スルガ銀行:東証一部上場とスルガカードの設立
1957年〜創業者から子と孫への頭取の継承と、東京証券取引所への上場
駿河銀行は1957年10月に定款を改めて取締役会長の職を設け、11月に93歳の岡野喜太郎氏を会長に、副頭取の岡野豪夫氏を第2代頭取に選んだ。岡野豪夫氏は岡野喜太郎氏の長男で、1914年の入行から経営の補佐を務めてきた67歳の銀行家である。創業者が会長、子が頭取、孫の岡野喜一郎氏が専務という3代の体制がここで整った。1958年9月の狩野川台風では伊豆の3支店と1出張所が浸水し、行員3人が犠牲となった。それでも1959年春に総預金は500億円に達し、同年10月に資本金を12億円とした。1960年12月には本部に外国部を置き、本店営業部など3店で外国為替の取扱いを始めた。
- するが90年の歩み(1985)
- [1]昭和32年10月に定款を変更し取締役会長を置き、11月に満93歳の岡野喜太郎を会長、副頭取岡野豪夫を頭取に選任。豪夫は喜太郎の長男で大正3年入行、満67歳。33年9月の狩野川台風で伊豆長岡・伊東・伊東駅の3支店と伊東岡出張所が被災し行員3名死亡。34年春に総預金500億円、10月に資本金12億円。35年12月に外国部を設置し3店で外国為替業務を開始
- [2]昭和32年10月に定款を変更し取締役会長を置き、11月に満93歳の岡野喜太郎を会長、副頭取岡野豪夫を頭取に選任。豪夫は喜太郎の長男で大正3年入行、満67歳。33年9月の狩野川台風で伊豆長岡・伊東・伊東駅の3支店と伊東岡出張所が被災し行員3名死亡。34年春に総預金500億円、10月に資本金12億円。35年12月に外国部を設置し3店で外国為替業務を開始
- [4]昭和32年10月に定款を変更し取締役会長を置き、11月に満93歳の岡野喜太郎を会長、副頭取岡野豪夫を頭取に選任。豪夫は喜太郎の長男で大正3年入行、満67歳。33年9月の狩野川台風で伊豆長岡・伊東・伊東駅の3支店と伊東岡出張所が被災し行員3名死亡。34年春に総預金500億円、10月に資本金12億円。35年12月に外国部を設置し3店で外国為替業務を開始
- [5]昭和32年10月に定款を変更し取締役会長を置き、11月に満93歳の岡野喜太郎を会長、副頭取岡野豪夫を頭取に選任。豪夫は喜太郎の長男で大正3年入行、満67歳。33年9月の狩野川台風で伊豆長岡・伊東・伊東駅の3支店と伊東岡出張所が被災し行員3名死亡。34年春に総預金500億円、10月に資本金12億円。35年12月に外国部を設置し3店で外国為替業務を開始
- [6]昭和32年10月に定款を変更し取締役会長を置き、11月に満93歳の岡野喜太郎を会長、副頭取岡野豪夫を頭取に選任。豪夫は喜太郎の長男で大正3年入行、満67歳。33年9月の狩野川台風で伊豆長岡・伊東・伊東駅の3支店と伊東岡出張所が被災し行員3名死亡。34年春に総預金500億円、10月に資本金12億円。35年12月に外国部を設置し3店で外国為替業務を開始
- 企業の現代史47(1969)「しあわせをそだてて70年(駿河銀行)」
- [3]先年までは喜太郎翁が会長、息子の豪夫が頭取、孫の喜一郎が専務取締役
高度成長で地域の経済が膨らむなか、駿河銀行の総預金は1962年9月に1,000億円を超えた。同年7月に資本金を24億円へ増資し、10月には名古屋支店を開設した。1963年11月に東京証券取引所の市場第二部へ株式を上場し、同じ月に大阪支店を設けて、東京、名古屋、大阪の3大都市圏を結ぶ店舗網を整えた。12月には集中計算室を設け、事務の機械化に着手した。1964年3月には静岡県、4月には神奈川県の指定代理金融機関となった。上場と3大都市圏への出店を同時に進めたのは、地元に偏った預金と貸出の基盤を、資本市場と大都市の取引先の両面から広げる狙いがあったのだろう。
- するが90年の歩み(1985)
- [7]37年9月に総預金1,000億円突破、7月に資本金24億円、10月に名古屋支店開設。38年11月に東証2部上場、同月大阪支店開設で東京・名古屋・大阪を結ぶ。39年3月静岡県、4月神奈川県の指定代理金融機関
- [8]37年9月に総預金1,000億円突破、7月に資本金24億円、10月に名古屋支店開設。38年11月に東証2部上場、同月大阪支店開設で東京・名古屋・大阪を結ぶ。39年3月静岡県、4月神奈川県の指定代理金融機関
