第1章 年〜年

沖縄電力:沖縄電力の設立と五配電会社の吸収合併

1972年〜琉球電力公社を継いだ資本金137億28百万円の特殊法人と、五配電会社が残った配電

琉球電力公社の発送電は、1972年5月の本土復帰と同時に、国と県が出資する特殊法人の沖縄電力株式会社へ移った。通商産業省が比べた移管先の候補は、本土の9電力会社か電源開発㈱への吸収、県営または県公社、新しい特殊法人の3案である。9電力会社への編入には地元の反対が強く、電源開発㈱に配電まで担わせると地元の意向が届かないとして、第1案は退けられた。県営案は財政負担が重く、琉球政府も積極的でなかったため、合併の手続きが容易な特殊法人案が1971年9月の第3次復帰対策要綱に入った。形態は公社・公団方式と株式会社方式を将来の民営化への移行まで含めて比べ、株式会社方式の採用で決着。株式会社を選んだ時点で、のちに民営へ移る余地は制度のうえで残されていたとみられる。

  • 証券 1992年4月号
    • [1]1972年5月、沖縄振興開発特別措置法に基づき国と県の共同出資で沖縄電力が設立され、琉球電力公社の業務を継承
  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第3節「沖縄電力の設立」
    • [2]移管先は9電力・電源開発㈱吸収/県営・県公社/特殊法人の3案。第1案は地元反対と電発の本来業務・地元意向の点で退け、県営は財政負担で見送り、特殊法人案を第3次復帰対策要綱(1971年9月3日)に盛り込む。将来の民営化も比較し株式会社案を採用
    • [3]移管先は9電力・電源開発㈱吸収/県営・県公社/特殊法人の3案。第1案は地元反対と電発の本来業務・地元意向の点で退け、県営は財政負担で見送り、特殊法人案を第3次復帰対策要綱(1971年9月3日)に盛り込む。将来の民営化も比較し株式会社案を採用
    • [4]移管先は9電力・電源開発㈱吸収/県営・県公社/特殊法人の3案。第1案は地元反対と電発の本来業務・地元意向の点で退け、県営は財政負担で見送り、特殊法人案を第3次復帰対策要綱(1971年9月3日)に盛り込む。将来の民営化も比較し株式会社案を採用
    • [5]移管先は9電力・電源開発㈱吸収/県営・県公社/特殊法人の3案。第1案は地元反対と電発の本来業務・地元意向の点で退け、県営は財政負担で見送り、特殊法人案を第3次復帰対策要綱(1971年9月3日)に盛り込む。将来の民営化も比較し株式会社案を採用

沖縄電力は1972年5月13日に東京の帝国ホテルで創立総会を開催し、本土復帰の5月15日に営業を始めた。社長には元琉球政府行政主席の松岡政保氏が選ばれ、8月には沖縄・北方対策庁参事官だった久手堅憲次氏が代表取締役専務に就任した。資本金は国が公社の資産137億2,648万円を現物出資し、琉球政府が154万円を現金で出した計137億2,802万円。出資比率では国が99.99%を占め、琉球政府の持分は復帰の日に沖縄県へ承継される。新しい事業形態を選ぶ物差しは、1969年9月に通商産業省の電気事業実態調査団が示した4つの条件にあった。現行の電気料金を値上げしないことと、沖縄全島の未点灯・時間送電区域を解消することが、その中に入っていた。

  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第3節「沖縄電力の設立」
    • [6]1972年5月13日帝国ホテルで創立総会、社長に松岡政保(元琉球政府行政主席)、5月15日営業開始。8月8日久手堅憲次(沖縄・北方対策庁参事官)を代表取締役専務に選任
    • [7]1972年5月13日帝国ホテルで創立総会、社長に松岡政保(元琉球政府行政主席)、5月15日営業開始。8月8日久手堅憲次(沖縄・北方対策庁参事官)を代表取締役専務に選任
    • [8]設立時資本金は国の現物出資137億2,648万円(99.99%)と琉球政府の現金出資154万円の計137億2,802万円。琉球政府の権利は復帰の日に沖縄県へ承継
    • [9]設立時資本金は国の現物出資137億2,648万円(99.99%)と琉球政府の現金出資154万円の計137億2,802万円。琉球政府の権利は復帰の日に沖縄県へ承継
    • [10]1969年9月の通産省調査団が将来の事業形態の4条件を提示。料金を値上げしない、全島の未点灯・時間送電区域の解消など
    • [11]1969年9月の通産省調査団が将来の事業形態の4条件を提示。料金を値上げしない、全島の未点灯・時間送電区域の解消など

