第1章 年〜年

ミライト・ワン:大明電話工業など3社の設立と電電公社の工事参加資格

1946年〜逓信大臣の工事資格を得た大明電話工業と、資本金19万8000円で発足した東洋電機通信工業

大明電話工業は1944年12月21日、電気通信工事の請負を目的に資本金5万円で設立された。戦後の1947年、逓信大臣から電気通信工事請負業者の資格を受け、官の通信工事に加わる立場を得た。翌1948年には私設電話の工事業者として、同じく逓信大臣から第一級の資格認定を取得。その後は横浜と大阪に支店を置いて業務を強化し、営業区域を段階的に広げた。1955年3月には資本金を1,200万円に増やしている。資格の等級が請け負える工事の範囲を決めていたため、大明電話工業は認定の取得を事業拡大の手順に置いたのだろう。

  • 証券業報 138 1961年4月「大明電話工業(株)」新規店頭売買承認会社紹介
    • [1]1944年12月21日設立、資本金5万円、電気通信工事の請負が目的。1955年3月に資本金1,200万円
    • [5]1944年12月21日設立、資本金5万円、電気通信工事の請負が目的。1955年3月に資本金1,200万円
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [2]1947年逓信大臣より電気通信工事請負業者資格、1948年私設電話工事業者として第一級認定。横浜・大阪の業務を強化
    • [3]1947年逓信大臣より電気通信工事請負業者資格、1948年私設電話工事業者として第一級認定。横浜・大阪の業務を強化
    • [4]1947年逓信大臣より電気通信工事請負業者資格、1948年私設電話工事業者として第一級認定。横浜・大阪の業務を強化

東洋電機通信工業は1946年2月9日、資本金19万8,000円の通信工事会社として発足した。創業者は、終戦時に日産自動車に勤めていて戦後に独立した岸田貫一氏である。当時はマッカーサー指令により、通信の重要部門を国が管理することになっていた。東洋電機通信工業は一般官庁の通信関係の仕事に、技術と人員を提供することから事業を始めた。1968年時点でも社長は岸田貫一氏で、資本金4億円・従業員1,150名の規模である。通信設備を国が直接抱えることになり、官庁が工事の手を外部に求めたことが創業の機会になったとみられる。

  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [6]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [7]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [8]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [9]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [10]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名

東洋電機通信工業は1953年、日本電信電話公社の発足とともに二級の技術認定を受け、公社の工事を請け負い始めた。翌1954年には機械工事で一級の認定を得た。大明電話工業は1955年、東京電気通信局長から電気通信設備請負工事の参加資格業者として認定を受けた。等級は通信線路工事が一級、通信機械工事と伝送無線工事がそれぞれ二級。この認定で大明電話工業は業界の大手業者の地位を得た。公社の工事は部門ごとの等級で受注の範囲が分かれており、2社とも一級の部門を増やすことを経営の目標に据えたと推察される。