- [10]37年9月に総預金1,000億円突破、7月に資本金24億円、10月に名古屋支店開設。38年11月に東証2部上場、同月大阪支店開設で東京・名古屋・大阪を結ぶ。39年3月静岡県、4月神奈川県の指定代理金融機関
- [12]37年9月に総預金1,000億円突破、7月に資本金24億円、10月に名古屋支店開設。38年11月に東証2部上場、同月大阪支店開設で東京・名古屋・大阪を結ぶ。39年3月静岡県、4月神奈川県の指定代理金融機関
- スルガ銀行 有価証券報告書 第215期(2026年6月17日)【沿革】
- [9]1963年11月 東京証券取引所市場第二部に株式を上場
- スルガ銀行公式サイト「沿革」(2026年10月時点)
- [11]1963年 東京証券取引所市場第二部に上場、集中計算室設置
1964年8月22日、岡野豪夫氏が74歳で急逝した。翌23日の取締役会は専務の岡野喜一郎氏を第3代頭取に選び、47歳での就任は当時国内で最年少の頭取として注目を集めた。岡野喜一郎氏は幼いころから祖父の岡野喜太郎氏のもとで経営者としての教育を受けていた。1965年2月、駿河銀行は東京証券取引所の市場第一部に上場した。同年6月6日には岡野喜太郎氏が101歳で死去し、葬儀は沼津市と駿河銀行の合同で営まれた。創業者の存命中に孫への継承を終えていたことで、頭取の急逝は経営の断絶につながらなかったとみられる。
- するが90年の歩み(1985)
- [13]39年8月22日に岡野豪夫が74歳で急逝、23日の取締役会で専務岡野喜一郎を新頭取に選任。就任時満47歳で国内最年少の頭取。幼いころから祖父喜太郎に帝王学を教えこまれた。40年6月6日に会長岡野喜太郎が101歳で死去、6月12日に沼津市と本行の合同葬
- [14]39年8月22日に岡野豪夫が74歳で急逝、23日の取締役会で専務岡野喜一郎を新頭取に選任。就任時満47歳で国内最年少の頭取。幼いころから祖父喜太郎に帝王学を教えこまれた。40年6月6日に会長岡野喜太郎が101歳で死去、6月12日に沼津市と本行の合同葬
- [15]39年8月22日に岡野豪夫が74歳で急逝、23日の取締役会で専務岡野喜一郎を新頭取に選任。就任時満47歳で国内最年少の頭取。幼いころから祖父喜太郎に帝王学を教えこまれた。40年6月6日に会長岡野喜太郎が101歳で死去、6月12日に沼津市と本行の合同葬
- [17]39年8月22日に岡野豪夫が74歳で急逝、23日の取締役会で専務岡野喜一郎を新頭取に選任。就任時満47歳で国内最年少の頭取。幼いころから祖父喜太郎に帝王学を教えこまれた。40年6月6日に会長岡野喜太郎が101歳で死去、6月12日に沼津市と本行の合同葬
- スルガ銀行 有価証券報告書 第215期(2026年6月17日)【沿革】
- [16]1965年2月 東京証券取引所市場第一部に上場
1965年〜人事の若返りと、地場産業を海外へつなぐ仲介
岡野喜一郎氏は頭取に就任すると、平均60歳前後だった支店長に40歳代の行員を登用し始めた。新任の役席者は選抜試験で選び、平均年齢を35歳前後に下げる目標を掲げた。融資については、『人と事業に見込みがなければ、いくら担保があっても融資しない』と語り、担保よりも相手の人物と事業の見込みを重く見た。取引先には大昭和製紙や東洋醸造、伊東のハトヤホテルなどの地元企業があり、富士吉原の製紙業者には紙幣用紙や証券用紙などの特殊紙への転換を後押しした。規模の小さい会社が大手と同じ紙を漉いても競争劣位を免れないというのが、岡野喜一郎氏の見立てであった。担保の額ではなく事業の筋で貸す方針は、取引先の業態転換に銀行が関与する余地を広げたと思われる。
- するが90年の歩み(1985)
- [18]従来支店長は平均年齢60歳前後だったが優秀な人材は40歳代でも抜擢。新任人事は役席者選抜試験により、最終的に平均年齢35歳前後を目標
- [19]従来支店長は平均年齢60歳前後だったが優秀な人材は40歳代でも抜擢。新任人事は役席者選抜試験により、最終的に平均年齢35歳前後を目標
- 実業の世界 1968年10月号
