第1章 年〜年

日本空港ビルデング:民間資本による設立と東京国際空港ターミナルビルの開館

1953年〜財界20氏を発起人とした資本金1億5千万円と、羽田のターミナル・ビル開館

羽田の新ターミナル・ビルは、国の予算ではなく民間資本で建てることになった。運輸省の新ビル計画は戦後の財政窮乏で国費建設を認められず、予算は誘導路の舗装費と官庁部分の建設費など計2億3000万円にとどまった。1953年1月20日、運輸大臣の石井光次郎氏は日本航空協会会長の郷古潔氏と港湾協会副会長の秋山龍氏に、民間資本による建設のあっせんを依頼した。外国航空会社は家賃に法人税が転嫁されると反対したので、郷古潔氏と秋山龍氏は税負担を付帯事業の収入で賄い、家賃を建物原価に限る案で応じた。3月9日の合同会議で航空会社12社はこの案に同意し、中立的な新会社を設ける基本線が固まった。秋山龍氏は1968年の対談で、『当時の財政状態では国で作れないから民間の金で作ってほしいということになったわけです』と振り返った。国の予算不足を民間資本で補う枠組みは、ほかに現実的な方法が無いなかで選ばれたとみられる。

  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、会社設立の背景」
    • [1]1952年返還の旧ターミナルは狭隘・MATS同居。国費建設は財政窮乏で認められず予算は誘導路等と官庁部分計2億3000万円のみ。1953年1月20日石井運輸大臣が郷古潔・秋山龍に民間資本での建設あっせんを依頼
    • [2]1952年返還の旧ターミナルは狭隘・MATS同居。国費建設は財政窮乏で認められず予算は誘導路等と官庁部分計2億3000万円のみ。1953年1月20日石井運輸大臣が郷古潔・秋山龍に民間資本での建設あっせんを依頼
    • [3]1952年返還の旧ターミナルは狭隘・MATS同居。国費建設は財政窮乏で認められず予算は誘導路等と官庁部分計2億3000万円のみ。1953年1月20日石井運輸大臣が郷古潔・秋山龍に民間資本での建設あっせんを依頼
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「会社設立及びターミナル・ビル建設関係資料」
    • [4]1953年3月15日付報告:外国航空会社は課税分の家賃転嫁に反対、課税相当額を直営売店等の付帯事業収入で賄う案で12社と合意(3月9日東京ステーションホテル)、中立的新会社が望ましいとの意見
    • [5]1953年3月15日付報告:外国航空会社は課税分の家賃転嫁に反対、課税相当額を直営売店等の付帯事業収入で賄う案で12社と合意(3月9日東京ステーションホテル)、中立的新会社が望ましいとの意見
  • 経済往来 20(1) 1968年「<対談>空港ビルからみた世界」秋山龍・秋山ちえ子
    • [6]秋山龍(1968年対談):当時の財政状態では国で作れず民間資金での建設を求められた

日本空港ビルデングは1953年7月20日に設立登記を終え、資本金1億5000万円で発足した。発起人には経済団体連合会会長の石川一郎氏ら財界の20氏が名を連ねた。設立時の30万株(1株500円)のうち発起人は計2000株を引き受け、残る29万8000株は発起人総代の秋山龍氏らが募集した。秋山龍氏は賛同者を個別に訪ね、空港ターミナル・ビルの経営は『一般の私企業と異なり、極めて公共性の高いもの』だと説いて、投資資金のコストは確保すると請け合った。大阪・神戸・名古屋の財界にも自ら車で出向き、106名の賛同署名を得て、株式は6月12日に満株となった。7月16日の創立総会後、郷古潔氏が会長、秋山龍氏が代表取締役社長に選ばれた。利潤を約束せず資本コストの回収だけを掲げた説得が、公共施設への出資をためらう財界を動かしたと推察される。