発送電を引き継いだ沖縄電力とは別に、沖縄本島の配電は沖縄配電・中央配電・比謝川配電・松岡配電・名護配電の5社が担い続けた。5配電会社が復帰前に統合して公社の業務を継ぐ構想は、合併比率や役員構成の食い違いから1971年7月ごろに振り出しに戻った。「1電力・5配電」の体制では各社の間で料金水準とサービス水準に格差が生じやすく、効率的な運営の妨げとなった。そこで通商産業省は1972年8月28日、公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設けた。審議事項には、発送配電の一貫体制の確立と並んで料金格差の是正も含まれる。委員には社長の松岡政保氏と5配電会社の社長、労働組合と消費者の代表が加わった。

  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第4節「電気事業の一元化」
    • [12]1972年8月28日、通産省公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設置。審議事項は発送配電の一貫体制確立・料金格差の是正など。委員に松岡政保と5配電会社社長・労組・婦人連合会など
    • [15]1972年8月28日、通産省公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設置。審議事項は発送配電の一貫体制確立・料金格差の是正など。委員に松岡政保と5配電会社社長・労組・婦人連合会など
    • [16]1972年8月28日、通産省公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設置。審議事項は発送配電の一貫体制確立・料金格差の是正など。委員に松岡政保と5配電会社社長・労組・婦人連合会など
    • [17]1972年8月28日、通産省公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設置。審議事項は発送配電の一貫体制確立・料金格差の是正など。委員に松岡政保と5配電会社社長・労組・婦人連合会など
  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第3節「沖縄電力の設立」
    • [13]5配電会社の統合は合併比率・役員構成の食い違いで難航し、1971年7月ごろ暗礁に乗り上げ振り出しに戻る
  • 沖縄電力十五年史(1989)あらまし
    • [14]「1電力,5配電」体制は効率的運営の阻害要因で、料金水準・サービス水準の格差が生じやすかった
参考文献[1]-[17]
  • 証券 1992年4月号
    • [1]1972年5月、沖縄振興開発特別措置法に基づき国と県の共同出資で沖縄電力が設立され、琉球電力公社の業務を継承
  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第3節「沖縄電力の設立」
    • [2]移管先は9電力・電源開発㈱吸収/県営・県公社/特殊法人の3案。第1案は地元反対と電発の本来業務・地元意向の点で退け、県営は財政負担で見送り、特殊法人案を第3次復帰対策要綱(1971年9月3日)に盛り込む。将来の民営化も比較し株式会社案を採用
    • [3]移管先は9電力・電源開発㈱吸収/県営・県公社/特殊法人の3案。第1案は地元反対と電発の本来業務・地元意向の点で退け、県営は財政負担で見送り、特殊法人案を第3次復帰対策要綱(1971年9月3日)に盛り込む。将来の民営化も比較し株式会社案を採用
    • [4]移管先は9電力・電源開発㈱吸収/県営・県公社/特殊法人の3案。第1案は地元反対と電発の本来業務・地元意向の点で退け、県営は財政負担で見送り、特殊法人案を第3次復帰対策要綱(1971年9月3日)に盛り込む。将来の民営化も比較し株式会社案を採用
    • [5]移管先は9電力・電源開発㈱吸収/県営・県公社/特殊法人の3案。第1案は地元反対と電発の本来業務・地元意向の点で退け、県営は財政負担で見送り、特殊法人案を第3次復帰対策要綱(1971年9月3日)に盛り込む。将来の民営化も比較し株式会社案を採用
    • [6]1972年5月13日帝国ホテルで創立総会、社長に松岡政保(元琉球政府行政主席)、5月15日営業開始。8月8日久手堅憲次(沖縄・北方対策庁参事官)を代表取締役専務に選任
    • [7]1972年5月13日帝国ホテルで創立総会、社長に松岡政保(元琉球政府行政主席)、5月15日営業開始。8月8日久手堅憲次(沖縄・北方対策庁参事官)を代表取締役専務に選任
    • [8]設立時資本金は国の現物出資137億2,648万円(99.99%)と琉球政府の現金出資154万円の計137億2,802万円。琉球政府の権利は復帰の日に沖縄県へ承継
    • [9]設立時資本金は国の現物出資137億2,648万円(99.99%)と琉球政府の現金出資154万円の計137億2,802万円。琉球政府の権利は復帰の日に沖縄県へ承継
    • [10]1969年9月の通産省調査団が将来の事業形態の4条件を提示。料金を値上げしない、全島の未点灯・時間送電区域の解消など
    • [11]1969年9月の通産省調査団が将来の事業形態の4条件を提示。料金を値上げしない、全島の未点灯・時間送電区域の解消など
    • [13]5配電会社の統合は合併比率・役員構成の食い違いで難航し、1971年7月ごろ暗礁に乗り上げ振り出しに戻る
  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第4節「電気事業の一元化」
    • [12]1972年8月28日、通産省公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設置。審議事項は発送配電の一貫体制確立・料金格差の是正など。委員に松岡政保と5配電会社社長・労組・婦人連合会など
    • [15]1972年8月28日、通産省公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設置。審議事項は発送配電の一貫体制確立・料金格差の是正など。委員に松岡政保と5配電会社社長・労組・婦人連合会など
    • [16]1972年8月28日、通産省公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設置。審議事項は発送配電の一貫体制確立・料金格差の是正など。委員に松岡政保と5配電会社社長・労組・婦人連合会など
    • [17]1972年8月28日、通産省公益事業局長の諮問機関として沖縄電気事業協議会を設置。審議事項は発送配電の一貫体制確立・料金格差の是正など。委員に松岡政保と5配電会社社長・労組・婦人連合会など
  • 沖縄電力十五年史(1989)あらまし
    • [14]「1電力,5配電」体制は効率的運営の阻害要因で、料金水準・サービス水準の格差が生じやすかった