- [20]人と事業に見込みがなければいくら担保があっても融資しない主義。大昭和製紙・東洋醸造・ハトヤホテルなどの取引。富士吉原の製紙業を紙幣用紙・証券用紙など付加価値の大きい特殊製紙に転換。大製紙会社と同じ紙では小さい会社は太刀打ちできないと述べた
- [21]人と事業に見込みがなければいくら担保があっても融資しない主義。大昭和製紙・東洋醸造・ハトヤホテルなどの取引。富士吉原の製紙業を紙幣用紙・証券用紙など付加価値の大きい特殊製紙に転換。大製紙会社と同じ紙では小さい会社は太刀打ちできないと述べた
- [22]人と事業に見込みがなければいくら担保があっても融資しない主義。大昭和製紙・東洋醸造・ハトヤホテルなどの取引。富士吉原の製紙業を紙幣用紙・証券用紙など付加価値の大きい特殊製紙に転換。大製紙会社と同じ紙では小さい会社は太刀打ちできないと述べた
静岡県は預金が県外へ流れやすく、県内の金融機関の預貸率は全国平均より10ポイントほど低かった。駿河銀行は1968年5月に紙・パルプの中小企業の経営者を組織して北欧の製紙業を視察させ、のちに豊年製紙がノルウェーから製紙機械を輸入する仲立ちをした。同じ年、岡野喜一郎氏は静岡の茶の栽培と加工の技術者を台湾へ移し、そこから海外へ輸出する構想を持っていた。1969年には経済視察団の団長として東アフリカを訪れ、ケニア政府と丸善製茶が出資する緑茶の合弁会社の計画をまとめた。資本金3,000万円の折半出資で、現地で半製品に加工して日本へ輸入する事業である。貸出先の乏しい地元で、地場産業の海外展開を仲介して資金需要を生むことに、地方銀行の新たな役割を求めたのだろう。
- 日経ビジネス 1970年7月号
- [23]静岡県の金融機関の預貸率は全国平均より10ポイント低い。43年5月に紙・パルプの中小企業経営者を組織し北欧を視察、豊年製紙がノルウェーから製紙機械を輸入。岡野頭取が経済視察団長として東アフリカを訪問し、ケニア政府と折半出資・資本金3,000万円の緑茶の合弁会社(日本側は丸善製茶)を設立する計画。現地で半製品にして開発輸入
- [24]静岡県の金融機関の預貸率は全国平均より10ポイント低い。43年5月に紙・パルプの中小企業経営者を組織し北欧を視察、豊年製紙がノルウェーから製紙機械を輸入。岡野頭取が経済視察団長として東アフリカを訪問し、ケニア政府と折半出資・資本金3,000万円の緑茶の合弁会社(日本側は丸善製茶)を設立する計画。現地で半製品にして開発輸入
- [26]静岡県の金融機関の預貸率は全国平均より10ポイント低い。43年5月に紙・パルプの中小企業経営者を組織し北欧を視察、豊年製紙がノルウェーから製紙機械を輸入。岡野頭取が経済視察団長として東アフリカを訪問し、ケニア政府と折半出資・資本金3,000万円の緑茶の合弁会社(日本側は丸善製茶)を設立する計画。現地で半製品にして開発輸入
- [27]静岡県の金融機関の預貸率は全国平均より10ポイント低い。43年5月に紙・パルプの中小企業経営者を組織し北欧を視察、豊年製紙がノルウェーから製紙機械を輸入。岡野頭取が経済視察団長として東アフリカを訪問し、ケニア政府と折半出資・資本金3,000万円の緑茶の合弁会社(日本側は丸善製茶)を設立する計画。現地で半製品にして開発輸入
- 実業の世界 1968年10月号
- [25]静岡県の茶の栽培加工技術者を台湾に移住させ、アメリカ・アフリカなどへ輸出したらと考えている。地銀は地場の中小企業の海外進出の調査研究に力を注ぐべき
事務の機械化では、1967年3月の東京駿河ビルの完成と同時にIBM360を導入し、預金と貸金の集中処理を始めた。1971年には地方銀行で初めての情報集計所を駿河平に完成させ、東京にあった集中計算部を移した。同年10月に三島駅前支店からオンラインを稼働させ、1973年に全店のオンライン化を終えた。1974年には現金自動支払機を全店で稼働させた。総預金は1973年10月に5,000億円を超え、1979年3月期の決算で1兆円の大台に達した。6年半で倍増した預金を少ない人手でさばく仕組みを先に整えていたことが、のちの個人向け商品の拡大を支えたとみられる。
- するが90年の歩み(1985)
