第2章 年〜年

日立建機:アジア展開とディア・フィアット提携による日米欧3極体制

1983年〜シンガポールのアジア拠点と、ディーア・フィアットアリスと組んだ日米欧3極体制

日立建機は1984年8月、シンガポールに日立建機アジア・パシフィックを設けた。同じ年の12月には、ディーアが同地に置いていた販売・サービスの拠点を吸収した。フィアットアリスの拠点も1989年中に引き取り、両社の製品・部品・従業員を日立建機が受け持つ段取りだった。3社は開発と生産を分け合い、北中南米・欧州アフリカ・アジアオセアニアの3地区で売る体制を組んでいた。日立建機は1983年から、ディーアへ油圧ショベルをOEMで供給していた。輸出比率は1986年3月期に40%まで上がり、欧米のほかに東南アジア向けの輸出増も見込まれていた。シンガポールの拠点は、提携相手の販路をアジアで一つにまとめる受け皿の役を負ったとみられる。

  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1984年8月、シンガポールに日立建機アジア・パシフィックPte.Ltd.を設立した
  • 日経ビジネス 1989年4月10日号
    • [2]シンガポールの販売・サービス拠点は3社が単独で出ていたが、84年12月に日立がディーアの拠点を吸収し、89年中にフィアットも吸収して製品・部品・従業員を引き受ける。3社は開発・生産を分担し北中南米・欧州アフリカ・アジアオセアニアで販売する
    • [3]シンガポールの販売・サービス拠点は3社が単独で出ていたが、84年12月に日立がディーアの拠点を吸収し、89年中にフィアットも吸収して製品・部品・従業員を引き受ける。3社は開発・生産を分担し北中南米・欧州アフリカ・アジアオセアニアで販売する
    • [4]シンガポールの販売・サービス拠点は3社が単独で出ていたが、84年12月に日立がディーアの拠点を吸収し、89年中にフィアットも吸収して製品・部品・従業員を引き受ける。3社は開発・生産を分担し北中南米・欧州アフリカ・アジアオセアニアで販売する
  • 実業往来 443(1989年)
    • [5]輸出比率は86年3月期の40%が最高で、89年3月期は30%程度。欧米以外の東南アジア方面への輸出増も見込める。ディーアとは1983年以来油圧ショベルのOEM供給
    • [6]輸出比率は86年3月期の40%が最高で、89年3月期は30%程度。欧米以外の東南アジア方面への輸出増も見込める。ディーアとは1983年以来油圧ショベルのOEM供給

日立建機は1986年12月に伊フィアットと、1988年6月に米ディーアと、油圧ショベルを現地で造る合弁会社を設けた。瀬口龍一常務によれば、1985年度上期は新車の53%を輸出していたが、円高で現地生産へ切り替え、輸出は30%程度に下がった。単独進出を避けて合弁を選んだのは、現地の摩擦を起こさず内側の企業として受け入れられるためだった。相手は、1985年にボルボ系のVMEを交えた協議が米欧の権益の衝突で流れた後、1986年から選び直した。得意製品は日立建機が油圧ショベル、ディーアが小型ブルドーザー、フィアットが大型ブルドーザーと重ならなかった。瀬口龍一常務は、できあがった3社の組み合わせを『できあがってみると、この組み合わせしかなかった』と振り返った。ディーアとの合弁は資本金45億円で、初年度3000台から1993年に4000台へ引き上げる計画だった。

  • 日経ビジネス 1989年4月10日号
    • [7]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [8]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [9]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [10]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [11]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [12]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
  • 実業往来 443(1989年)
    • [13]ディーアとの合弁会社は資本金45億円で88年6月に新設、初年度は年3000台、4年後の1993年に4000台の水準に引き上げる計画

日立建機の油圧ショベルの国内販売は、1985年度の6170台から1988年度の1万2845台へ倍増した。シェアも24.1%から27.9%へ上がり、前年10月に出したEXシリーズが公共投資の伸びに乗った。業界の国内販売は1987年度に3万6200台と過去最高になり、土浦工場は操業度120%・月産1500台で回した。1989年3月期の経常利益は160億円と、初めて100億円台に達する見通しになった。1989年9月、株式は東京証券取引所第1部に指定された。一方で、売上の67%を油圧ショベルに依存していた。1993年3月期に売上1.5倍・経常利益3倍を掲げた「チャレンジ100運動」でも、フルライン化が課題に置かれた。岡田元社長がいずれ景気の波が来ると身構えたのも、ショベルに偏った稼ぎ方を案じていたからだろう。