  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [11]1953年日本電信電話公社発足と共に二級技術認定、1954年機械工事一級
    • [12]1953年日本電信電話公社発足と共に二級技術認定、1954年機械工事一級
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [13]1955年東京電気通信局長から参加資格業者として通信線路工事一級・通信機械工事二級・伝送無線工事二級の認定、大手業者の地位
    • [14]1955年東京電気通信局長から参加資格業者として通信線路工事一級・通信機械工事二級・伝送無線工事二級の認定、大手業者の地位
    • [15]1955年東京電気通信局長から参加資格業者として通信線路工事一級・通信機械工事二級・伝送無線工事二級の認定、大手業者の地位
参考文献[1]-[15]
  • 証券業報 138 1961年4月「大明電話工業(株)」新規店頭売買承認会社紹介
    • [1]1944年12月21日設立、資本金5万円、電気通信工事の請負が目的。1955年3月に資本金1,200万円
    • [5]1944年12月21日設立、資本金5万円、電気通信工事の請負が目的。1955年3月に資本金1,200万円
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [2]1947年逓信大臣より電気通信工事請負業者資格、1948年私設電話工事業者として第一級認定。横浜・大阪の業務を強化
    • [3]1947年逓信大臣より電気通信工事請負業者資格、1948年私設電話工事業者として第一級認定。横浜・大阪の業務を強化
    • [4]1947年逓信大臣より電気通信工事請負業者資格、1948年私設電話工事業者として第一級認定。横浜・大阪の業務を強化
    • [13]1955年東京電気通信局長から参加資格業者として通信線路工事一級・通信機械工事二級・伝送無線工事二級の認定、大手業者の地位
    • [14]1955年東京電気通信局長から参加資格業者として通信線路工事一級・通信機械工事二級・伝送無線工事二級の認定、大手業者の地位
    • [15]1955年東京電気通信局長から参加資格業者として通信線路工事一級・通信機械工事二級・伝送無線工事二級の認定、大手業者の地位
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [6]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [7]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [8]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [9]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [10]1946年2月9日設立、資本金19万8000円。岸田貫一は終戦時日産自動車勤務から独立。マッカーサー指令で通信の重要部門が国の管理となり一般官庁に技術と人員を提供。1968年時点資本金4億円・従業員1150名
    • [11]1953年日本電信電話公社発足と共に二級技術認定、1954年機械工事一級
    • [12]1953年日本電信電話公社発足と共に二級技術認定、1954年機械工事一級

1956年〜総合一級業者になった大明電話工業と、資本金1億2000万円での店頭公開

大明電話工業は1958年に通信機械工事、1961年に伝送無線工事でも一級への昇格を認められた。これで線路・機械・伝送無線の全部門が一級となり、総合一級業者の資格を得た。発注元の電電公社は、1953年度から電信電話サービス改善の長期計画を立てて事業を進めていた。東洋電機通信工業は大明電話工業に先んじ、1956年に線路工事で一級を得て、1958年には機械・電力・線路・土木の各部門で総合一級業者となった。1962年ごろ、大明電話工業の主な受注先は日本電信電話公社だった。公社の長期計画が機械や無線の工事量も押し上げるなかで、部門を問わず受注できる資格が競争の焦点になったと考えられる。

  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [16]1958年通信機械工事、1961年伝送無線工事が一級に昇格し総合一級業者。電電公社は1953年から長期計画
    • [17]1958年通信機械工事、1961年伝送無線工事が一級に昇格し総合一級業者。電電公社は1953年から長期計画
    • [18]1958年通信機械工事、1961年伝送無線工事が一級に昇格し総合一級業者。電電公社は1953年から長期計画
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [19]1956年線路工事一級、1958年機械・電力・線路・土木各部門で総合一級業者
  • 株式会社年鑑 1962年版「大明電話工業」
    • [20]主な取引先(受注先)に日本電信電話公社・日立製作所ほか

大明電話工業は1961年までに大阪支店を置き、京都・奈良・和歌山・佐野に出張所を開設していた。1962年ごろには大阪支店と横浜支店を構え、出張所は千葉・仙台・札幌にもあった。一方で、大明電話工業が工事参加資格の認定を受けていた相手は東京電気通信局だった。近畿電気通信局の管内で工事量が膨らむにつれ、地元に本拠を置いて資格を持つ工事会社の必要が高まったと思われる。

  • 証券業報 138 1961年4月「大明電話工業(株)」新規店頭売買承認会社紹介
    • [21]1961年時点で横浜・大阪に支店、京都・千葉・奈良・和歌山・佐野等に出張所。東京電気通信局から各種電気通信設備工事の参加資格認定
    • [23]1961年時点で横浜・大阪に支店、京都・千葉・奈良・和歌山・佐野等に出張所。東京電気通信局から各種電気通信設備工事の参加資格認定
  • 株式会社年鑑 1962年版「大明電話工業」
    • [22]大阪支店・横浜支店、出張所に千葉・京都・奈良・和歌山・佐野・仙台・札幌

