歌舞伎座:劇場歌舞伎座の開場と映画製作事業への参入
1949年〜集排法で松竹に代わり建て直した劇場歌舞伎座と、2億5千万円への増資
1949年11月、大谷竹次郎氏らが発起人となり、資本金1億5千万円で株式会社歌舞伎座を設立した。劇場の起点は1888年11月、福地桜痴氏と千葉勝五郎氏が東京・木挽町に開いた歌舞伎座にさかのぼる。1931年7月に松竹と合併してからは、劇場の所有も興行も松竹が一元的に経営する体制となった。その劇場は1945年5月の空襲で焼失し、松竹が立てた再建計画も集排法などの制約を受けて実現しなかった。そこで新会社の社長に大谷竹次郎氏が就任し、11月21日の設立後ただちに再建工事へ着手した。松竹本体に大型の不動産を新たに抱えさせず、劇場の所有だけを別会社へ切り出したとみられる。
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- [1]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [2]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [3]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [4]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [5]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- 株式会社年鑑 1953年版「歌舞伎座」
- [6]設立は1949年11月21日、社長は大谷竹次郎
新しい劇場は吉田五十八氏と木村武一氏の設計で、1951年1月に一部を残して竣工した。地下を含む6階建ての鉄骨鉄筋コンクリート造で、旧劇場より客席を増やし、照明・音響・冷暖房の設備を備えた。竣工と同時に、劇場と付属室は松竹へ、食堂と売店は歌舞伎座サービスへの賃貸。株式会社歌舞伎座は興行を自ら手がけず、興行場と附属室、食堂・売店の賃貸を事業の中心に置いた。開場後の盛況を受けて、賃貸収入は1951年3〜8月期の29,281千円から1952年3〜8月期の35,926千円へ増えた。興行の浮き沈みは松竹が負い、歌舞伎座は家賃で収入を固める分担だったと推察される。
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- [7]設計は吉田五十八・木村武一、1951年1月に一部を残して竣工。鉄骨鉄筋コンクリート地階とも6階建、収容人員を増やし照明・音響・換気・冷暖房を完備。劇場・付属室を松竹に、食堂・売店を歌舞伎座サービスに賃貸し、開場以来盛況で賃貸収入が上昇
- [8]設計は吉田五十八・木村武一、1951年1月に一部を残して竣工。鉄骨鉄筋コンクリート地階とも6階建、収容人員を増やし照明・音響・換気・冷暖房を完備。劇場・付属室を松竹に、食堂・売店を歌舞伎座サービスに賃貸し、開場以来盛況で賃貸収入が上昇
- [9]設計は吉田五十八・木村武一、1951年1月に一部を残して竣工。鉄骨鉄筋コンクリート地階とも6階建、収容人員を増やし照明・音響・換気・冷暖房を完備。劇場・付属室を松竹に、食堂・売店を歌舞伎座サービスに賃貸し、開場以来盛況で賃貸収入が上昇
- [11]設計は吉田五十八・木村武一、1951年1月に一部を残して竣工。鉄骨鉄筋コンクリート地階とも6階建、収容人員を増やし照明・音響・換気・冷暖房を完備。劇場・付属室を松竹に、食堂・売店を歌舞伎座サービスに賃貸し、開場以来盛況で賃貸収入が上昇
- 株式会社年鑑 1953年版「歌舞伎座」
- [10]主な事業は興行場・附属室の賃貸、食堂・売店の賃貸ほか。賃貸収入は1951年3-8月期29,281千円、1952年3-8月期35,926千円
- [12]主な事業は興行場・附属室の賃貸、食堂・売店の賃貸ほか。賃貸収入は1951年3-8月期29,281千円、1952年3-8月期35,926千円
膨らんだ復興工事費に充てるため、株式会社歌舞伎座は1951年に資本金を2億5千万円へ増やした。1952年8月末時点の発行済株式は500万株で、授権株数は1,000万株だった。続く1952年7月1日には、東京証券取引所への上場を果たした。上場をはさむ1952年の2期は、いずれも年6.0%の配当。1952年の貸借対照表では固定負債が2,313千円にとどまり、劇場の建設費の大半を株主の資本で賄った。同じ時点の従業員は23人で、資産の大半は土地と建物、機械装置が占めた。上場は、工事費を株式で賄った資本構成を市場の買い手に支えさせる手立てだったと思われる。
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- [13]復興工事費に充当するため1951年(八十年史は3月、1953年鑑の沿革は1月、1958年鑑は2月)資本金を2億5千万円とした
- 株式会社年鑑 1953年版「歌舞伎座」
- [14]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
- [15]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
- [16]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
- [17]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