  • 日経ビジネス 1989年4月10日号
    • [14]国内販売台数は85年度6170台から88年度1万2845台へ倍増、シェアは24.1%から27.9%。前年10月投入のEXシリーズがヒット。89年3月期の経常利益は160億円で初の100億円台の見通し。岡田社長は「いずれは景気の波に見舞われる」と語った
    • [15]国内販売台数は85年度6170台から88年度1万2845台へ倍増、シェアは24.1%から27.9%。前年10月投入のEXシリーズがヒット。89年3月期の経常利益は160億円で初の100億円台の見通し。岡田社長は「いずれは景気の波に見舞われる」と語った
    • [17]国内販売台数は85年度6170台から88年度1万2845台へ倍増、シェアは24.1%から27.9%。前年10月投入のEXシリーズがヒット。89年3月期の経常利益は160億円で初の100億円台の見通し。岡田社長は「いずれは景気の波に見舞われる」と語った
  • 証券調査 216(1988年)「工場見学記 日立建機 土浦工場」
    • [16]87年度の油圧ショベル国内販売台数は3万6200台で史上最高。土浦工場は操業度120%・月産1500台のフル稼働
  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [18]1989年9月、東京証券取引所市場第一部に指定された
  • 産業と経済 44(4)(1990年)
    • [19]油圧ショベルへの収益依存は67%。チャレンジ100運動(93年3月期に売上1.5倍・経常利益3倍)でもフルライン化が戦略課題
    • [20]油圧ショベルへの収益依存は67%。チャレンジ100運動(93年3月期に売上1.5倍・経常利益3倍)でもフルライン化が戦略課題
参考文献[1]-[20]
  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1984年8月、シンガポールに日立建機アジア・パシフィックPte.Ltd.を設立した
    • [18]1989年9月、東京証券取引所市場第一部に指定された
  • 日経ビジネス 1989年4月10日号
    • [2]シンガポールの販売・サービス拠点は3社が単独で出ていたが、84年12月に日立がディーアの拠点を吸収し、89年中にフィアットも吸収して製品・部品・従業員を引き受ける。3社は開発・生産を分担し北中南米・欧州アフリカ・アジアオセアニアで販売する
    • [3]シンガポールの販売・サービス拠点は3社が単独で出ていたが、84年12月に日立がディーアの拠点を吸収し、89年中にフィアットも吸収して製品・部品・従業員を引き受ける。3社は開発・生産を分担し北中南米・欧州アフリカ・アジアオセアニアで販売する
    • [4]シンガポールの販売・サービス拠点は3社が単独で出ていたが、84年12月に日立がディーアの拠点を吸収し、89年中にフィアットも吸収して製品・部品・従業員を引き受ける。3社は開発・生産を分担し北中南米・欧州アフリカ・アジアオセアニアで販売する
    • [7]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [8]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [9]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [10]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [11]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [12]フィアット日立エクスカベーターズを86年12月、ディーア・日立建設機械を88年6月に設立。85年度上期は新車の53%を輸出していたが円高で現地生産に切り替え30%程度。合弁は現地にインサイダーとして受け入れられるのが狙い。85年のVMEとの3者協議は不調、86年から仕切り直し。得意分野は日立が油圧ショベル、ディーアが小型ブル・バックホーローダー、フィアットが大型ブル
    • [14]国内販売台数は85年度6170台から88年度1万2845台へ倍増、シェアは24.1%から27.9%。前年10月投入のEXシリーズがヒット。89年3月期の経常利益は160億円で初の100億円台の見通し。岡田社長は「いずれは景気の波に見舞われる」と語った
    • [15]国内販売台数は85年度6170台から88年度1万2845台へ倍増、シェアは24.1%から27.9%。前年10月投入のEXシリーズがヒット。89年3月期の経常利益は160億円で初の100億円台の見通し。岡田社長は「いずれは景気の波に見舞われる」と語った
    • [17]国内販売台数は85年度6170台から88年度1万2845台へ倍増、シェアは24.1%から27.9%。前年10月投入のEXシリーズがヒット。89年3月期の経常利益は160億円で初の100億円台の見通し。岡田社長は「いずれは景気の波に見舞われる」と語った
  • 実業往来 443(1989年)
    • [5]輸出比率は86年3月期の40%が最高で、89年3月期は30%程度。欧米以外の東南アジア方面への輸出増も見込める。ディーアとは1983年以来油圧ショベルのOEM供給
    • [6]輸出比率は86年3月期の40%が最高で、89年3月期は30%程度。欧米以外の東南アジア方面への輸出増も見込める。ディーアとは1983年以来油圧ショベルのOEM供給
    • [13]ディーアとの合弁会社は資本金45億円で88年6月に新設、初年度は年3000台、4年後の1993年に4000台の水準に引き上げる計画
  • 証券調査 216(1988年)「工場見学記 日立建機 土浦工場」
    • [16]87年度の油圧ショベル国内販売台数は3万6200台で史上最高。土浦工場は操業度120%・月産1500台のフル稼働
  • 産業と経済 44(4)(1990年)
    • [19]油圧ショベルへの収益依存は67%。チャレンジ100運動(93年3月期に売上1.5倍・経常利益3倍)でもフルライン化が戦略課題
    • [20]油圧ショベルへの収益依存は67%。チャレンジ100運動(93年3月期に売上1.5倍・経常利益3倍)でもフルライン化が戦略課題

