セブンイレブン・ジャパン:サウスランドとのライセンス契約による加盟店第1号の開業
サウスランド社の全面導入から加盟店570店へ
1970年〜中小小売店の生産性を論拠にしたサウスランド社との契約
セブン-イレブン・ジャパンの事業は、新しい商売を思いついたところからではなく、親会社が大型店を出せない事情から始まった。イトーヨーカ堂は1970年から、米国のコンビニエンス・ストア事業について、現地の実情と日本での発展可能性の調査を続けていた。当時のイトーヨーカ堂は大型店の出店に苦労しており、地元商店街へ共存共栄を申し入れるには、中小小売店の今後の方向を具体的に示す必要があった。調査を担った鈴木敏文氏が米国で最初に店を見たときの印象は雑貨屋のようだというもので、有望な事業と映ったわけではない。それでも、提携先となる米サウスランド社が1962年に500店、1965年に1,000店へ伸ばしていた事実は無視できなかった。
- 証券 1979年31巻10号
- [1]イトーヨーカ堂は子会社設立に先立ち、昭和45年(1970年)からコンビニエンス・ストア事業についての米国内の実情および日本における発展の可能性等の調査・研究を行ってきた
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [2]昭和45〜46年当時、イトーヨーカ堂は大型店舗を出すのに苦労していた。地元商店街の人たちに共存共栄でやっていきたいと申し入れるには具体的な方法を提案しなければならず、中小小売店の今後の方向を研究することにしたのが動機である
- [3]米国の実情を調査に行き、コンビニエンス・ストアを最初に見たときの印象は「雑貨屋みたいな変な店」というものだった
- [4]米国のコンビニエンス・ストアはサウスランド社が1927年に始めたセブン-イレブンが最初で、同社は1962年に500店、1965年に1,000店となった
製造業では生産性が伸び続けたのに、小売業はイトーヨーカ堂ですら月4日の休みを取れるようになったのが1961年ごろという有様で、働く条件のよい製造業へ人手が移っていた。こうした事業が日本で成立するかを学者やコンサルタントに尋ねると、多くは中小小売店の整理がさらに進まない限り難しいという答えだった。イトーヨーカ堂はこの意見に与せず、大型店と共存しながら伸びる余地があると見通したが、その拠り所は需要の有無ではなく先に見た小売業の生産性の低さであった。小売業の生産性は天候や報道に左右され、製造業のように一定に保つことが難しいという事情もあった。中小小売店が整理されるのを待つのではなく、整理を避けるための仕組みを持ち込む事業として組み立てられた。
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [5]高度成長期には労働条件のよいメーカーへ流通業から人が移った。メーカーの生産性が向上したのに対し小売業の生産性はほとんど高まらず、休日は月に一度という状態で、月に4日休むようになったのはイトーヨーカ堂でも昭和36年ごろからだった
- [6]日本でうまくいくかどうかを学者・コンサルタントに質問した際、「中小小売店がもっと整理された後でないとだめだ」という意見が多かった
- [8]小売業の生産性はメーカーとは違い、客の来店は季節と時間帯で偏り、雨だと減る。冷夏や暖冬というマスコミ報道にも大きく左右され、一定に保つことが非常に難しい
- 証券 1979年31巻10号
- [7]調査・研究の結果、日本においても大型店との共存のもとに発展が可能であるとの見通しをつけた
ノウハウは自製せず、全面的に買った。1973年11月、イトーヨーカ堂は米国のコンビニエンス・ストア業界最大手であるザ・サウスランド社との間で、エリアサービス及びライセンス契約を締結した。同月、その契約に基づいてサウスランド社と同じフランチャイズ・チェーン方式で事業を展開する会社として、資本金1億円でヨーク・セブン株式会社が設立されている。導入の範囲は加盟店の立地調査、店舗設計、設備レイアウト、商品の品揃え、簿記会計システムに及び、日本の実情に合わせた部分的な修正を加えたうえで、ほぼそのまま持ち込まれた。売場面積30坪から50坪の小型店に約3,500品目を並べ、長時間営業で年中無休という、日本では前例のない営業形態である。加盟店第1号は1974年5月15日、東京都江東区豊洲に開いた。
- 証券 1979年31巻10号
