三洋化成工業:三洋油脂工業の設立と総合研究所の稼働
1949年〜京都工場を継いだ資本金400万円の油脂会社と、国産初の非イオン系活性剤「サファノール」
三洋油脂工業は1949年11月1日、資本金400万円・従業員123名で京都に発足した。前身の三洋油脂は1943年3月に三井物産と東洋レーヨンの折半出資で設立され、主に航空機用潤滑油をつくった。戦後の三洋油脂は京都と名古屋の2工場で2社に分かれ、京都工場を継いだのが三洋油脂工業、名古屋工場を継いだのが三洋化学。当時の繊維業界は統制期を抜けて自由競争へ移る段にあり、合成繊維の開発は1948年策定の政府の復興5カ年計画に組み込まれた。社長の柴崎繁次郎氏のもとで、三洋油脂工業は大阪合同の油脂部化学工場から引き継いだ技術と設備を生かし、繊維向けの界面活性剤に絞って出発した。最初の重点製品は化繊紡績用油剤「ソフトポール」と羊毛紡績用油剤「ウールミン」である。
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- [1]1949年11月1日、三洋油脂が京都工場を継ぐ三洋油脂工業と名古屋工場を継ぐ三洋化学に分離。資本金400万円・従業員123名、社長は柴崎繁次郎
- [3]1949年11月1日、三洋油脂が京都工場を継ぐ三洋油脂工業と名古屋工場を継ぐ三洋化学に分離。資本金400万円・従業員123名、社長は柴崎繁次郎
- [4]設立時の繊維業界は統制から自由競争へ移行期。合成繊維開発は1948年の政府復興5カ年計画に組み入れ。大阪合同油脂部化学工場以来の技術・設備で繊維工業用界面活性剤専門メーカーとして出発
- [5]設立時の繊維業界は統制から自由競争へ移行期。合成繊維開発は1948年の政府復興5カ年計画に組み入れ。大阪合同油脂部化学工場以来の技術・設備で繊維工業用界面活性剤専門メーカーとして出発
- [6]当初は化繊紡績用油剤「ソフトポール」と羊毛紡績用油剤「ウールミン」の生産・販売に重点
- 日本企業要覧 1964年版「三洋化成工業」
- [2]前身の三洋油脂は1943年に三井物産・東洋レーヨンの折半出資で設立、主に航空機用潤滑油を製造。終戦で解体し1949年11月に再出発
三洋油脂工業は1950年7月、非イオン系柔軟平滑剤「サファノール」(旧名サファミン)の創製に成功した。社史は、これを日本で最初に国産化された非イオン系界面活性剤と位置づけている。1968年刊の企業史も、1950年の非イオン系繊維用仕上剤の開発で会社の基礎が固まったと記した。ペンタエリスリトール脂肪酸エステル系のサファノールの用途は人絹糸の柔軟平滑剤や各種繊維の仕上剤、採用先は化繊・紡績・加工の各業界。1951年ごろから国内で合成繊維の本格生産が始まると、サファノールと改良品は紡糸・紡績の油剤としても需要を得た。製造特許を1951年10月、使用特許を1953年5月に取得し、1951年末にはカチオン系の合成繊維用柔軟仕上剤も製品化した。
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- [7]1950年7月、非イオン系柔軟平滑剤「サファノール(旧名サファミン)」の創製に成功
- [8]サファノールは国内初の国産非イオン系界面活性剤。ペンタエリスリトール脂肪酸エステル系で人絹糸の柔軟平滑剤・各種繊維の仕上剤として化繊・紡績・繊維加工業界に普及し創設期の業績に寄与
- [10]サファノールは国内初の国産非イオン系界面活性剤。ペンタエリスリトール脂肪酸エステル系で人絹糸の柔軟平滑剤・各種繊維の仕上剤として化繊・紡績・繊維加工業界に普及し創設期の業績に寄与
- [11]1951年ごろから合成繊維の本格生産が始まり、サファノールと改良品が紡糸・紡績用油剤として好評
- [12]1951年10月サファノールの製造特許、1953年5月使用特許を取得。1951年末にカチオン系合成繊維用柔軟仕上剤を製品化
- 『企業の歴史(明治百年)』1968年「三洋化成工業」
- [9]1950年に国内初の非イオン系繊維用仕上剤を開発し、これで基礎が固まった