- [28]42年3月の東京・駿河ビル完成と同時にIBM360を導入し預金・貸金のオンライン集中処理を開始。46年に情報集計所完成に伴い東京の集中計算部を駿河平に移転、10月に三島駅前支店からオンライン開始。48年10月に5,000億円、54年3月決算で総預金1兆円を達成し6年半で倍増
- [30]42年3月の東京・駿河ビル完成と同時にIBM360を導入し預金・貸金のオンライン集中処理を開始。46年に情報集計所完成に伴い東京の集中計算部を駿河平に移転、10月に三島駅前支店からオンライン開始。48年10月に5,000億円、54年3月決算で総預金1兆円を達成し6年半で倍増
- [33]42年3月の東京・駿河ビル完成と同時にIBM360を導入し預金・貸金のオンライン集中処理を開始。46年に情報集計所完成に伴い東京の集中計算部を駿河平に移転、10月に三島駅前支店からオンライン開始。48年10月に5,000億円、54年3月決算で総預金1兆円を達成し6年半で倍増
- スルガ銀行公式サイト「沿革」(2026年10月時点)
- [29]1971年 地方銀行初の情報集計所完成。1974年 現金自動支払機(CD)全店稼働
- [32]1971年 地方銀行初の情報集計所完成。1974年 現金自動支払機(CD)全店稼働
- スルガ銀行 有価証券報告書 第215期(2026年6月17日)【沿革】
- [31]1973年6月 オンラインシステムの全店稼動
1978年〜カードローンとクレジットカードの子会社、40歳の頭取とカタカナの行名
1978年4月、駿河銀行は地方銀行で初めて個人向けのカードローンの申込みの受付を始めた。同じ年の10月16日には、住宅ローンの拡大に備えて保証会社の東光信用保証を設立した。東海地区の地方銀行が保証会社を持つのは、これが初めての例である。1978年春にはキャッシュカードの発行枚数が60万枚を突破。1980年11月にはクレジットカードと保証を担う子会社を設立し、国際ブランドのVISAと提携したカードの発行を始めた。法人の資金需要が伸び悩むなか、個人の借入れを審査と保証の両面から引き受ける仕組みを先に揃えたことが、個人向け融資への傾斜の起点になったと推察される。
- スルガ銀行公式サイト「沿革」(2026年10月時点)
- [34]1978年 カードローン、地方銀行初の申込受付開始。1980年 クレジットカードおよび保証会社スルガカード(株)を設立
- [38]1978年 カードローン、地方銀行初の申込受付開始。1980年 クレジットカードおよび保証会社スルガカード(株)を設立
- するが90年の歩み(1985)
- [35]53年4月、地銀他行に先がけて個人対象の〈するが〉カードローンの取扱開始。10月16日に東光信用保証を設立し住宅ローンの拡大と強化に対処、東海地区地銀初の保証会社。同年4月にキャッシュカード60万枚突破。55年11月にグループ新会社を設立しVISAと提携したカードを発行
- [36]53年4月、地銀他行に先がけて個人対象の〈するが〉カードローンの取扱開始。10月16日に東光信用保証を設立し住宅ローンの拡大と強化に対処、東海地区地銀初の保証会社。同年4月にキャッシュカード60万枚突破。55年11月にグループ新会社を設立しVISAと提携したカードを発行
- [37]53年4月、地銀他行に先がけて個人対象の〈するが〉カードローンの取扱開始。10月16日に東光信用保証を設立し住宅ローンの拡大と強化に対処、東海地区地銀初の保証会社。同年4月にキャッシュカード60万枚突破。55年11月にグループ新会社を設立しVISAと提携したカードを発行
- [39]53年4月、地銀他行に先がけて個人対象の〈するが〉カードローンの取扱開始。10月16日に東光信用保証を設立し住宅ローンの拡大と強化に対処、東海地区地銀初の保証会社。同年4月にキャッシュカード60万枚突破。55年11月にグループ新会社を設立しVISAと提携したカードを発行
1981年3月、岡野喜一郎氏は会長に退き、副頭取の岡野喜久麿氏が第4代頭取に就任した。岡野喜一郎氏は、足かけ18年の任期は長すぎるとして交代を決めた。同年6月に新銀行法が公布されると、駿河銀行は決算を年1回に改め、郵便貯金の定額貯金に対抗する期日指定定期預金「おおぞら」を発売した。1982年にはシステム開発のスルガコンピューターサービスと企業経営研究所の設立が続いた。研究所は専務だった岡野光喜氏の発案で、慶應義塾大学ビジネス・スクールの教授を所長に招いた。金利の自由化を控え、預金を商品として設計し直す段階に入っていたのだろう。
