第1章 年〜年

不二製油:伊藤忠商事の全額出資による設立とハードバターの製造開始

1950年〜伊藤忠商事が全額出資で買収した不二蚕糸の大阪工場と、国内初の圧抽式によるコプラ製油

伊藤忠商事は1950年10月、資本金300万円を全額出資して不二製油を設立した。製油の拠点は、設立と同時に買収した不二蚕糸の大阪工場である。創業の中心となった西村政太郎氏は1946年6月に復員した直後に伊藤忠商事を解雇され、不二蚕糸で大阪工場長としてさなぎ油の抽出を任された。本業の製糸は生糸相場で大損失を出し、大阪工場の従業員は退社して油の新会社を起こすと決めた。資本金の工面を担った西村政太郎氏は、古巣の伊藤忠商事に出資を再三願い出た。伊藤忠商事は戦後に総合商社への転換を進め、食糧部で油の取扱いの拡充を図った。伊藤忠商事の出資は、油脂の供給元を手元に置く狙いと、元社員の工場独立の要請が重なった結果とみられる。

  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [1]1950年10月、伊藤忠商事の全額出資により資本金300万円で設立
  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [2]1950年10月の設立時に不二蚕糸大阪工場を買収
  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎
    • [3]西村政太郎は1946年6月の復員後に伊藤忠を解雇され不二蚕糸大阪工場長に。製糸本社の不振で従業員ごと独立し、伊藤忠(総合商社化・食糧部で油関係を拡充中)から300万円の出資を得た
    • [4]西村政太郎は1946年6月の復員後に伊藤忠を解雇され不二蚕糸大阪工場長に。製糸本社の不振で従業員ごと独立し、伊藤忠(総合商社化・食糧部で油関係を拡充中)から300万円の出資を得た
    • [5]西村政太郎は1946年6月の復員後に伊藤忠を解雇され不二蚕糸大阪工場長に。製糸本社の不振で従業員ごと独立し、伊藤忠(総合商社化・食糧部で油関係を拡充中)から300万円の出資を得た
    • [6]西村政太郎は1946年6月の復員後に伊藤忠を解雇され不二蚕糸大阪工場長に。製糸本社の不振で従業員ごと独立し、伊藤忠(総合商社化・食糧部で油関係を拡充中)から300万円の出資を得た

不二製油はコプラを搾る圧搾工場を1951年2月に新設し、国内初の圧抽式製油に成功した。圧抽式は圧搾に続けて溶剤で抽出する方式で、良質な油を効率よく得られる。当時の大豆は割当制で、後発の不二製油には割当が少なかった。天ぷら油の市場で先行していたのは豊年製油や日清製油。不二製油は天ぷら油の商標を広めようと宣伝費を投じ、成果を上げられなかった。1950年にコプラの統制が外れると、西村政太郎氏らはその入手に力を入れた。同じ1950年には商品相場の大暴落にも見舞われて損失を負い、コプラ相場の損失の返済には7、8年を要した。統制の外れた南方原料に的を絞ることが、大手の割当に左右されずに原料を確保する数少ない手段だったのだろう。