1973年〜一元化の中間報告が描いた6社の統合と、転換社債で取得した五配電会社の株式

沖縄電気事業協議会は1973年7月13日の第5回会合で、沖縄電力を軸に6社を統合合併する中間報告を全員一致で採択した。それまでの審議の争点は、合併と営業譲渡のどちらを採るかという一点である。1973年2月に通商産業省は、資本金約147億円の沖縄電力と総額約12億円の5配電会社では対等合併に無理があるとして、営業譲渡の方法を提案。中間報告は合併を妥当としたうえで、5配電会社の従業員を沖縄電力に引き継ぎ、一元化の後は県民を主軸とする民営へ速やかに移るよう求めた。報告を受けて1973年7月17日に関係6社の社長による沖縄電気事業合併準備委員会が発足し、委員長に松岡政保氏が就任した。各社はこの報告に沿って、合併の準備に入った。

  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第4節「電気事業の一元化」
    • [18]1973年7月13日の第5回会合で沖縄電力を軸とする統合合併の中間報告を全員一致で採択。同年2月に通産省が資本金格差(約147億円対約12億円)から営業譲渡を提案。報告は合併形式を妥当とし、従業員の引継ぎ、県民主軸の民営への早期移行を明記
    • [19]1973年7月13日の第5回会合で沖縄電力を軸とする統合合併の中間報告を全員一致で採択。同年2月に通産省が資本金格差(約147億円対約12億円)から営業譲渡を提案。報告は合併形式を妥当とし、従業員の引継ぎ、県民主軸の民営への早期移行を明記
    • [20]1973年7月13日の第5回会合で沖縄電力を軸とする統合合併の中間報告を全員一致で採択。同年2月に通産省が資本金格差(約147億円対約12億円)から営業譲渡を提案。報告は合併形式を妥当とし、従業員の引継ぎ、県民主軸の民営への早期移行を明記
    • [21]1973年7月13日の第5回会合で沖縄電力を軸とする統合合併の中間報告を全員一致で採択。同年2月に通産省が資本金格差(約147億円対約12億円)から営業譲渡を提案。報告は合併形式を妥当とし、従業員の引継ぎ、県民主軸の民営への早期移行を明記
    • [22]1973年7月17日、関係6社の社長で沖縄電気事業合併準備委員会を発足、委員長に松岡政保
  • 沖縄電力十五年史(1989)あらまし
    • [23]1973年7月の中間報告に基づき一元化が具体化し、各社とも合併準備に入る

燃料のすべてを石油に依存していた沖縄電力は、第1次石油危機を受けて1974年11月から料金の値上げを迫られた。1974年度の決算は63億円余の赤字となり、5配電会社の株主に自社株を割り当てる対等合併は事実上できなくなった。代わりに、沖縄電力が5配電会社の全株式を取得し、民営化のときに旧株主が新会社の株主になれる方式が浮上。資金は財政出資・公庫融資・普通社債・転換社債の4案から、赤字会社でも発行でき将来の株主の地位にも結びつく転換社債が選ばれた。1975年7月7日に社長の諮問機関として5配電会社株価評価委員会が置かれ、11月7日の報告で株価が定まった。沖縄電力は公開買付けで82万1,940株を取得し、1976年1月に総額39億円・利率年8.9%の転換社債を発行した。

