新日本建設の歴史
沿革
1923年に宮大工の創業者が始めた数寄屋造りの建築業が起源。
1984年に分譲住宅・マンションの自社開発販売に参入し、1987年に幕張メッセの建設工事をJVで受注した。千葉市に本店を置き、建設と分譲マンションの開発販売を収益源とする会社である。
創業期
1923年〜宮大工による数寄屋造りの建築業の創業
- 金綱秀蔵氏が金綱工務店を創業[1]
売上高
- 売上高
新日本建設売上高—
創業期
1946年〜金綱工務店の法人化と新日本建設への商号変更
- 金綱工務店を設立[1]
- 株式会社に改組[1]
- 本店を千葉県千葉市中央区都町に移転[1]
- 新日本建設に商号変更[1]
- 建設保全サービス協会を設立[1]
- 東京支店を新設[1]
売上高
- 売上高
新日本建設売上高—
成長期
1984年〜分譲住宅・マンション開発への参入と東証一部指定替え
- 分譲住宅・マンションの自社開発販売に参入[2]
- 県内業者で初めて都市整備公団優良工事表彰を受賞[1]
- 幕張メッセの建設工事をJVで受注[1]
- 日本証券業協会に店頭売買銘柄として登録[2]
- 千葉県優良建設工事知事表彰を受賞[1]
- 幕張メッセで建築業協会賞を受賞[1]
- 北関東支店を新設[1]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[1]
- 新日本不動産を設立[1]
- 千葉県知事から建築文化賞を受賞[1]
- ISO9001の認証を取得[1]
- 建設大臣表彰を受賞[1]
- 千葉市立海浜打瀬小学校で千葉市優秀建築賞を受賞[1]
- 東京証券取引所市場第一部に指定替え[1]
- 本社を千葉市美浜区ひび野に移転[1]
- ISO14001の認証を取得[1]
売上高
- 売上高
新日本建設売上高—
2006年〜建研の完全子会社化と瀋陽の房地産会社の持分譲渡
- 建研を完全子会社化[2]
- 新日興進(瀋陽)房地産有限公司を設立[1]
- フクダ電子アリーナで千葉市優秀建築賞を受賞[1]
- 瀋陽の開発プロジェクトの共同事業を解消[2]
- 大阪営業所を新設[1]
- 仙台営業所を新設[1]
- いすみ市立岬中学校でJIA環境建築賞最優秀賞を受賞[1]
- エクセレントシティ大森でグッドデザイン賞を受賞[1]
- 千葉市とまちづくりの推進に関する包括連携協定を締結[1]
- 新日興進(瀋陽)房地産有限公司の全出資持分を譲渡[1]
- 売上高1,000億円を突破[1]
- ISO45001の認証を取得[1]
- ZEHデベロッパーに登録[1]
- 横浜支店を新設[1]
- プライム市場に移行[1]
- 鈴木政幸氏が代表取締役副社長を退任[3]