大京:大京観光の設立とマンション分譲への参入
1964年〜後楽園の700倍の那須の別荘地で元手を得た大京商事と、販売とホテルを担う大京観光
横山修二氏は1960年7月、個人で営んでいた大京商事を株式会社に改め、不動産の仲介を主な業務として発足させた。横山修二氏はそれ以前の1958年11月に社員40人足らずの坂内商事へ入り、建売住宅のセールスを担当していた。独立の際、坂内商事で課長だった横山修二氏は7〜8人の部下を連れ、社長の了解は得ていたと説明している。仲介だけでは採算がとれず、大京商事は渋谷や千葉で小規模な建売住宅の販売にも参入した。オリンピック前の好況と別荘地ブームが重なるなか、那須白河地区での別荘地の開発分譲に着手。物件を自ら探して販売する営業の型は、仲介から出発したこの時期に根を持つとみられる。
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [1]大京商事は横山修二氏の個人企業を改組し、不動産仲介を主業務に1960年7月発足。のち那須白河地区で別荘地の開発分譲を展開
- [6]大京商事は横山修二氏の個人企業を改組し、不動産仲介を主業務に1960年7月発足。のち那須白河地区で別荘地の開発分譲を展開
- Decide 1990年7巻12号
- [2]横山修二氏は1958年11月坂内商事(社員40人足らず)に入り建売セールスに従事、1960年に課長として部下7〜8人と独立。仲介だけでは経営が成り立たず建売も扱い、五輪前の好況・別荘地ブームで那須の別荘地を販売
- [3]横山修二氏は1958年11月坂内商事(社員40人足らず)に入り建売セールスに従事、1960年に課長として部下7〜8人と独立。仲介だけでは経営が成り立たず建売も扱い、五輪前の好況・別荘地ブームで那須の別荘地を販売
- [4]横山修二氏は1958年11月坂内商事(社員40人足らず)に入り建売セールスに従事、1960年に課長として部下7〜8人と独立。仲介だけでは経営が成り立たず建売も扱い、五輪前の好況・別荘地ブームで那須の別荘地を販売
- [5]横山修二氏は1958年11月坂内商事(社員40人足らず)に入り建売セールスに従事、1960年に課長として部下7〜8人と独立。仲介だけでは経営が成り立たず建売も扱い、五輪前の好況・別荘地ブームで那須の別荘地を販売
大京グループは那須白河の事業の広がりに合わせ、1964年に販売を担う会社を2つ設けた。1月に設立した大京開発は、大京商事が開発した別荘地の販売を専ら受け持った。同じ1964年の12月には事業量の急増を受けて販売部門を拡充し、ホテル経営も目的に加えた大京観光を資本金500万円で設立した。大京観光が設立時に掲げた業種は、宅地建物取引業・建設業・ホテル業の3つである。那須で開発した別荘地は後楽園の700倍の広さに及び、大京観光は日光や新甲子温泉にもホテルを建てた。販売とホテルを1社に持たせた設計は、のちに観光事業を残す下地になったと推察される。
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [7]1964年1月に別荘地の販売専門の大京開発を設立。同年12月、那須白河の事業量急増に伴い販売部門拡充とホテル経営を目的に大京観光を資本金500万円で設立(目的は宅建業・建設業・ホテル業)
- [8]1964年1月に別荘地の販売専門の大京開発を設立。同年12月、那須白河の事業量急増に伴い販売部門拡充とホテル経営を目的に大京観光を資本金500万円で設立(目的は宅建業・建設業・ホテル業)
- [9]1964年1月に別荘地の販売専門の大京開発を設立。同年12月、那須白河の事業量急増に伴い販売部門拡充とホテル経営を目的に大京観光を資本金500万円で設立(目的は宅建業・建設業・ホテル業)
- [10]1964年1月に別荘地の販売専門の大京開発を設立。同年12月、那須白河の事業量急増に伴い販売部門拡充とホテル経営を目的に大京観光を資本金500万円で設立(目的は宅建業・建設業・ホテル業)
- 実業往来 1970年228号
- [11]大京観光は那須に後楽園の700倍の別荘地を開発し、観光事業では日光に続き新甲子温泉などにホテルを建設(1970年時点)
1965年9月、別荘地の造成と建設を担う大京地所を設立し、大京グループは商事・開発・観光・地所の4社で機能を分けた。別荘地の分譲はのちの大京の資金の土台となった一方、横山修二氏に「那須の切り売り屋」という呼び名を残した。ただ同然の山林や原野を高値で販売したとして、横山修二氏は原野商法の代表格と批判された。横山修二氏は1990年に、別荘地は2年で切り上げたとして『ズバリ、と方向を変えたんです』と振り返った。実際には大京観光の別荘地分譲は1970年代も続き、1974年9月期の売上高の42.3%を別荘地が占めた。方向転換の時期は、本人の回想より数年遅かったのだろう。
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [12]1965年9月、那須白河の別荘地の造成・建設工事を行う大京地所を設立。大京商事・大京開発・大京観光・大京地所の4社が事業拡大に応じて機能分担
