細谷英二
経歴1968〜2012年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1968年主要役職の状況(推定含む目安)2012年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 日本国有鉄道 | 1968 | 入社 | ||
| 1985 | 天王寺鉄道管理局総務部長 | ||||
| 1985 | 経営計画室計画主幹 | ||||
| 1987 | 設立準備室次長 | ||||
| 東日本旅客鉄道 | 1987 | 総合企画本部投資計画部長 | |||
| 1990 | 総合企画本部経営管理部長 | ||||
| 1993 | 取締役 | ||||
| 1996 | 常務取締役 | ||||
| 2000 | 代表取締役副社長事業創造本部長 | ||||
| りそなホールディングス | 2003 | 入社 取締役 代表執行役会長 | |||
| 2012 | 退任 | ||||
| りそな銀行 | 2003 | 取締役 代表執行役会長 | |||
| 2005 | 代表取締役会長 | ||||
| 他 | 経済同友会 | 2002 | 副代表幹事 |
プロ経営者としての経歴と施策
プロ経営者としての経歴と施策
細谷英二氏は1968年4月に日本国有鉄道へ入社し、経理局などの管理部門を歩んだ。1985年3月に天王寺鉄道管理局総務部長、同年7月に経営計画室計画主幹となり、1987年4月の分割民営化で東日本旅客鉄道の総合企画本部投資計画部長に就任した。同社では1993年6月に取締役、1996年6月に常務取締役、2000年6月に代表取締役副社長兼事業創造本部長となった。
- 日経ビジネス 2003年6月23日号
- [1]1968年に国鉄入社。経理局や総裁室秘書課など管理部門の中枢を歩む。改革を推進する姿勢が疎まれ85年3月には地方に出されたが、わずか4カ月で本社の経営計画室計画主幹に返り咲いた。「首脳陣の刷新が必要」と明記した文書に署名、当時の中曽根康弘首相に直訴した「血判状」組の1人。JR東日本では財務担当の常務や関連企業約100社を統括する副社長を務めた。6月末で東日本キヨスク社長への転出が決まっていた。「銀行は特別な産業だという意識が強すぎた」
- りそなホールディングス 有価証券報告書(2006年3月期)【役員の状況】
- [2]昭和20年2月24日生。昭和43年4月 日本国有鉄道入社/昭和60年3月 同 天王寺鉄道管理局総務部長/昭和60年7月 同 経営計画室計画主幹/昭和62年1月 同 東日本旅客鉄道株式会社設立準備室次長/昭和62年4月 東日本旅客鉄道株式会社 総合企画本部投資計画部長/平成2年6月 同 総合企画本部経営管理部長/平成5年6月 同 取締役/平成8年6月 同 常務取締役/平成12年6月 同 代表取締役副社長 事業創造本部長/平成14年4月 社団法人経済同友会 副代表幹事/平成15年6月 りそな銀行 取締役兼代表執行役会長/平成15年6月 りそなホールディングス 取締役兼代表執行役会長/平成17年6月 りそな銀行 代表取締役会長
- [3]昭和20年2月24日生。昭和43年4月 日本国有鉄道入社/昭和60年3月 同 天王寺鉄道管理局総務部長/昭和60年7月 同 経営計画室計画主幹/昭和62年1月 同 東日本旅客鉄道株式会社設立準備室次長/昭和62年4月 東日本旅客鉄道株式会社 総合企画本部投資計画部長/平成2年6月 同 総合企画本部経営管理部長/平成5年6月 同 取締役/平成8年6月 同 常務取締役/平成12年6月 同 代表取締役副社長 事業創造本部長/平成14年4月 社団法人経済同友会 副代表幹事/平成15年6月 りそな銀行 取締役兼代表執行役会長/平成15年6月 りそなホールディングス 取締役兼代表執行役会長/平成17年6月 りそな銀行 代表取締役会長
国鉄では抜本改革と首脳陣の刷新を求める文書に署名して当時の首相に直訴した改革派の1人で、改革を推したことが疎まれて1985年3月に地方へ出されたが、4か月で本社に戻った。井手正敬氏・松田昌士氏・葛西敬之氏の議論を整理する役回りを担い、改革派の議論は分割・民営化という結論に至った。JR東日本では鉄道に顧客管理の考え方を取り入れてクレジットカード「ビューカード」の事業を開始し、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」などの店舗を誘致した。財務担当の常務や、関連企業約100社を統括する副社長も務めている。
- 日経ビジネス 2003年6月23日号
