新日本建設:宮大工による数寄屋造りの建築業の創業
1923年〜数寄屋造り専門で起こした金綱工務店と、「関東の左甚五郎」と呼ばれた宮大工の腕
新日本建設の源流は、1923年(大正12年)に創業者が数寄屋造りの設計と施工に絞って始めた建築業である。創業者は、1992年に社長を務めていた金綱一男氏の祖父にあたる。祖父は宮大工として腕を評価された職人で、日本の伝統様式を手がける技能を独立の元手とした。家業が法人の形をとったのは1964年10月で、有限会社金綱工務店の設立による。それまでの約40年間、事業は個人の建築業として続いた。1992年3月期の新日本建設は千葉県を拠点に公共工事から住宅まで請け負い、売上高は284億円。宮大工の技能をそのまま売り物にできる数寄屋造りに的を絞ったことで、資本の乏しい職人でも独立できたとみられる。
- 証券アナリストジャーナル 1992年6月 別冊付録
- [1]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [2]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [3]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [5]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [6]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- 新日本建設 有価証券報告書【沿革】
- [4]1964年10月、有限会社金綱工務店を設立し、主に住宅建築の業務を開始
創業者は旧帝国ホテルのビルや東宮御所で木工事を請け負い、神社仏閣の彫物も手がけた。東京の下町では、その腕を評して『関東の左甚五郎』と呼ばれたと金綱一男氏は伝えた。二代目にあたる父も技術を重んじる職人で、金綱一男氏は1964年(昭和39年)に父の後を継いだ。同じ1964年10月には有限会社金綱工務店が発足し、代表取締役社長は金綱一男氏。事業の中身は、創業期の数寄屋造りから住宅建築へ広がった。金綱一男氏は1992年の講演で、『昭和39年に父のあとを継承した私も技術を重視して今日までやってきた』と振り返った。3代にわたり技能を家業の核に据えたことが、個人の建築業を法人へ移す際の信用の土台になったと推察される。
- 証券アナリストジャーナル 1992年6月 別冊付録
- [7]創業者は旧帝国ホテルのビル・東宮御所の木工事、神社仏閣の彫物を手掛け、東京の下町で「関東の左甚五郎」と呼ばれた。二代目の父も技術重視、1964年に金綱一男氏が継承。継承後も技術重視でやってきたと1992年に述べる
- [8]創業者は旧帝国ホテルのビル・東宮御所の木工事、神社仏閣の彫物を手掛け、東京の下町で「関東の左甚五郎」と呼ばれた。二代目の父も技術重視、1964年に金綱一男氏が継承。継承後も技術重視でやってきたと1992年に述べる
- [9]創業者は旧帝国ホテルのビル・東宮御所の木工事、神社仏閣の彫物を手掛け、東京の下町で「関東の左甚五郎」と呼ばれた。二代目の父も技術重視、1964年に金綱一男氏が継承。継承後も技術重視でやってきたと1992年に述べる
- [12]創業者は旧帝国ホテルのビル・東宮御所の木工事、神社仏閣の彫物を手掛け、東京の下町で「関東の左甚五郎」と呼ばれた。二代目の父も技術重視、1964年に金綱一男氏が継承。継承後も技術重視でやってきたと1992年に述べる
- 新日本建設 有価証券報告書【役員の状況】金綱一男氏の略歴
- [10]金綱一男氏、1964年10月 有限会社金綱工務店設立 代表取締役社長
- 新日本建設 有価証券報告書【沿革】
- [11]1964年10月、有限会社金綱工務店を設立し、主に住宅建築の業務を開始
参考文献[1]-[12]
- 証券アナリストジャーナル 1992年6月 別冊付録
- [1]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [2]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [3]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [5]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [6]1923年(大正12年)、金綱一男氏の祖父が数寄屋造りの設計・施工を専門とする建築業を創業。祖父は宮大工。法人としての発足は1964年10月。1992年3月期(28期)売上高284億円、千葉県内を拠点に官公庁工事・工場・住宅など全般
- [7]創業者は旧帝国ホテルのビル・東宮御所の木工事、神社仏閣の彫物を手掛け、東京の下町で「関東の左甚五郎」と呼ばれた。二代目の父も技術重視、1964年に金綱一男氏が継承。継承後も技術重視でやってきたと1992年に述べる
- [8]創業者は旧帝国ホテルのビル・東宮御所の木工事、神社仏閣の彫物を手掛け、東京の下町で「関東の左甚五郎」と呼ばれた。二代目の父も技術重視、1964年に金綱一男氏が継承。継承後も技術重視でやってきたと1992年に述べる
- [9]創業者は旧帝国ホテルのビル・東宮御所の木工事、神社仏閣の彫物を手掛け、東京の下町で「関東の左甚五郎」と呼ばれた。二代目の父も技術重視、1964年に金綱一男氏が継承。継承後も技術重視でやってきたと1992年に述べる
- [12]創業者は旧帝国ホテルのビル・東宮御所の木工事、神社仏閣の彫物を手掛け、東京の下町で「関東の左甚五郎」と呼ばれた。二代目の父も技術重視、1964年に金綱一男氏が継承。継承後も技術重視でやってきたと1992年に述べる
- 新日本建設 有価証券報告書【沿革】
- [4]1964年10月、有限会社金綱工務店を設立し、主に住宅建築の業務を開始
- [11]1964年10月、有限会社金綱工務店を設立し、主に住宅建築の業務を開始
- 新日本建設 有価証券報告書【役員の状況】金綱一男氏の略歴
- [10]金綱一男氏、1964年10月 有限会社金綱工務店設立 代表取締役社長
出典・参考
3件
- 新日本建設 有価証券報告書【沿革】
- 新日本建設 有価証券報告書【役員の状況】金綱一男氏の略歴
- 証券アナリストジャーナル 1992年6月 別冊付録