国鉄の工事機関として生まれながら、国鉄だけに頼らない形を早くから探ってきた会社である。1949年、国鉄工事が公開競争入札へ移ると社名から「鉄道」を外し、官公庁や民間の電気工事にも参入した。1954年に発注が減少すると本店に営業部を設けて一般工事を取りに行き、採用を止めて人員を絞った。1957年には1社で大量に受注することへの批判を受け、社員307名を移して千代田工事を設立している。一方で仙山線と北陸本線で身につけた交流電化の技術を携えて、インド国鉄の幹線電化の国際入札に加わって111kmの工区を落札した。