日立化成:日立製作所の化学部門から独立した日立化成工業の設立
1962年〜日立向けが売上げの半分だった化学部門と、浴槽「日立ホームバス」
日立製作所は1962年9月29日、化学製品部門を分離して独立の会社とする方針を社内外に公表した。日立化成工業は同年10月10日に設立登記を済ませ、1963年4月1日に営業を始めた。日立製作所から山崎工場・下館工場などの営業を譲り受け、系列の日立化工を吸収合併した。1960年6月の貿易・為替自由化計画大綱が1963年の自由化率80%を示し、企業は国際競争への備えを迫られていた。日立製作所には原材料部門を独立会社として機動的に運営する方針があり、日立金属・日立電線に続く3番目の分離にあたる。初代社長には日立製作所常務取締役の藤久保三四郎氏が就任した。1962年度の化学製品部門は売上高93億1,800万円・従業員3,629名を抱えながらの赤字。分離には、赤字部門に独立採算を課す狙いも含まれていたと推察される。
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」
- [1]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [2]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [3]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [4]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [6]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [7]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- 証券 22(10)(259) 1970年10月号(新規上場会社紹介)
- [5]設立理由は原材料供給部門を分離独立させる日立製作所の経営方針と機動的経営の必要。日立金属・日立電線に次ぐ3番目の分離独立会社
発足時の製品は産業材料が中心で、売上げのほぼ半分を日立製作所1社に依存していた。業績が電機業界の景気に左右されるため、藤久保三四郎氏は個人消費に根ざす最終製品への進出を決めた。着目したのは内風呂の普及で、下館工場は1961年に取得した型締力2,200tの射出成形機を使い、同年10月から浴槽の開発に着手した。耐熱性ポリスチレンの試作品は強度が足りず、チッソ石油化学のポリプロピレンに材料を改めて1963年12月に完成させたのが、「日立ホームバス」である。1966年6月には回転円板ばっ気式の家庭用浄化槽の量産も始めた。販売面では浴槽店を組織し、浄化槽と太陽熱温水器には日立製作所のポンプの販売経路を活用。日立製作所への売上依存度は、1967年9月期の25.6%から1970年3月期に18.1%へ低下した。
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第2節「個人消費分野の開拓」
- [8]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- [9]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- [10]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- [11]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- [12]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第3節「営業活動の強化」
- [13]住宅機器は浴槽店の組織化、浄化槽・太陽熱温水器は日立製作所のポンプルートを活用
- 証券 22(10)(259) 1970年10月号(新規上場会社紹介)
- [14]日立製作所への依存度は昭42.9期25.6%から昭45.3期18.1%へ低下(住宅関連部門の伸長による)
営業開始直後の1963年上期、日立化成工業は9,200万円の欠損を計上した。赤字の中心は下館工場で、同期に1億8,800万円の赤字を出し、山崎工場・鮎川工場の黒字でも埋めきれなかった。1963年下期に黒字化を果たすと、藤久保三四郎氏は1965年12月に無機・有機・成形・部品の4事業部による事業部制を採用した。製品が原材料から最終製品まで広がり、生産と販売の方法が製品ごとに違っていたため、本社による一括管理が難しいことが、その理由である。赤字のコンデンサ部門は1965年4月に神奈川分工場を分離し、上場会社の安中電気精機と合併させて業界第3位の日立コンデンサとした。企業の大型倒産が続いた1965年の不況期も、日立化成工業は小幅ながら黒字の決算を保った。部門ごとに責任者を置く体制が、赤字部門の所在を明らかにしたのだろう。
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 章冒頭
- [15]1963年上期9,200万円の欠損、同年下期黒字転換、40年不況をわずかな黒字決算で克服
- [20]1963年上期9,200万円の欠損、同年下期黒字転換、40年不況をわずかな黒字決算で克服
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第4節「不況期こそ飛躍への好機」
- [16]1965年12月事業部制採用(無機・有機・成形・部品の4事業部)。1965年4月日立コンデンサ設立、安中電気精機と合併し業界第3位。1963年上期の下館工場赤字1億8,800万円
- [17]1965年12月事業部制採用(無機・有機・成形・部品の4事業部)。1965年4月日立コンデンサ設立、安中電気精機と合併し業界第3位。1963年上期の下館工場赤字1億8,800万円