  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、空港の経営形態と東京国際空港ターミナル・ビルの特異性」
    • [7]106名の賛同署名、6月12日申込締切で満株。7月16日創立総会、郷古潔会長・秋山龍代表取締役社長。7月20日登記完了、資本金1億5000万円で発足
    • [11]106名の賛同署名、6月12日申込締切で満株。7月16日創立総会、郷古潔会長・秋山龍代表取締役社長。7月20日登記完了、資本金1億5000万円で発足
    • [12]106名の賛同署名、6月12日申込締切で満株。7月16日創立総会、郷古潔会長・秋山龍代表取締役社長。7月20日登記完了、資本金1億5000万円で発足
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、日本空港ビルデング株式会社の設立」
    • [8]1953年4月28日帝国ホテルで発起人会。財界20氏が発起人、設立時30万株(1株500円)発行、発起人各100株計2000株引受・残29万8000株募集。秋山龍が公共性の高い事業で利潤追求はできないが投資資金のコストはカバーすると懇請
    • [9]1953年4月28日帝国ホテルで発起人会。財界20氏が発起人、設立時30万株(1株500円)発行、発起人各100株計2000株引受・残29万8000株募集。秋山龍が公共性の高い事業で利潤追求はできないが投資資金のコストはカバーすると懇請
    • [10]1953年4月28日帝国ホテルで発起人会。財界20氏が発起人、設立時30万株(1株500円)発行、発起人各100株計2000株引受・残29万8000株募集。秋山龍が公共性の高い事業で利潤追求はできないが投資資金のコストはカバーすると懇請

東京国際空港ターミナル・ビルは1955年5月17日に竣工し、総建設費は10億14万円、うち官庁買上部分は2億100万円。家賃を建物原価に限ったため、会社は付帯事業で利益をあげなければ将来の拡張も経営も難しいと判断した。売店の出店を各方面に勧誘したものの、昼夜三交代の売店で採算が合うか見通せないとして応じる業者はなかった。そこで会社は陳列ケースごとに出店者の商品を並べ、販売は自社の従業員が受け持つ方式で売店を直営した。食堂は系列子会社の日本空港食堂に委ね、送迎デッキには1人20円の入場料を設けた。1955年8月には外貨での販売が許可され、出国待合室にも売店を開設した。貸室業に付帯事業を重ねる収益の組み立ては、開館の時点で既に形をなしていたと思われる。