- [9]昭和48年11月、ノウハウ導入のためイトーヨーカ堂とザ・サウスランド社との間でエリアサービス及びライセンス契約を締結した。サウスランド社は米国のコンビニエンス・ストア業界のトップ企業である
- [10]昭和48年11月20日、サウスランド社と同じフランチャイズ・チェーン方式で事業を展開するための会社として、「ヨーク・セブン株式会社」の商号でイトーヨーカ堂の子会社として設立された。設立時の資本金は1億円(資本の変遷、昭和48年11月20日 増加後資本金100,000千円)
- [11]契約に基づき、サウスランド社の有するすべての経営ノウハウ(チェーン加盟店の店舗開設の立地調査・店舗設計・設備レイアウト・商品品揃え・簿記会計システム等)を、日本の実情に合わせ若干の部分的修正を加えたもののほぼそのまま導入した
- [12]コンビニエンス・ストア事業は、売場面積が30坪から50坪程度の小型店でありながら品揃え数は約3,500品目と豊富であり、しかも長時間営業で年中無休という、日本では前例のない営業形態をとるものである
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [13]コンビニエンス・ストアの1号店を開いたのは昭和49年5月15日、東京都江東区豊洲である
参考文献[1]-[13]
- 証券 1979年31巻10号
- [1]イトーヨーカ堂は子会社設立に先立ち、昭和45年(1970年)からコンビニエンス・ストア事業についての米国内の実情および日本における発展の可能性等の調査・研究を行ってきた
- [7]調査・研究の結果、日本においても大型店との共存のもとに発展が可能であるとの見通しをつけた
- [9]昭和48年11月、ノウハウ導入のためイトーヨーカ堂とザ・サウスランド社との間でエリアサービス及びライセンス契約を締結した。サウスランド社は米国のコンビニエンス・ストア業界のトップ企業である
- [10]昭和48年11月20日、サウスランド社と同じフランチャイズ・チェーン方式で事業を展開するための会社として、「ヨーク・セブン株式会社」の商号でイトーヨーカ堂の子会社として設立された。設立時の資本金は1億円(資本の変遷、昭和48年11月20日 増加後資本金100,000千円)
- [11]契約に基づき、サウスランド社の有するすべての経営ノウハウ(チェーン加盟店の店舗開設の立地調査・店舗設計・設備レイアウト・商品品揃え・簿記会計システム等)を、日本の実情に合わせ若干の部分的修正を加えたもののほぼそのまま導入した
- [12]コンビニエンス・ストア事業は、売場面積が30坪から50坪程度の小型店でありながら品揃え数は約3,500品目と豊富であり、しかも長時間営業で年中無休という、日本では前例のない営業形態をとるものである
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [2]昭和45〜46年当時、イトーヨーカ堂は大型店舗を出すのに苦労していた。地元商店街の人たちに共存共栄でやっていきたいと申し入れるには具体的な方法を提案しなければならず、中小小売店の今後の方向を研究することにしたのが動機である
- [3]米国の実情を調査に行き、コンビニエンス・ストアを最初に見たときの印象は「雑貨屋みたいな変な店」というものだった
- [4]米国のコンビニエンス・ストアはサウスランド社が1927年に始めたセブン-イレブンが最初で、同社は1962年に500店、1965年に1,000店となった
- [5]高度成長期には労働条件のよいメーカーへ流通業から人が移った。メーカーの生産性が向上したのに対し小売業の生産性はほとんど高まらず、休日は月に一度という状態で、月に4日休むようになったのはイトーヨーカ堂でも昭和36年ごろからだった
- [6]日本でうまくいくかどうかを学者・コンサルタントに質問した際、「中小小売店がもっと整理された後でないとだめだ」という意見が多かった
- [8]小売業の生産性はメーカーとは違い、客の来店は季節と時間帯で偏り、雨だと減る。冷夏や暖冬というマスコミ報道にも大きく左右され、一定に保つことが非常に難しい
- [13]コンビニエンス・ストアの1号店を開いたのは昭和49年5月15日、東京都江東区豊洲である
1974年〜粗利益45%の徴収と年額1,100万円の最低保証