- Decide 1990年7巻12号
- [13]別荘地分譲で資金面の基礎を築いたが「那須の切り売り屋」と呼ばれ原野商法の代表格と批判された。横山氏は別荘地は2年間だけで方向を変えたと述べる
- [14]別荘地分譲で資金面の基礎を築いたが「那須の切り売り屋」と呼ばれ原野商法の代表格と批判された。横山氏は別荘地は2年間だけで方向を変えたと述べる
- [15]別荘地分譲で資金面の基礎を築いたが「那須の切り売り屋」と呼ばれ原野商法の代表格と批判された。横山氏は別荘地は2年間だけで方向を変えたと述べる
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」
- [16]1974年9月期は別荘地売上高147億99百万円で部門シェア42.3%、マンションは129億16百万円・36.9%
参考文献[1]-[16]
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [1]大京商事は横山修二氏の個人企業を改組し、不動産仲介を主業務に1960年7月発足。のち那須白河地区で別荘地の開発分譲を展開
- [6]大京商事は横山修二氏の個人企業を改組し、不動産仲介を主業務に1960年7月発足。のち那須白河地区で別荘地の開発分譲を展開
- [7]1964年1月に別荘地の販売専門の大京開発を設立。同年12月、那須白河の事業量急増に伴い販売部門拡充とホテル経営を目的に大京観光を資本金500万円で設立(目的は宅建業・建設業・ホテル業)
- [8]1964年1月に別荘地の販売専門の大京開発を設立。同年12月、那須白河の事業量急増に伴い販売部門拡充とホテル経営を目的に大京観光を資本金500万円で設立(目的は宅建業・建設業・ホテル業)
- [9]1964年1月に別荘地の販売専門の大京開発を設立。同年12月、那須白河の事業量急増に伴い販売部門拡充とホテル経営を目的に大京観光を資本金500万円で設立(目的は宅建業・建設業・ホテル業)
- [10]1964年1月に別荘地の販売専門の大京開発を設立。同年12月、那須白河の事業量急増に伴い販売部門拡充とホテル経営を目的に大京観光を資本金500万円で設立(目的は宅建業・建設業・ホテル業)
- [12]1965年9月、那須白河の別荘地の造成・建設工事を行う大京地所を設立。大京商事・大京開発・大京観光・大京地所の4社が事業拡大に応じて機能分担
- Decide 1990年7巻12号
- [2]横山修二氏は1958年11月坂内商事(社員40人足らず)に入り建売セールスに従事、1960年に課長として部下7〜8人と独立。仲介だけでは経営が成り立たず建売も扱い、五輪前の好況・別荘地ブームで那須の別荘地を販売
- [3]横山修二氏は1958年11月坂内商事(社員40人足らず)に入り建売セールスに従事、1960年に課長として部下7〜8人と独立。仲介だけでは経営が成り立たず建売も扱い、五輪前の好況・別荘地ブームで那須の別荘地を販売
- [4]横山修二氏は1958年11月坂内商事(社員40人足らず)に入り建売セールスに従事、1960年に課長として部下7〜8人と独立。仲介だけでは経営が成り立たず建売も扱い、五輪前の好況・別荘地ブームで那須の別荘地を販売
- [5]横山修二氏は1958年11月坂内商事(社員40人足らず)に入り建売セールスに従事、1960年に課長として部下7〜8人と独立。仲介だけでは経営が成り立たず建売も扱い、五輪前の好況・別荘地ブームで那須の別荘地を販売
- [13]別荘地分譲で資金面の基礎を築いたが「那須の切り売り屋」と呼ばれ原野商法の代表格と批判された。横山氏は別荘地は2年間だけで方向を変えたと述べる
- [14]別荘地分譲で資金面の基礎を築いたが「那須の切り売り屋」と呼ばれ原野商法の代表格と批判された。横山氏は別荘地は2年間だけで方向を変えたと述べる
- [15]別荘地分譲で資金面の基礎を築いたが「那須の切り売り屋」と呼ばれ原野商法の代表格と批判された。横山氏は別荘地は2年間だけで方向を変えたと述べる
- 実業往来 1970年228号
- [11]大京観光は那須に後楽園の700倍の別荘地を開発し、観光事業では日光に続き新甲子温泉などにホテルを建設(1970年時点)
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」
- [16]1974年9月期は別荘地売上高147億99百万円で部門シェア42.3%、マンションは129億16百万円・36.9%
1966年〜4社を一体にした大京観光と、中堅サラリーマン向けのライオンズマンション
1968年1月、大京観光は大京商事と大京開発から営業譲渡を受け、グループの事業を自社に集めた。大京グループは1960年代後半、余暇需要を見込んだレジャー用地の分譲から、大都市の住宅需要に応える事業へ業容を広げると決めた。新たに手がける分野は、住宅地の造成と建売住宅、中高層住宅の建設販売である。全国規模で事業を展開するには仕入れ・建設・販売を1つの組織で通す必要があり、大京観光を母体として4社を1つにまとめた。横山修二氏は別荘地の販売で得た資金を元手に、土地を取得してマンションを建てる事業へ移った。別荘地で育った営業の人員を、都市の住宅へ振り向ける再編でもあったと思われる。