創設期の三洋油脂工業は、海外油脂原料の暴落、ドッジラインによる財政金融の締め付け、朝鮮動乱後の政府のデフレ政策に相次いで直面した。社長は1950年10月に柴崎繁次郎氏から芳賀金六氏へ交代。生産では1951年に品質管理手法を採用し、木造の工場を鉄骨造へ改めて、1951年と1953年の2度にわたり設備を合理化した。資本金は1950年1月に1,500万円、1953年5月に3,000万円、1954年3月に6,000万円と増資を重ねた。1954年には、アルキルフェノールにエチレンオキサイドを付加した非イオン系の活性剤を開発し、品目に加えた。原料価格の振れが大きい時期に、まず工場の品質と効率を整えたことが資本の積み増しを可能にしたのだろう。
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- [13]創立期にドッジラインの財政金融引き締め、海外油脂原料の暴落、朝鮮事変後の政府デフレ政策に遭遇
- [14]1950年10月5日、柴崎繁次郎の辞任に伴い芳賀金六が代表取締役に就任
- [15]1951年に品質管理手法を採用し工場内に品質管理係を設置。1952年6月に品質管理専任者を配置
- [16]木造工場を鉄骨造に改築。1951年に第一次、1953年に第二次の生産設備合理化
- [17]資本金を1950年1月1,500万円、1953年5月3,000万円、1954年3月6,000万円に増資
- 『企業の歴史(明治百年)』1968年「三洋化成工業」
- [18]1954年にアルキルフェノールエチレンオキサイド系非イオン界面活性剤を開発
参考文献[1]-[18]
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- [1]1949年11月1日、三洋油脂が京都工場を継ぐ三洋油脂工業と名古屋工場を継ぐ三洋化学に分離。資本金400万円・従業員123名、社長は柴崎繁次郎
- [3]1949年11月1日、三洋油脂が京都工場を継ぐ三洋油脂工業と名古屋工場を継ぐ三洋化学に分離。資本金400万円・従業員123名、社長は柴崎繁次郎
- [4]設立時の繊維業界は統制から自由競争へ移行期。合成繊維開発は1948年の政府復興5カ年計画に組み入れ。大阪合同油脂部化学工場以来の技術・設備で繊維工業用界面活性剤専門メーカーとして出発
- [5]設立時の繊維業界は統制から自由競争へ移行期。合成繊維開発は1948年の政府復興5カ年計画に組み入れ。大阪合同油脂部化学工場以来の技術・設備で繊維工業用界面活性剤専門メーカーとして出発
- [6]当初は化繊紡績用油剤「ソフトポール」と羊毛紡績用油剤「ウールミン」の生産・販売に重点
- [7]1950年7月、非イオン系柔軟平滑剤「サファノール(旧名サファミン)」の創製に成功
- [8]サファノールは国内初の国産非イオン系界面活性剤。ペンタエリスリトール脂肪酸エステル系で人絹糸の柔軟平滑剤・各種繊維の仕上剤として化繊・紡績・繊維加工業界に普及し創設期の業績に寄与
- [10]サファノールは国内初の国産非イオン系界面活性剤。ペンタエリスリトール脂肪酸エステル系で人絹糸の柔軟平滑剤・各種繊維の仕上剤として化繊・紡績・繊維加工業界に普及し創設期の業績に寄与
- [11]1951年ごろから合成繊維の本格生産が始まり、サファノールと改良品が紡糸・紡績用油剤として好評
- [12]1951年10月サファノールの製造特許、1953年5月使用特許を取得。1951年末にカチオン系合成繊維用柔軟仕上剤を製品化
- [13]創立期にドッジラインの財政金融引き締め、海外油脂原料の暴落、朝鮮事変後の政府デフレ政策に遭遇
- [14]1950年10月5日、柴崎繁次郎の辞任に伴い芳賀金六が代表取締役に就任
- [15]1951年に品質管理手法を採用し工場内に品質管理係を設置。1952年6月に品質管理専任者を配置
- [16]木造工場を鉄骨造に改築。1951年に第一次、1953年に第二次の生産設備合理化
- [17]資本金を1950年1月1,500万円、1953年5月3,000万円、1954年3月6,000万円に増資
- 日本企業要覧 1964年版「三洋化成工業」
- [2]前身の三洋油脂は1943年に三井物産・東洋レーヨンの折半出資で設立、主に航空機用潤滑油を製造。終戦で解体し1949年11月に再出発
- 『企業の歴史(明治百年)』1968年「三洋化成工業」
- [9]1950年に国内初の非イオン系繊維用仕上剤を開発し、これで基礎が固まった
- [18]1954年にアルキルフェノールエチレンオキサイド系非イオン界面活性剤を開発