- スルガ銀行公式サイト「沿革」(2026年10月時点)
- [40]1981年 会長に岡野喜一郎、頭取に岡野喜久麿が就任。1982年 システム開発会社スルガコンピューターサービス(株)設立、財団法人企業経営研究所設立
- [43]1981年 会長に岡野喜一郎、頭取に岡野喜久麿が就任。1982年 システム開発会社スルガコンピューターサービス(株)設立、財団法人企業経営研究所設立
- するが90年の歩み(1985)
- [41]56年3月に会長頭取制を復活、喜一郎会長は足かけ18年の任期は長すぎると心境を述べた。新銀行法の公布を受け年1回決算に改定。郵貯定額貯金に対抗する期日指定定期預金おおぞらを発売。57年7月に企業経営研究所が発足、岡野光喜(当時専務)の発意で慶応義塾大学ビジネス・スクールの片岡一郎教授を所長に委嘱
- [42]56年3月に会長頭取制を復活、喜一郎会長は足かけ18年の任期は長すぎると心境を述べた。新銀行法の公布を受け年1回決算に改定。郵貯定額貯金に対抗する期日指定定期預金おおぞらを発売。57年7月に企業経営研究所が発足、岡野光喜(当時専務)の発意で慶応義塾大学ビジネス・スクールの片岡一郎教授を所長に委嘱
- [44]56年3月に会長頭取制を復活、喜一郎会長は足かけ18年の任期は長すぎると心境を述べた。新銀行法の公布を受け年1回決算に改定。郵貯定額貯金に対抗する期日指定定期預金おおぞらを発売。57年7月に企業経営研究所が発足、岡野光喜(当時専務)の発意で慶応義塾大学ビジネス・スクールの片岡一郎教授を所長に委嘱
1985年5月21日、岡野喜久麿氏が退任し、専務の岡野光喜氏が第5代頭取に就任した。1945年生まれの岡野光喜氏は、米国留学を経て富士銀行でロンドン支店や国際部に勤め、1975年に駿河銀行へ移った40歳で、地方銀行で最年少の頭取となった。同年7月には国際業務の足がかりとして、ニューヨーク駐在員事務所が開設された。1989年、駿河銀行は個人の顧客を主な取引相手とするリテールバンキングへ方針を転換した。1990年には社名の表示を漢字からカタカナの「スルガ銀行」に改めた。岡野光喜氏は改称の理由を、『書けない、読めない、では企業の名前を覚えていただけない』と語った。
- するが90年の歩み(1985)
- [45]60年5月21日に岡野喜久麿頭取が勇退し、専務岡野光喜が頭取に就任。昭和20年生まれ、慶応大学卒業後アメリカ留学を経て富士銀行に入行しロンドン支店・国際部を歴任、50年に本行入行。40歳で地銀最年少の頭取
- [46]60年5月21日に岡野喜久麿頭取が勇退し、専務岡野光喜が頭取に就任。昭和20年生まれ、慶応大学卒業後アメリカ留学を経て富士銀行に入行しロンドン支店・国際部を歴任、50年に本行入行。40歳で地銀最年少の頭取
- スルガ銀行公式サイト「沿革」(2026年10月時点)
- [47]1985年 岡野光喜第五代頭取に就任、ニューヨーク駐在員事務所開設。1990年 社名表示を「スルガ銀行」に変更
- [49]1985年 岡野光喜第五代頭取に就任、ニューヨーク駐在員事務所開設。1990年 社名表示を「スルガ銀行」に変更
- スルガ銀行公式サイト「スルガ銀行の歩み」(2026年10月時点)
- [48]1989年 リテールバンキングへ舵を切る
- DECIDE 1990年8巻2号
- [50]カタカナの社名にした理由は、新しいイメージで21世紀へ挑戦する姿を示すことと、戦後生まれの世代に駿河の字が書けない・読めない人が増え社名を覚えてもらえないこと
業績の推移
売上構成 データなし
業績表
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | ||