  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [7]1951年2月、圧搾工場を新設しコプラ製油を開始、国内最初の圧抽式製油に成功
  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [8]大豆は割当制で後発の同社は割当が少なく代替原料に着目。圧抽式は圧搾と溶剤抽出を連続させ良質な油を効率よく搾る
    • [9]大豆は割当制で後発の同社は割当が少なく代替原料に着目。圧抽式は圧搾と溶剤抽出を連続させ良質な油を効率よく搾る
  • 日経ビジネス 1994年7月25日号
    • [10]創業当時は豊年製油・日清製油など先発と同じてんぷら油を製造、原料調達は統制下で思うにまかせず
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [11]発足時は天ぷら油市場が出来上がっており、商標確立の宣伝費は回収できなかった
  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎
    • [12]1950年にコプラの統制が外れ入手に注力。同年の新三品暴落で大損、コプラ相場の損失の返済に7、8年
    • [13]1950年にコプラの統制が外れ入手に注力。同年の新三品暴落で大損、コプラ相場の損失の返済に7、8年
参考文献[1]-[13]
  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [1]1950年10月、伊藤忠商事の全額出資により資本金300万円で設立
    • [8]大豆は割当制で後発の同社は割当が少なく代替原料に着目。圧抽式は圧搾と溶剤抽出を連続させ良質な油を効率よく搾る
    • [9]大豆は割当制で後発の同社は割当が少なく代替原料に着目。圧抽式は圧搾と溶剤抽出を連続させ良質な油を効率よく搾る
  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [2]1950年10月の設立時に不二蚕糸大阪工場を買収
    • [7]1951年2月、圧搾工場を新設しコプラ製油を開始、国内最初の圧抽式製油に成功
  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎
    • [3]西村政太郎は1946年6月の復員後に伊藤忠を解雇され不二蚕糸大阪工場長に。製糸本社の不振で従業員ごと独立し、伊藤忠(総合商社化・食糧部で油関係を拡充中)から300万円の出資を得た
    • [4]西村政太郎は1946年6月の復員後に伊藤忠を解雇され不二蚕糸大阪工場長に。製糸本社の不振で従業員ごと独立し、伊藤忠(総合商社化・食糧部で油関係を拡充中)から300万円の出資を得た
    • [5]西村政太郎は1946年6月の復員後に伊藤忠を解雇され不二蚕糸大阪工場長に。製糸本社の不振で従業員ごと独立し、伊藤忠(総合商社化・食糧部で油関係を拡充中)から300万円の出資を得た
    • [6]西村政太郎は1946年6月の復員後に伊藤忠を解雇され不二蚕糸大阪工場長に。製糸本社の不振で従業員ごと独立し、伊藤忠(総合商社化・食糧部で油関係を拡充中)から300万円の出資を得た
    • [12]1950年にコプラの統制が外れ入手に注力。同年の新三品暴落で大損、コプラ相場の損失の返済に7、8年
    • [13]1950年にコプラの統制が外れ入手に注力。同年の新三品暴落で大損、コプラ相場の損失の返済に7、8年
  • 日経ビジネス 1994年7月25日号
    • [10]創業当時は豊年製油・日清製油など先発と同じてんぷら油を製造、原料調達は統制下で思うにまかせず
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [11]発足時は天ぷら油市場が出来上がっており、商標確立の宣伝費は回収できなかった

1954年〜国内初の本格的なパーム核油搾油と、分別で生んだハードバター「メラノバター」

不二製油は1954年1月、国内で初めてパーム核油の本格的な搾油を始めた。パーム核はオイル・パームの果実の中にある種で、そこから搾る油は常温で固まっている。パーム核油はパーム油やシアナッツ脂と同じく常温で固まりやすい成分を半分近く含み、融点で成分を分ける分別の原料に向く。不二製油はコプラに続いてパーム核、1959年にはシアナットと、東南アジアやアフリカの原料を順に採り入れた。大阪大学の上野誠一教授は、先行者の模倣でなく会社の個性を競うよう西村政太郎氏らを励ました。西村政太郎氏は、国内初と称した一連の原料を、統制の解けた素材に活路を求めた策の所産と振り返った。固まる油を搾る原料を揃えたことが、翌年の分別装置の稼働を支える条件になったと思われる。

  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [14]1954年1月、国内最初の本格的パーム核油搾油を開始
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [15]パーム核はオイル・パームの果実の種。パーム核油・パーム油・シアナッツ脂は半分近くが常温で固まりやすく分別の原料に利用
    • [16]パーム核はオイル・パームの果実の種。パーム核油・パーム油・シアナッツ脂は半分近くが常温で固まりやすく分別の原料に利用
  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [17]昭和26年コプラ、昭和29年パーム核、昭和34年シアナットと東南アジア・アフリカの原料を使用
  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎
    • [18]大阪大学の上野誠一教授の「個性を競え」との励ましを支えに、統制が解けた素材を狙った「わが国初」は起死回生の策と回顧
    • [19]大阪大学の上野誠一教授の「個性を競え」との励ましを支えに、統制が解けた素材を狙った「わが国初」は起死回生の策と回顧

不二製油は1955年8月、神戸に工場を建設して操業を始めた。1962年時点の神戸工場の所在地は神戸市兵庫区浜中町で、製品は油脂と配合飼料である。事業も油脂だけでなく、肥料と飼料の製造・加工・販売に及んだ。搾油後の脱脂原料は、多くが家畜の飼料や肥料の原料に回った。原料は主に伊藤忠商事と野村貿易から仕入れ、油脂は伊藤忠商事、ミヨシ油脂、ライオン油脂などに納めた。神戸工場はのちに大豆の搾油だけを担う工場となり、1978年時点もその役割を続けた。輸入原料を陸揚げの場で搾れる神戸に拠点を置けば、大阪まで運ぶ手間を省けたと考えられる。