- [18]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
参考文献[1]-[18]
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- [1]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [2]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [3]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [4]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [5]1949年11月に大谷竹次郎氏らの発起で資本金1億5千万円で設立。前身は1888年11月に福地桜痴・千葉勝五郎が木挽町に開場した歌舞伎座。1931年7月松竹と合併、1945年5月空襲で焼失。松竹の再建計画は集排法等の制約で実現せず、新会社を設立し大谷氏が社長に就任して再建に着手
- [7]設計は吉田五十八・木村武一、1951年1月に一部を残して竣工。鉄骨鉄筋コンクリート地階とも6階建、収容人員を増やし照明・音響・換気・冷暖房を完備。劇場・付属室を松竹に、食堂・売店を歌舞伎座サービスに賃貸し、開場以来盛況で賃貸収入が上昇
- [8]設計は吉田五十八・木村武一、1951年1月に一部を残して竣工。鉄骨鉄筋コンクリート地階とも6階建、収容人員を増やし照明・音響・換気・冷暖房を完備。劇場・付属室を松竹に、食堂・売店を歌舞伎座サービスに賃貸し、開場以来盛況で賃貸収入が上昇
- [9]設計は吉田五十八・木村武一、1951年1月に一部を残して竣工。鉄骨鉄筋コンクリート地階とも6階建、収容人員を増やし照明・音響・換気・冷暖房を完備。劇場・付属室を松竹に、食堂・売店を歌舞伎座サービスに賃貸し、開場以来盛況で賃貸収入が上昇
- [11]設計は吉田五十八・木村武一、1951年1月に一部を残して竣工。鉄骨鉄筋コンクリート地階とも6階建、収容人員を増やし照明・音響・換気・冷暖房を完備。劇場・付属室を松竹に、食堂・売店を歌舞伎座サービスに賃貸し、開場以来盛況で賃貸収入が上昇
- [13]復興工事費に充当するため1951年(八十年史は3月、1953年鑑の沿革は1月、1958年鑑は2月)資本金を2億5千万円とした
- 株式会社年鑑 1953年版「歌舞伎座」
- [6]設立は1949年11月21日、社長は大谷竹次郎
- [10]主な事業は興行場・附属室の賃貸、食堂・売店の賃貸ほか。賃貸収入は1951年3-8月期29,281千円、1952年3-8月期35,926千円
- [12]主な事業は興行場・附属室の賃貸、食堂・売店の賃貸ほか。賃貸収入は1951年3-8月期29,281千円、1952年3-8月期35,926千円
- [14]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
- [15]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
- [16]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
- [17]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
- [18]授権株数1,000万株・発行済500万株・資本金2億5千万円。1952年7月1日東京上場。1952年の2期は配当年6.0%。固定負債は2,313千円のみ。従業員23人。有形固定資産262,032千円のうち土地・建物・構築物210,044千円
1953年〜現物出資で譲り受けた歌舞伎座別館と、資本金3億円で踏み出した映画製作
1954年2月、株式会社歌舞伎座は松竹が所有していた歌舞伎座別館の建物と敷地を現物出資で受け入れ、資本金を3億円とした。発行済株式は600万株となり、1957年8月末には松竹が2,117,000株を持つ筆頭株主だった。別館は同年4月に改修工事へ入り、3・4階は貸事務所に改めた。地下1・2階は10月から劇場付属の貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店として、松竹と歌舞伎座サービスに貸し出した。観客へのサービスを良くしながら収入を増やす狙いである。1958年版の年鑑では、別館は歌舞伎会館の名で付属室・食堂・売店・事務室の賃貸先に載る。
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- [19]1954年2月、松竹所有の歌舞伎座別館の建物・敷地を現物出資で譲り受け資本金3億円。同年4月改修着手、3・4階は貸事務所、地下1・2階は10月から貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店等として松竹・歌舞伎座サービスに賃貸。観客サービス改善と収入増加を図った
- [22]1954年2月、松竹所有の歌舞伎座別館の建物・敷地を現物出資で譲り受け資本金3億円。同年4月改修着手、3・4階は貸事務所、地下1・2階は10月から貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店等として松竹・歌舞伎座サービスに賃貸。観客サービス改善と収入増加を図った