- [18]1965年12月事業部制採用(無機・有機・成形・部品の4事業部)。1965年4月日立コンデンサ設立、安中電気精機と合併し業界第3位。1963年上期の下館工場赤字1億8,800万円
- [19]1965年12月事業部制採用(無機・有機・成形・部品の4事業部)。1965年4月日立コンデンサ設立、安中電気精機と合併し業界第3位。1963年上期の下館工場赤字1億8,800万円
参考文献[1]-[20]
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」
- [1]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [2]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [3]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [4]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [6]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- [7]1962年9月29日に化学製品部門の分離を発表、10月10日設立登記、1963年4月1日営業開始。貿易・為替自由化計画大綱、1962年度売上高93億1,800万円・従業員3,629名で赤字、社長に藤久保三四郎常務
- 証券 22(10)(259) 1970年10月号(新規上場会社紹介)
- [5]設立理由は原材料供給部門を分離独立させる日立製作所の経営方針と機動的経営の必要。日立金属・日立電線に次ぐ3番目の分離独立会社
- [14]日立製作所への依存度は昭42.9期25.6%から昭45.3期18.1%へ低下(住宅関連部門の伸長による)
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第2節「個人消費分野の開拓」
- [8]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- [9]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- [10]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- [11]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- [12]日立製作所向けが売上げの半分近く。2,200t射出成形機で1961年10月浴槽開発着手、ポリプロピレン採用で1963年12月「日立ホームバス」。1966年6月家庭用浄化槽量産
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第3節「営業活動の強化」
- [13]住宅機器は浴槽店の組織化、浄化槽・太陽熱温水器は日立製作所のポンプルートを活用
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 章冒頭
- [15]1963年上期9,200万円の欠損、同年下期黒字転換、40年不況をわずかな黒字決算で克服
- [20]1963年上期9,200万円の欠損、同年下期黒字転換、40年不況をわずかな黒字決算で克服
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第4節「不況期こそ飛躍への好機」
- [16]1965年12月事業部制採用(無機・有機・成形・部品の4事業部)。1965年4月日立コンデンサ設立、安中電気精機と合併し業界第3位。1963年上期の下館工場赤字1億8,800万円
- [17]1965年12月事業部制採用(無機・有機・成形・部品の4事業部)。1965年4月日立コンデンサ設立、安中電気精機と合併し業界第3位。1963年上期の下館工場赤字1億8,800万円
- [18]1965年12月事業部制採用(無機・有機・成形・部品の4事業部)。1965年4月日立コンデンサ設立、安中電気精機と合併し業界第3位。1963年上期の下館工場赤字1億8,800万円
- [19]1965年12月事業部制採用(無機・有機・成形・部品の4事業部)。1965年4月日立コンデンサ設立、安中電気精機と合併し業界第3位。1963年上期の下館工場赤字1億8,800万円
1966年〜下館工場の銅張積層板・印刷配線板と、東証・大証二部への上場
1966年から1969年にかけて日本の電子工業の生産額は1兆1,000億円から2兆7,000億円へ増え、カラーテレビや電子式卓上計算機は印刷配線板を使った。その基板の銅張積層板は、前身の多賀工場絶材部門が1954年10月に試作し、1955年4月に製造を始めた製品である。日立化成工業は1966年11月に下館工場へ高速横形塗工機を入れ、1969年にはエポキシ樹脂系の専用ラインも新設。材料の開発で先行するため配線板の加工にも参入し、1967年3月に多層配線板、同年6月にCC-4法の印刷配線板を量産に移した。銅張積層板は1969年に全国生産量の32%を占め、業界首位となった。配線板の工程を社内に持ったことが、顧客の加工条件に合う材料の開発を速めたとみられる。
- 日立化成工業社史1(1982) 2章「多角的な躍進」 第1節
- [21]電子工業生産額1966年1兆1,000億円→1969年2兆7,000億円。1966年11月高速横形塗工機、1969年5月エポキシ系専用ライン。1967年3月多層配線板、6月CC-4配線板量産。1969年銅張積層板は全国生産量の32%
- [23]電子工業生産額1966年1兆1,000億円→1969年2兆7,000億円。1966年11月高速横形塗工機、1969年5月エポキシ系専用ライン。1967年3月多層配線板、6月CC-4配線板量産。1969年銅張積層板は全国生産量の32%