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [17]1968年1月、大京商事・大京開発から営業譲渡を受ける。昭和40年代、レジャー用地から大都市の住宅需要に対応した宅地造成・建売・中高層住宅へ進出するため、全国展開と仕入れ・建設・販売の一貫組織を目指し大京観光を母体に4社を一体化
- [18]1968年1月、大京商事・大京開発から営業譲渡を受ける。昭和40年代、レジャー用地から大都市の住宅需要に対応した宅地造成・建売・中高層住宅へ進出するため、全国展開と仕入れ・建設・販売の一貫組織を目指し大京観光を母体に4社を一体化
- [19]1968年1月、大京商事・大京開発から営業譲渡を受ける。昭和40年代、レジャー用地から大都市の住宅需要に対応した宅地造成・建売・中高層住宅へ進出するため、全国展開と仕入れ・建設・販売の一貫組織を目指し大京観光を母体に4社を一体化
- [20]1968年1月、大京商事・大京開発から営業譲渡を受ける。昭和40年代、レジャー用地から大都市の住宅需要に対応した宅地造成・建売・中高層住宅へ進出するため、全国展開と仕入れ・建設・販売の一貫組織を目指し大京観光を母体に4社を一体化
- Decide 1990年7巻12号
- [21]横山修二氏は別荘地販売で得た資金をもとに、土地を買ってマンションを建てる住宅建設に取り組んだ
1968年2月、シリーズ最初の物件となる「ライオンズマンション赤坂」の売り出し。横山修二氏は用地の取得費を抑え、その分を低い販売価格に反映させる方針をとった。同じ時期の秀和が高級物件を主力としたのに対し、大京観光は中堅サラリーマンを顧客に据えた。横山修二氏はこの方針を、『中堅サラリーマンでも買えるようなマンションを作ってきた』という言葉で表している。1970年時点で横山修二氏は、都市への人口集中と地価の高騰に応える都市開発の一環として、この名を冠したマンションを各地に建設した。建築学会賞を受けるような代表作はないという業界の評価も、戸数を優先した路線の裏返しだった。
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [22]1968年2月、ライオンズマンション・シリーズ第1棟「ライオンズマンション赤坂」の分譲を開始(同月、埼玉県草加市で住宅地の分譲も開始)
- Decide 1990年7巻12号
- [23]大京は土地を安く入手し安くマンションを提供する商法をとり、高級路線の秀和に対し中堅サラリーマン向け。数は多いが建築学会賞級の作品はないとの業界評
- [24]大京は土地を安く入手し安くマンションを提供する商法をとり、高級路線の秀和に対し中堅サラリーマン向け。数は多いが建築学会賞級の作品はないとの業界評
- [25]大京は土地を安く入手し安くマンションを提供する商法をとり、高級路線の秀和に対し中堅サラリーマン向け。数は多いが建築学会賞級の作品はないとの業界評
- [27]大京は土地を安く入手し安くマンションを提供する商法をとり、高級路線の秀和に対し中堅サラリーマン向け。数は多いが建築学会賞級の作品はないとの業界評
- 実業往来 1970年228号
- [26]都市への人口集中と地価高騰に対し「都市開発の一環」として高層マンション「ライオンズマンション」を各地に建設(1970年時点)
1969年4月、不動産の管理を担う大京管理の設立。1982年時点で大京観光はマンションの管理を別会社の大京管理に任せ、24時間体制で運営していた。戸数の少ない小規模な物件には巡回管理を採り、管理人の退勤する午後6時以降は大京管理の本社が故障の通報を受けた。横山修二氏は管理体制を、オートロックなどの安全対策や販売組織と並ぶ経営の特徴に数えた。1977年に供給したマンションは1棟あたり30.4戸と小規模で、都市型の物件が多かった。小さな物件を数多く抱えるほど、分譲後の管理をグループ内で受け持つ利点は大きくなったと考えられる。
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」
- [28]沿革表に1969年4月大京管理設立。1977年のマンションは都市型が多く1棟当たり30.4戸
- [32]沿革表に1969年4月大京管理設立。1977年のマンションは都市型が多く1棟当たり30.4戸
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻11号(横山修二)
- [29]マンション管理は別会社の大京管理が24時間体制で行い、小規模物件は巡回管理(管理人が午後6時に引き揚げた後は本社が通報を受け修理)。経営の特徴に一貫体制・安全対策・販売・管理体制を挙げる(1982年)
- [30]マンション管理は別会社の大京管理が24時間体制で行い、小規模物件は巡回管理(管理人が午後6時に引き揚げた後は本社が通報を受け修理)。経営の特徴に一貫体制・安全対策・販売・管理体制を挙げる(1982年)
