ゴールドクレスト:マンション販売代理業での創業とクレストフォルムの自社分譲
1992年〜リクルートコスモスから独立した安川秀俊氏の販売代理と、自社分譲のクレストフォルム
安川秀俊氏は1992年1月、30歳でゴールドクレストを設立し、同年5月に事業を始めた。リクルートコスモスへの入社当初から、10年後に独立すると周囲に宣言していた。1984年に東京大学工学部土木工学科を卒業した際は、大手ゼネコンを衰退産業とみて就職先から外した。若いうちに力をつけるため、急成長が見込めたリクルートへの入社の選択。リクルートコスモスでの約8年のうち約6年は用地の仕入れから商品の造り込みまでを担い、100物件近くを手がけた。1988年1月にはリクルートコスモスの川崎支店長に就任した。リクルート事件とバブル崩壊で勤め先の成長が止まる過程も社員として見届け、急拡大の進め方と落とし穴を学んだ。会社の興亡を内側から見た経験が、創業時の教訓の土台である。
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年8月 別冊付録 ゴールドクレスト(安川秀俊)
- [1]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [3]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [4]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [5]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [7]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝
- [2]リクルートコスモス専務の常泉泰造氏によれば、安川秀俊氏は入社当初から10年後の独立を宣言していた
- [6]1988年1月リクルートコスモス川崎支店長。バブルの発生と崩壊での企業の盛衰を会社を起こす際の教訓にした
- [8]1988年1月リクルートコスモス川崎支店長。バブルの発生と崩壊での企業の盛衰を会社を起こす際の教訓にした
ゴールドクレストは、他社が分譲するマンションの販売代理から事業を始めた。人も資金も持たない創業であり、販売代理で信用力と財務力をつけたうえで自社物件の販売へ移る順序を取った。事業にマンションを選んだ理由は2つあった。市場が巨大で消えることがない点と、業界の生産性が低い点である。値段の基準は顧客が買う価格に置き、それを適正価格とみなす考えを創業以来の原則とした。効率を突き詰めた経営で参入すれば、ありふれた業界の中でも独自の会社をつくれるという見込みの上での選択。在庫も用地代も負わない販売代理は、生産性で差をつける経営を小さな元手で試す場にもなったと推察される。
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝
- [9]設立後は他社物件の販売代理から始め、信用力と財務力をつけてから自社物件の販売に移った
- [11]設立後は他社物件の販売代理から始め、信用力と財務力をつけてから自社物件の販売に移った
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年8月 別冊付録 ゴールドクレスト(安川秀俊)
- [10]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [12]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [13]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [14]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [15]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
ゴールドクレストは1994年6月、自社分譲マンション「クレストフォルム」シリーズの販売を始めた。収益性で上回る自社分譲を事業の主力にする方針で、1998年8月時点でもその移行が続いていた。1995年に横浜市で分譲した物件は周辺環境に恵まれず、融資元の銀行の担当者も購入の見送りを求めた土地だった。安川秀俊氏は2億円の損失を最悪の場合と見積もって事業化し、9億円の売上高に対し3億円の粗利益を得た。土地の情報が入りにくい新興企業として、難しい土地でも事業にできるという評判を立て、持ち込まれる用地情報を増やす狙いがあった。安川秀俊氏はこの物件を『会社にある程度の体力がついてきたからこそ、博打を打った。それ以前の状態だったら、決して手を出さなかった』と位置づけた。
- ゴールドクレスト 有価証券報告書【沿革】
- [16]1994年6月 自社分譲物件クレストフォルムシリーズを販売開始
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年8月 別冊付録 ゴールドクレスト(安川秀俊)
- [17]1998年8月時点で販売代理事業から収益性のより高い自社分譲事業へシフト中
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝
- [18]1995年横浜市の物件は銀行も難色。損失2億円を最悪と想定し事業化、売上9億円・粗利3億円。土地情報を集めるための評判づくりが目的
- [19]1995年横浜市の物件は銀行も難色。損失2億円を最悪と想定し事業化、売上9億円・粗利3億円。土地情報を集めるための評判づくりが目的
- [20]1995年横浜市の物件は銀行も難色。損失2億円を最悪と想定し事業化、売上9億円・粗利3億円。土地情報を集めるための評判づくりが目的
- [21]1995年横浜市の物件は銀行も難色。損失2億円を最悪と想定し事業化、売上9億円・粗利3億円。土地情報を集めるための評判づくりが目的
参考文献[1]-[21]
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年8月 別冊付録 ゴールドクレスト(安川秀俊)