  • 沖縄電力十五年史(1989)あらまし
    • [24]燃料の100%を石油に依存し、1974年11月以降4回の料金値上げを余儀なくされた
  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第4節「電気事業の一元化」
    • [25]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [26]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [27]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [28]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [29]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行

1976年1月30日、合併準備委員会と沖縄電力労働組合が確認書を交わし、5配電会社の全従業員の身分が保障された。委託契約の検針員と集金員も、全員が引継ぎの対象である。2月7日に沖縄電力と5配電会社は本店講堂で合併契約に調印し、社長の松岡政保氏が挨拶で掲げた抱負は『今後は,沖縄電力1社の独占事業となるが,これまで以上にサービス面を強化していきたい』というものだった。同月26日に各社の臨時株主総会が契約を承認し、独占禁止法の30日間の期間を経て1976年4月1日に合併が実現した。これで沖縄県を供給区域とする発電・送電・変電・配電の一貫供給体制が整った。6月28日の定時株主総会での報告と7月7日の合併登記を経て、一元化の手続きはすべて終わった。

  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第4節「電気事業の一元化」
    • [30]1976年1月30日、合併準備委員会と沖縄電力労働組合が確認書を交換し、5配電会社の全従業員の身分を保障。検針員・集金員も全員引継ぎ
    • [31]1976年1月30日、合併準備委員会と沖縄電力労働組合が確認書を交換し、5配電会社の全従業員の身分を保障。検針員・集金員も全員引継ぎ
    • [32]1976年2月7日合併契約調印、2月26日各社臨時株主総会で承認、4月1日合併実現、6月28日定時総会で報告、7月7日合併登記完了
    • [33]1976年2月7日合併契約調印、2月26日各社臨時株主総会で承認、4月1日合併実現、6月28日定時総会で報告、7月7日合併登記完了
    • [35]1976年2月7日合併契約調印、2月26日各社臨時株主総会で承認、4月1日合併実現、6月28日定時総会で報告、7月7日合併登記完了
  • 証券 1992年4月号
    • [34]1976年4月、5配電会社を吸収合併し沖縄県を供給区域とする発送配電の一貫供給体制を確立
参考文献[18]-[35]
  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第4節「電気事業の一元化」
    • [18]1973年7月13日の第5回会合で沖縄電力を軸とする統合合併の中間報告を全員一致で採択。同年2月に通産省が資本金格差(約147億円対約12億円)から営業譲渡を提案。報告は合併形式を妥当とし、従業員の引継ぎ、県民主軸の民営への早期移行を明記
    • [19]1973年7月13日の第5回会合で沖縄電力を軸とする統合合併の中間報告を全員一致で採択。同年2月に通産省が資本金格差(約147億円対約12億円)から営業譲渡を提案。報告は合併形式を妥当とし、従業員の引継ぎ、県民主軸の民営への早期移行を明記
    • [20]1973年7月13日の第5回会合で沖縄電力を軸とする統合合併の中間報告を全員一致で採択。同年2月に通産省が資本金格差(約147億円対約12億円)から営業譲渡を提案。報告は合併形式を妥当とし、従業員の引継ぎ、県民主軸の民営への早期移行を明記
    • [21]1973年7月13日の第5回会合で沖縄電力を軸とする統合合併の中間報告を全員一致で採択。同年2月に通産省が資本金格差(約147億円対約12億円)から営業譲渡を提案。報告は合併形式を妥当とし、従業員の引継ぎ、県民主軸の民営への早期移行を明記
    • [22]1973年7月17日、関係6社の社長で沖縄電気事業合併準備委員会を発足、委員長に松岡政保
    • [25]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [26]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [27]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [28]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [29]1974年度決算は63億円余の赤字で株式割当による対等合併は不可能に。全株式買取り方式へ転じ、4案から転換社債を採用。1975年7月7日株価評価委員会設置、11月7日報告。公開買付けで82万1,940株を取得、1976年1月に第1回物上担保付転換社債39億円(年8.9%)を発行
    • [30]1976年1月30日、合併準備委員会と沖縄電力労働組合が確認書を交換し、5配電会社の全従業員の身分を保障。検針員・集金員も全員引継ぎ
    • [31]1976年1月30日、合併準備委員会と沖縄電力労働組合が確認書を交換し、5配電会社の全従業員の身分を保障。検針員・集金員も全員引継ぎ
    • [32]1976年2月7日合併契約調印、2月26日各社臨時株主総会で承認、4月1日合併実現、6月28日定時総会で報告、7月7日合併登記完了
    • [33]1976年2月7日合併契約調印、2月26日各社臨時株主総会で承認、4月1日合併実現、6月28日定時総会で報告、7月7日合併登記完了
    • [35]1976年2月7日合併契約調印、2月26日各社臨時株主総会で承認、4月1日合併実現、6月28日定時総会で報告、7月7日合併登記完了
  • 沖縄電力十五年史(1989)あらまし
    • [23]1973年7月の中間報告に基づき一元化が具体化し、各社とも合併準備に入る
    • [24]燃料の100%を石油に依存し、1974年11月以降4回の料金値上げを余儀なくされた
  • 証券 1992年4月号
    • [34]1976年4月、5配電会社を吸収合併し沖縄県を供給区域とする発送配電の一貫供給体制を確立