  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [20]1955年8月、神戸工場を建設し操業を開始
  • 株式会社年鑑 1963年版「不二製油」
    • [21]1962年時点の神戸工場は神戸市兵庫区浜中町で油脂・配合飼料を製造。事業は油脂・肥料・飼料の製造加工販売。仕入は伊藤忠・野村貿易、油脂の販売先は伊藤忠商事・大阪油脂・ミヨシ油脂・ライオン油脂
    • [22]1962年時点の神戸工場は神戸市兵庫区浜中町で油脂・配合飼料を製造。事業は油脂・肥料・飼料の製造加工販売。仕入は伊藤忠・野村貿易、油脂の販売先は伊藤忠商事・大阪油脂・ミヨシ油脂・ライオン油脂
    • [24]1962年時点の神戸工場は神戸市兵庫区浜中町で油脂・配合飼料を製造。事業は油脂・肥料・飼料の製造加工販売。仕入は伊藤忠・野村貿易、油脂の販売先は伊藤忠商事・大阪油脂・ミヨシ油脂・ライオン油脂
  • 日経ビジネス 1994年7月25日号
    • [23]大豆の搾りカスの大部分は家畜のエサや肥料に回される
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [25]1978年時点、神戸工場は大豆の搾油のみ。原料はほとんど輸入品

不二製油は1955年9月、大阪工場で油脂の溶剤分別装置を完成させ、国内初のハードバター「メラノバター」の製造を始めた。分別とは、温度の差を利用して、油脂を融点の高い部分と低い部分に分け取る技術である。溶剤を使うと分ける精度が上がり、性質の異なる油脂を何種類もつくれた。ヤシ油やパーム核油の原油は、一部を石鹸や洗剤、塗料の原料としてメーカーに販売した。大半の原油は精製と分別を経て、チョコレートや製菓の原料に充てた。1959年には、シアナッツ油脂の分別にも国内で初めて成功。西村政太郎氏は1978年、不二製油を国内の分別油脂の草分けと位置づけ、国内シェアを約80%とした。原油を石鹸向けに売るより、製菓向けの油脂に仕立てるほうが加工の付加価値を取れたと思われる。