1990年〜日立建機ティエラのミニショベルと、インドネシア・中国に設けた現地生産

日立建機は1991年2月、北越工業と共同開発したミニショベル5機種を自社製品として売り出した。それまではクボタから12機種・年700台のOEM供給を受けて、この品揃えを埋めていた。これに先立つ1990年1月、のちに小型機を担う日立建機ティエラの経営権を取得した。生産は63%を出資した農業機械メーカーの東洋社と北越工業に委ね、月1000〜1200台の能力を描いた。1991年8月にはミニショベル事業部を設け、6%台のシェアを20%程度まで上げる目算を立てた。国内のミニショベル市場は1990年度に6万台規模まで育っており、先行するコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼルを追う形だった。他社から借りていた機種を自前に替えたのは、伸びる小型機の利幅を外に渡し続けられなかったためと考えられる。

  • 実業往来 476(1992年)
    • [21]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [22]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [24]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [25]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [26]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1990年1月、株式会社日立建機ティエラの経営権を取得した

日立建機は1991年5月、インドネシアにP.T.日立建機インドネシアを設けた。同じ年の11月には、フィアット・ディーアとの3社でイタリアに建機の製造販売会社を設けると発表した。フィアットが50%を出して残りを2社で分け、年6000台を造って欧州シェア20%を狙う構想だった。当時、米国の合弁は米景気の回復の遅れで苦しみ、欧州のフィアット日立は黒字を保っていた。1995年9月中間期には、1円の円高で月約5000万円の損失が出ると会社側は説明した。その中間期の輸出比率は31%で、日本から出すのは現地で造れない機種か、現地生産の利点が薄い機種に限った。販売では提携先とOEMで製品を融通し合う体制を続け、会社側はこれを相互補完的OEMと呼んだ。

  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [27]1991年5月、インドネシアにP.T.日立建機インドネシアを設立した
  • 実業往来 476(1992年)
    • [28]91年11月、フィアット50%・残りを日立建機とディーアが分け合う3社合弁の製造販売会社をイタリアに設立すると発表。年6000台、欧州シェア20%の見込み。米国の合弁は米景気の遅れで厳しく、フィアット日立は黒字を堅持
    • [29]91年11月、フィアット50%・残りを日立建機とディーアが分け合う3社合弁の製造販売会社をイタリアに設立すると発表。年6000台、欧州シェア20%の見込み。米国の合弁は米景気の遅れで厳しく、フィアット日立は黒字を堅持
    • [30]91年11月、フィアット50%・残りを日立建機とディーアが分け合う3社合弁の製造販売会社をイタリアに設立すると発表。年6000台、欧州シェア20%の見込み。米国の合弁は米景気の遅れで厳しく、フィアット日立は黒字を堅持
  • 実業往来 526(1996年)
    • [31]1円の円高で月約5000万円の損失(社長室広報グループ)。中間期の輸出比率は31%、現地生産が基本で輸出は現地でできないもの・現地生産のメリットが少ないものに限る。OEMを積極活用し相互補完的OEMと呼ぶ
    • [32]1円の円高で月約5000万円の損失(社長室広報グループ)。中間期の輸出比率は31%、現地生産が基本で輸出は現地でできないもの・現地生産のメリットが少ないものに限る。OEMを積極活用し相互補完的OEMと呼ぶ
    • [33]1円の円高で月約5000万円の損失(社長室広報グループ)。中間期の輸出比率は31%、現地生産が基本で輸出は現地でできないもの・現地生産のメリットが少ないものに限る。OEMを積極活用し相互補完的OEMと呼ぶ

