関和平

いすゞ自動車・元取締役社長

Seki Kazuhira(敬称略)

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社長就任 1992年1月
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1937年2月、東京に生まれた。1960年3月に早稲田大学第一法学部を卒業し、同年4月にいすゞ自動車へ入社した。配属は営業部門で、藤沢工場が操業を開始して小型車の生産に入った1962年、入社3年目の平社員として本社が販売拠点を建設して販社へ貸す制度を提案した。周囲の反対を押し切って販売担当常務を説得し、その後の2年間で全国に30カ所の拠点を作った。1973年に企画本部主査へ移り、以後は企画畑を歩んだ。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1992年1月、飛山一男氏の後任として社長に就任した。1984年1月に取締役となり、常務・専務・副社長を経ての昇格である。当時のいすゞ自動車は業績の低迷から抜け出せず、37.52%の株式を保有する筆頭株主、米ゼネラル・モーターズ(GM)の後ろ盾を得て立て直しを図っていた。関氏は企画本部に長く在籍し、飛山氏の下で戦略を練る参謀役を果たしてきた。早い段階から次期社長の筆頭と目されていたのはそのためである。社長就任が内定してから実際に就任するまでの間に、関氏は部課長クラスを主な相手として約700人と意見を交わす場を設けた。

在任中の主な施策
施策

就任直後に決めたのが、40年続けた乗用車の自社生産・開発からの撤退である。1992年12月19日の3カ年中期計画で乗用車生産にピリオドを打ち、トラック・RV・ディーゼルエンジンの3分野へ経営資源を絞り込んだ。乗用車の供給先でもあったGMについては、ジョン・スミス社長兼CEOを関氏自らが説得した。国内では10地域で販社を合併し、1994年5月に系列の車体工業を吸収、11月には子会社アイテスの持ち株をニッパツへ譲渡して、系列部品メーカーの再編を資本の面から進めた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1960〜1998年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件
参考文献
  • 日経ビジネス 1992年2月24日号「関和平氏[いすゞ自動車]登場 再建めざし絞り込みの思考」

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