加藤辨三郎

協和キリン・元取締役社長

Kato Benzaburo(敬称略)

更新:
社長就任 1949年7月
生年月日 —
学歴 京都帝国大学工学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1899年、島根県の荒茅村(現出雲市)に生まれた。1920年5月に京都帝国大学工学部工業化学科へ入り、醗酵を専攻した。1923年、指導教授の紹介で伏見の四方合名会社へ入社し、のちに宝酒造市川工場の工場長を務めた。醗酵技術ひとすじの経歴で、1955年6月時点の大株主は香港トランスポーテイションカンパニー・第一生命・三菱信託などの法人が並び、加藤家の名は無い。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1948年、委託元の中央原料酒精から、公正取引委員会の発足を理由に独立を求められた。協和産業は企業再建整備法にもとづく整備計画が1949年5月31日に認可され、同年7月1日に第二会社として協和醱酵工業が発足し、加藤氏が初代社長に就任した。発足時の役員は常務に桑田猛氏らが並び、加藤氏が50歳、ほかは30〜40歳代だった。

在任中の主な施策
施策

1950年夏に渡米し、メルク社とストレプトマイシンの製造契約を締結するとともに、コマーシャル・ソルベント社からブタノール醗酵の技術と菌を導入した。ブタノール・アセトンは石油化学へ切り替えるまで国内シェア65%を占めた。1956年9月20日には醗酵法によるグルタミン酸の製造を公表し、その2日後に味の素社との提携を勧告され、醗酵法で造ったグルタミン酸は全量を味の素へ渡す契約を締結した。抗生物質とアミノ酸という二本の柱がここで据わった。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1937〜1969年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 1件

免責事項およびポリシー