大明電話工業の株式は1961年3月22日に店頭売買の承認を受け、4月1日に売買が始まった。当時の社長は久津五郎氏、資本金は1億2,000万円、発行済株式は240万株。承認時の株主は391名で、大株主には中与通信機や日立製作所・日本電気・沖電気工業といった取引先が並んだ。1963年3月末の短期借入金は総額3億4,900万円にのぼり、同じ時点で株式は東京証券取引所第二部に上場していた。東洋電機通信工業も1963年8月に東京証券取引所第二部へ株式を上場した。工事の資材や未成工事の立替を借入だけで賄うのは難しく、2社とも株式による資金調達を始めたと推測される。

  • 証券業報 138 1961年4月「大明電話工業(株)」新規店頭売買承認会社紹介
    • [24]1961年3月22日店頭売買承認、4月1日開始。社長久津五郎、資本金1億2000万円、発行済240万株、株主391名、大株主に中与通信機・日立製作所・日本電気・沖電気工業ほか
    • [25]1961年3月22日店頭売買承認、4月1日開始。社長久津五郎、資本金1億2000万円、発行済240万株、株主391名、大株主に中与通信機・日立製作所・日本電気・沖電気工業ほか
    • [26]1961年3月22日店頭売買承認、4月1日開始。社長久津五郎、資本金1億2000万円、発行済240万株、株主391名、大株主に中与通信機・日立製作所・日本電気・沖電気工業ほか
  • 株式会社年鑑 1964年版「大明電話工業」
    • [27]1963年3月31日現在の短期借入金総額349百万円、上場市場は東京市場第二部
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [28]1963年8月東京証券取引所第二部へ上場
参考文献[16]-[28]
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [16]1958年通信機械工事、1961年伝送無線工事が一級に昇格し総合一級業者。電電公社は1953年から長期計画
    • [17]1958年通信機械工事、1961年伝送無線工事が一級に昇格し総合一級業者。電電公社は1953年から長期計画
    • [18]1958年通信機械工事、1961年伝送無線工事が一級に昇格し総合一級業者。電電公社は1953年から長期計画
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [19]1956年線路工事一級、1958年機械・電力・線路・土木各部門で総合一級業者
    • [28]1963年8月東京証券取引所第二部へ上場
  • 株式会社年鑑 1962年版「大明電話工業」
    • [20]主な取引先(受注先)に日本電信電話公社・日立製作所ほか
    • [22]大阪支店・横浜支店、出張所に千葉・京都・奈良・和歌山・佐野・仙台・札幌
  • 証券業報 138 1961年4月「大明電話工業(株)」新規店頭売買承認会社紹介
    • [21]1961年時点で横浜・大阪に支店、京都・千葉・奈良・和歌山・佐野等に出張所。東京電気通信局から各種電気通信設備工事の参加資格認定
    • [23]1961年時点で横浜・大阪に支店、京都・千葉・奈良・和歌山・佐野等に出張所。東京電気通信局から各種電気通信設備工事の参加資格認定
    • [24]1961年3月22日店頭売買承認、4月1日開始。社長久津五郎、資本金1億2000万円、発行済240万株、株主391名、大株主に中与通信機・日立製作所・日本電気・沖電気工業ほか
    • [25]1961年3月22日店頭売買承認、4月1日開始。社長久津五郎、資本金1億2000万円、発行済240万株、株主391名、大株主に中与通信機・日立製作所・日本電気・沖電気工業ほか
    • [26]1961年3月22日店頭売買承認、4月1日開始。社長久津五郎、資本金1億2000万円、発行済240万株、株主391名、大株主に中与通信機・日立製作所・日本電気・沖電気工業ほか
  • 株式会社年鑑 1964年版「大明電話工業」
    • [27]1963年3月31日現在の短期借入金総額349百万円、上場市場は東京市場第二部