セブン-イレブン・ジャパンの収入は、商品を仕入れて売る差益ではない。中小小売店と結んだフランチャイズ契約に基づき、加盟店が上げた粗利益の45%をロイヤルティとして徴収する方式を敷いた。加盟店に残るのは55%で、そこからパート従業員の人件費や電話代といった営業費の一部を負担する。売上金はいったん全額が本部へ送られ、本部が粗利益を計算したうえで55%を店主へ戻した。契約期間は15年と長い。加盟店の粗利益率は1979年時点で平均25.2%であり、30%を超える店がある一方、酒・タバコ・米といった免許品を扱う店は低く出た。本部が持つのは商品の在庫ではなく加盟店の粗利益に対する持分であり、店舗が増えた分だけ収入が積み上がる構造だった。
- 証券 1979年31巻10号
- [14]主要な業務内容は、フランチャイズ契約を締結した加盟店に対し、問屋の開拓・推薦と小売価格の助言、セブン-イレブンシステムによるノウハウと継続的な経営技術指導等のサービスを提供し、加盟店からロイヤリティとして粗利益の45%を徴収することである
- [15]加盟店は粗利益の55%を得るが、そのなかから自店経営のパート従業員人件費、電話代等の営業費の一部を負担することになっている
- 日経ビジネス 1977年7月18日号(鈴木敏文)
- [16]セブンイレブンのフランチャイズ契約は、売上金を毎日、全額本部へ送金する内容だった。オープン後は毎月の売上金額をいったん本部に送金してもらい、その荒利額の45%を本部が取り、55%を店主に戻す
- 日経ビジネス 1977年7月18日号
- [17]セブンイレブンのフランチャイズ契約期間は15年である
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [18]セブン-イレブンの荒利益は平均25.2%である。30%を超えている店もあるが、酒、タバコ、米などの免許品を扱っているところはどうしても低くなる
本部と加盟店の分担は、中小小売店が苦手とする棚卸と決算の事務を本部が引き受け、店主には地域住民への販売に力を注がせる形をとった。45%という比率を支えていたのは、こうした本部の肩代わりである。主要な販売用設備は本部が各店に置き、水道光熱費の87%とテレビなどの広告費はすべて本部が払ったうえ、棚卸の代行や毎月の貸借対照表・損益計算書の作成まで本部が担った。店主は開店前に教育と実習を受け、開店後はスーパーバイザーが1人で7店を担当して巡回しながら経営を指導した。加盟店の持ち分は人件費と、店舗改装費約1,500万円の銀行への返済、そして品減りが出たときの補填だけであった。
- 証券 1979年31巻10号
- [19]加盟店運営システムは、中小小売店にとって不得手である棚卸・決算事務等を本部が代って行うことで店舗経営の省力化を図り、加盟店には地域住民へのフレンドリーサービスによる商品の販売努力に専念させようとするものである
- [21]開店後は専任のフィールド・カウンセラーによる経営指導、本部による棚卸の代行および月次貸借対照表・損益計算書の作成等の簿記会計サービスがなされている
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [20]本部がもつ費用には設備のほか、水道光熱費の87%、TVなど広告代の全部がある
- [22]店主には教育と実習を受けてもらう。本部が荒利の45%を取る根拠として、費用負担に加え棚卸をすべて本部が行うこと、スーパーバイザーが1人で7店舗を持ち巡回してコンサルティングしていることが挙げられた
- [23]店主が負担するのは人件費、店舗改装費(1,500万円程度、15年ローン)の銀行への返済、品減りが生じた場合の埋め合わせぐらいである。店内の設備と商品はすべて本部がもつ
加盟店の側には、この配分がもっとも重い条項として映った。1977年、千葉県で酒店から転業した加盟店が、以前から扱っていた酒類まで他の商品と同じく粗利益の45%を本部に取られることに反発した。この加盟店は本部と関係のない問屋から商品を仕入れ、契約の外での販売を始めている。話を聞いた同業の加盟店にも別仕入れが広がり、本部は仕組みの一部変更を検討せざるを得なくなった。本部は加盟店が受け取る55%について年額1,100万円の最低保証を設けており、持ち出しは年に10店ほど、1店あたり300万円程度にとどまっていた。保証の負担ではなく、配分そのものへの異議が本部を動かした。
- 日経ビジネス 1977年7月18日号
- [24]酒屋から転業した千葉県のAストアは、昔から扱っていた酒類までセブンイレブン加盟後は他の商品と同じく粗利の45%を本部に持っていかれたことに業を煮やした