日立建機は1995年4月、中国に日立建機(中国)有限公司を設けた。翌5月には、土浦工場の生産技術部長だった木川理二郎氏が総経理として送られた。木川理二郎氏は1970年4月に日立建設機械製造へ入り、土浦工場で生産の技術を担ってきた人物だった。1995年9月中間期のアジア向けは輸出の39%を占め、クローラクレーンなどのアジア向けも伸びていた。2001年3月期には、合肥の生産会社が主要な連結子会社に並び、上海と香港にも子会社を持つようになった。生産技術の責任者を総経理に充てたのは、中国を売り先である前に造る拠点と位置づけたためと推察される。

  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [34]1995年4月、中国に日立建機(中国)有限公司を設立した
  • 日立建機 有価証券報告書 第44期(2008年3月期)【役員の状況】
    • [35]木川理二郎は昭和45年4月に日立建設機械製造に入社、平成4年2月に土浦工場生産技術部長、平成7年5月に日立建機(中国)有限公司総経理
    • [36]木川理二郎は昭和45年4月に日立建設機械製造に入社、平成4年2月に土浦工場生産技術部長、平成7年5月に日立建機(中国)有限公司総経理
  • 実業往来 526(1996年)
    • [37]中間期の輸出先は北米42%・アジア39%・欧州15%。クローラクレーン等はアジア向け輸出が好調
  • Hitachi Construction Machinery, Brief Announcement of Financial Statements (March 2001)
    • [38]主要な連結子会社に Hefei Hitachi Excavators Co. Ltd.、12月決算の子会社に Hitachi Construction Machinery (Shanghai) と (Hong Kong)
参考文献[21]-[38]
  • 実業往来 476(1992年)
    • [21]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [22]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [24]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [25]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [26]91年初めまでクボタから12機種・年700台のOEM供給。91年2月から北越工業と共同開発した自社製品5機種を発売。生産は91年1月に63%資本参加した東洋社と北越工業で月1000〜1200台体制。91年8月ミニショベル事業部設置。シェア6%台を20%程度に。90年度市場は6万台。先行はコマツ・クボタ・ヤンマーディーゼル
    • [28]91年11月、フィアット50%・残りを日立建機とディーアが分け合う3社合弁の製造販売会社をイタリアに設立すると発表。年6000台、欧州シェア20%の見込み。米国の合弁は米景気の遅れで厳しく、フィアット日立は黒字を堅持
    • [29]91年11月、フィアット50%・残りを日立建機とディーアが分け合う3社合弁の製造販売会社をイタリアに設立すると発表。年6000台、欧州シェア20%の見込み。米国の合弁は米景気の遅れで厳しく、フィアット日立は黒字を堅持
    • [30]91年11月、フィアット50%・残りを日立建機とディーアが分け合う3社合弁の製造販売会社をイタリアに設立すると発表。年6000台、欧州シェア20%の見込み。米国の合弁は米景気の遅れで厳しく、フィアット日立は黒字を堅持
  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [23]1990年1月、株式会社日立建機ティエラの経営権を取得した
    • [27]1991年5月、インドネシアにP.T.日立建機インドネシアを設立した
    • [34]1995年4月、中国に日立建機(中国)有限公司を設立した
  • 実業往来 526(1996年)
    • [31]1円の円高で月約5000万円の損失(社長室広報グループ)。中間期の輸出比率は31%、現地生産が基本で輸出は現地でできないもの・現地生産のメリットが少ないものに限る。OEMを積極活用し相互補完的OEMと呼ぶ
    • [32]1円の円高で月約5000万円の損失(社長室広報グループ)。中間期の輸出比率は31%、現地生産が基本で輸出は現地でできないもの・現地生産のメリットが少ないものに限る。OEMを積極活用し相互補完的OEMと呼ぶ
    • [33]1円の円高で月約5000万円の損失(社長室広報グループ)。中間期の輸出比率は31%、現地生産が基本で輸出は現地でできないもの・現地生産のメリットが少ないものに限る。OEMを積極活用し相互補完的OEMと呼ぶ
    • [37]中間期の輸出先は北米42%・アジア39%・欧州15%。クローラクレーン等はアジア向け輸出が好調
  • 日立建機 有価証券報告書 第44期(2008年3月期)【役員の状況】
    • [35]木川理二郎は昭和45年4月に日立建設機械製造に入社、平成4年2月に土浦工場生産技術部長、平成7年5月に日立建機(中国)有限公司総経理
    • [36]木川理二郎は昭和45年4月に日立建設機械製造に入社、平成4年2月に土浦工場生産技術部長、平成7年5月に日立建機(中国)有限公司総経理
  • Hitachi Construction Machinery, Brief Announcement of Financial Statements (March 2001)
    • [38]主要な連結子会社に Hefei Hitachi Excavators Co. Ltd.、12月決算の子会社に Hitachi Construction Machinery (Shanghai) と (Hong Kong)