- [31]マンション管理は別会社の大京管理が24時間体制で行い、小規模物件は巡回管理(管理人が午後6時に引き揚げた後は本社が通報を受け修理)。経営の特徴に一貫体制・安全対策・販売・管理体制を挙げる(1982年)
参考文献[17]-[32]
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [17]1968年1月、大京商事・大京開発から営業譲渡を受ける。昭和40年代、レジャー用地から大都市の住宅需要に対応した宅地造成・建売・中高層住宅へ進出するため、全国展開と仕入れ・建設・販売の一貫組織を目指し大京観光を母体に4社を一体化
- [18]1968年1月、大京商事・大京開発から営業譲渡を受ける。昭和40年代、レジャー用地から大都市の住宅需要に対応した宅地造成・建売・中高層住宅へ進出するため、全国展開と仕入れ・建設・販売の一貫組織を目指し大京観光を母体に4社を一体化
- [19]1968年1月、大京商事・大京開発から営業譲渡を受ける。昭和40年代、レジャー用地から大都市の住宅需要に対応した宅地造成・建売・中高層住宅へ進出するため、全国展開と仕入れ・建設・販売の一貫組織を目指し大京観光を母体に4社を一体化
- [20]1968年1月、大京商事・大京開発から営業譲渡を受ける。昭和40年代、レジャー用地から大都市の住宅需要に対応した宅地造成・建売・中高層住宅へ進出するため、全国展開と仕入れ・建設・販売の一貫組織を目指し大京観光を母体に4社を一体化
- [22]1968年2月、ライオンズマンション・シリーズ第1棟「ライオンズマンション赤坂」の分譲を開始(同月、埼玉県草加市で住宅地の分譲も開始)
- Decide 1990年7巻12号
- [21]横山修二氏は別荘地販売で得た資金をもとに、土地を買ってマンションを建てる住宅建設に取り組んだ
- [23]大京は土地を安く入手し安くマンションを提供する商法をとり、高級路線の秀和に対し中堅サラリーマン向け。数は多いが建築学会賞級の作品はないとの業界評
- [24]大京は土地を安く入手し安くマンションを提供する商法をとり、高級路線の秀和に対し中堅サラリーマン向け。数は多いが建築学会賞級の作品はないとの業界評
- [25]大京は土地を安く入手し安くマンションを提供する商法をとり、高級路線の秀和に対し中堅サラリーマン向け。数は多いが建築学会賞級の作品はないとの業界評
- [27]大京は土地を安く入手し安くマンションを提供する商法をとり、高級路線の秀和に対し中堅サラリーマン向け。数は多いが建築学会賞級の作品はないとの業界評
- 実業往来 1970年228号
- [26]都市への人口集中と地価高騰に対し「都市開発の一環」として高層マンション「ライオンズマンション」を各地に建設(1970年時点)
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」
- [28]沿革表に1969年4月大京管理設立。1977年のマンションは都市型が多く1棟当たり30.4戸
- [32]沿革表に1969年4月大京管理設立。1977年のマンションは都市型が多く1棟当たり30.4戸
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻11号(横山修二)
- [29]マンション管理は別会社の大京管理が24時間体制で行い、小規模物件は巡回管理(管理人が午後6時に引き揚げた後は本社が通報を受け修理)。経営の特徴に一貫体制・安全対策・販売・管理体制を挙げる(1982年)
- [30]マンション管理は別会社の大京管理が24時間体制で行い、小規模物件は巡回管理(管理人が午後6時に引き揚げた後は本社が通報を受け修理)。経営の特徴に一貫体制・安全対策・販売・管理体制を挙げる(1982年)
- [31]マンション管理は別会社の大京管理が24時間体制で行い、小規模物件は巡回管理(管理人が午後6時に引き揚げた後は本社が通報を受け修理)。経営の特徴に一貫体制・安全対策・販売・管理体制を挙げる(1982年)
1969年〜万座ビーチ大京ランドで沖縄に出た観光事業と、年2951戸で業界首位に立ったマンション販売
大京観光が1966年、現地資本と提携し通産省の認可を受けて那覇市に設けた合弁会社が、沖縄大京観光である。1969年5月、沖縄大京観光は恩納村で「万座ビーチ大京ランド」の第1期工事を終えて開業した。施設にはヨットハーバーやプール、熱帯植物園を備え、モーテルタイプ20戸とホテルタイプ10戸を建てた。続いて恩納村に敷地24万坪・18ホールのゴルフ場、沖縄大京カントリーを完成させた。横山修二氏は進出の理由に、沖縄の観光資源の豊かさと観光地としての将来の潜在力を挙げた。マンションへ軸足を移す途上でも、大京観光は観光事業を収益源の一つとして育てようとしたとうかがえる。
- 実業往来 1970年228号