- [25]本部とは関係のない別の問屋から商品を仕入れ、別売りを始めてしまった
- [26]話を伝え聞いた同業の加盟店も我先にと別仕入れ方式を導入したため、ついにセブンイレブンもシステムの一部変更を検討し始めた
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [27]各店に最低1,100万円の保証を与えているが、実際の持ち出しは年間にせいぜい300万円ぐらいで、それも年に10店舗ぐらいである
参考文献[14]-[27]
- 証券 1979年31巻10号
- [14]主要な業務内容は、フランチャイズ契約を締結した加盟店に対し、問屋の開拓・推薦と小売価格の助言、セブン-イレブンシステムによるノウハウと継続的な経営技術指導等のサービスを提供し、加盟店からロイヤリティとして粗利益の45%を徴収することである
- [15]加盟店は粗利益の55%を得るが、そのなかから自店経営のパート従業員人件費、電話代等の営業費の一部を負担することになっている
- [19]加盟店運営システムは、中小小売店にとって不得手である棚卸・決算事務等を本部が代って行うことで店舗経営の省力化を図り、加盟店には地域住民へのフレンドリーサービスによる商品の販売努力に専念させようとするものである
- [21]開店後は専任のフィールド・カウンセラーによる経営指導、本部による棚卸の代行および月次貸借対照表・損益計算書の作成等の簿記会計サービスがなされている
- 日経ビジネス 1977年7月18日号(鈴木敏文)
- [16]セブンイレブンのフランチャイズ契約は、売上金を毎日、全額本部へ送金する内容だった。オープン後は毎月の売上金額をいったん本部に送金してもらい、その荒利額の45%を本部が取り、55%を店主に戻す
- 日経ビジネス 1977年7月18日号
- [17]セブンイレブンのフランチャイズ契約期間は15年である
- [24]酒屋から転業した千葉県のAストアは、昔から扱っていた酒類までセブンイレブン加盟後は他の商品と同じく粗利の45%を本部に持っていかれたことに業を煮やした
- [25]本部とは関係のない別の問屋から商品を仕入れ、別売りを始めてしまった
- [26]話を伝え聞いた同業の加盟店も我先にと別仕入れ方式を導入したため、ついにセブンイレブンもシステムの一部変更を検討し始めた
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [18]セブン-イレブンの荒利益は平均25.2%である。30%を超えている店もあるが、酒、タバコ、米などの免許品を扱っているところはどうしても低くなる
- [20]本部がもつ費用には設備のほか、水道光熱費の87%、TVなど広告代の全部がある
- [22]店主には教育と実習を受けてもらう。本部が荒利の45%を取る根拠として、費用負担に加え棚卸をすべて本部が行うこと、スーパーバイザーが1人で7店舗を持ち巡回してコンサルティングしていることが挙げられた
- [23]店主が負担するのは人件費、店舗改装費(1,500万円程度、15年ローン)の銀行への返済、品減りが生じた場合の埋め合わせぐらいである。店内の設備と商品はすべて本部がもつ
- [27]各店に最低1,100万円の保証を与えているが、実際の持ち出しは年間にせいぜい300万円ぐらいで、それも年に10店舗ぐらいである
1976年〜酒店の転業と問屋依存で積んだ570店
加盟店の開拓先は酒店に絞られていた。1979年2月期末の加盟店570店のうち、加盟前に酒店を営んでいた店が275店を占め、全体の48.2%にあたる。地域における知名度と、専売品を扱う強さが理由である。酒類は粗利益率が高く、のちに後発チェーンの経営者からは、首都圏の一等地へいち早く集中出店した点と並んで、他社が縮められない差の要因として挙げられた。加盟店と自営店の売上構成は加工食品52.3%、雑貨20.3%、生鮮食品18.7%、ファストフード8.8%で、生鮮食品の取扱いがスーパーマーケットより少なく、商品群別の粗利益率は高く出た。もっとも、その酒類の粗利益まで本部が45%を取る点が、前年の別仕入れ問題の火種でもあった。
- 証券 1979年31巻10号
- [28]昭和54年2月期末現在、加盟店570店のうち加盟前の従事業種では酒店経営が275店と全体の48.2%を占めていた
- [29]加盟店の勧誘に当たり、地域における知名度、専売品を扱っている強さなどから酒店を重点的に開拓した
