第1章 年〜年

メイコー:名幸電子工業の設立と多層プリント基板の一貫生産

1975年〜自宅の庭の10坪の小屋で始めた両面基板と、自前で開発した基板検査機

名屋佑一郎氏は1975年11月、プリント配線板の製造と販売を目的に名幸電子工業を設立し、両面板の販売から事業を始めた。名屋佑一郎氏は1973年、技術者として昭和無線工業(現SMK)へ入社。開発の仕事を重ねるなかで、名屋佑一郎氏は電子機器の高度化に伴い、より高性能な基板が今後は求められると考えた。着目したのは当時の先端品とされた両面基板であり、その需要は広がると見込んだ。準備は法人化の前年に始まった。1974年、名屋佑一郎氏は自宅の庭にあった10坪程度の小屋を作業場に改め、基板の配線パターンの設計と製造に着手した。勤め先の開発部門では作れない基板を自ら設計して量産する場を求め、独立を選んだとみられる。

  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [1]1975年11月、プリント配線板の製造販売を目的に名幸電子工業を設立し両面板の販売を開始
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [2]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [3]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [4]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [5]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [6]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化

名幸電子工業は1978年4月、電子応用機器の製品開発を担う部署としてシステム開発部を設けた。同年10月には、出荷前の最終検査工程で使う基板検査機を自社専用に開発した。部署の設置から半年後の開発。創業者の名屋佑一郎氏は、学生時代からゲルマニウムラジオなどを自作するほど電機を好む技術者であった。創業3年の基板メーカーは、製造設備だけでなく検査の機械まで社内で設計する開発部門を持った。このシステム開発部は、2006年時点のシステム機器部の前身にあたる。量産の規模が大きくなるほど不良品の流出が取引の継続を左右するため、最終検査を外部の機械に依存せず自社で押さえようとしたと推察される。

  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [7]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
    • [8]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
    • [9]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
    • [11]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
    • [12]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [10]名屋佑一郎氏は学生の頃から電機が好きでゲルマニウムラジオなどを製作していた
参考文献[1]-[12]
  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [1]1975年11月、プリント配線板の製造販売を目的に名幸電子工業を設立し両面板の販売を開始
    • [7]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
    • [8]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
    • [9]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
    • [11]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
    • [12]1978年4月に電子応用機器製品の開発を目的にシステム開発部(2006年時点のシステム機器部)を設置、同年10月に基板の最終検査工程用の自社専用基板検査機を開発
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [2]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [3]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [4]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [5]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [6]名屋佑一郎氏は1973年に昭和無線工業(現SMK)入社、高性能基板の必要を感じ両面基板の需要拡大を見込んで1974年に自宅の庭の約10坪の小屋で基板の設計・製造を開始、1975年に法人化
    • [10]名屋佑一郎氏は学生の頃から電機が好きでゲルマニウムラジオなどを製作していた

1979年〜スペースインベーダーの基板で拡大した受注と、綾瀬の一貫工場で始めた多層板

名幸電子工業の受注は1979年、ゲーム機向けの基板で大きく広がった。同年、シューティングゲーム「スペースインベーダー」が国内で大流行し、名幸電子工業はこのゲーム機の基板の製造と販売を手がけた。設立時から扱ってきた製品は両面板である。ゲーム基板を起点に業績は拡大を続け、名幸電子工業は創業10年目の1985年まで、一度も業績を後退させなかった。新製品の開発も並行して進め、1981年12月には世界で初めてとするマルチビデオプロセッサーを開発した。娯楽機器向けの大口の需要は、量産の経験と取引先の広がりを短期間にもたらし、次の設備投資を支える原資になったと思われる。