  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [26]1955年9月、大阪工場に油脂溶剤分別装置を完成し国内最初のハードバター(商品名メラノバター)の製造を開始
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [27]分別は温度差で油脂を融点部分に分ける技術。不二製油は国内の分別油脂の草分けでシェア約80%(1978年)
    • [32]分別は温度差で油脂を融点部分に分ける技術。不二製油は国内の分別油脂の草分けでシェア約80%(1978年)
  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [28]昭和30年に油脂溶剤分別技術を企業化、溶剤で精度の高い分別が可能に。原油の一部は石鹸・洗剤・塗料の原料として販売、大半は精製・分別を経て製菓・チョコレート原料に
    • [29]昭和30年に油脂溶剤分別技術を企業化、溶剤で精度の高い分別が可能に。原油の一部は石鹸・洗剤・塗料の原料として販売、大半は精製・分別を経て製菓・チョコレート原料に
    • [30]昭和30年に油脂溶剤分別技術を企業化、溶剤で精度の高い分別が可能に。原油の一部は石鹸・洗剤・塗料の原料として販売、大半は精製・分別を経て製菓・チョコレート原料に
  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎
    • [31]1959年(昭和34年)国内初のシアナッツ油脂の分別に成功
参考文献[14]-[32]
  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [14]1954年1月、国内最初の本格的パーム核油搾油を開始
    • [20]1955年8月、神戸工場を建設し操業を開始
    • [26]1955年9月、大阪工場に油脂溶剤分別装置を完成し国内最初のハードバター(商品名メラノバター)の製造を開始
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [15]パーム核はオイル・パームの果実の種。パーム核油・パーム油・シアナッツ脂は半分近くが常温で固まりやすく分別の原料に利用
    • [16]パーム核はオイル・パームの果実の種。パーム核油・パーム油・シアナッツ脂は半分近くが常温で固まりやすく分別の原料に利用
    • [25]1978年時点、神戸工場は大豆の搾油のみ。原料はほとんど輸入品
    • [27]分別は温度差で油脂を融点部分に分ける技術。不二製油は国内の分別油脂の草分けでシェア約80%(1978年)
    • [32]分別は温度差で油脂を融点部分に分ける技術。不二製油は国内の分別油脂の草分けでシェア約80%(1978年)
  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [17]昭和26年コプラ、昭和29年パーム核、昭和34年シアナットと東南アジア・アフリカの原料を使用
    • [28]昭和30年に油脂溶剤分別技術を企業化、溶剤で精度の高い分別が可能に。原油の一部は石鹸・洗剤・塗料の原料として販売、大半は精製・分別を経て製菓・チョコレート原料に
    • [29]昭和30年に油脂溶剤分別技術を企業化、溶剤で精度の高い分別が可能に。原油の一部は石鹸・洗剤・塗料の原料として販売、大半は精製・分別を経て製菓・チョコレート原料に
    • [30]昭和30年に油脂溶剤分別技術を企業化、溶剤で精度の高い分別が可能に。原油の一部は石鹸・洗剤・塗料の原料として販売、大半は精製・分別を経て製菓・チョコレート原料に
  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎
    • [18]大阪大学の上野誠一教授の「個性を競え」との励ましを支えに、統制が解けた素材を狙った「わが国初」は起死回生の策と回顧
    • [19]大阪大学の上野誠一教授の「個性を競え」との励ましを支えに、統制が解けた素材を狙った「わが国初」は起死回生の策と回顧
    • [31]1959年(昭和34年)国内初のシアナッツ油脂の分別に成功
  • 株式会社年鑑 1963年版「不二製油」
    • [21]1962年時点の神戸工場は神戸市兵庫区浜中町で油脂・配合飼料を製造。事業は油脂・肥料・飼料の製造加工販売。仕入は伊藤忠・野村貿易、油脂の販売先は伊藤忠商事・大阪油脂・ミヨシ油脂・ライオン油脂
    • [22]1962年時点の神戸工場は神戸市兵庫区浜中町で油脂・配合飼料を製造。事業は油脂・肥料・飼料の製造加工販売。仕入は伊藤忠・野村貿易、油脂の販売先は伊藤忠商事・大阪油脂・ミヨシ油脂・ライオン油脂
    • [24]1962年時点の神戸工場は神戸市兵庫区浜中町で油脂・配合飼料を製造。事業は油脂・肥料・飼料の製造加工販売。仕入は伊藤忠・野村貿易、油脂の販売先は伊藤忠商事・大阪油脂・ミヨシ油脂・ライオン油脂
  • 日経ビジネス 1994年7月25日号
    • [23]大豆の搾りカスの大部分は家畜のエサや肥料に回される

1961年〜大阪証券取引所市場第二部への上場と、洋生菓子用チョコレートで踏み出した加工品

不二製油は1961年10月、大阪証券取引所の市場第二部に株式を上場した。資本金は設立時の300万円から倍額の増資を重ね、1955年6月に1億6,000万円となった。上場直前の1961年9月30日には1株に1株を割り当てる有償増資を払い込み、資本金を3億2,000万円とした。1962年12月にも有償増資を行い、資本金は4億8,000万円。1961年10月から1962年3月までの半期の売上高は4,513,336千円、1962年3月末の借入金は1,190百万円である。伊藤忠商事は上場後も大株主にとどまり、1978年時点で26.2%を保有した。借入に依存した設備資金の調達を、増資と上場で株式市場からの調達へ広げたと考えられる。

  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [33]1961年10月、株式を大阪証券取引所市場第二部に上場
  • 株式会社年鑑 1963年版「不二製油」
    • [34]資本金は1950年10月300万円から1955年6月1億6千万円、1961年10月3億2千万円へ。1961年10月〜1962年3月期の売上高4,513,336千円、1962年3月末の借入金総額1,190百万円。上場市場は大阪第二部
    • [37]資本金は1950年10月300万円から1955年6月1億6千万円、1961年10月3億2千万円へ。1961年10月〜1962年3月期の売上高4,513,336千円、1962年3月末の借入金総額1,190百万円。上場市場は大阪第二部
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社)「不二製油」
    • [35]1961年9月30日払込の有償増資(1:1)で資本金160百万円→320百万円、1962年12月1日の有償増資で480百万円
    • [36]1961年9月30日払込の有償増資(1:1)で資本金160百万円→320百万円、1962年12月1日の有償増資で480百万円
  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [38]1978年時点の大株主筆頭は伊藤忠商事(26.2%)