  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、東京国際空港ターミナル・ビルの建設工事」
    • [13]1955年5月17日竣工式。総建設費10億14万円(うち官庁買上部分2億100万円)、工期約1年
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、付帯事業部門」
    • [14]出店勧誘に応じる業者なく、家賃体系の経緯から付帯事業で利益をあげねば拡張・経営が困難として売店を直営(陳列ケース方式)。食堂は子会社日本空港食堂、送迎台入場料1人20円
    • [15]出店勧誘に応じる業者なく、家賃体系の経緯から付帯事業で利益をあげねば拡張・経営が困難として売店を直営(陳列ケース方式)。食堂は子会社日本空港食堂、送迎台入場料1人20円
    • [16]出店勧誘に応じる業者なく、家賃体系の経緯から付帯事業で利益をあげねば拡張・経営が困難として売店を直営(陳列ケース方式)。食堂は子会社日本空港食堂、送迎台入場料1人20円
    • [17]出店勧誘に応じる業者なく、家賃体系の経緯から付帯事業で利益をあげねば拡張・経営が困難として売店を直営(陳列ケース方式)。食堂は子会社日本空港食堂、送迎台入場料1人20円
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「四、創業時の業績」
    • [18]1955年8月外貨(米ドル)販売許可、出国待合室に売店開設。竣工後に付帯事業の収支見込みを含め収支を再試算
参考文献[1]-[18]
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、会社設立の背景」
    • [1]1952年返還の旧ターミナルは狭隘・MATS同居。国費建設は財政窮乏で認められず予算は誘導路等と官庁部分計2億3000万円のみ。1953年1月20日石井運輸大臣が郷古潔・秋山龍に民間資本での建設あっせんを依頼
    • [2]1952年返還の旧ターミナルは狭隘・MATS同居。国費建設は財政窮乏で認められず予算は誘導路等と官庁部分計2億3000万円のみ。1953年1月20日石井運輸大臣が郷古潔・秋山龍に民間資本での建設あっせんを依頼
    • [3]1952年返還の旧ターミナルは狭隘・MATS同居。国費建設は財政窮乏で認められず予算は誘導路等と官庁部分計2億3000万円のみ。1953年1月20日石井運輸大臣が郷古潔・秋山龍に民間資本での建設あっせんを依頼
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「会社設立及びターミナル・ビル建設関係資料」
    • [4]1953年3月15日付報告:外国航空会社は課税分の家賃転嫁に反対、課税相当額を直営売店等の付帯事業収入で賄う案で12社と合意(3月9日東京ステーションホテル)、中立的新会社が望ましいとの意見
    • [5]1953年3月15日付報告:外国航空会社は課税分の家賃転嫁に反対、課税相当額を直営売店等の付帯事業収入で賄う案で12社と合意(3月9日東京ステーションホテル)、中立的新会社が望ましいとの意見
  • 経済往来 20(1) 1968年「<対談>空港ビルからみた世界」秋山龍・秋山ちえ子
    • [6]秋山龍(1968年対談):当時の財政状態では国で作れず民間資金での建設を求められた
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、空港の経営形態と東京国際空港ターミナル・ビルの特異性」
    • [7]106名の賛同署名、6月12日申込締切で満株。7月16日創立総会、郷古潔会長・秋山龍代表取締役社長。7月20日登記完了、資本金1億5000万円で発足
    • [11]106名の賛同署名、6月12日申込締切で満株。7月16日創立総会、郷古潔会長・秋山龍代表取締役社長。7月20日登記完了、資本金1億5000万円で発足
    • [12]106名の賛同署名、6月12日申込締切で満株。7月16日創立総会、郷古潔会長・秋山龍代表取締役社長。7月20日登記完了、資本金1億5000万円で発足
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、日本空港ビルデング株式会社の設立」
    • [8]1953年4月28日帝国ホテルで発起人会。財界20氏が発起人、設立時30万株(1株500円)発行、発起人各100株計2000株引受・残29万8000株募集。秋山龍が公共性の高い事業で利潤追求はできないが投資資金のコストはカバーすると懇請
    • [9]1953年4月28日帝国ホテルで発起人会。財界20氏が発起人、設立時30万株(1株500円)発行、発起人各100株計2000株引受・残29万8000株募集。秋山龍が公共性の高い事業で利潤追求はできないが投資資金のコストはカバーすると懇請
    • [10]1953年4月28日帝国ホテルで発起人会。財界20氏が発起人、設立時30万株(1株500円)発行、発起人各100株計2000株引受・残29万8000株募集。秋山龍が公共性の高い事業で利潤追求はできないが投資資金のコストはカバーすると懇請
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、東京国際空港ターミナル・ビルの建設工事」
    • [13]1955年5月17日竣工式。総建設費10億14万円(うち官庁買上部分2億100万円)、工期約1年
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、付帯事業部門」
    • [14]出店勧誘に応じる業者なく、家賃体系の経緯から付帯事業で利益をあげねば拡張・経営が困難として売店を直営(陳列ケース方式)。食堂は子会社日本空港食堂、送迎台入場料1人20円
    • [15]出店勧誘に応じる業者なく、家賃体系の経緯から付帯事業で利益をあげねば拡張・経営が困難として売店を直営(陳列ケース方式)。食堂は子会社日本空港食堂、送迎台入場料1人20円
    • [16]出店勧誘に応じる業者なく、家賃体系の経緯から付帯事業で利益をあげねば拡張・経営が困難として売店を直営(陳列ケース方式)。食堂は子会社日本空港食堂、送迎台入場料1人20円
    • [17]出店勧誘に応じる業者なく、家賃体系の経緯から付帯事業で利益をあげねば拡張・経営が困難として売店を直営(陳列ケース方式)。食堂は子会社日本空港食堂、送迎台入場料1人20円
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「四、創業時の業績」
    • [18]1955年8月外貨(米ドル)販売許可、出国待合室に売店開設。竣工後に付帯事業の収支見込みを含め収支を再試算