1955年〜米ナイノール社との技術提携で出た繊維の外と、本社西側の3階建て綜合研究所
三洋油脂工業は1955年までに繊維工業用界面活性剤で国内首位の地位を得て、繊維以外の用途へ製品分野を広げる方針に転じた。同年5月に芳賀金六氏の辞任を受けて吉村正利氏が代表取締役社長に就任し、1968年時点でも在任した。繊維の外への第一手が、1956年4月に米国NINOL LABORATORY INC.の技術で国産化した農薬乳化剤「トキシマル」である。並行して自社技術で農薬乳化剤「トキサノン」を創製し、2製品は国内に加えて中国・台湾・東南アジアへも輸出された。同じ1956年には家庭用洗剤の将来性に着目し、国内初の台所用中性洗剤を創製した。1957年には米国FINE ORGANICS INC.から逆性石けん「ジアミトール」の技術を導入し、製薬業界へ販路を開いた。
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- [19]1955年までに繊維工業用界面活性剤で国内トップメーカーの地位を確立し、以後は繊維以外の用途の界面活性剤・有機合成薬品・石油化学製品への進出を図る
- [20]1955年5月26日、芳賀金六の辞任に伴い吉村正利が代表取締役社長に就任
- [22]1956年4月、米NINOL LABORATORY INC.から農薬乳化剤「トキシマル」の技術を導入し国産化
- [23]自社技術で農薬乳化剤「トキサノン」を創製。農薬乳化剤は国内のほか中国・台湾・東南アジアへ輸出
- [24]1956年、家庭用洗剤の将来性に着目し国内初の台所用中性洗剤を創製
- [25]1957年、米FINE ORGANICS INC.と技術提携し逆性石けん「ジアミトール」を国産化、製薬業界に販路
- 『企業の歴史(明治百年)』1968年「三洋化成工業」
- [21]1968年時点の社長は吉村正利
三洋油脂工業は1956年8月、萌芽期の石油化学工業が今後伸びると予測し、自社が開拓すべき新分野を探るため国内の実態調査を始めた。界面活性剤の原料となるノニルフェノールの技術の導入先は、米国ジェファーソン社である。1958年9月には、ポリプロピレングリコールとポリエチレングリコールで石油化学製品に参入する具体案がまとまった。その中身は、川崎市千鳥町の日本石油化学コンビナート内での専門工場の建設計画である。1959年5月にはノニルフェノールの工業化に国内で初めて成功し、京都工場に月産30トンのプラントを建てた。川崎の新工場は1960年9月に建設され、両グリコールの国産化を担った。
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- [26]1956年8月、石油化学分野への進出を考え国内石油化学工業の実態調査を開始。萌芽期の石油化学工業の将来発展を予測し開拓すべき新分野を調査
- [27]米JEFFERSON CHEMICAL COMPANYから「ノニルフェノール」の技術を導入
- [29]1958年9月、石油化学製品分野への進出の具体案がまとまり、川崎市千鳥町の日本石油化学コンビナート内に専門工場の建設を計画
- [30]1958年9月、石油化学製品分野への進出の具体案がまとまり、川崎市千鳥町の日本石油化学コンビナート内に専門工場の建設を計画
- [31]1959年5月、ノニルフェノールを国内で初めて工業化し、京都工場に月30トンのプラントを建設
- 日本企業要覧 1964年版「三洋化成工業」
- [28]米ジェファーソン社から技術を導入しノニルフェノールの国産化に着手。1960年9月に川崎市に新工場を建設しポリプロピレングライコール・ポリエチレングライコールを国産化
- [32]米ジェファーソン社から技術を導入しノニルフェノールの国産化に着手。1960年9月に川崎市に新工場を建設しポリプロピレングライコール・ポリエチレングライコールを国産化
三洋油脂工業は1959年10月、京都の本社西側に3階建ての綜合研究所を建て、最新の実験用機器と多数の研究技術者を置いた。同じ1959年には沈降促進剤「サンフロック」、家庭用合成洗剤「グラン」、防燃剤「サンフレーム」を製品化した。社史が1955年から1959年の事業拡大の要因に挙げるのは研究陣の充実と生産設備の増設・合理化で、1960年以降の発展の基礎という位置づけである。管理面では1956年にコントローラーシステムと事務管理制度を取り入れ、直接原価計算制度も導入した。資本金は1959年4月に12,000万円となり、設立時の30倍にあたる。石油化学へ参入する直前に研究の拠点を1か所にまとめたことが、1960年代の新製品の開発を支えたと推察される。