不二製油は1963年2月、洋生菓子に使うチョコレートを売り出した。精製・分別した油脂にココアケーキや牛乳を合わせ、洋生菓子のコーティングや飾りに使うチョコレートに仕上げた。西村政太郎氏によれば、輸入原料は3カ月ほど先の分を手当てする必要があり、その間に価格とフレートが大きく動く。原料価格に加工賃と利潤を乗せた値で製品を売れる機会は少なかった。西村政太郎氏は価格が安定する最終製品まで加工する方針を選び、社内では『横のことは考えずに、まず縦を掘れ』と言い続けた。1981年の製品区分では、洋生用チョコレートは油脂加工製品を原料とする食品加工製品に属する。1978年時点では、食品加工部門が全社で最も利益の大きい部門になった。

  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [39]1963年2月、洋生菓子用チョコレートの販売開始
  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [40]精製・分別油にココアケーキや牛乳を混ぜてチョコレート・植物性クリームを製造、主に洋生菓子のコーティング・デコレーション用
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [41]輸入原料は3カ月程度先物を手当てし価格・フレートが変動。原料価格に加工賃と利潤を乗せて売れることは稀なので最終製品まで加工する道を選んだ。1978年時点で食品加工部門が最も利益が大きい
    • [42]輸入原料は3カ月程度先物を手当てし価格・フレートが変動。原料価格に加工賃と利潤を乗せて売れることは稀なので最終製品まで加工する道を選んだ。1978年時点で食品加工部門が最も利益が大きい
    • [43]輸入原料は3カ月程度先物を手当てし価格・フレートが変動。原料価格に加工賃と利潤を乗せて売れることは稀なので最終製品まで加工する道を選んだ。1978年時点で食品加工部門が最も利益が大きい
    • [45]輸入原料は3カ月程度先物を手当てし価格・フレートが変動。原料価格に加工賃と利潤を乗せて売れることは稀なので最終製品まで加工する道を選んだ。1978年時点で食品加工部門が最も利益が大きい
  • 証券アナリストジャーナル 19(4) 1981年 西村政太郎
    • [44]1981年の製品区分で洋生用チョコレートは油脂加工製品を原料とする食品加工製品

西村政太郎氏の不二製油社長就任は1965年である。西村政太郎氏は1978年の講演で、事業の目的を『植物性の油脂と蛋白を原料とする食品の製造業』と規定していると説明した。西村政太郎氏にとって、油を搾った後の脱脂原料は油カスでなく蛋白源である。脱脂大豆は5割近い蛋白を含み、大豆を搾ると約80%が脱脂大豆として残る。大豆の油脂分は20%にとどまり、搾りカスの大部分は家畜の飼料や肥料に回った。西村政太郎氏は、搾りカスの約半分を成す植物性たんぱく質に着目し、食品向けの販売を考えた。西村政太郎氏は1994年、国内初の大豆たんぱくの工業化を1966年に始めたと振り返った。蛋白を副産物でなく製品の原料とみる考え方が、大豆たん白事業への参入の下地になったと推測される。