1996年〜新製品での巻き返しと瀬口龍一社長のVE、カナダのダンプ会社の取り込み

岡田元社長のもとで日立建機は1996年1月に油圧ショベルを全面改良し、2月には超小旋回型のミニショベルを出した。1995年9月中間期の経常利益は、前年同期比61.6%減の4億5800万円に減少していた。公共工事の遅れに加え、想定90円に対して88円で推移した円相場が響いた。新型ショベルには燃費を抑えるHPモードと、建設省の排ガス基準を満たすエンジンを載せた。1996年の新機種は過去最高の67機種に及び、11月には後方小旋回型も加えたが、うち2機種はクボタからのOEMだった。会社側は翌年度に好況の反動減を見込み、ニーズに沿った新製品で需要を広げるほかないとの考えを示した。

  • 実業往来 526(1996年)
    • [39]95年秋の中間決算で経常利益は61.6%減の4億5800万円。公共工事の遅れと円高(想定90円、実勢88円)。96年1月3日に油圧ショベルをフルモデルチェンジ(HPモード・排ガス対策型エンジン)、2月6日に超小旋回型ミニショベルLandyKid Muを発売
    • [40]95年秋の中間決算で経常利益は61.6%減の4億5800万円。公共工事の遅れと円高(想定90円、実勢88円)。96年1月3日に油圧ショベルをフルモデルチェンジ(HPモード・排ガス対策型エンジン)、2月6日に超小旋回型ミニショベルLandyKid Muを発売
    • [41]95年秋の中間決算で経常利益は61.6%減の4億5800万円。公共工事の遅れと円高(想定90円、実勢88円)。96年1月3日に油圧ショベルをフルモデルチェンジ(HPモード・排ガス対策型エンジン)、2月6日に超小旋回型ミニショベルLandyKid Muを発売
    • [42]95年秋の中間決算で経常利益は61.6%減の4億5800万円。公共工事の遅れと円高(想定90円、実勢88円)。96年1月3日に油圧ショベルをフルモデルチェンジ(HPモード・排ガス対策型エンジン)、2月6日に超小旋回型ミニショベルLandyKid Muを発売
  • 実業往来 538(1997年)
    • [43]96年の新機種は過去最高の67機種。11月に後方小旋回型Uシリーズを発売し、うち2機種はクボタからOEM供給。来期は反動減が懸念され、ニーズに沿った新製品で需要を広げるしかないとの会社側の見方
    • [44]96年の新機種は過去最高の67機種。11月に後方小旋回型Uシリーズを発売し、うち2機種はクボタからOEM供給。来期は反動減が懸念され、ニーズに沿った新製品で需要を広げるしかないとの会社側の見方

1997年6月、瀬口龍一副社長が社長に就任した。瀬口龍一氏は1960年ごろ、日立製作所亀有工場でVE(価値工学)の担当に指名され、他工場の指導にも回った。1970年の独立後は土浦への工場集約を旗振りし、海外営業では20億円規模だった海外売上高を広げるため各国を回った。社長として、公共投資・円安・低金利に頼らない『どんな環境の変化にも耐えうる体質づくり』を目標に据えた。瀬口龍一社長は、欠点を直すQCに対し、VEは望ましい姿を描いて大きく変える手法だとみていた。修理担当者の知見をコンピューターに蓄える「ホームドクターシステム」をサービスのVEとして進め、VEを全社の関心事にするよう求めた。1997年のVE全国大会では、VE経営者賞を受けた。

