岡本利雄

いすゞ自動車・元取締役社長

Okamoto Toshio(敬称略)

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社長就任 1976年1月
生年月日 —
学歴 明治専門学校機械工学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

岡本利雄氏は1908年に山口県で生まれ、1933年3月に明治専門学校の機械工学科を出て、同年4月に東京瓦斯電気工業へ入社した。1937年8月に東京自動車工業へ統合されたのちも同じ会社に勤め続け、1958年6月に取締役、1964年6月に常務、1966年6月に専務、1970年6月に副社長と昇っている。技術畑を歩んだ生え抜きで、1953年4月にはいすゞ自動車の技術部長を務めていた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

GMとの資本提携を決めた荒牧寅雄氏が会長へ退き、その後任として1976年1月に社長へ就任した。提携から3年たった1974年になっても無配は続いており、GMの世界販売網に乗せた小型トラックの輸出が業績を下支えしていた。就任直前の1975年10月期は売上高3563億円に対して経常損失102億円、当期純損失87億円だった。提携で開いた輸出ルートを製品の側から埋める役目が、技術部門出身の社長に回った。

在任中の主な施策
施策

総額700億円を投じた戦略乗用車「Rカー」を米国向けに年20万台輸出する計画を立て、出荷の初年を1984年に置いた。1982年4月には800億〜1000億円の投資を伴う乗用車部門の強化へ踏み切った。入社以来49年でいちばん苦しい局面という岡本利雄社長の見立てのもとでの決断である。業績は就任直前の1975年10月期の経常損失102億円から、就任年度の1976年10月期に経常利益93億円へ転じ、1978年10月期には252億円まで戻した。1981年10月期の売上高は7274億円に達している。Rカーの出荷が始まる1984年、社長は飛山一男氏へ替わった。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1933〜1984年
在任中の業績
就任前(FY74)3,563億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件
参考文献
  • 日本企業要覧 1976年版
  • 日経ビジネス 1979年11月19日号「交遊アラカルト」(岡本利雄氏)
  • 日本経済新聞 1982年4月28日「STカー、いすゞ背水の陣」

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