1980年〜電源開発㈱に建設を要請した石川石炭火力発電所と、名護市大湿帯の点灯

2度の石油危機を経て、沖縄電力の料金値上げは1974年11月以降の4回に及ぶ。それでも累積赤字は膨らみ、1980年度末には168億円に達して債務超過に陥った。1980年6月からは久手堅憲次氏が社長を務めた。同年9月、沖縄電力は1984年5月に運転開始予定の石川石油火力3号機に代えて、電源開発㈱に石炭火力発電所の建設を要請した。沖縄電力には石油火力しか運転した経験が無く、石炭火力の建設は電源開発㈱に委ねた。電源開発㈱は1984年2月に着工し、1986年11月に1号機、1987年3月に2号機の運転を始めた。出力は2基で31万2,000kWとなり、沖縄電力は県内需要の40%を同発電所からの受電で賄う体制へ移った。

  • 沖縄電力十五年史(1989)あらまし
    • [36]燃料の100%を石油に依存し、1974年11月以降4回の料金値上げ。1980年度末に累積赤字168億円で債務超過。石川石炭火力は1・2号機計31万2,000kW、2号機運転開始の1987年3月に県内需要の40%を受電で賄う
    • [37]燃料の100%を石油に依存し、1974年11月以降4回の料金値上げ。1980年度末に累積赤字168億円で債務超過。石川石炭火力は1・2号機計31万2,000kW、2号機運転開始の1987年3月に県内需要の40%を受電で賄う
    • [42]燃料の100%を石油に依存し、1974年11月以降4回の料金値上げ。1980年度末に累積赤字168億円で債務超過。石川石炭火力は1・2号機計31万2,000kW、2号機運転開始の1987年3月に県内需要の40%を受電で賄う
  • 沖縄電力十五年史(1989)年表
    • [38]1980年6月26日、久手堅憲次が社長に就任
  • 沖縄電力十五年史(1989)2章 第1節「安定供給の達成」
    • [39]1980年9月、1984年5月運転開始予定の石川石油火力3号機に代えて電源開発㈱に石炭火力建設を要請。1984年2月着工、1986年11月1号機、1987年3月2号機運転開始
    • [41]1980年9月、1984年5月運転開始予定の石川石油火力3号機に代えて電源開発㈱に石炭火力建設を要請。1984年2月着工、1986年11月1号機、1987年3月2号機運転開始
  • 証券 1992年4月号
    • [40]石油以外の発電設備のノウハウがなかったこと等から、電源開発㈱が石川石炭火力発電所を建設

沖縄本島で最後まで未供給地域に残った名護市大湿帯は、1981年12月まで電気が届かず、1982年に点灯した。大湿帯への送電が遅れた理由は、需要家が負う工事費負担金の高さにある。離島では6島と西表島の舟浮地区が、公社への移管を果たせないまま未供給地域に残された。これらの地域は県や市町村の補助で自家発電を置き、1日10〜18時間の時限供給にとどまった。1980年から1985年にかけて、大神島・本部町水納島・鳩間島の3島が自家発電から、海底ケーブルを通じた沖縄電力の供給へ切り替わった。1969年の調査団が掲げた未点灯の解消を、沖縄本島では設立から10年で果たしたと推察される。