  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
    • [45]97年6月に社長就任(93年6月副社長)。GEのバリューエンジニアリングを亀有工場資材部時代にいち早く導入。70年の独立時に足立工場を閉じ土浦へ一本化する旗振り役、のち海外営業で20億円の海外売上高の拡大に奔走。公共投資・円安・低金利に頼らない体質づくりを目指す
    • [47]97年6月に社長就任(93年6月副社長)。GEのバリューエンジニアリングを亀有工場資材部時代にいち早く導入。70年の独立時に足立工場を閉じ土浦へ一本化する旗振り役、のち海外営業で20億円の海外売上高の拡大に奔走。公共投資・円安・低金利に頼らない体質づくりを目指す
    • [48]97年6月に社長就任(93年6月副社長)。GEのバリューエンジニアリングを亀有工場資材部時代にいち早く導入。70年の独立時に足立工場を閉じ土浦へ一本化する旗振り役、のち海外営業で20億円の海外売上高の拡大に奔走。公共投資・円安・低金利に頼らない体質づくりを目指す
  • バリューエンジニアリング 188(1998年)田中雅康「瀬口龍一さん(日立建機)へのQ&A」
    • [46]昭和35年ごろハインリッツ博士の講演を機に日立製作所で VE を始め、亀有工場の担当に指名された。QC は現状改善、VE は変革・飛躍。修理業務のエキスパートシステム「ホームドクターシステム」をサービスVEとして推進。VE を全社的関心事にする必要。昨年のVE全国大会で「VE経営者賞」を受賞
    • [49]昭和35年ごろハインリッツ博士の講演を機に日立製作所で VE を始め、亀有工場の担当に指名された。QC は現状改善、VE は変革・飛躍。修理業務のエキスパートシステム「ホームドクターシステム」をサービスVEとして推進。VE を全社的関心事にする必要。昨年のVE全国大会で「VE経営者賞」を受賞
    • [50]昭和35年ごろハインリッツ博士の講演を機に日立製作所で VE を始め、亀有工場の担当に指名された。QC は現状改善、VE は変革・飛躍。修理業務のエキスパートシステム「ホームドクターシステム」をサービスVEとして推進。VE を全社的関心事にする必要。昨年のVE全国大会で「VE経営者賞」を受賞
    • [51]昭和35年ごろハインリッツ博士の講演を機に日立製作所で VE を始め、亀有工場の担当に指名された。QC は現状改善、VE は変革・飛躍。修理業務のエキスパートシステム「ホームドクターシステム」をサービスVEとして推進。VE を全社的関心事にする必要。昨年のVE全国大会で「VE経営者賞」を受賞

日立建機は1997年6月、インドネシアのP.T.ヘキシンドアディプルカサへ出資した。1998年10月には、カナダのダンプトラック会社である日立建機トラックの経営権を取った。このダンプ会社は2001年3月期の時点でユークリッド日立の名を持ち、リジッドダンプトラックを造り売る完全子会社になっていた。会社側は、鉱山向けの取り組みを強める策の一つとして同社を100%子会社にしたと説明した。大型油圧ショベルとダンプトラックを組にして売り、タイの発電会社から保守まで含めた大口の注文を得た。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えを揃えるため、南アフリカのベルとアーティキュレートダンプの販売提携も結んだ。超大型ショベルだけでは鉱山の掘削と運搬を一式で提案できず、運搬機を自前で持つことが大口受注の条件になったと思われる。