- [24]電子工業生産額1966年1兆1,000億円→1969年2兆7,000億円。1966年11月高速横形塗工機、1969年5月エポキシ系専用ライン。1967年3月多層配線板、6月CC-4配線板量産。1969年銅張積層板は全国生産量の32%
- [25]電子工業生産額1966年1兆1,000億円→1969年2兆7,000億円。1966年11月高速横形塗工機、1969年5月エポキシ系専用ライン。1967年3月多層配線板、6月CC-4配線板量産。1969年銅張積層板は全国生産量の32%
- 日立化成工業社史1(1982) はじめに(前史)
- [22]多賀工場絶材部門が1954年10月に銅張積層板を試作、1955年4月製造開始
1967年の第1次資本自由化、1968年の技術導入の自由化を受け、日立化成工業は合弁で部門ごとの競争力を高めた。松戸工場の粉末冶金部門は日本鉱業系の日本含油合金と統合し、1968年8月に日立粉末冶金を設立した。接着剤では米国ユナイテッド・シュー・マシナリ社とボスチックジャパンを、ガラス長繊維では日本無機繊維工業と富士ファイバーグラスを合弁で設けた。アルキルフェノールを企業化したのは、丸善石油との合弁の五井化成である。こうした合弁と分社を重ね、藤久保三四郎氏の在任中に日立化成グループの輪郭が形づくられた。1970年3月期の販売先に占める関係会社向けの比率は38.6%である。提携相手の技術と市場を取り込むには、社内の一部門より専業の会社のほうが動きやすいと判断したと思われる。
- 日立化成工業社史1(1982) 2章「多角的な躍進」 第5節「合弁事業の展開」
- [26]資本自由化・技術導入自由化を受け合弁展開。粉末冶金部門を日本含油合金と統合し日立粉末冶金設立(関係会社一覧で設立43年8月)、ボスチックジャパン、富士ファイバーグラス、五井化成
- [27]資本自由化・技術導入自由化を受け合弁展開。粉末冶金部門を日本含油合金と統合し日立粉末冶金設立(関係会社一覧で設立43年8月)、ボスチックジャパン、富士ファイバーグラス、五井化成
- [28]資本自由化・技術導入自由化を受け合弁展開。粉末冶金部門を日本含油合金と統合し日立粉末冶金設立(関係会社一覧で設立43年8月)、ボスチックジャパン、富士ファイバーグラス、五井化成
- [29]資本自由化・技術導入自由化を受け合弁展開。粉末冶金部門を日本含油合金と統合し日立粉末冶金設立(関係会社一覧で設立43年8月)、ボスチックジャパン、富士ファイバーグラス、五井化成
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第1節
- [30]藤久保社長は日立化成グループの形成を含めた積極的な事業の拡大を推進
- 証券 22(10)(259) 1970年10月号(新規上場会社紹介)
- [31]販売先の関係会社向けが38.6%
日立化成工業は1970年10月1日、東京・大阪両証券取引所の市場第二部に上場した。上場前の株式の99.9%は日立製作所の保有である。住宅機器への進出に加え、結城工場・五井工場の建設と合弁事業の展開で所要資金が膨らみ、新たな調達の経路が要った。上場と同時に公募価格160円の時価発行で8億円を増資し、25億6,000万円を調達して資本金を33億円とした。この時価発行増資は日立グループで初めての例である。1971年8月には市場第一部へ昇格し、1972年9月に総額25億円の転換社債を発行した。自己資本比率は1969年3月末の14%から、1973年9月末には21.6%へ戻った。親会社の資金に依存しない調達手段を持ったことで、設備の拡張を自社の判断で進める余地が広がった。
- 証券 22(10)(259) 1970年10月号(新規上場会社紹介)
- [32]上場年月日1970年10月1日(東証・大証二部)、上場前株主は日立製作所99.9%
- [33]上場年月日1970年10月1日(東証・大証二部)、上場前株主は日立製作所99.9%
- 日立化成工業社史1(1982) 3章「高度経営の追求」 第1節「経営の公開」
- [34]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
- [35]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
- [36]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
- [37]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
- [38]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
参考文献[21]-[38]
- 日立化成工業社史1(1982) 2章「多角的な躍進」 第1節
- [21]電子工業生産額1966年1兆1,000億円→1969年2兆7,000億円。1966年11月高速横形塗工機、1969年5月エポキシ系専用ライン。1967年3月多層配線板、6月CC-4配線板量産。1969年銅張積層板は全国生産量の32%
- [23]電子工業生産額1966年1兆1,000億円→1969年2兆7,000億円。1966年11月高速横形塗工機、1969年5月エポキシ系専用ライン。1967年3月多層配線板、6月CC-4配線板量産。1969年銅張積層板は全国生産量の32%
- [24]電子工業生産額1966年1兆1,000億円→1969年2兆7,000億円。1966年11月高速横形塗工機、1969年5月エポキシ系専用ライン。1967年3月多層配線板、6月CC-4配線板量産。1969年銅張積層板は全国生産量の32%