  • 沖縄電力十五年史(1989)年表
    • [43]1982年、名護市源河大湿帯点灯
  • 沖縄電力十五年史(1989)3章 第6節「未供給地域振興への協力と供給対策」
    • [44]名護市大湿帯は工事費負担金が高額で1981年12月まで未供給。公社に移管できなかった離島と舟浮地区は自家発電で1日10〜18時間の時限供給。1980〜85年に大神島・本部町水納島・鳩間島を当社供給へ切替
    • [45]名護市大湿帯は工事費負担金が高額で1981年12月まで未供給。公社に移管できなかった離島と舟浮地区は自家発電で1日10〜18時間の時限供給。1980〜85年に大神島・本部町水納島・鳩間島を当社供給へ切替
    • [46]名護市大湿帯は工事費負担金が高額で1981年12月まで未供給。公社に移管できなかった離島と舟浮地区は自家発電で1日10〜18時間の時限供給。1980〜85年に大神島・本部町水納島・鳩間島を当社供給へ切替
    • [47]名護市大湿帯は工事費負担金が高額で1981年12月まで未供給。公社に移管できなかった離島と舟浮地区は自家発電で1日10〜18時間の時限供給。1980〜85年に大神島・本部町水納島・鳩間島を当社供給へ切替
参考文献[36]-[47]
  • 沖縄電力十五年史(1989)あらまし
    • [36]燃料の100%を石油に依存し、1974年11月以降4回の料金値上げ。1980年度末に累積赤字168億円で債務超過。石川石炭火力は1・2号機計31万2,000kW、2号機運転開始の1987年3月に県内需要の40%を受電で賄う
    • [37]燃料の100%を石油に依存し、1974年11月以降4回の料金値上げ。1980年度末に累積赤字168億円で債務超過。石川石炭火力は1・2号機計31万2,000kW、2号機運転開始の1987年3月に県内需要の40%を受電で賄う
    • [42]燃料の100%を石油に依存し、1974年11月以降4回の料金値上げ。1980年度末に累積赤字168億円で債務超過。石川石炭火力は1・2号機計31万2,000kW、2号機運転開始の1987年3月に県内需要の40%を受電で賄う
  • 沖縄電力十五年史(1989)年表
    • [38]1980年6月26日、久手堅憲次が社長に就任
    • [43]1982年、名護市源河大湿帯点灯
  • 沖縄電力十五年史(1989)2章 第1節「安定供給の達成」
    • [39]1980年9月、1984年5月運転開始予定の石川石油火力3号機に代えて電源開発㈱に石炭火力建設を要請。1984年2月着工、1986年11月1号機、1987年3月2号機運転開始
    • [41]1980年9月、1984年5月運転開始予定の石川石油火力3号機に代えて電源開発㈱に石炭火力建設を要請。1984年2月着工、1986年11月1号機、1987年3月2号機運転開始
  • 証券 1992年4月号
    • [40]石油以外の発電設備のノウハウがなかったこと等から、電源開発㈱が石川石炭火力発電所を建設
  • 沖縄電力十五年史(1989)3章 第6節「未供給地域振興への協力と供給対策」
    • [44]名護市大湿帯は工事費負担金が高額で1981年12月まで未供給。公社に移管できなかった離島と舟浮地区は自家発電で1日10〜18時間の時限供給。1980〜85年に大神島・本部町水納島・鳩間島を当社供給へ切替
    • [45]名護市大湿帯は工事費負担金が高額で1981年12月まで未供給。公社に移管できなかった離島と舟浮地区は自家発電で1日10〜18時間の時限供給。1980〜85年に大神島・本部町水納島・鳩間島を当社供給へ切替
    • [46]名護市大湿帯は工事費負担金が高額で1981年12月まで未供給。公社に移管できなかった離島と舟浮地区は自家発電で1日10〜18時間の時限供給。1980〜85年に大神島・本部町水納島・鳩間島を当社供給へ切替
    • [47]名護市大湿帯は工事費負担金が高額で1981年12月まで未供給。公社に移管できなかった離島と舟浮地区は自家発電で1日10〜18時間の時限供給。1980〜85年に大神島・本部町水納島・鳩間島を当社供給へ切替

出典・参考

7件
出典・参考
  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第3節「沖縄電力の設立」
  • 沖縄電力十五年史(1989)1章 第4節「電気事業の一元化」
  • 沖縄電力十五年史(1989)あらまし
  • 沖縄電力十五年史(1989)年表
  • 沖縄電力十五年史(1989)2章 第1節「安定供給の達成」
  • 沖縄電力十五年史(1989)3章 第6節「未供給地域振興への協力と供給対策」
  • 証券 1992年4月号

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