  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [13]1979年に国内で大流行した「スペースインベーダー」向けゲーム基板の製造・販売を皮切りに業績が拡大し、1985年の10周年まで一度も後退しなかった
    • [14]1979年に国内で大流行した「スペースインベーダー」向けゲーム基板の製造・販売を皮切りに業績が拡大し、1985年の10周年まで一度も後退しなかった
    • [16]1979年に国内で大流行した「スペースインベーダー」向けゲーム基板の製造・販売を皮切りに業績が拡大し、1985年の10周年まで一度も後退しなかった
  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [15]設立時に両面板の販売を開始、1981年12月に世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発
    • [17]設立時に両面板の販売を開始、1981年12月に世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発

名幸電子工業は1980年9月、新しい本社事務所と工場を建て、基板の設計から最終製品までを社内で一貫して生産し始めた。この本社工場は神奈川県綾瀬市にあり、1984年8月には増築工事を終えて操業した。工場の新設から3カ月後の1980年12月には多層プレス機を導入し、内層を重ねる多層板の製造を始めた。設立から5年間、名幸電子工業の製品は両面板であり、多層プレス機の導入で扱える層数が初めて増えた。いずれもゲーム基板の受注で業績が拡大していた時期の投資にあたる。両面板だけでは受けられる電子機器の範囲が限られるため、層数を増やせる設備を先に持ち、取引の幅を広げようとしたのだろう。

  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [18]1975年の設立時は両面板の販売から開始、1980年9月に新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立、同年12月に多層プレス機を導入し多層板の製造を開始、1984年8月に神奈川県綾瀬市の本社工場増築工事が完成し操業
    • [19]1975年の設立時は両面板の販売から開始、1980年9月に新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立、同年12月に多層プレス機を導入し多層板の製造を開始、1984年8月に神奈川県綾瀬市の本社工場増築工事が完成し操業
    • [20]1975年の設立時は両面板の販売から開始、1980年9月に新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立、同年12月に多層プレス機を導入し多層板の製造を開始、1984年8月に神奈川県綾瀬市の本社工場増築工事が完成し操業
    • [21]1975年の設立時は両面板の販売から開始、1980年9月に新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立、同年12月に多層プレス機を導入し多層板の製造を開始、1984年8月に神奈川県綾瀬市の本社工場増築工事が完成し操業
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [22]1979年のスペースインベーダー向けゲーム基板を皮切りに業績が拡大

1982年9月、名幸電子工業はコスミック、コモドールジャパンと合弁で、配線板製造の山形名幸電子(現山形メイコー)を設立した。山形名幸電子は2006年時点でも連結子会社として配線板を製造する会社である。同年3月には片面プリント配線板を製造する会社としてマルチテックを設立し、12月には基板用の金型を作る森井金型(現エムケイテック)を設けた。前年の1981年12月には、世界で初めてとするマルチビデオプロセッサーを開発していた。名幸電子工業はこの時期、新製品の開発を活発に進めた。1982年の1年間で製造会社を3社設けたことで、綾瀬1カ所の生産は、品目と工程ごとに会社を分けたグループの生産へ移ったと考えられる。