- [25]電子工業生産額1966年1兆1,000億円→1969年2兆7,000億円。1966年11月高速横形塗工機、1969年5月エポキシ系専用ライン。1967年3月多層配線板、6月CC-4配線板量産。1969年銅張積層板は全国生産量の32%
- 日立化成工業社史1(1982) はじめに(前史)
- [22]多賀工場絶材部門が1954年10月に銅張積層板を試作、1955年4月製造開始
- 日立化成工業社史1(1982) 2章「多角的な躍進」 第5節「合弁事業の展開」
- [26]資本自由化・技術導入自由化を受け合弁展開。粉末冶金部門を日本含油合金と統合し日立粉末冶金設立(関係会社一覧で設立43年8月)、ボスチックジャパン、富士ファイバーグラス、五井化成
- [27]資本自由化・技術導入自由化を受け合弁展開。粉末冶金部門を日本含油合金と統合し日立粉末冶金設立(関係会社一覧で設立43年8月)、ボスチックジャパン、富士ファイバーグラス、五井化成
- [28]資本自由化・技術導入自由化を受け合弁展開。粉末冶金部門を日本含油合金と統合し日立粉末冶金設立(関係会社一覧で設立43年8月)、ボスチックジャパン、富士ファイバーグラス、五井化成
- [29]資本自由化・技術導入自由化を受け合弁展開。粉末冶金部門を日本含油合金と統合し日立粉末冶金設立(関係会社一覧で設立43年8月)、ボスチックジャパン、富士ファイバーグラス、五井化成
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第1節
- [30]藤久保社長は日立化成グループの形成を含めた積極的な事業の拡大を推進
- 証券 22(10)(259) 1970年10月号(新規上場会社紹介)
- [31]販売先の関係会社向けが38.6%
- [32]上場年月日1970年10月1日(東証・大証二部)、上場前株主は日立製作所99.9%
- [33]上場年月日1970年10月1日(東証・大証二部)、上場前株主は日立製作所99.9%
- 日立化成工業社史1(1982) 3章「高度経営の追求」 第1節「経営の公開」
- [34]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
- [35]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
- [36]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
- [37]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
- [38]所要資金増大で上場。公募価額160円の時価発行で8億円増資・25億6,000万円調達・資本金33億円、日立グループ初。翌年8月一部昇格、1972年9月転換社債25億円、自己資本比率14%→21.6%
1974年〜製品転換計画で届いた分立以来の最高益と、横山亮次社長の電子材料強化
1974年11月、藤久保三四郎氏は代表取締役会長に移り、前年に日立製作所常務取締役から副社長に迎えた高木正氏が社長に就任した。同年度の日本経済は戦後初のマイナス成長となり、日立化成工業の売上高は一時4割減り、工場の稼働率も平常時の3分の1ないし半分の水準にとどまった。1975年3月期の経常損益は7億円の赤字である。高木正氏は就任時に『企業は不況時にこそ優劣の差がつくといわれており、今こそ企業体質を強化するチャンスともいえる。』と全社に呼びかけた。人員整理は避け、外注していた配送・梱包・成形仕上げの作業を系列会社へ移管し、約740名の社員を出向させた。部課の縮減と不要不急の資産の処分も並行させ、人員面の軽量化は1974年下期のうちにほぼ終えた。
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第1節「社長交代」・第2節「第1次石油危機と軽量経営の推進」
- [39]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- [40]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- [42]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- [43]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- [44]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- 会社年鑑(1976年版) 日立化成工業
- [41]1975年3月期 経常利益-7億円(半期合算)
高度成長の間は製品分野の広さを強みとしてきたものの、低成長に入ると分野ごとのシェア争いが激しくなった。高木正氏のもとで日立化成工業は製品群を110系列に分け、基幹製品から縮小・撤退製品までの5区分に格付けした。1976年4月には製品転換推進センタを置き、赤字製品ごとに拡充・現状維持・撤退の方向を定めた。1977年に策定した第1次中期経営計画の中心は、エレクトロニクス・自動車関連などへの償却を大きく上回る設備投資である。建材の一部やレジャー用品は系列会社へ移管するか、市場から撤退した。1979年度の売上高は1,490億円、当期利益は21億5,500万円で、いずれも過去最高である。1980年3月期の経常利益は51億円で、前期の41億円を上回った。
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第3節「効率経営の推進」