1959年〜ジェット化に備えた本館の増改築と、日本初の酒税免税販売

日本空港ビルデングは1961年3月、国際線と国内線にわたる大増改築案を東京国際空港ターミナルビル拡張計画(新財政計画試案)として発表した。羽田の1便当たり旅客は、機材のジェット化で1954年の22.5人から1962年には54.6人に増えた。出入国旅客の合計も、1954年の11万4308人から1961年には52万2213人に達した。社長の秋山龍氏は1958年5月から約2ヵ月半、ジェット機の受け入れに苦心する欧米の主要空港を視察し、増改築案を練った。試案の骨子は、CIQ(税関・出入国管理・検疫)ブロックの拡張と、フィンガーの延長、出発・到着の階の分離。会社は工事に着手する前の1961年3月に、拡張の大要と財政方策の大綱を航空会社へ示した。

  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、拡張計画(新財政計画試案)の発表」
    • [19]1958年以降増改築案を検討、秋山社長が1958年5月から約2ヵ月半欧米視察。国際線の大半がジェット化した1961年3月に拡張計画(新財政計画試案)を発表、CIQブロック中心・出発2階/到着1階分離・フィンガー延長
    • [22]1958年以降増改築案を検討、秋山社長が1958年5月から約2ヵ月半欧米視察。国際線の大半がジェット化した1961年3月に拡張計画(新財政計画試案)を発表、CIQブロック中心・出発2階/到着1階分離・フィンガー延長
    • [23]1958年以降増改築案を検討、秋山社長が1958年5月から約2ヵ月半欧米視察。国際線の大半がジェット化した1961年3月に拡張計画(新財政計画試案)を発表、CIQブロック中心・出発2階/到着1階分離・フィンガー延長
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「民間航空のジェット化と航空輸送の大衆化」
    • [20]東京国際空港の1便当たり旅客は1954年22.5人→1962年54.6人。出入国旅客計1954年114,308人→1961年522,213人
    • [21]東京国際空港の1便当たり旅客は1954年22.5人→1962年54.6人。出入国旅客計1954年114,308人→1961年522,213人
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「六、航空会社との交渉」
    • [24]1961年3月、拡張工事の大要と財政方策の大綱を航空会社に事前に提示

1963年3月末、日本空港ビルデングは本館と新フレート・ビルの官庁増築部分を、5億1900万円と4392万8000円で政府に引き渡した。官庁部分の費用は、1960年12月に1961年度の国庫債務負担行為として5億1900万円が認められた。1961年6月、航空局長は民間部分も同時に拡張するよう求め、社長の秋山龍氏に基本計画の提出を依頼した。民間部分の費用は従来の家賃体系では賄えず、会社は家賃の25%値上げと施設使用料・入場料の新設を組み合わせた。負担割合は一般借室者29%、航空会社24%、送迎人・見学者20%、会社27%とし、会社は『モアー・セールス、レス・エクスペンス』の方針を掲げた。工事は旅客を通しながら進め、1963年7月15日に国際線主要部分の供用を始めた。

  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、拡張計画の実施」
    • [25]1960年12月、1961年度5億1900万円の国庫債務負担行為が成立。1961年6月航空局長が民間部分も同時拡張の基本計画を依頼。1962年1月17日起工、1963年3月末官庁増築部分を5億1900万円・4392万8000円で政府へ引渡し、7月15日国際線主要部分供用開始
    • [26]1960年12月、1961年度5億1900万円の国庫債務負担行為が成立。1961年6月航空局長が民間部分も同時拡張の基本計画を依頼。1962年1月17日起工、1963年3月末官庁増築部分を5億1900万円・4392万8000円で政府へ引渡し、7月15日国際線主要部分供用開始
    • [27]1960年12月、1961年度5億1900万円の国庫債務負担行為が成立。1961年6月航空局長が民間部分も同時拡張の基本計画を依頼。1962年1月17日起工、1963年3月末官庁増築部分を5億1900万円・4392万8000円で政府へ引渡し、7月15日国際線主要部分供用開始
    • [30]1960年12月、1961年度5億1900万円の国庫債務負担行為が成立。1961年6月航空局長が民間部分も同時拡張の基本計画を依頼。1962年1月17日起工、1963年3月末官庁増築部分を5億1900万円・4392万8000円で政府へ引渡し、7月15日国際線主要部分供用開始
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、官庁予算の成立」
    • [28]拡張部分に従来家賃体系では1億4800万円しか見込めず65%値上げが必要となるため、家賃25%値上げ・航空会社専用共用施設使用料・送迎見学者新入場料を設定
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「六、航空会社との交渉」
    • [29]関係四者の負担割合:一般及び不特定借室者29%・航空会社24%・送迎人及び見学者20%・当社27%。商業主義に徹する方針