1964年〜電電公社第4次長期計画の5兆3790億円と、3社の東証一部・大証二部

電電公社は1968年度から1972年度までの第4次長期計画を組み、5年間の総予算を5兆3,790億円と見込んだ。計画の目標は、申し込みを受けながら架設できない175万台の電話を最終年度までに解消することにある。1968年時点の大明電話工業は社長が伊藤誠氏、資本金4億800万円、従業員1,430名で、事業のほとんどが電電公社関連だった。1971年度からは総額8兆5,000億円の7カ年計画に移り、大明電話工業は1972年9月期に受注225億8,100万円、完工高156億9,200万円を計上した。受注は前の期から61億円近く増えた。公社の投資額が、そのまま工事業者の受注の上限を決める構造だったとみてよい。

  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [29]第4次長期計画(1968〜1972年度)総予算5兆3790億円、175万台の積滞解消が目標。社長伊藤誠、資本金4億800万円、従業員1430名、事業のほとんどが電電公社関連
    • [30]第4次長期計画(1968〜1972年度)総予算5兆3790億円、175万台の積滞解消が目標。社長伊藤誠、資本金4億800万円、従業員1430名、事業のほとんどが電電公社関連
    • [31]第4次長期計画(1968〜1972年度)総予算5兆3790億円、175万台の積滞解消が目標。社長伊藤誠、資本金4億800万円、従業員1430名、事業のほとんどが電電公社関連
  • 経済知識 251 1973年2月
    • [32]1971年度から総額8兆5000億円の7カ年計画。1972年9月期受注225億8100万円(前期比約61億円増)、完工高156億9200万円
    • [33]1971年度から総額8兆5000億円の7カ年計画。1972年9月期受注225億8100万円(前期比約61億円増)、完工高156億9200万円

東洋電機通信工業は1964年10月の東京オリンピックで、国立競技場の競技記録表示装置を手がけた。同じ会場では構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置の工事も請け負った。1968年時点の事業は通信線路・通信機械・通信土木に電気設備工事を加えた構成で、電話局の特殊照明や会社の照明施設も対象にしていた。受注総額の約85%は電電公社、残る約15%は一般官庁と大手民間会社である。大明電話工業の事業が線路・土木・機械の3部門に収まっていたのとは異なる構成だった。電気設備の工事を持つことが、公社の発注の増減をならす手段になっていたのではないか。

  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [34]1964年東京オリンピックで国立競技場の競技記録表示装置、構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置。事業に電気設備工事・特殊照明・照明施設工事。受注の約85%が電電公社、15%が一般官庁・大手民間
    • [35]1964年東京オリンピックで国立競技場の競技記録表示装置、構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置。事業に電気設備工事・特殊照明・照明施設工事。受注の約85%が電電公社、15%が一般官庁・大手民間
    • [36]1964年東京オリンピックで国立競技場の競技記録表示装置、構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置。事業に電気設備工事・特殊照明・照明施設工事。受注の約85%が電電公社、15%が一般官庁・大手民間
    • [37]1964年東京オリンピックで国立競技場の競技記録表示装置、構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置。事業に電気設備工事・特殊照明・照明施設工事。受注の約85%が電電公社、15%が一般官庁・大手民間
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [38]1968年時点の事業は線路工事・土木工事・機械工事の3部門

大明電話工業は1973年、3年ぶりの増資を決め、1月31日現在の株主への2対1の有償割当に352万株の公募を併せた。新資本金は14億円となり、東京証券取引所第一部への上場資格を満たす見通しになった。手取り資金のうち1億5,000万円はシールド工事関係の機械設備に充て、残りは運転資金と設備投資に充当する計画である。1968年時点で事業のほとんどは電電公社関連で、受注先の偏りは変わっていなかった。東洋電機通信工業は1963年8月から東京証券取引所第二部に株式を上場していた。公社の工事規模に合わせて資本を積み増すには、一部上場という調達の手段が要ると読める。