- [45]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- [46]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- [47]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- [48]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- [49]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- 日立化成工業社史1(1982) 5章「新たな発展をめざして」 第1節
- [50]1979年度売上高1,490億円・当期利益21億5,500万円で過去最高、第1次中期経営計画達成
- 会社年鑑(1986年版) 日立化成工業
- [51]経常利益 1979年3月期41億円、1980年3月期51億円
1981年6月、高木正氏は代表取締役会長に移り、専務取締役の横山亮次氏が社長に就任した。横山亮次氏は他社に先がけた新製品・新用途の開発を筆頭とする4大方針を掲げ、高木正氏の施策を引き継ぐと述べた。日立化成工業は1979年2月に電子材料事業部を設け、下館工場の樹脂・積層・配線板部門と桜川工場の電子部品を統合していた。電子材料部門の売上高は1975年度の177億円から1981年度には432億円で、全社売上高の26%にあたる。1983年2月、営業本部副技師長の青柳全氏はIC向けの有機材料としてエポキシ封止材・耐熱コート材・レジストを挙げた。1985年3月期の部門別売上高では、電子・電気材料・部品が98,780百万円で最大の部門である。
- 日立化成工業社史1(1982) 5章「新たな発展をめざして」 第2節「戦略部門の強化」・第4節「社長交代」
- [52]1981年6月高木会長・横山社長、4大方針。1979年2月電子材料事業部創設。電子材料部門の販売額は1975年度177億円→1981年度432億円・全社の26%
- [53]1981年6月高木会長・横山社長、4大方針。1979年2月電子材料事業部創設。電子材料部門の販売額は1975年度177億円→1981年度432億円・全社の26%
- [54]1981年6月高木会長・横山社長、4大方針。1979年2月電子材料事業部創設。電子材料部門の販売額は1975年度177億円→1981年度432億円・全社の26%
- [55]1981年6月高木会長・横山社長、4大方針。1979年2月電子材料事業部創設。電子材料部門の販売額は1975年度177億円→1981年度432億円・全社の26%
- 電子材料 22(2) 1983年2月「この人に聞く 新エレクトロニクス材料の台頭で新規応用分野が推進」青柳全
- [56]IC向け有機材料としてエポキシ封止材・耐熱絶縁コート材・レジストを挙げる(営業本部副技師長青柳全、私見として)
- 会社年鑑(1986年版) 日立化成工業
- [57]1985年3月期 電子・電気材料・部品98,780百万円(部門中最大、次は住宅機器・環境設備36,911百万円)
参考文献[39]-[57]
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第1節「社長交代」・第2節「第1次石油危機と軽量経営の推進」
- [39]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- [40]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- [42]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- [43]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- [44]1974年11月藤久保会長・高木正社長。瞬間的に4割の減収、稼働率1/2〜1/3。外注作業を系列会社に移管し約740名出向、人員整理は行わず
- 会社年鑑(1976年版) 日立化成工業
- [41]1975年3月期 経常利益-7億円(半期合算)
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第3節「効率経営の推進」
- [45]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- [46]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- [47]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- [48]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- [49]低成長下でシェア競争激化。製品群110系列を5区分に格付け、1976年4月製品転換推進センタ、1977年第1次中期経営計画、基幹製品に償却を上回る投資、建材一部・レジャー用品は移管・撤退
- 日立化成工業社史1(1982) 5章「新たな発展をめざして」 第1節
- [50]1979年度売上高1,490億円・当期利益21億5,500万円で過去最高、第1次中期経営計画達成
- 会社年鑑(1986年版) 日立化成工業
- [51]経常利益 1979年3月期41億円、1980年3月期51億円
- [57]1985年3月期 電子・電気材料・部品98,780百万円(部門中最大、次は住宅機器・環境設備36,911百万円)
- 日立化成工業社史1(1982) 5章「新たな発展をめざして」 第2節「戦略部門の強化」・第4節「社長交代」
- [52]1981年6月高木会長・横山社長、4大方針。1979年2月電子材料事業部創設。電子材料部門の販売額は1975年度177億円→1981年度432億円・全社の26%
- [53]1981年6月高木会長・横山社長、4大方針。1979年2月電子材料事業部創設。電子材料部門の販売額は1975年度177億円→1981年度432億円・全社の26%