- [33]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- [35]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- [36]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- [37]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- [38]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」
- [34]沿革表に1966年4月沖縄大京観光設立
1971年4月、大京観光は大京地所を吸収合併し、4社の組織統合を終えた。1968年の営業譲渡と合わせ、仕入れ・建設・販売を一貫して担う体制が大京観光1社にそろった。統合後もレジャー用地の分譲は続き、1971年5月に南紀白浜オレンジランド、1974年12月に中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲した。大京観光が事業の主軸を中高層住宅の分譲へ移したのは、石油危機後の総需要抑制策と土地対策を受けた1975年以後である。別荘地の売上高は1974年9月期の147億99百万円から、1975年9月期には23億81百万円へ減少した。統合を先に終えていたことで、用地と人員をマンションへ振り替える判断が速くなったのだと推量できる。
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [39]1971年4月大京地所を吸収合併。1971年5月南紀白浜オレンジランド、1974年12月中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲。総需要抑制策・総合土地対策の浸透で1975年以後、主軸を中高層住宅分譲へ転換
- [40]1971年4月大京地所を吸収合併。1971年5月南紀白浜オレンジランド、1974年12月中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲。総需要抑制策・総合土地対策の浸透で1975年以後、主軸を中高層住宅分譲へ転換
- [41]1971年4月大京地所を吸収合併。1971年5月南紀白浜オレンジランド、1974年12月中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲。総需要抑制策・総合土地対策の浸透で1975年以後、主軸を中高層住宅分譲へ転換
- [42]1971年4月大京地所を吸収合併。1971年5月南紀白浜オレンジランド、1974年12月中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲。総需要抑制策・総合土地対策の浸透で1975年以後、主軸を中高層住宅分譲へ転換
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」
- [43]別荘地部門の売上高は1974年9月期147億99百万円、1975年9月期23億81百万円(前年比36.5%)
1977年の1年間に大京観光が供給したマンションは2,951戸で、2位の長谷工不動産の2,507戸を上回り業界首位に立った。うちライオンズマンション・シリーズは2,240戸で、前年の1,217戸に比べ84.1%の増加にあたる。販売を担ったのは300名のセールスマンで、物件の平均70%は各自が管理する見込み客との契約で埋まった。1971年頃までの飛び込み訪問から、団体との提携と電話による顧客管理へ販売方法を改めた。横山修二氏は1982年に、営業社員の給与を15〜16年前に歩合給から固定給へ改めたことが販売力に大きく効いたと説明した。1978年時点の給与は一般社員と同じ体系に、実績に応じた3段階の営業手当を加える仕組みだった。
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」
- [44]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- [45]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- [46]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- [47]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- [49]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻11号(横山修二)
- [48]15〜16年前に営業社員の歩合給を廃止して固定給とし、これが販売力に大きく影響した(1982年、横山修二)
参考文献[33]-[49]
- 実業往来 1970年228号