  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [23]1981年12月に世界初のマルチビデオプロセッサーを開発、1982年3月に片面板製造のマルチテック設立、同年9月にコスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子(現山形メイコー、2006年時点で連結子会社)設立、同年12月に金型製造の森井金型(現エムケイテック)設立
    • [24]1981年12月に世界初のマルチビデオプロセッサーを開発、1982年3月に片面板製造のマルチテック設立、同年9月にコスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子(現山形メイコー、2006年時点で連結子会社)設立、同年12月に金型製造の森井金型(現エムケイテック)設立
    • [25]1981年12月に世界初のマルチビデオプロセッサーを開発、1982年3月に片面板製造のマルチテック設立、同年9月にコスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子(現山形メイコー、2006年時点で連結子会社)設立、同年12月に金型製造の森井金型(現エムケイテック)設立
    • [26]1981年12月に世界初のマルチビデオプロセッサーを開発、1982年3月に片面板製造のマルチテック設立、同年9月にコスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子(現山形メイコー、2006年時点で連結子会社)設立、同年12月に金型製造の森井金型(現エムケイテック)設立
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [27]世界初のマルチビデオプロセッサーなど新製品の開発を活発に行った
参考文献[13]-[27]
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [13]1979年に国内で大流行した「スペースインベーダー」向けゲーム基板の製造・販売を皮切りに業績が拡大し、1985年の10周年まで一度も後退しなかった
    • [14]1979年に国内で大流行した「スペースインベーダー」向けゲーム基板の製造・販売を皮切りに業績が拡大し、1985年の10周年まで一度も後退しなかった
    • [16]1979年に国内で大流行した「スペースインベーダー」向けゲーム基板の製造・販売を皮切りに業績が拡大し、1985年の10周年まで一度も後退しなかった
    • [22]1979年のスペースインベーダー向けゲーム基板を皮切りに業績が拡大
    • [27]世界初のマルチビデオプロセッサーなど新製品の開発を活発に行った
  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [15]設立時に両面板の販売を開始、1981年12月に世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発
    • [17]設立時に両面板の販売を開始、1981年12月に世界で初めてマルチビデオプロセッサーを開発
    • [18]1975年の設立時は両面板の販売から開始、1980年9月に新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立、同年12月に多層プレス機を導入し多層板の製造を開始、1984年8月に神奈川県綾瀬市の本社工場増築工事が完成し操業
    • [19]1975年の設立時は両面板の販売から開始、1980年9月に新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立、同年12月に多層プレス機を導入し多層板の製造を開始、1984年8月に神奈川県綾瀬市の本社工場増築工事が完成し操業
    • [20]1975年の設立時は両面板の販売から開始、1980年9月に新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立、同年12月に多層プレス機を導入し多層板の製造を開始、1984年8月に神奈川県綾瀬市の本社工場増築工事が完成し操業
    • [21]1975年の設立時は両面板の販売から開始、1980年9月に新本社事務所・工場を新設し設計から最終製品までの一貫生産体制を確立、同年12月に多層プレス機を導入し多層板の製造を開始、1984年8月に神奈川県綾瀬市の本社工場増築工事が完成し操業
    • [23]1981年12月に世界初のマルチビデオプロセッサーを開発、1982年3月に片面板製造のマルチテック設立、同年9月にコスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子(現山形メイコー、2006年時点で連結子会社)設立、同年12月に金型製造の森井金型(現エムケイテック)設立
    • [24]1981年12月に世界初のマルチビデオプロセッサーを開発、1982年3月に片面板製造のマルチテック設立、同年9月にコスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子(現山形メイコー、2006年時点で連結子会社)設立、同年12月に金型製造の森井金型(現エムケイテック)設立
    • [25]1981年12月に世界初のマルチビデオプロセッサーを開発、1982年3月に片面板製造のマルチテック設立、同年9月にコスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子(現山形メイコー、2006年時点で連結子会社)設立、同年12月に金型製造の森井金型(現エムケイテック)設立
    • [26]1981年12月に世界初のマルチビデオプロセッサーを開発、1982年3月に片面板製造のマルチテック設立、同年9月にコスミック・コモドールジャパンと合弁で山形名幸電子(現山形メイコー、2006年時点で連結子会社)設立、同年12月に金型製造の森井金型(現エムケイテック)設立

1985年〜プラザ合意で初の赤字を計上した受注と、1990年の福島工場・1997年のビルドアップ建屋

名幸電子工業は1985年、創業から初めての赤字を計上した。同年のプラザ合意を機に円高が急速に進み、取引先が生産の拠点を海外へ移したため、名幸電子工業の受注は激減。名屋佑一郎氏は取引先に加え、競合する基板メーカーにまで発注を依頼した。名屋佑一郎氏は創業から50年を振り返り、この時期を最も苦しかった時代に挙げた。受注が減るなかでも、名幸電子工業は1985年1月に名古屋営業所を置いた。1986年6月には、基板実装を担うメイコー・コンポーネンツ(現メイコーファイン)を設立した。円高で顧客の工場が国外へ出た経験は、のちに為替変動の影響を受けにくい生産体制を求める動機になった可能性が高い。

