の経常利益は40億円の見込み
- [44]医薬品事業は1990年3月期に初の黒字化、1994年3月期の経常利益35億円の見込み
- [45]医薬専業大手と違い資金に余裕がなく、競合品の少ない中枢神経系・循環器系に絞り、販売は東京田辺製薬や日研化学にすべて委託
- 月刊経済 20(11) 1973年11月(藤史郎)
- [46]1973年までの2〜3年に化成・油化の合併話が何度も持ち上がり、そのつど噂の域を出なかった
- [47]油化の池田亀三郎氏と岡藤次郎氏が、合併人事が化成ペースになるとして反対
- 証券アナリストジャーナル 1985年6月号(宮部義一 常務)
- [48]三菱油化と全面提携し、LDPEは油化、HDPEは化成でそれぞれ全部生産(1985年)
- 日経ビジネス 1993年5月17日号
- [49]前社長の急逝を受け、三浦昭氏が1993年2月に三菱油化社長に就任
- [50]三菱油化の1993年3月期経常利益は前期比74%減の80億円
- 日化協月報 47(7) 1994年7月「クローズアップ 社長インタビュー 三浦昭」
- [51]三浦昭社長:油化は石油化学が主、化成には情報電子や医薬、無機があり、効率的に再構築できる
1980年〜1993年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1980年01月期 | 単体 | 6,586 | n/a | 184 | 63 | 1.0% | n/a |
| 1981年01月期 | 単体 | 7,935 | +20.5% | 178 | 84 | 1.1% | n/a |
| 1982年01月期 | 単体 | 7,560 | ▲4.7% | 40 | 30 | 0.4% | n/a |
| 1983年01月期 | 単体 | 7,408 | ▲2.0% | ▲21 | ▲85 | ▲1.2% | n/a |
| 1984年01月期 | 単体 | 7,467 | +0.8% | 200 | 1 | 0.0% | n/a |
| 1985年01月期 | 単体 | 8,002 | +7.2% | 314 | 17 | 0.2% | n/a |
| 1986年03月期 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年03月期 | 連結 | 12,161 | n/a | n/a | 23 | 0.2% | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
15件
- 三菱化学 有価証券報告書(2014年度)沿革
- 日経ビジネス 1982年1月25日号
- 日経ビジネス 1984年11月26日号
- 証券アナリストジャーナル 1985年6月号(宮部義一 常務)
- 日経ビジネス 1990年8月13日号
- 日経ビジネス 1991年3月11日号
- 日経ビジネス 1991年3月18日号
- 日経ビジネス 1993年11月8日号
- 日経ビジネス 1993年5月17日号
- 月刊経済 20(11) 1973年11月(藤史郎)
- 80年代わが社の戦略(1980)「三菱化成工業」(鈴木永二)
- 投資月報 36(9) 1985年9月「企業研究 三菱化成工業」
- Business research 757 1987年7月「三菱化成工業――新規事業の推進と成功への仕掛けづくり」(石橋恒彦 経営企画室部長)
- 日化協月報 44(1) 1991年1月「クローズアップ 社長インタビュー 古川昌彦」
- 日化協月報 47(7) 1994年7月「クローズアップ 社長インタビュー 三浦昭」