- [33]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- [35]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- [36]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- [37]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- [38]1966年に現地資本と提携し通産省認可のもと合弁会社沖縄大京観光(那覇市)を設立。1969年5月万座ビーチ大京ランド第1期完成・開業(モーテル20戸・ホテル10戸)、恩納村に24万坪・18ホールの沖縄大京カントリー。進出理由は観光資源と将来の潜在力
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」
- [34]沿革表に1966年4月沖縄大京観光設立
- [43]別荘地部門の売上高は1974年9月期147億99百万円、1975年9月期23億81百万円(前年比36.5%)
- [44]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- [45]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- [46]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- [47]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- [49]1977年(52年次)の供給は2,951戸で2位長谷工不動産2,507戸を上回る。ライオンズシリーズ2,240戸(前年1,217戸、84.1%増)。セールスマン300名、管理された見込客で平均70%が決まる。1971年頃までは飛込み、以降は団体提携・電話による顧客管理。給与は一般社員と同体系に営業手当3ランク
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- [39]1971年4月大京地所を吸収合併。1971年5月南紀白浜オレンジランド、1974年12月中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲。総需要抑制策・総合土地対策の浸透で1975年以後、主軸を中高層住宅分譲へ転換
- [40]1971年4月大京地所を吸収合併。1971年5月南紀白浜オレンジランド、1974年12月中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲。総需要抑制策・総合土地対策の浸透で1975年以後、主軸を中高層住宅分譲へ転換
- [41]1971年4月大京地所を吸収合併。1971年5月南紀白浜オレンジランド、1974年12月中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲。総需要抑制策・総合土地対策の浸透で1975年以後、主軸を中高層住宅分譲へ転換
- [42]1971年4月大京地所を吸収合併。1971年5月南紀白浜オレンジランド、1974年12月中伊豆ニューライフヴィレッジを分譲。総需要抑制策・総合土地対策の浸透で1975年以後、主軸を中高層住宅分譲へ転換
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻11号(横山修二)
- [48]15〜16年前に営業社員の歩合給を廃止して固定給とし、これが販売力に大きく影響した(1982年、横山修二)
1964年〜1977年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | 億円 | |||
| 1964年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1972年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1973年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1974年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1975年09月期 | 単体 | 283 | n/a | 0 | 0.0% | 2 | n/a |
| 1976年09月期 | 単体 | 332 | +17.3% | 1 | 0.3% | 1 | n/a |
| 1977年09月期 | 単体 | 401 | +20.8% | 7 | 1.7% | 1 | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
5件
- 実業往来 1970年228号
- 証券 1982年34巻10号(新規上場会社紹介)
- 証券アナリストジャーナル 1982年20巻11号(横山修二)
- Decide 1990年7巻12号
- Yano report 1978年3月27日号「大京観光にみる攻めのマンション販売――セールスマン管理客に7割依存」