  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [52]1997年6月にインドネシアのP.T.ヘキシンドアディプルカサTbkへ出資、1998年10月にカナダの日立建機トラックLtd.の経営権を取得した
    • [53]1997年6月にインドネシアのP.T.ヘキシンドアディプルカサTbkへ出資、1998年10月にカナダの日立建機トラックLtd.の経営権を取得した
  • Hitachi Construction Machinery, Brief Announcement of Financial Statements (March 2001)
    • [54]Euclid-Hitachi Heavy Equipment Inc.(リジッドダンプトラックの製造販売)を鉱山強化策として100%子会社化。大型ショベルとダンプのパッケージ販売でタイの Electricity Generating Public Co. から大口受注。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えのため南アのベルとアーティキュレートダンプの販売提携
    • [55]Euclid-Hitachi Heavy Equipment Inc.(リジッドダンプトラックの製造販売)を鉱山強化策として100%子会社化。大型ショベルとダンプのパッケージ販売でタイの Electricity Generating Public Co. から大口受注。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えのため南アのベルとアーティキュレートダンプの販売提携
    • [56]Euclid-Hitachi Heavy Equipment Inc.(リジッドダンプトラックの製造販売)を鉱山強化策として100%子会社化。大型ショベルとダンプのパッケージ販売でタイの Electricity Generating Public Co. から大口受注。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えのため南アのベルとアーティキュレートダンプの販売提携
    • [57]Euclid-Hitachi Heavy Equipment Inc.(リジッドダンプトラックの製造販売)を鉱山強化策として100%子会社化。大型ショベルとダンプのパッケージ販売でタイの Electricity Generating Public Co. から大口受注。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えのため南アのベルとアーティキュレートダンプの販売提携
参考文献[39]-[57]
  • 実業往来 526(1996年)
    • [39]95年秋の中間決算で経常利益は61.6%減の4億5800万円。公共工事の遅れと円高(想定90円、実勢88円)。96年1月3日に油圧ショベルをフルモデルチェンジ(HPモード・排ガス対策型エンジン)、2月6日に超小旋回型ミニショベルLandyKid Muを発売
    • [40]95年秋の中間決算で経常利益は61.6%減の4億5800万円。公共工事の遅れと円高(想定90円、実勢88円)。96年1月3日に油圧ショベルをフルモデルチェンジ(HPモード・排ガス対策型エンジン)、2月6日に超小旋回型ミニショベルLandyKid Muを発売
    • [41]95年秋の中間決算で経常利益は61.6%減の4億5800万円。公共工事の遅れと円高(想定90円、実勢88円)。96年1月3日に油圧ショベルをフルモデルチェンジ(HPモード・排ガス対策型エンジン)、2月6日に超小旋回型ミニショベルLandyKid Muを発売
    • [42]95年秋の中間決算で経常利益は61.6%減の4億5800万円。公共工事の遅れと円高(想定90円、実勢88円)。96年1月3日に油圧ショベルをフルモデルチェンジ(HPモード・排ガス対策型エンジン)、2月6日に超小旋回型ミニショベルLandyKid Muを発売
  • 実業往来 538(1997年)
    • [43]96年の新機種は過去最高の67機種。11月に後方小旋回型Uシリーズを発売し、うち2機種はクボタからOEM供給。来期は反動減が懸念され、ニーズに沿った新製品で需要を広げるしかないとの会社側の見方
    • [44]96年の新機種は過去最高の67機種。11月に後方小旋回型Uシリーズを発売し、うち2機種はクボタからOEM供給。来期は反動減が懸念され、ニーズに沿った新製品で需要を広げるしかないとの会社側の見方
  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
    • [45]97年6月に社長就任(93年6月副社長)。GEのバリューエンジニアリングを亀有工場資材部時代にいち早く導入。70年の独立時に足立工場を閉じ土浦へ一本化する旗振り役、のち海外営業で20億円の海外売上高の拡大に奔走。公共投資・円安・低金利に頼らない体質づくりを目指す
    • [47]97年6月に社長就任(93年6月副社長)。GEのバリューエンジニアリングを亀有工場資材部時代にいち早く導入。70年の独立時に足立工場を閉じ土浦へ一本化する旗振り役、のち海外営業で20億円の海外売上高の拡大に奔走。公共投資・円安・低金利に頼らない体質づくりを目指す
    • [48]97年6月に社長就任(93年6月副社長)。GEのバリューエンジニアリングを亀有工場資材部時代にいち早く導入。70年の独立時に足立工場を閉じ土浦へ一本化する旗振り役、のち海外営業で20億円の海外売上高の拡大に奔走。公共投資・円安・低金利に頼らない体質づくりを目指す
  • バリューエンジニアリング 188(1998年)田中雅康「瀬口龍一さん(日立建機)へのQ&A」
    • [46]昭和35年ごろハインリッツ博士の講演を機に日立製作所で VE を始め、亀有工場の担当に指名された。QC は現状改善、VE は変革・飛躍。修理業務のエキスパートシステム「ホームドクターシステム」をサービスVEとして推進。VE を全社的関心事にする必要。昨年のVE全国大会で「VE経営者賞」を受賞
    • [49]昭和35年ごろハインリッツ博士の講演を機に日立製作所で VE を始め、亀有工場の担当に指名された。QC は現状改善、VE は変革・飛躍。修理業務のエキスパートシステム「ホームドクターシステム」をサービスVEとして推進。VE を全社的関心事にする必要。昨年のVE全国大会で「VE経営者賞」を受賞
    • [50]昭和35年ごろハインリッツ博士の講演を機に日立製作所で VE を始め、亀有工場の担当に指名された。QC は現状改善、VE は変革・飛躍。修理業務のエキスパートシステム「ホームドクターシステム」をサービスVEとして推進。VE を全社的関心事にする必要。昨年のVE全国大会で「VE経営者賞」を受賞
    • [51]昭和35年ごろハインリッツ博士の講演を機に日立製作所で VE を始め、亀有工場の担当に指名された。QC は現状改善、VE は変革・飛躍。修理業務のエキスパートシステム「ホームドクターシステム」をサービスVEとして推進。VE を全社的関心事にする必要。昨年のVE全国大会で「VE経営者賞」を受賞
  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
    • [52]1997年6月にインドネシアのP.T.ヘキシンドアディプルカサTbkへ出資、1998年10月にカナダの日立建機トラックLtd.の経営権を取得した
    • [53]1997年6月にインドネシアのP.T.ヘキシンドアディプルカサTbkへ出資、1998年10月にカナダの日立建機トラックLtd.の経営権を取得した
  • Hitachi Construction Machinery, Brief Announcement of Financial Statements (March 2001)
    • [54]Euclid-Hitachi Heavy Equipment Inc.(リジッドダンプトラックの製造販売)を鉱山強化策として100%子会社化。大型ショベルとダンプのパッケージ販売でタイの Electricity Generating Public Co. から大口受注。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えのため南アのベルとアーティキュレートダンプの販売提携
    • [55]Euclid-Hitachi Heavy Equipment Inc.(リジッドダンプトラックの製造販売)を鉱山強化策として100%子会社化。大型ショベルとダンプのパッケージ販売でタイの Electricity Generating Public Co. から大口受注。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えのため南アのベルとアーティキュレートダンプの販売提携
    • [56]Euclid-Hitachi Heavy Equipment Inc.(リジッドダンプトラックの製造販売)を鉱山強化策として100%子会社化。大型ショベルとダンプのパッケージ販売でタイの Electricity Generating Public Co. から大口受注。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えのため南アのベルとアーティキュレートダンプの販売提携
    • [57]Euclid-Hitachi Heavy Equipment Inc.(リジッドダンプトラックの製造販売)を鉱山強化策として100%子会社化。大型ショベルとダンプのパッケージ販売でタイの Electricity Generating Public Co. から大口受注。アジア・オセアニアの販売子会社の品揃えのため南アのベルとアーティキュレートダンプの販売提携