1964年10月、日本空港ビルデングは出国待合室の売店で、日本で初めて日本酒と国産ウイスキーの酒税免税販売を始めた。出国待合室売店の客はほとんどが外国人だったため、会社は輸出物品免税販売場の指定を受け、指定品の物品税を免除して販売した。国際線部分の増改築は1963年7月15日に供用を始め、出国待合室の売場も広がった。売場は7.3平方メートルから181平方メートルに、販売ケースは5〜6台から28台に増えた。1964年6月28日には、通産大臣による輸出貢献企業の認定。東京オリンピックでは帰国する外国選手に好評で、会社は国産品のPRと輸出振興に寄与したと位置づけた。外貨を稼ぐ売場としての実績が、物品税に続く酒税の免除を当局に認めさせる根拠になったと考えられる。

  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「販売業務」
    • [31]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
    • [32]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
    • [34]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
    • [35]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
    • [36]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、拡張計画の実施」
    • [33]1963年7月15日、本館・東フィンガー・新フレート・ビルの国際線主要部分の供用開始
参考文献[19]-[36]
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、拡張計画(新財政計画試案)の発表」
    • [19]1958年以降増改築案を検討、秋山社長が1958年5月から約2ヵ月半欧米視察。国際線の大半がジェット化した1961年3月に拡張計画(新財政計画試案)を発表、CIQブロック中心・出発2階/到着1階分離・フィンガー延長
    • [22]1958年以降増改築案を検討、秋山社長が1958年5月から約2ヵ月半欧米視察。国際線の大半がジェット化した1961年3月に拡張計画(新財政計画試案)を発表、CIQブロック中心・出発2階/到着1階分離・フィンガー延長
    • [23]1958年以降増改築案を検討、秋山社長が1958年5月から約2ヵ月半欧米視察。国際線の大半がジェット化した1961年3月に拡張計画(新財政計画試案)を発表、CIQブロック中心・出発2階/到着1階分離・フィンガー延長
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「民間航空のジェット化と航空輸送の大衆化」
    • [20]東京国際空港の1便当たり旅客は1954年22.5人→1962年54.6人。出入国旅客計1954年114,308人→1961年522,213人
    • [21]東京国際空港の1便当たり旅客は1954年22.5人→1962年54.6人。出入国旅客計1954年114,308人→1961年522,213人
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「六、航空会社との交渉」
    • [24]1961年3月、拡張工事の大要と財政方策の大綱を航空会社に事前に提示
    • [29]関係四者の負担割合:一般及び不特定借室者29%・航空会社24%・送迎人及び見学者20%・当社27%。商業主義に徹する方針
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、拡張計画の実施」
    • [25]1960年12月、1961年度5億1900万円の国庫債務負担行為が成立。1961年6月航空局長が民間部分も同時拡張の基本計画を依頼。1962年1月17日起工、1963年3月末官庁増築部分を5億1900万円・4392万8000円で政府へ引渡し、7月15日国際線主要部分供用開始
    • [26]1960年12月、1961年度5億1900万円の国庫債務負担行為が成立。1961年6月航空局長が民間部分も同時拡張の基本計画を依頼。1962年1月17日起工、1963年3月末官庁増築部分を5億1900万円・4392万8000円で政府へ引渡し、7月15日国際線主要部分供用開始
    • [27]1960年12月、1961年度5億1900万円の国庫債務負担行為が成立。1961年6月航空局長が民間部分も同時拡張の基本計画を依頼。1962年1月17日起工、1963年3月末官庁増築部分を5億1900万円・4392万8000円で政府へ引渡し、7月15日国際線主要部分供用開始
    • [30]1960年12月、1961年度5億1900万円の国庫債務負担行為が成立。1961年6月航空局長が民間部分も同時拡張の基本計画を依頼。1962年1月17日起工、1963年3月末官庁増築部分を5億1900万円・4392万8000円で政府へ引渡し、7月15日国際線主要部分供用開始
    • [33]1963年7月15日、本館・東フィンガー・新フレート・ビルの国際線主要部分の供用開始
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、官庁予算の成立」
    • [28]拡張部分に従来家賃体系では1億4800万円しか見込めず65%値上げが必要となるため、家賃25%値上げ・航空会社専用共用施設使用料・送迎見学者新入場料を設定
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「販売業務」
    • [31]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
    • [32]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
    • [34]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
    • [35]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評
    • [36]出国待合室売店は客の殆どが外国人で輸出物品免税販売場の指定を受け物品税免除。増改築で売場7.3㎡→181㎡、ケース5〜6→28。1964年6月28日通産大臣より輸出貢献企業認定。1964年10月日本初の日本酒・国産ウイスキー酒税免税販売、東京オリンピックの外国選手帰国時に好評

