三宮吾郎

いすゞ自動車・元取締役社長

Sannomiya Goro(敬称略)

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社長就任 1946年12月
生年月日 —
学歴 長崎高等商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

三宮吾郎氏は1899年に生まれ、長崎高等商業学校を出て、1923年に東京石川島造船所の自動車工場へ入社した。同社の自動車部は1937年4月に東京瓦斯電気工業の自動車部・ダット自動車製造と合流して東京自動車工業となり、のちのいすゞ自動車になる。商業学校を出た事務系で、社長に就任する前は専務取締役だった。在任末の1961年4月末の大株主は野村証券5.4%、東洋信託銀行5.1%と金融機関が並び、特定の家の持ち分を背にした社長ではなかった。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1946年12月11日、労使紛争のさなかに辞意を表明していた弓削靖社長が退任し、専務取締役だった三宮吾郎氏が47歳で後任に就任した。同時に常務取締役の楠木直道氏が専務取締役へ上がっている。軍需生産が止まって民需へ戻る途中で、ヂーゼル自動車工業は同年11月にTX80型とTU8L型のガソリントラックを発表して量産へ入り、空襲で被害を受けた鶴見製造所の組立工場とエンジン試験工場を復旧しながら、17社のいすゞ特約販売店を発足させた。

在任中の主な施策
施策

1949年5月に東京証券取引所へ上場し、同年7月には商号をいすゞ自動車へ改めて社名と商標を揃えた。1953年2月に英ルーツ社とヒルマンの技術援助提携へ調印して乗用車の生産に入り、1957年10月に完全国産化を果たす。1959年8月には小型トラック「エルフ」を発表した。売上高は1953年4月期の91億円から1961年4月期には600億円へ伸びている。1961年12月30日、藤沢工場の本格稼働を目前にして心筋梗塞症により在任のまま急逝した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1923〜1961年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件
参考文献

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