1983年〜2000年の業績

決算期 区分 売上高 経常利益純利益 主な投資
億円 YoY 億円 億円 利益率
1983年03月期 単体 1,091 n/a 36 19 1.7% n/a
1984年03月期 単体 1,139 +4.4% 28 11 1.0% n/a
1985年03月期 単体 1,331 +16.9% 58 20 1.5% n/a
1986年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1987年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1988年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1989年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1990年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1991年03月期 単体 n/a n/a n/a n/a n/a n/a
1992年03月期 連結 2,555 n/a n/a 0 0.0% n/a
1993年03月期 連結 2,377 ▲7.0% n/a ▲9 ▲0.4% n/a
1994年03月期 連結 2,385 +0.3% n/a ▲21 ▲0.9% n/a
1995年03月期 連結 2,710 +13.6% n/a 39 1.4% n/a
1996年03月期 連結 2,819 +4.0% n/a 22 0.8% n/a
1997年03月期 連結 3,078 +9.2% n/a 33 1.1% n/a
1998年03月期 連結 3,014 ▲2.1% n/a 15 0.5% n/a
1999年03月期 連結 2,918 ▲3.2% n/a 18 0.6% n/a
2000年03月期 連結 3,201 +9.7% n/a 15 0.5% n/a

出所:会社年鑑

出典・参考

12件
出典・参考
  • 日立建機 有価証券報告書 第44期(2008年3月期)【役員の状況】
  • 日立建機 有価証券報告書 第61期(2025年3月期)【沿革】
  • 日経ビジネス 1989年4月10日号
  • 日経ビジネス 1997年9月22日号
  • 証券調査 216(1988年)「工場見学記 日立建機 土浦工場」
  • 実業往来 443(1989年)
  • 産業と経済 44(4)(1990年)
  • 実業往来 476(1992年)
  • 実業往来 526(1996年)
  • 実業往来 538(1997年)
  • バリューエンジニアリング 188(1998年)田中雅康「瀬口龍一さん(日立建機)へのQ&A」
  • Hitachi Construction Machinery, Brief Announcement of Financial Statements (March 2001)

免責事項およびポリシー