1965年〜公共性を掲げた空港ビルの国際線到着ターミナルと、新東京国際空港への備え

1965年、日本空港ビルデングは羽田の発着回数が数年で滑走路の受入能力に迫ると見込んだ。1964年の定期便の発着は国際線1万4500回、国内線5万7300回で、1955年比でそれぞれ約2.3倍、5.2倍。航空局は3本の滑走路の受入能力を年約17万5000回と推定し、会社の予測では1970年度の発着は16万8300回に達した。国内線旅客も1964年に314万人と、1955年の約9.7倍に増えた。会社は1965年3月から国内線出発ロビーの拡張に着手し、総工費7億400万円のニュー・カーゴ・ビルも1965年度中の完成を見込んだ。一方で運輸省は、超音速機の受け入れも見据え、4000メートルの主滑走路2本を持つ新東京国際空港の建設計画を進めた。

  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、航空旅客等の増加予想と東京国際空港の受入能力」
    • [37]1964年定期便発着は国際線1万4500回・国内線5万7300回(1955年比約2.3倍・5.2倍)。航空局推定の受入能力は年約17万5000回、会社予測で1970年度発着16万8300回
    • [38]1964年定期便発着は国際線1万4500回・国内線5万7300回(1955年比約2.3倍・5.2倍)。航空局推定の受入能力は年約17万5000回、会社予測で1970年度発着16万8300回
    • [39]1964年定期便発着は国際線1万4500回・国内線5万7300回(1955年比約2.3倍・5.2倍)。航空局推定の受入能力は年約17万5000回、会社予測で1970年度発着16万8300回
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、日本空港ビルデング(株)の事業計画」
    • [40]国内線旅客は1964年314万人(1955年の約9.7倍)、国内線も出発・到着ロビーを分離する方針
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「四、新東京国際空港建設計画」
    • [41]1965年3月から国内線出発ロビー拡張工事。ニュー・カーゴ・ビル(11,771㎡、総工費7億400万円)を1965年度完成見込み。新東京国際空港は4000m主滑走路2本で超音速機受入れを想定
    • [42]1965年3月から国内線出発ロビー拡張工事。ニュー・カーゴ・ビル(11,771㎡、総工費7億400万円)を1965年度完成見込み。新東京国際空港は4000m主滑走路2本で超音速機受入れを想定

1969年10月9日、日本空港ビルデングは羽田の国際線到着ターミナルビルを起工した。羽田の旅客は1963年の国際線54万人・国内線259万人から、1968年には202万人・448万人に増えた。会長の秋山龍氏は1968年の対談で、羽田の旅客について『毎年二割程度の増加です』と語った。1970年3月にはボーイング747の乗り入れが始まる一方、新東京国際空港の供用開始は1971年4月の予定だった。政府は1969年2月、本館を出発専用に改め、到着専用ビルを官民合同で建てる方針を決めた。計画の目標には、新空港との関係を考えて投資を極力節約する方針も掲げた。会長の秋山龍氏と社長の阿部泰夫氏は開館15周年の挨拶で、収支の均衡に加え『場合によっては公共性を優先してこれを実現させるという方針を堅持してきたのであります』と記した。

