日亜化学工業:GaAlAsエピウエハによる半導体参入と窒化ガリウム系LEDの研究
1983年〜赤色LEDの量産競争からの撤退と、窒化ガリウムという選択
蛍光体で国内首位を取った後も、日亜化学工業は蛍光体だけに頼る体質から抜けようとした。蛍光体の世界需要は照明用8,000トンを含めて約1万トンにとどまり、市場規模そのものに限りがあった。そこで蛍光体事業から上がる利益を元手に、売上高の1割前後にあたる研究費を毎年投じた。小川氏がこの素子に目を向けたのは、米モンサント社がLEDを開発した1965年頃にさかのぼる。大企業から頼まれて半導体用ガリウムの精製も請け負っていた。1983年には、赤外線LEDに使うガリウムアルミニウム砒素のエピタキシャルウエハを製造し、販売に乗り出した。しかし大手企業の要望を営業が拾い、それに合わせて苦心の末に製品化しても、2度とも価格の競り合いで他社に及ばず、事業としてはほぼ成り立たなかった。開発を受け持った中村修二氏にとって、この負けが他社と同じ研究を続けるのをやめると決める出発点になった。
- 商工ジャーナル 1994年7月号
- [1]蛍光体の需要は世界全体で約1万トン(うち照明用は8千トン)にすぎず、蛍光体だけでは市場規模に限界があった
- 日経ビジネス 1994年3月7日号
- [2]蛍光体事業から上がる利益を背景に、売上高の1割前後にあたる研究費を毎年投入した
- 商工ジャーナル 1996年1月号
- [3]米モンサント社が1965年頃にLEDを初めて開発し、日亜化学工業も大企業の委託を受けて半導体用ガリウムの精製を行っていた
- 日亜化学工業 公式サイト「わたしたちのあゆみ」
- [4]1983年に赤外線LED用GaAlAsエピウエハの製造・販売を開始した
- 日経ビジネス 1994年6月6日号
- [5]中村には過去に2回の苦い思い出があり、営業部隊が大手企業から聞いてきたものを苦労して製品化したが、2回とも大手との価格競争に敗れてほとんど商売にならなかった
- [6]以来、多少リスクがあっても大手と横並びの研究には取り組まないという信念が中村修二に芽生えた
日亜化学工業はまず赤色系のLEDに取り組み、最初の製品こそ暗かったものの、やり直して市販品を上回る高輝度の製品にたどり着いた。しかしその時期には大手各社が量産態勢に入って価格競争の段階へ進んでおり、中小企業の日亜が続けても利がないと小川氏は判断した。代わりに選んだのが、難しいとされていた高輝度の青色LEDだった。当時、赤は数カンデラ、緑は500ミリカンデラの製品が作られていたのに対し、青色は10ミリカンデラ程度の光しか出せず、カンデラ級の青は20世紀中には実現しないとまで言われた領域である。青色を発光する材料の候補は窒化ガリウム、セレン化亜鉛、炭化珪素の3つで、炭化珪素は変換効率が悪く理論的にも高輝度化が難しい。
- 商工ジャーナル 1996年1月号
- [7]まず赤色系LEDの開発に取り組み、最初のものは暗かったが、やり直して市販品より高輝度の製品ができた
- [8]その時期には大手企業が量産化の態勢に入り価格競争の段階に入っており、中小企業の日亜が続けてもメリットがないと判断した
- [9]当時は赤が数カンデラ、緑が500ミリカンデラの製品が作られる一方、青色LEDは10ミリカンデラ程度しか出せず、カンデラ級の青は今世紀中にはできないとも言われていた
- [10]青色を発光する材料の候補は窒化ガリウム、セレン化亜鉛、炭化珪素の3つで、炭化珪素は変換効率が悪く理論的にも高輝度化が困難とされた
参考文献[1]-[10]
- 商工ジャーナル 1994年7月号
- [1]蛍光体の需要は世界全体で約1万トン(うち照明用は8千トン)にすぎず、蛍光体だけでは市場規模に限界があった
- 日経ビジネス 1994年3月7日号
- [2]蛍光体事業から上がる利益を背景に、売上高の1割前後にあたる研究費を毎年投入した
- 商工ジャーナル 1996年1月号
- [3]米モンサント社が1965年頃にLEDを初めて開発し、日亜化学工業も大企業の委託を受けて半導体用ガリウムの精製を行っていた
- [7]まず赤色系LEDの開発に取り組み、最初のものは暗かったが、やり直して市販品より高輝度の製品ができた
- [8]その時期には大手企業が量産化の態勢に入り価格競争の段階に入っており、中小企業の日亜が続けてもメリットがないと判断した
- [9]当時は赤が数カンデラ、緑が500ミリカンデラの製品が作られる一方、青色LEDは10ミリカンデラ程度しか出せず、カンデラ級の青は今世紀中にはできないとも言われていた
- [10]青色を発光する材料の候補は窒化ガリウム、セレン化亜鉛、炭化珪素の3つで、炭化珪素は変換効率が悪く理論的にも高輝度化が困難とされた
- 日亜化学工業 公式サイト「わたしたちのあゆみ」
- [4]1983年に赤外線LED用GaAlAsエピウエハの製造・販売を開始した
- 日経ビジネス 1994年6月6日号
- [5]中村には過去に2回の苦い思い出があり、営業部隊が大手企業から聞いてきたものを苦労して製品化したが、2回とも大手との価格競争に敗れてほとんど商売にならなかった
- [6]以来、多少リスクがあっても大手と横並びの研究には取り組まないという信念が中村修二に芽生えた
出典・参考
5件
- 日亜化学工業 公式サイト「わたしたちのあゆみ」
- 商工ジャーナル 1994年7月号
- 日経ビジネス 1994年3月7日号
- 日経ビジネス 1994年6月6日号
- 商工ジャーナル 1996年1月号