  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [28]1985年のプラザ合意後の急速な円高で顧客が海外生産へ移り受注が激減、創業来初の赤字を計上し、取引先だけでなく競合他社にも発注を頼んだ。名屋佑一郎氏は創業50年で最も苦しかった時代とする
    • [29]1985年のプラザ合意後の急速な円高で顧客が海外生産へ移り受注が激減、創業来初の赤字を計上し、取引先だけでなく競合他社にも発注を頼んだ。名屋佑一郎氏は創業50年で最も苦しかった時代とする
    • [30]1985年のプラザ合意後の急速な円高で顧客が海外生産へ移り受注が激減、創業来初の赤字を計上し、取引先だけでなく競合他社にも発注を頼んだ。名屋佑一郎氏は創業50年で最も苦しかった時代とする
    • [31]1985年のプラザ合意後の急速な円高で顧客が海外生産へ移り受注が激減、創業来初の赤字を計上し、取引先だけでなく競合他社にも発注を頼んだ。名屋佑一郎氏は創業50年で最も苦しかった時代とする
  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [32]1985年1月に名古屋営業所を設置、1986年6月に基板実装を目的にメイコー・コンポーネンツ(現メイコーファイン)を設立
    • [33]1985年1月に名古屋営業所を設置、1986年6月に基板実装を目的にメイコー・コンポーネンツ(現メイコーファイン)を設立

名幸電子工業は家庭用ゲーム機向けの受注と、先行きを見込んだ車載向け基板によって業績を回復させた。回復の過程で、名幸電子工業は1988年7月に配線板の設計会社としてエム・ディー・システムズを設立し、1989年1月には郡山営業所を置いた。1990年3月には電子応用機器の開発・製造を担うシアックを設け、同年6月に福島工場を新設した。郡山営業所の設置から福島工場の新設までは1年5カ月である。綾瀬・山形に続く国内の生産拠点にあたる。1991年4月には、商号を名幸電子工業からメイコーへ改めた。設計・実装・機器へ事業が広がった時期の改称であり、基板工場の名を離れた社名で取引先の幅を広げる狙いがあったようだ。

  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [34]家庭用ゲーム機向けの受注や車載向け基板の将来性に着目して業績が回復
  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [35]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [36]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [37]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [38]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [39]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更

メイコーは1997年11月、山形工場の敷地内に、ビルドアップと呼ぶ新工法で基板を製造するための建屋を新築した。続く1998年8月に香港へ名幸電子香港を、同年12月に中国広東省へ名幸電子(番禺南沙)を設立し、2001年1月に広州工場を稼働させた。名屋佑一郎氏は為替変動に左右されない経営を目指し、同業他社より先に海外へ生産を広げた。メイコーは2002年度の経営方針で、オールスタック構造複層ビルドアップ多層配線基板と高多層配線基板の事業化を掲げた。同じ方針は、海外との競争による低価格化と国内の短納期化・高技術化を業界の課題とした。高密度の工法を国内で先に固め、海外工場との分担に備えたと読める。