- [1]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [3]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [4]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [5]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [7]1992年1月会社設立・同年5月創業(30歳)。1984年東大土木卒、ゼネコンは衰退産業と判断しリクルート入社。リクルートコスモスに約8年、うち用地仕入れ〜造り込み約6年で100物件近く、販売2年。リクルート事件・バブル崩壊を社員として経験
- [10]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [12]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [13]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [14]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [15]人も資金もない状況からの創業。マンション事業を選んだ理由は市場が巨大でなくならないこと、業界の生産性が低いこと
- [17]1998年8月時点で販売代理事業から収益性のより高い自社分譲事業へシフト中
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝
- [2]リクルートコスモス専務の常泉泰造氏によれば、安川秀俊氏は入社当初から10年後の独立を宣言していた
- [6]1988年1月リクルートコスモス川崎支店長。バブルの発生と崩壊での企業の盛衰を会社を起こす際の教訓にした
- [8]1988年1月リクルートコスモス川崎支店長。バブルの発生と崩壊での企業の盛衰を会社を起こす際の教訓にした
- [9]設立後は他社物件の販売代理から始め、信用力と財務力をつけてから自社物件の販売に移った
- [11]設立後は他社物件の販売代理から始め、信用力と財務力をつけてから自社物件の販売に移った
- [18]1995年横浜市の物件は銀行も難色。損失2億円を最悪と想定し事業化、売上9億円・粗利3億円。土地情報を集めるための評判づくりが目的
- [19]1995年横浜市の物件は銀行も難色。損失2億円を最悪と想定し事業化、売上9億円・粗利3億円。土地情報を集めるための評判づくりが目的
- [20]1995年横浜市の物件は銀行も難色。損失2億円を最悪と想定し事業化、売上9億円・粗利3億円。土地情報を集めるための評判づくりが目的
- [21]1995年横浜市の物件は銀行も難色。損失2億円を最悪と想定し事業化、売上9億円・粗利3億円。土地情報を集めるための評判づくりが目的
- ゴールドクレスト 有価証券報告書【沿革】
- [16]1994年6月 自社分譲物件クレストフォルムシリーズを販売開始
1998年〜都心城南・田園都市線に絞った自社分譲と、連結売上高687億円
ゴールドクレストは自社分譲の用地を、人気のある都心城南と田園都市線沿線に限って仕入れた。大田区と世田谷区の一部、田園都市線沿線の宮前区から始め、都心部、さらに川崎市と横浜市の一部へと順に広げた。不況時にも客足が見込め、変化する市場をつかみやすい地域を選んだ結果である。販売価格は周辺の同業他社と同程度か、やや割安に置いた。相場4,000万円の物件なら3,900万円とし、2カ月で7〜8割を売り切ることが目標である。用地は粗利益率25%以上を見込めるものだけを仕入れ、業界平均の15%前後を大きく上回る水準を求めた。用地取得から引き渡しまでは1年前後とし、他社の2年前後から半分に縮めた。郊外の中小規模の物件を低価格で早く売り切る運び方が、競争優位の源泉となった。
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年8月 別冊付録 ゴールドクレスト(安川秀俊)
- [22]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [23]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [24]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [25]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [26]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [27]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [28]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝
- [29]強みは郊外の中小規模の立地で低価格により早期に売り切ること。回転期間1年〜1年半
ゴールドクレストは1998年7月22日、創業から6年余りで株式を店頭市場に公開した。公開で高まる知名度をてこに用地情報を増やし、自社分譲を年600戸程度まで拡大する計画を立てた。1999年3月期の見込みは売上高88億90百万円、経常利益11億円で、3年後の目標を売上高250億円、経常利益30億円に置いた。配当性向は内部留保を厚くするため、当面は10%台にとどめる方針だった。公開時点で翌期分の自社分譲用地185戸、75億円相当の仕入れを終え、翌期の売上高は今期の1.5倍から2倍と想定。1999年7月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、2000年9月には第一部へ指定替えとなった。設立から8年での第一部上場は、当時の最短記録だった。
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年8月 別冊付録 ゴールドクレスト(安川秀俊)
- [30]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- [31]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- [32]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- [33]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- [34]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- ゴールドクレスト 有価証券報告書【沿革】