  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「大量輸送時代の到来とターミナルビルの拡張」
    • [43]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
    • [44]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
    • [46]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
    • [47]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
    • [48]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
  • 経済往来 20(1) 1968年「<対談>空港ビルからみた世界」秋山龍・秋山ちえ子
    • [45]秋山龍(1968年対談):羽田の旅客は毎年2割程度増加
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「ターミナルビル開館15周年を迎えるにあたって」
    • [49]1970年の開館15周年挨拶(会長秋山龍・社長阿部泰夫):収支相償と公共性を併立させ場合によっては公共性を優先する方針を堅持

1970年4月1日、日本空港ビルデングはターミナル関連施設の拡充と新空港対策を目的に半額増資し、資本金を18億円とした。同じ日には、会社が中心となり、空港の総合計画を手がける日本空港コンサルタンツを資本金6億円で設立。新会社の会長には秋山龍氏、社長には阿部泰夫氏が就任した。設立の背景には、大型機の就航と超音速機の出現を控え、新空港の建設や既存空港の拡張が各国の課題になったことがあった。1967年9月には、秋山龍氏が会長を務める全国空港ビル懇話会が、新空港と既存の空港ターミナルビルとの関係について運輸大臣に陳情した。秋山龍氏は日本空港コンサルタンツの会長として、のちに航空審議会の関西国際空港部会長も務めた。増資と同じ日に設計会社を設けたのは、羽田で得た計画の経験を新空港の建設にも生かす狙いがあったのだろう。