- [54]1981年6月高木会長・横山社長、4大方針。1979年2月電子材料事業部創設。電子材料部門の販売額は1975年度177億円→1981年度432億円・全社の26%
- [55]1981年6月高木会長・横山社長、4大方針。1979年2月電子材料事業部創設。電子材料部門の販売額は1975年度177億円→1981年度432億円・全社の26%
- 電子材料 22(2) 1983年2月「この人に聞く 新エレクトロニクス材料の台頭で新規応用分野が推進」青柳全
- [56]IC向け有機材料としてエポキシ封止材・耐熱絶縁コート材・レジストを挙げる(営業本部副技師長青柳全、私見として)
1962年〜1985年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1962年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1967年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | 499 | n/a | 24 | 14 | 2.8% | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 576 | +15.4% | 21 | 12 | 2.1% | n/a |
| 1972年03月期 | 単体 | 590 | +2.4% | 14 | 8 | 1.4% | n/a |
| 1973年03月期 | 単体 | 691 | +17.1% | 20 | 9 | 1.3% | n/a |
| 1974年03月期 | 単体 | 1,008 | +45.9% | 40 | 13 | 1.3% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 937 | ▲7.0% | ▲7 | ▲3 | ▲0.3% | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 986 | +5.2% | ▲8 | 2 | 0.2% | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 1,145 | +16.1% | 19 | 8 | 0.7% | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 1,165 | +1.7% | 13 | ▲7 | ▲0.6% | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 1,259 | +8.1% | 41 | 14 | 1.1% | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 1,490 | +18.3% | 51 | 22 | 1.5% | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 1,587 | +6.5% | 36 | 18 | 1.1% | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 1,675 | +5.5% | 51 | 22 | 1.3% | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 1,771 | +5.7% | 56 | 20 | 1.1% | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 2,011 | +13.6% | 68 | 26 | 1.3% | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 2,249 | +11.8% | 84 | 34 | 1.5% | n/a |
出所:会社年鑑(1971年版)半期合算、会社年鑑(1976年版)半期合算、会社年鑑
出典・参考
18件
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第2節「個人消費分野の開拓」
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第3節「営業活動の強化」
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 章冒頭
- 日立化成工業社史1(1982) 1章「大いなる発展をめざして」 第4節「不況期こそ飛躍への好機」
- 日立化成工業社史1(1982) 2章「多角的な躍進」 第1節
- 日立化成工業社史1(1982) はじめに(前史)
- 日立化成工業社史1(1982) 2章「多角的な躍進」 第5節「合弁事業の展開」
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第1節
- 日立化成工業社史1(1982) 3章「高度経営の追求」 第1節「経営の公開」
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第1節「社長交代」・第2節「第1次石油危機と軽量経営の推進」
- 日立化成工業社史1(1982) 4章「激動の中から」 第3節「効率経営の推進」
- 日立化成工業社史1(1982) 5章「新たな発展をめざして」 第1節
- 日立化成工業社史1(1982) 5章「新たな発展をめざして」 第2節「戦略部門の強化」・第4節「社長交代」
- 会社年鑑(1976年版) 日立化成工業
- 会社年鑑(1986年版) 日立化成工業
- 証券 22(10)(259) 1970年10月号(新規上場会社紹介)
- 電子材料 22(2) 1983年2月「この人に聞く 新エレクトロニクス材料の台頭で新規応用分野が推進」青柳全