- [31]昭和54年2月期の加盟店および自営店の商品売上高構成比率は、加工食品52.3%、生鮮食品18.7%、ファストフード8.8%、その他雑貨20.3%である。商品群別粗利益率はスーパーマーケットに比べ高く、生鮮食品の取扱いが比較的少ない
- 日経ビジネス 1986年12月8日号
- [30]ローソンの都築富士男社長は、セブンとの売上高・粗利益率の差の理由として「若者が多く、夜間人口の豊富な首都圏の一等地にいち早くドミナント化したし、粗利率の高い酒類の販売が認められる酒店を加盟店にしたから」と説明した
1店舗を回すのに最低でも40の問屋が要るのが日本の実情で、数店規模でチェーンが成り立つ米国とは土壌が違った。単独のコンビニエンス・ストアは成立せず、当初はイトーヨーカ堂を後ろ盾に108の問屋から品物を受けて、ようやく必要な品揃えを整えている。商品の供給は自前で持たず、推薦問屋制を敷いて一括大量仕入れで仕入価格と仕入れのコストを下げ、加盟店・自営店とも仕入れの86%は問屋経由だった。少量多品目を多頻度で届ける配送も、問屋に任せたほうが有利と判断して仕入先に委ねている。発注と支払いは、本部と店舗をつなぐオンラインシステムを通じて本部が代行した。
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [32]少なくとも1店舗に40の問屋が必要というのが日本の実情である。この点は米国と大きく違っており、米国には数店舗のチェーンもたくさんある
- [33]単独コンビニエンス・ストアは絶対に無理である。セブン-イレブンは当初イトーヨーカ堂をバックとして108の問屋から商品の供給を受けて初めて必要な商品アイテムをそろえることができた
- 証券 1979年31巻10号
- [34]効率よく多品目商品の安定供給ルートを確保し、一括大量仕入によって仕入価格と仕入コストの低減を図るため推薦問屋制を設けた。加盟店および自営店の仕入れの86%が問屋を経由したものである
- [35]各店舗への配送については仕入先問屋に依存している。取扱商品が少量多品目であるために生じる多頻度にわたる配送を問屋に任せたほうが有利であるとの判断に基づいている
- [36]個々の加盟店および自営店の仕入の大部分について、本部と各店舗を結んだオンラインシステムで加盟店の発注業務・支払業務の代行を行っている
加盟店は1975年2月期の7店から、1976年2月期57店、1977年2月期124店、1978年2月期171店、1979年2月期211店と、年々の増加数そのものが増えた。この5年で契約を離れたのは10店にとどまり、うち3店はこれだけ儲かるならと自営へ切り替えたものだった。1979年2月期末の加盟店は570店、開店前の店主を教育するトレーニング・ストアとしての自営店が21店で、全店売上高は725億円に達した。出店は関東に集中し、東京・神奈川・埼玉・千葉の4都県で78.8%を占めている。1978年1月に商号をセブン-イレブン・ジャパンへ改め、同年6月にはサウスランド社とのライセンス契約の日本側の当事者が、イトーヨーカ堂から同社へ移った。
- 証券 1979年31巻10号
- [37]加盟店増加の足取りは、昭和50年2月期7店、昭和51年2月期57店、昭和52年2月期124店、昭和53年2月期171店、昭和54年2月期211店となっており、昭和52年2月期から加盟店の増加が急ピッチで進められた
- [39]昭和54年2月期で総数570店の加盟店を数えた。ほかに開店前の加盟店主の教育等のため21の自営店(トレーニング・ストア)を有し、自営店も含めた全店舗売上高は725億円に達した
- [40]昭和54年2月期末現在の加盟店570店および自営店21店の地域別出店状況は、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の関東地域で78.8%を占めていた
- [41]昭和53年1月に商号を「株式会社セブン-イレブン・ジャパン」と変更し、昭和53年6月、ザ・サウスランド社とのエリアサービス及びライセンス契約の日本側の契約者がイトーヨーカ堂から同社に変更された
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [38]発足以来5年間に10店舗がやめている。このうち3店舗は、こんなにもうかるならということで自営に切り替えたものである
参考文献[28]-[41]
- 証券 1979年31巻10号