  • 経済知識 251 1973年2月
    • [39]1973年に3年ぶりの増資(2対1有償割当+公募352万株)で新資本金14億円、一部上場資格を満たす見込み。手取金のうち1億5000万円をシールド工事関係機械設備、残りは運転資金・設備投資
    • [40]1973年に3年ぶりの増資(2対1有償割当+公募352万株)で新資本金14億円、一部上場資格を満たす見込み。手取金のうち1億5000万円をシールド工事関係機械設備、残りは運転資金・設備投資
    • [41]1973年に3年ぶりの増資(2対1有償割当+公募352万株)で新資本金14億円、一部上場資格を満たす見込み。手取金のうち1億5000万円をシールド工事関係機械設備、残りは運転資金・設備投資
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [42]1968年時点で事業のほとんどが電電公社関連
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [43]1963年8月東証二部上場
参考文献[29]-[43]
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
    • [29]第4次長期計画(1968〜1972年度)総予算5兆3790億円、175万台の積滞解消が目標。社長伊藤誠、資本金4億800万円、従業員1430名、事業のほとんどが電電公社関連
    • [30]第4次長期計画(1968〜1972年度)総予算5兆3790億円、175万台の積滞解消が目標。社長伊藤誠、資本金4億800万円、従業員1430名、事業のほとんどが電電公社関連
    • [31]第4次長期計画(1968〜1972年度)総予算5兆3790億円、175万台の積滞解消が目標。社長伊藤誠、資本金4億800万円、従業員1430名、事業のほとんどが電電公社関連
    • [38]1968年時点の事業は線路工事・土木工事・機械工事の3部門
    • [42]1968年時点で事業のほとんどが電電公社関連
  • 経済知識 251 1973年2月
    • [32]1971年度から総額8兆5000億円の7カ年計画。1972年9月期受注225億8100万円(前期比約61億円増)、完工高156億9200万円
    • [33]1971年度から総額8兆5000億円の7カ年計画。1972年9月期受注225億8100万円(前期比約61億円増)、完工高156億9200万円
    • [39]1973年に3年ぶりの増資(2対1有償割当+公募352万株)で新資本金14億円、一部上場資格を満たす見込み。手取金のうち1億5000万円をシールド工事関係機械設備、残りは運転資金・設備投資
    • [40]1973年に3年ぶりの増資(2対1有償割当+公募352万株)で新資本金14億円、一部上場資格を満たす見込み。手取金のうち1億5000万円をシールド工事関係機械設備、残りは運転資金・設備投資
    • [41]1973年に3年ぶりの増資(2対1有償割当+公募352万株)で新資本金14億円、一部上場資格を満たす見込み。手取金のうち1億5000万円をシールド工事関係機械設備、残りは運転資金・設備投資
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
    • [34]1964年東京オリンピックで国立競技場の競技記録表示装置、構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置。事業に電気設備工事・特殊照明・照明施設工事。受注の約85%が電電公社、15%が一般官庁・大手民間
    • [35]1964年東京オリンピックで国立競技場の競技記録表示装置、構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置。事業に電気設備工事・特殊照明・照明施設工事。受注の約85%が電電公社、15%が一般官庁・大手民間
    • [36]1964年東京オリンピックで国立競技場の競技記録表示装置、構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置。事業に電気設備工事・特殊照明・照明施設工事。受注の約85%が電電公社、15%が一般官庁・大手民間
    • [37]1964年東京オリンピックで国立競技場の競技記録表示装置、構内電話交換装置、場内放送装置、火災報知機装置。事業に電気設備工事・特殊照明・照明施設工事。受注の約85%が電電公社、15%が一般官庁・大手民間
    • [43]1963年8月東証二部上場

出典・参考

6件
出典・参考
  • 株式会社年鑑 1962年版「大明電話工業」
  • 株式会社年鑑 1964年版「大明電話工業」
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「大明電話工業」
  • 企業の歴史 明治百年 1968年「東洋電機通信工業」
  • 証券業報 138 1961年4月「大明電話工業(株)」新規店頭売買承認会社紹介
  • 経済知識 251 1973年2月

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