  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎
    • [46]西村政太郎は1950年10月の設立時に常務、1965年に社長
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [47]事業の目的を「植物性の油脂と蛋白を原料とする食品の製造業」と規定。脱脂製品は油カスでなく蛋白源。脱脂大豆は約80%を占め蛋白5割近く
    • [48]事業の目的を「植物性の油脂と蛋白を原料とする食品の製造業」と規定。脱脂製品は油カスでなく蛋白源。脱脂大豆は約80%を占め蛋白5割近く
    • [49]事業の目的を「植物性の油脂と蛋白を原料とする食品の製造業」と規定。脱脂製品は油カスでなく蛋白源。脱脂大豆は約80%を占め蛋白5割近く
  • 日経ビジネス 1994年7月25日号
    • [50]大豆の油脂分は20%で、搾りカスの大部分は家畜のエサや肥料に。その半分を占める植物性たんぱく質を食品として売り出そうとした。1966年に国内初の大豆たんぱく工業化
    • [51]大豆の油脂分は20%で、搾りカスの大部分は家畜のエサや肥料に。その半分を占める植物性たんぱく質を食品として売り出そうとした。1966年に国内初の大豆たんぱく工業化
    • [52]大豆の油脂分は20%で、搾りカスの大部分は家畜のエサや肥料に。その半分を占める植物性たんぱく質を食品として売り出そうとした。1966年に国内初の大豆たんぱく工業化
参考文献[33]-[52]
  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
    • [33]1961年10月、株式を大阪証券取引所市場第二部に上場
    • [39]1963年2月、洋生菓子用チョコレートの販売開始
  • 株式会社年鑑 1963年版「不二製油」
    • [34]資本金は1950年10月300万円から1955年6月1億6千万円、1961年10月3億2千万円へ。1961年10月〜1962年3月期の売上高4,513,336千円、1962年3月末の借入金総額1,190百万円。上場市場は大阪第二部
    • [37]資本金は1950年10月300万円から1955年6月1億6千万円、1961年10月3億2千万円へ。1961年10月〜1962年3月期の売上高4,513,336千円、1962年3月末の借入金総額1,190百万円。上場市場は大阪第二部
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社)「不二製油」
    • [35]1961年9月30日払込の有償増資(1:1)で資本金160百万円→320百万円、1962年12月1日の有償増資で480百万円
    • [36]1961年9月30日払込の有償増資(1:1)で資本金160百万円→320百万円、1962年12月1日の有償増資で480百万円
  • 証券 30(10)(355) 1978年
    • [38]1978年時点の大株主筆頭は伊藤忠商事(26.2%)
    • [40]精製・分別油にココアケーキや牛乳を混ぜてチョコレート・植物性クリームを製造、主に洋生菓子のコーティング・デコレーション用
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
    • [41]輸入原料は3カ月程度先物を手当てし価格・フレートが変動。原料価格に加工賃と利潤を乗せて売れることは稀なので最終製品まで加工する道を選んだ。1978年時点で食品加工部門が最も利益が大きい
    • [42]輸入原料は3カ月程度先物を手当てし価格・フレートが変動。原料価格に加工賃と利潤を乗せて売れることは稀なので最終製品まで加工する道を選んだ。1978年時点で食品加工部門が最も利益が大きい
    • [43]輸入原料は3カ月程度先物を手当てし価格・フレートが変動。原料価格に加工賃と利潤を乗せて売れることは稀なので最終製品まで加工する道を選んだ。1978年時点で食品加工部門が最も利益が大きい
    • [45]輸入原料は3カ月程度先物を手当てし価格・フレートが変動。原料価格に加工賃と利潤を乗せて売れることは稀なので最終製品まで加工する道を選んだ。1978年時点で食品加工部門が最も利益が大きい
    • [47]事業の目的を「植物性の油脂と蛋白を原料とする食品の製造業」と規定。脱脂製品は油カスでなく蛋白源。脱脂大豆は約80%を占め蛋白5割近く
    • [48]事業の目的を「植物性の油脂と蛋白を原料とする食品の製造業」と規定。脱脂製品は油カスでなく蛋白源。脱脂大豆は約80%を占め蛋白5割近く
    • [49]事業の目的を「植物性の油脂と蛋白を原料とする食品の製造業」と規定。脱脂製品は油カスでなく蛋白源。脱脂大豆は約80%を占め蛋白5割近く
  • 証券アナリストジャーナル 19(4) 1981年 西村政太郎
    • [44]1981年の製品区分で洋生用チョコレートは油脂加工製品を原料とする食品加工製品
  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎
    • [46]西村政太郎は1950年10月の設立時に常務、1965年に社長
  • 日経ビジネス 1994年7月25日号
    • [50]大豆の油脂分は20%で、搾りカスの大部分は家畜のエサや肥料に。その半分を占める植物性たんぱく質を食品として売り出そうとした。1966年に国内初の大豆たんぱく工業化
    • [51]大豆の油脂分は20%で、搾りカスの大部分は家畜のエサや肥料に。その半分を占める植物性たんぱく質を食品として売り出そうとした。1966年に国内初の大豆たんぱく工業化
    • [52]大豆の油脂分は20%で、搾りカスの大部分は家畜のエサや肥料に。その半分を占める植物性たんぱく質を食品として売り出そうとした。1966年に国内初の大豆たんぱく工業化

出典・参考

8件
出典・参考
  • 不二製油グループ本社 有価証券報告書「沿革」
  • 株式会社年鑑 1963年版「不二製油」
  • 証券アナリストジャーナル 16(11) 1978年 西村政太郎
  • 証券アナリストジャーナル 19(4) 1981年 西村政太郎
  • 資本異動総覧 1983年版(東洋経済新報社)「不二製油」
  • 日経ビジネス 1994年7月25日号
  • 証券 30(10)(355) 1978年
  • 創業者精神 : 独力で優良企業を築いた経営者列伝(日経ベンチャー別冊)1993年「解雇された伊藤忠の援助で独立達成」西村政太郎

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