- [23]1954年2月、松竹所有の歌舞伎座別館の建物・敷地を現物出資で譲り受け資本金3億円。同年4月改修着手、3・4階は貸事務所、地下1・2階は10月から貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店等として松竹・歌舞伎座サービスに賃貸。観客サービス改善と収入増加を図った
- [24]1954年2月、松竹所有の歌舞伎座別館の建物・敷地を現物出資で譲り受け資本金3億円。同年4月改修着手、3・4階は貸事務所、地下1・2階は10月から貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店等として松竹・歌舞伎座サービスに賃貸。観客サービス改善と収入増加を図った
- 株式会社年鑑 1958年版「歌舞伎座」
- [20]1954年2月資本金3億円に増資(歌舞伎座別館を松竹より現物出資)。発行済600万株。1957年8月末の大株主に松竹2,117,000株。事業内容に歌舞伎会館内付属室・食堂・売店・事務室の賃貸
- [21]1954年2月資本金3億円に増資(歌舞伎座別館を松竹より現物出資)。発行済600万株。1957年8月末の大株主に松竹2,117,000株。事業内容に歌舞伎会館内付属室・食堂・売店・事務室の賃貸
- [25]1954年2月資本金3億円に増資(歌舞伎座別館を松竹より現物出資)。発行済600万株。1957年8月末の大株主に松竹2,117,000株。事業内容に歌舞伎会館内付属室・食堂・売店・事務室の賃貸
1954年4月、株式会社歌舞伎座は全額出資で資本金2千万円の歌舞伎座サービス株式会社の設立。新会社には旧サービス会社の営業一切を引き継がせ、劇場内の食堂と売店の経営を刷新した。旧サービス会社は1951年の開場時から食堂と売店を借りていた相手で、1952年時点でも主な取引先に名を連ねた。子会社化の後も、1958年版の年鑑では主な取引先として松竹と並んで載る。1957年3〜8月期の賃貸料収入は57,750千円で、開場直後の1951年3〜8月期のほぼ2倍の水準となった。賃料を払う店子の経営を自社の手元に置き、家賃の取りはぐれを防ぐ意味もあったと考えられる。
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- [26]1954年4月、全額出資で資本金2千万円の歌舞伎座サービス(株)を設立し、旧サービス会社の営業一切を継承させ食堂・売店の経営を刷新
- [27]1954年4月、全額出資で資本金2千万円の歌舞伎座サービス(株)を設立し、旧サービス会社の営業一切を継承させ食堂・売店の経営を刷新
- 株式会社年鑑 1953年版「歌舞伎座」
- [28]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス(1952年)。1951年3-8月期の賃貸収入29,281千円
- [31]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス(1952年)。1951年3-8月期の賃貸収入29,281千円
- 株式会社年鑑 1958年版「歌舞伎座」
- [29]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス・出光興産。1957年3-8月期の賃貸料収入57,750千円
- [30]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス・出光興産。1957年3-8月期の賃貸料収入57,750千円
- [32]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス・出光興産。1957年3-8月期の賃貸料収入57,750千円
1955年時点の事業は、劇場と付属建物、食堂・売店の賃貸だけだった。1958年版の年鑑では、事業内容に映画の製作・販売・賃貸が加わる。映画収入は1956年3〜8月期の24,000千円が最初で、同年9月〜1957年2月期は32,150千円となった。1959年3〜8月期には映画収入が301,792千円に達し、賃貸収入57,628千円の5倍を上回った。京都市左京区下鴨に京都撮影所を構え、映画の品目はTV映画とPR映画だった。従業員は1957年の35人から1960年には82人へ増え、劇場の家主に製作会社の顔が加わった。家賃収入が伸び悩むなかで、テレビの普及に合わせた映像の受注へ事業を広げたのだろう。
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- [33]1955年時点の事業は劇場・付属建物・食堂・売店等の賃貸
- 株式会社年鑑 1958年版「歌舞伎座」
- [34]事業内容に映画の製作・販売・賃貸。映画収入は1956年3-8月期24,000千円、1956年9月-1957年2月期32,150千円。従業員35人
- [35]事業内容に映画の製作・販売・賃貸。映画収入は1956年3-8月期24,000千円、1956年9月-1957年2月期32,150千円。従業員35人
- [38]事業内容に映画の製作・販売・賃貸。映画収入は1956年3-8月期24,000千円、1956年9月-1957年2月期32,150千円。従業員35人
- 株式会社年鑑 1960年版「歌舞伎座」
- [36]1959年3-8月期 映画収入301,792千円・賃貸収入57,628千円。事業内容に映画製作・販売・賃貸(TV映画・PR映画)。京都撮影所(京都市左京区下鴨宮崎町)。従業員82人
- [37]1959年3-8月期 映画収入301,792千円・賃貸収入57,628千円。事業内容に映画製作・販売・賃貸(TV映画・PR映画)。京都撮影所(京都市左京区下鴨宮崎町)。従業員82人