  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「年表」
    • [50]1970年4月1日、ターミナル関連施設の拡充及び新空港対策として半額増資、新資本金18億円
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「関係会社の概要」
    • [51]日本空港コンサルタンツ:1970年4月1日設立、資本金6億円、会長秋山龍・社長阿部泰夫。大型機・超音速機の時代に新空港建設等へ対処するため日本空港ビルデングが中心となり設立
    • [52]日本空港コンサルタンツ:1970年4月1日設立、資本金6億円、会長秋山龍・社長阿部泰夫。大型機・超音速機の時代に新空港建設等へ対処するため日本空港ビルデングが中心となり設立
    • [53]日本空港コンサルタンツ:1970年4月1日設立、資本金6億円、会長秋山龍・社長阿部泰夫。大型機・超音速機の時代に新空港建設等へ対処するため日本空港ビルデングが中心となり設立
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「対外活動」
    • [54]全国空港ビル懇話会(1964年8月設立、会長秋山龍)が1967年9月、新空港建設と既存空港ターミナルビルとの関係について運輸大臣に陳情
  • 新空港レビュー 関西空港部会報 1984年「インタビュー 秋山龍」
    • [55]秋山龍は日本空港コンサルタンツ取締役会長、航空審議会関西国際空港部会長として第1次・第2次答申を策定
参考文献[37]-[55]
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、航空旅客等の増加予想と東京国際空港の受入能力」
    • [37]1964年定期便発着は国際線1万4500回・国内線5万7300回(1955年比約2.3倍・5.2倍)。航空局推定の受入能力は年約17万5000回、会社予測で1970年度発着16万8300回
    • [38]1964年定期便発着は国際線1万4500回・国内線5万7300回(1955年比約2.3倍・5.2倍)。航空局推定の受入能力は年約17万5000回、会社予測で1970年度発着16万8300回
    • [39]1964年定期便発着は国際線1万4500回・国内線5万7300回(1955年比約2.3倍・5.2倍)。航空局推定の受入能力は年約17万5000回、会社予測で1970年度発着16万8300回
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、日本空港ビルデング(株)の事業計画」
    • [40]国内線旅客は1964年314万人(1955年の約9.7倍)、国内線も出発・到着ロビーを分離する方針
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「四、新東京国際空港建設計画」
    • [41]1965年3月から国内線出発ロビー拡張工事。ニュー・カーゴ・ビル(11,771㎡、総工費7億400万円)を1965年度完成見込み。新東京国際空港は4000m主滑走路2本で超音速機受入れを想定
    • [42]1965年3月から国内線出発ロビー拡張工事。ニュー・カーゴ・ビル(11,771㎡、総工費7億400万円)を1965年度完成見込み。新東京国際空港は4000m主滑走路2本で超音速機受入れを想定
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「大量輸送時代の到来とターミナルビルの拡張」
    • [43]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
    • [44]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
    • [46]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
    • [47]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
    • [48]旅客は1963年国際線54万・国内線259万→1968年202万・448万。B-747乗入れ1970年3月、新東京国際空港供用予定1971年4月。1969年2月政府が本館を出発専用・到着専用ビル新設の方針、1969年10月9日到着ターミナル起工。計画目標に新空港との関係を考慮した投資節約
  • 経済往来 20(1) 1968年「<対談>空港ビルからみた世界」秋山龍・秋山ちえ子
    • [45]秋山龍(1968年対談):羽田の旅客は毎年2割程度増加
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「ターミナルビル開館15周年を迎えるにあたって」
    • [49]1970年の開館15周年挨拶(会長秋山龍・社長阿部泰夫):収支相償と公共性を併立させ場合によっては公共性を優先する方針を堅持
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「年表」
    • [50]1970年4月1日、ターミナル関連施設の拡充及び新空港対策として半額増資、新資本金18億円
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「関係会社の概要」
    • [51]日本空港コンサルタンツ:1970年4月1日設立、資本金6億円、会長秋山龍・社長阿部泰夫。大型機・超音速機の時代に新空港建設等へ対処するため日本空港ビルデングが中心となり設立
    • [52]日本空港コンサルタンツ:1970年4月1日設立、資本金6億円、会長秋山龍・社長阿部泰夫。大型機・超音速機の時代に新空港建設等へ対処するため日本空港ビルデングが中心となり設立
    • [53]日本空港コンサルタンツ:1970年4月1日設立、資本金6億円、会長秋山龍・社長阿部泰夫。大型機・超音速機の時代に新空港建設等へ対処するため日本空港ビルデングが中心となり設立
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「対外活動」
    • [54]全国空港ビル懇話会(1964年8月設立、会長秋山龍)が1967年9月、新空港建設と既存空港ターミナルビルとの関係について運輸大臣に陳情
  • 新空港レビュー 関西空港部会報 1984年「インタビュー 秋山龍」
    • [55]秋山龍は日本空港コンサルタンツ取締役会長、航空審議会関西国際空港部会長として第1次・第2次答申を策定

出典・参考

23件
出典・参考
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、会社設立の背景」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「会社設立及びターミナル・ビル建設関係資料」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、空港の経営形態と東京国際空港ターミナル・ビルの特異性」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、日本空港ビルデング株式会社の設立」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、東京国際空港ターミナル・ビルの建設工事」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、付帯事業部門」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「四、創業時の業績」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、拡張計画(新財政計画試案)の発表」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「民間航空のジェット化と航空輸送の大衆化」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「六、航空会社との交渉」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、拡張計画の実施」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「二、官庁予算の成立」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「販売業務」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「一、航空旅客等の増加予想と東京国際空港の受入能力」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「三、日本空港ビルデング(株)の事業計画」
  • 東京国際空港ターミナル・ビル十年の歩み(1965)「四、新東京国際空港建設計画」
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「大量輸送時代の到来とターミナルビルの拡張」
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「ターミナルビル開館15周年を迎えるにあたって」
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「年表」
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「関係会社の概要」
  • 東京国際空港ターミナルビル15年の歩み(1970)「対外活動」
  • 経済往来 20(1) 1968年「<対談>空港ビルからみた世界」秋山龍・秋山ちえ子
  • 新空港レビュー 関西空港部会報 1984年「インタビュー 秋山龍」

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