| 1956年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1957年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1958年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1959年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1960年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1961年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1962年 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1963年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1964年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1965年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1966年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | 18 | n/a |
| 1967年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1968年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1969年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1970年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1971年03月期 | 単体 | 237 | n/a | 49 | 24 | 10.1% |
| 1972年03月期 | 単体 | 266 | +12.2% | 52 | 25 | 9.4% |
| 1973年03月期 | 単体 | 291 | +9.4% | 50 | 25 | 8.6% |
| 1974年03月期 | 単体 | 381 | +30.9% | 66 | 33 | 8.7% |
| 1975年03月期 | 単体 | 514 | +34.9% | 102 | 46 | 8.9% |
| 1976年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 562 | n/a | 72 | 30 | 5.3% |
| 1980年03月期 | 単体 | 632 | +12.5% | 49 | 30 | 4.7% |
| 1981年03月期 | 単体 | 805 | +27.4% | 56 | 30 | 3.7% |
| 1982年03月期 | 単体 | 821 | +2.0% | 56 | 26 | 3.2% |
| 1983年03月期 | 単体 | 790 | ▲3.8% | 56 | 25 | 3.2% |
| 1984年03月期 | 単体 | 839 | +6.2% | 61 | 29 | 3.5% |
| 1985年03月期 | 単体 | 859 | +2.4% | 57 | 21 | 2.4% |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑(1967年版)半期合算、会社年鑑(1976年版)半期合算、会社年鑑(1986年版)半期合算、会社年鑑
経営陣 データなし
大株主 データなし
- [1]スルガ銀行 有価証券報告書 第215期(2026年6月17日)【沿革】
- [2]するが90年の歩み(1985)
- [3]スルガ銀行公式サイト「スルガ銀行の歩み」(2026年10月時点)
- [4]企業の現代史47(1969)「しあわせをそだてて70年(駿河銀行)」
- [5]実業の世界 1968年10月号
- [6]日経ビジネス 1970年7月号
- [7]DECIDE 1990年8巻2号
- [8]スルガ銀行公式サイト「沿革」(2026年10月時点)