- [39]1959年3-8月期 映画収入301,792千円・賃貸収入57,628千円。事業内容に映画製作・販売・賃貸(TV映画・PR映画)。京都撮影所(京都市左京区下鴨宮崎町)。従業員82人
参考文献[19]-[39]
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- [19]1954年2月、松竹所有の歌舞伎座別館の建物・敷地を現物出資で譲り受け資本金3億円。同年4月改修着手、3・4階は貸事務所、地下1・2階は10月から貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店等として松竹・歌舞伎座サービスに賃貸。観客サービス改善と収入増加を図った
- [22]1954年2月、松竹所有の歌舞伎座別館の建物・敷地を現物出資で譲り受け資本金3億円。同年4月改修着手、3・4階は貸事務所、地下1・2階は10月から貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店等として松竹・歌舞伎座サービスに賃貸。観客サービス改善と収入増加を図った
- [23]1954年2月、松竹所有の歌舞伎座別館の建物・敷地を現物出資で譲り受け資本金3億円。同年4月改修着手、3・4階は貸事務所、地下1・2階は10月から貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店等として松竹・歌舞伎座サービスに賃貸。観客サービス改善と収入増加を図った
- [24]1954年2月、松竹所有の歌舞伎座別館の建物・敷地を現物出資で譲り受け資本金3億円。同年4月改修着手、3・4階は貸事務所、地下1・2階は10月から貴賓室・展示場・遊歩廊・食堂・売店等として松竹・歌舞伎座サービスに賃貸。観客サービス改善と収入増加を図った
- [26]1954年4月、全額出資で資本金2千万円の歌舞伎座サービス(株)を設立し、旧サービス会社の営業一切を継承させ食堂・売店の経営を刷新
- [27]1954年4月、全額出資で資本金2千万円の歌舞伎座サービス(株)を設立し、旧サービス会社の営業一切を継承させ食堂・売店の経営を刷新
- [33]1955年時点の事業は劇場・付属建物・食堂・売店等の賃貸
- 株式会社年鑑 1958年版「歌舞伎座」
- [20]1954年2月資本金3億円に増資(歌舞伎座別館を松竹より現物出資)。発行済600万株。1957年8月末の大株主に松竹2,117,000株。事業内容に歌舞伎会館内付属室・食堂・売店・事務室の賃貸
- [21]1954年2月資本金3億円に増資(歌舞伎座別館を松竹より現物出資)。発行済600万株。1957年8月末の大株主に松竹2,117,000株。事業内容に歌舞伎会館内付属室・食堂・売店・事務室の賃貸
- [25]1954年2月資本金3億円に増資(歌舞伎座別館を松竹より現物出資)。発行済600万株。1957年8月末の大株主に松竹2,117,000株。事業内容に歌舞伎会館内付属室・食堂・売店・事務室の賃貸
- [29]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス・出光興産。1957年3-8月期の賃貸料収入57,750千円
- [30]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス・出光興産。1957年3-8月期の賃貸料収入57,750千円
- [32]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス・出光興産。1957年3-8月期の賃貸料収入57,750千円
- [34]事業内容に映画の製作・販売・賃貸。映画収入は1956年3-8月期24,000千円、1956年9月-1957年2月期32,150千円。従業員35人
- [35]事業内容に映画の製作・販売・賃貸。映画収入は1956年3-8月期24,000千円、1956年9月-1957年2月期32,150千円。従業員35人
- [38]事業内容に映画の製作・販売・賃貸。映画収入は1956年3-8月期24,000千円、1956年9月-1957年2月期32,150千円。従業員35人
- 株式会社年鑑 1953年版「歌舞伎座」
- [28]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス(1952年)。1951年3-8月期の賃貸収入29,281千円
- [31]主なる取引先は松竹・歌舞伎座サービス(1952年)。1951年3-8月期の賃貸収入29,281千円
- 株式会社年鑑 1960年版「歌舞伎座」
- [36]1959年3-8月期 映画収入301,792千円・賃貸収入57,628千円。事業内容に映画製作・販売・賃貸(TV映画・PR映画)。京都撮影所(京都市左京区下鴨宮崎町)。従業員82人
- [37]1959年3-8月期 映画収入301,792千円・賃貸収入57,628千円。事業内容に映画製作・販売・賃貸(TV映画・PR映画)。京都撮影所(京都市左京区下鴨宮崎町)。従業員82人
- [39]1959年3-8月期 映画収入301,792千円・賃貸収入57,628千円。事業内容に映画製作・販売・賃貸(TV映画・PR映画)。京都撮影所(京都市左京区下鴨宮崎町)。従業員82人
出典・参考
4件
- 株式会社年鑑 1953年版「歌舞伎座」
- 会社銀行八十年史(1955年)「歌舞伎座」
- 株式会社年鑑 1958年版「歌舞伎座」
- 株式会社年鑑 1960年版「歌舞伎座」