- [28]昭和54年2月期末現在、加盟店570店のうち加盟前の従事業種では酒店経営が275店と全体の48.2%を占めていた
- [29]加盟店の勧誘に当たり、地域における知名度、専売品を扱っている強さなどから酒店を重点的に開拓した
- [31]昭和54年2月期の加盟店および自営店の商品売上高構成比率は、加工食品52.3%、生鮮食品18.7%、ファストフード8.8%、その他雑貨20.3%である。商品群別粗利益率はスーパーマーケットに比べ高く、生鮮食品の取扱いが比較的少ない
- [34]効率よく多品目商品の安定供給ルートを確保し、一括大量仕入によって仕入価格と仕入コストの低減を図るため推薦問屋制を設けた。加盟店および自営店の仕入れの86%が問屋を経由したものである
- [35]各店舗への配送については仕入先問屋に依存している。取扱商品が少量多品目であるために生じる多頻度にわたる配送を問屋に任せたほうが有利であるとの判断に基づいている
- [36]個々の加盟店および自営店の仕入の大部分について、本部と各店舗を結んだオンラインシステムで加盟店の発注業務・支払業務の代行を行っている
- [37]加盟店増加の足取りは、昭和50年2月期7店、昭和51年2月期57店、昭和52年2月期124店、昭和53年2月期171店、昭和54年2月期211店となっており、昭和52年2月期から加盟店の増加が急ピッチで進められた
- [39]昭和54年2月期で総数570店の加盟店を数えた。ほかに開店前の加盟店主の教育等のため21の自営店(トレーニング・ストア)を有し、自営店も含めた全店舗売上高は725億円に達した
- [40]昭和54年2月期末現在の加盟店570店および自営店21店の地域別出店状況は、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の関東地域で78.8%を占めていた
- [41]昭和53年1月に商号を「株式会社セブン-イレブン・ジャパン」と変更し、昭和53年6月、ザ・サウスランド社とのエリアサービス及びライセンス契約の日本側の契約者がイトーヨーカ堂から同社に変更された
- 日経ビジネス 1986年12月8日号
- [30]ローソンの都築富士男社長は、セブンとの売上高・粗利益率の差の理由として「若者が多く、夜間人口の豊富な首都圏の一等地にいち早くドミナント化したし、粗利率の高い酒類の販売が認められる酒店を加盟店にしたから」と説明した
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- [32]少なくとも1店舗に40の問屋が必要というのが日本の実情である。この点は米国と大きく違っており、米国には数店舗のチェーンもたくさんある
- [33]単独コンビニエンス・ストアは絶対に無理である。セブン-イレブンは当初イトーヨーカ堂をバックとして108の問屋から商品の供給を受けて初めて必要な商品アイテムをそろえることができた
- [38]発足以来5年間に10店舗がやめている。このうち3店舗は、こんなにもうかるならということで自営に切り替えたものである
1973年〜1978年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 営業利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 利益率 | |||
| 1973年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1974年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1975年02月期 | 単体 | 7 | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1976年02月期 | 単体 | 48 | +585.7% | n/a | n/a | n/a |
| 1977年02月期 | 単体 | 174 | +262.5% | n/a | n/a | n/a |
| 1978年02月期 | 単体 | 398 | +128.7% | n/a | n/a | n/a |
出所:公式サイト
出典・参考
5件
- 日経ビジネス 1977年7月18日号(鈴木敏文)
- 日経ビジネス 1977年7月18日号
- 証券 1979年31巻10号
- 証券アナリストジャーナル 1979年11月号(鈴木敏文)
- 日経ビジネス 1986年12月8日号