  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [40]1997年11月に山形工場敷地内に新工法(ビルドアップ)の基板製造建屋を新築、1998年8月に名幸電子香港、同年12月に名幸電子(番禺南沙)を設立、2001年1月に中国広州工場が稼働
    • [41]1997年11月に山形工場敷地内に新工法(ビルドアップ)の基板製造建屋を新築、1998年8月に名幸電子香港、同年12月に名幸電子(番禺南沙)を設立、2001年1月に中国広州工場が稼働
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [42]為替変動に左右されない経営のため2001年に中国広州工場が竣工し、同業他社に先駆けて海外進出した
  • メイコー 平成14年3月期 決算短信「経営方針」(2002年5月)
    • [43]平成14年度経営方針で高技術製品(オールスタック構造複層ビルドアップ多層配線基板・高多層配線基板等)の事業化を掲げ、業界課題として海外との競争激化による低価格化と国内の短納期化・高技術化を挙げた
    • [44]平成14年度経営方針で高技術製品(オールスタック構造複層ビルドアップ多層配線基板・高多層配線基板等)の事業化を掲げ、業界課題として海外との競争激化による低価格化と国内の短納期化・高技術化を挙げた
参考文献[28]-[44]
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」
    • [28]1985年のプラザ合意後の急速な円高で顧客が海外生産へ移り受注が激減、創業来初の赤字を計上し、取引先だけでなく競合他社にも発注を頼んだ。名屋佑一郎氏は創業50年で最も苦しかった時代とする
    • [29]1985年のプラザ合意後の急速な円高で顧客が海外生産へ移り受注が激減、創業来初の赤字を計上し、取引先だけでなく競合他社にも発注を頼んだ。名屋佑一郎氏は創業50年で最も苦しかった時代とする
    • [30]1985年のプラザ合意後の急速な円高で顧客が海外生産へ移り受注が激減、創業来初の赤字を計上し、取引先だけでなく競合他社にも発注を頼んだ。名屋佑一郎氏は創業50年で最も苦しかった時代とする
    • [31]1985年のプラザ合意後の急速な円高で顧客が海外生産へ移り受注が激減、創業来初の赤字を計上し、取引先だけでなく競合他社にも発注を頼んだ。名屋佑一郎氏は創業50年で最も苦しかった時代とする
    • [34]家庭用ゲーム機向けの受注や車載向け基板の将来性に着目して業績が回復
    • [42]為替変動に左右されない経営のため2001年に中国広州工場が竣工し、同業他社に先駆けて海外進出した
  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
    • [32]1985年1月に名古屋営業所を設置、1986年6月に基板実装を目的にメイコー・コンポーネンツ(現メイコーファイン)を設立
    • [33]1985年1月に名古屋営業所を設置、1986年6月に基板実装を目的にメイコー・コンポーネンツ(現メイコーファイン)を設立
    • [35]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [36]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [37]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [38]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [39]1988年7月に設計会社エム・ディー・システムズ設立、1989年1月に郡山営業所設置、1990年3月に電子応用機器のシアック設立、同年6月に福島工場新設、1991年4月に商号を株式会社メイコーに変更
    • [40]1997年11月に山形工場敷地内に新工法(ビルドアップ)の基板製造建屋を新築、1998年8月に名幸電子香港、同年12月に名幸電子(番禺南沙)を設立、2001年1月に中国広州工場が稼働
    • [41]1997年11月に山形工場敷地内に新工法(ビルドアップ)の基板製造建屋を新築、1998年8月に名幸電子香港、同年12月に名幸電子(番禺南沙)を設立、2001年1月に中国広州工場が稼働
  • メイコー 平成14年3月期 決算短信「経営方針」(2002年5月)
    • [43]平成14年度経営方針で高技術製品(オールスタック構造複層ビルドアップ多層配線基板・高多層配線基板等)の事業化を掲げ、業界課題として海外との競争激化による低価格化と国内の短納期化・高技術化を挙げた
    • [44]平成14年度経営方針で高技術製品(オールスタック構造複層ビルドアップ多層配線基板・高多層配線基板等)の事業化を掲げ、業界課題として海外との競争激化による低価格化と国内の短納期化・高技術化を挙げた

出典・参考

3件
出典・参考
  • メイコー 平成14年3月期 決算短信「経営方針」(2002年5月)
  • メイコー 有価証券報告書 第31期(2006年3月期)【沿革】
  • スポットレポート 2025年3月号「メイコー創業者・名屋氏の歩みと同社の成長」

免責事項およびポリシー