- [35]1999年7月東証2部上場、2000年9月東証1部指定替え
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝
- [36]2000年9月、設立8年で東証1部への最短上場記録
2002年3月期の連結売上高は687億円、経常利益は126億円で、1998年に3年後の目標とした売上高250億円を大きく上回った。粗利益率は同期まで30%前後で推移し、安川秀俊氏は25%の目標を一度も引き上げなかった。地価の下落や低金利、住宅ローン減税という追い風による上振れを、平常時の実力と取り違えないためである。同期末の有利子負債760億円に対し株主資本は398億円となり、中央区や品川区で超高層物件や大型物件の販売に着手した。2002年12月には首都圏のマンション供給戸数で3位となった。回転期間1年から1年半の中小物件で蓄えた財務が、事業期間の長い超高層への挑戦の前提になったとみられる。
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝
- [37]2002年3月期連結売上高687億円・経常利益126億円。粗利益率30%前後でも目標25%を変えず(追い風を実力と錯覚しない)。有利子負債760億円・株主資本398億円で中央区・品川区の超高層・大型物件を始めた。超高層は回転期間2〜3年
- [38]2002年3月期連結売上高687億円・経常利益126億円。粗利益率30%前後でも目標25%を変えず(追い風を実力と錯覚しない)。有利子負債760億円・株主資本398億円で中央区・品川区の超高層・大型物件を始めた。超高層は回転期間2〜3年
- [39]2002年3月期連結売上高687億円・経常利益126億円。粗利益率30%前後でも目標25%を変えず(追い風を実力と錯覚しない)。有利子負債760億円・株主資本398億円で中央区・品川区の超高層・大型物件を始めた。超高層は回転期間2〜3年
- [40]2002年3月期連結売上高687億円・経常利益126億円。粗利益率30%前後でも目標25%を変えず(追い風を実力と錯覚しない)。有利子負債760億円・株主資本398億円で中央区・品川区の超高層・大型物件を始めた。超高層は回転期間2〜3年
- ゴールドクレスト 有価証券報告書【沿革】
- [41]2002年12月 首都圏マンション供給戸数ランキング3位
参考文献[22]-[41]
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年8月 別冊付録 ゴールドクレスト(安川秀俊)
- [22]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [23]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [24]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [25]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [26]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [27]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [28]人気エリア(都心城南・田園都市線沿線)に特化。大田区・世田谷区の一部・田園都市線の宮前区から都心部、川崎市・横浜市の一部へ。粗利率25%以上が用地仕入れ基準(業界平均15%前後)。用地取得〜引き渡し1年前後(他社2年前後)
- [30]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- [31]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- [32]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- [33]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- [34]1998年7月22日店頭公開(創業6年余)。知名度アップを追い風に用地情報を拡充し自社分譲600戸程度へ。今期見込み売上高88億90百万円・経常11億円、3年後売上250億円・経常30億円目標。配当性向当面10%台
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝
- [29]強みは郊外の中小規模の立地で低価格により早期に売り切ること。回転期間1年〜1年半
- [36]2000年9月、設立8年で東証1部への最短上場記録
- [37]2002年3月期連結売上高687億円・経常利益126億円。粗利益率30%前後でも目標25%を変えず(追い風を実力と錯覚しない)。有利子負債760億円・株主資本398億円で中央区・品川区の超高層・大型物件を始めた。超高層は回転期間2〜3年
- [38]2002年3月期連結売上高687億円・経常利益126億円。粗利益率30%前後でも目標25%を変えず(追い風を実力と錯覚しない)。有利子負債760億円・株主資本398億円で中央区・品川区の超高層・大型物件を始めた。超高層は回転期間2〜3年
- [39]2002年3月期連結売上高687億円・経常利益126億円。粗利益率30%前後でも目標25%を変えず(追い風を実力と錯覚しない)。有利子負債760億円・株主資本398億円で中央区・品川区の超高層・大型物件を始めた。超高層は回転期間2〜3年
- [40]2002年3月期連結売上高687億円・経常利益126億円。粗利益率30%前後でも目標25%を変えず(追い風を実力と錯覚しない)。有利子負債760億円・株主資本398億円で中央区・品川区の超高層・大型物件を始めた。超高層は回転期間2〜3年
- ゴールドクレスト 有価証券報告書【沿革】
- [35]1999年7月東証2部上場、2000年9月東証1部指定替え
- [41]2002年12月 首都圏マンション供給戸数ランキング3位
出典・参考
3件
- ゴールドクレスト 有価証券報告書【沿革】
- 証券アナリストジャーナル 36(10) 1998年8月 別冊付録 ゴールドクレスト(安川秀俊)
- 日経ビジネス 1175 2003年1月20日号 ひと烈伝