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- [33]1959年10月、本社西側に3階建の綜合研究所を建設し最新の実験用機器と多数の研究技術者を配置
- [35]1959年に防燃剤「サンフレーム」、沈降促進剤「サンフロック」、家庭用合成洗剤「グラン」を製品化
- [36]1955〜1959年の事業進出と製品化の基礎は研究陣の充実と生産設備の増設・合理化、経営革新策によると総括し、1960年以降の発展の基礎と位置づけ
- [37]1956年にコントローラーシステム・事務管理制度を導入、直接原価計算制度も導入
- [38]1959年4月1日、資本金12,000万円に増資(設立時の30倍)
- 日本企業要覧 1964年版「三洋化成工業」
- [34]1959年10月、京都本社内に総合研究所を新設
参考文献[19]-[38]
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- [19]1955年までに繊維工業用界面活性剤で国内トップメーカーの地位を確立し、以後は繊維以外の用途の界面活性剤・有機合成薬品・石油化学製品への進出を図る
- [20]1955年5月26日、芳賀金六の辞任に伴い吉村正利が代表取締役社長に就任
- [22]1956年4月、米NINOL LABORATORY INC.から農薬乳化剤「トキシマル」の技術を導入し国産化
- [23]自社技術で農薬乳化剤「トキサノン」を創製。農薬乳化剤は国内のほか中国・台湾・東南アジアへ輸出
- [24]1956年、家庭用洗剤の将来性に着目し国内初の台所用中性洗剤を創製
- [25]1957年、米FINE ORGANICS INC.と技術提携し逆性石けん「ジアミトール」を国産化、製薬業界に販路
- [26]1956年8月、石油化学分野への進出を考え国内石油化学工業の実態調査を開始。萌芽期の石油化学工業の将来発展を予測し開拓すべき新分野を調査
- [27]米JEFFERSON CHEMICAL COMPANYから「ノニルフェノール」の技術を導入
- [29]1958年9月、石油化学製品分野への進出の具体案がまとまり、川崎市千鳥町の日本石油化学コンビナート内に専門工場の建設を計画
- [30]1958年9月、石油化学製品分野への進出の具体案がまとまり、川崎市千鳥町の日本石油化学コンビナート内に専門工場の建設を計画
- [31]1959年5月、ノニルフェノールを国内で初めて工業化し、京都工場に月30トンのプラントを建設
- [33]1959年10月、本社西側に3階建の綜合研究所を建設し最新の実験用機器と多数の研究技術者を配置
- [35]1959年に防燃剤「サンフレーム」、沈降促進剤「サンフロック」、家庭用合成洗剤「グラン」を製品化
- [36]1955〜1959年の事業進出と製品化の基礎は研究陣の充実と生産設備の増設・合理化、経営革新策によると総括し、1960年以降の発展の基礎と位置づけ
- [37]1956年にコントローラーシステム・事務管理制度を導入、直接原価計算制度も導入
- [38]1959年4月1日、資本金12,000万円に増資(設立時の30倍)
- 『企業の歴史(明治百年)』1968年「三洋化成工業」
- [21]1968年時点の社長は吉村正利
- 日本企業要覧 1964年版「三洋化成工業」
- [28]米ジェファーソン社から技術を導入しノニルフェノールの国産化に着手。1960年9月に川崎市に新工場を建設しポリプロピレングライコール・ポリエチレングライコールを国産化
- [32]米ジェファーソン社から技術を導入しノニルフェノールの国産化に着手。1960年9月に川崎市に新工場を建設しポリプロピレングライコール・ポリエチレングライコールを国産化
- [34]1959年10月、京都本社内に総合研究所を新設
出典・参考
3件
- 三洋化成工業『三洋化成15年のあゆみ』1964年
- 『企業の歴史(明治百年)』1968年「三洋化成工業」
- 日本企業要覧 1964年版「三洋化成工業」