- [4]1968年に国鉄入社。経理局や総裁室秘書課など管理部門の中枢を歩む。改革を推進する姿勢が疎まれ85年3月には地方に出されたが、わずか4カ月で本社の経営計画室計画主幹に返り咲いた。「首脳陣の刷新が必要」と明記した文書に署名、当時の中曽根康弘首相に直訴した「血判状」組の1人。JR東日本では財務担当の常務や関連企業約100社を統括する副社長を務めた。6月末で東日本キヨスク社長への転出が決まっていた。「銀行は特別な産業だという意識が強すぎた」
- [7]1968年に国鉄入社。経理局や総裁室秘書課など管理部門の中枢を歩む。改革を推進する姿勢が疎まれ85年3月には地方に出されたが、わずか4カ月で本社の経営計画室計画主幹に返り咲いた。「首脳陣の刷新が必要」と明記した文書に署名、当時の中曽根康弘首相に直訴した「血判状」組の1人。JR東日本では財務担当の常務や関連企業約100社を統括する副社長を務めた。6月末で東日本キヨスク社長への転出が決まっていた。「銀行は特別な産業だという意識が強すぎた」
- 日経ビジネス 2004年12月20日・27日号
- [5]鉄道事業に顧客管理の発想を持ち込みクレジットカード「ビューカード」の事業を始め、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」を入れた/井手正敬、松田昌士、葛西敬之の国鉄改革3人組の議論を整理する役回りで、結論が「分割・民営化」/りそなのトップを探してほしいと政府筋から頼まれた牛尾治朗(ウシオ電機会長)が細谷を推し(「銀行にしがらみもない。再建ができるのは彼のような男だと思った」)、昨年5月に会長就任を打診。金融業界の知人は誰もが「やめた方がいい」と助言。「経営者というのは、プロフェッショナルの仕事なんだ」という牛尾の口説き文句が後押し/委員会等設置会社に移行、トヨタ自動車や花王などから社外取締役/1兆7700億円の特別損失を計上し不良債権の後始末にメド/今期の中間決算で2108億円の最終利益、不良債権比率は2002年3月期末の10.3%から4.8%に
- [6]鉄道事業に顧客管理の発想を持ち込みクレジットカード「ビューカード」の事業を始め、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」を入れた/井手正敬、松田昌士、葛西敬之の国鉄改革3人組の議論を整理する役回りで、結論が「分割・民営化」/りそなのトップを探してほしいと政府筋から頼まれた牛尾治朗(ウシオ電機会長)が細谷を推し(「銀行にしがらみもない。再建ができるのは彼のような男だと思った」)、昨年5月に会長就任を打診。金融業界の知人は誰もが「やめた方がいい」と助言。「経営者というのは、プロフェッショナルの仕事なんだ」という牛尾の口説き文句が後押し/委員会等設置会社に移行、トヨタ自動車や花王などから社外取締役/1兆7700億円の特別損失を計上し不良債権の後始末にメド/今期の中間決算で2108億円の最終利益、不良債権比率は2002年3月期末の10.3%から4.8%に
りそなは2003年5月に預金保険法に基づく公的資金を申請した。政府筋から経営トップの人選を頼まれた牛尾治朗氏(ウシオ電機会長)が、銀行にしがらみが無い点も挙げて細谷英二氏を推し、同月に会長就任を打診した。JR東日本では東日本キヨスク社長への転出が決まっており、金融界の知人はそろって就任に反対したが、経営者はプロフェッショナルの仕事だとする牛尾治朗氏の説得を受けて引き受けた。2003年6月にりそなホールディングスとりそな銀行の取締役兼代表執行役会長に就任した。
- りそなホールディングス 公式サイト「沿革」
- [8]2003年5月 預金保険法に基づく公的資金を申請/6月 委員会等設置会社へ移行、会長にJR東日本副社長の細谷英二氏のほか社外取締役を招聘。最初の3か月間は財務改革・ガバナンス改革・組織風土改革/2004年1月 待ち時間ゼロ運動開始/4月 りそな銀行と埼玉りそな銀行で窓口営業時間平日17時までの延長開始/2005年9月 前身銀行ごとに異なっていた勘定系システムの統合完了/2009年4月 りそな銀行とりそな信託銀行の合併/2010年11月 りそな資本再構築プランを発表。2011年3月、公募増資等により預金保険法優先株式の返済を実施し、公的資金の残額をピーク比の約4分の1となる8,716億円に圧縮/2015年6月 総額3兆1,280億円あった公的資金を完済
- 日経ビジネス 2004年12月20日・27日号
- [9]鉄道事業に顧客管理の発想を持ち込みクレジットカード「ビューカード」の事業を始め、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」を入れた/井手正敬、松田昌士、葛西敬之の国鉄改革3人組の議論を整理する役回りで、結論が「分割・民営化」/りそなのトップを探してほしいと政府筋から頼まれた牛尾治朗(ウシオ電機会長)が細谷を推し(「銀行にしがらみもない。再建ができるのは彼のような男だと思った」)、昨年5月に会長就任を打診。金融業界の知人は誰もが「やめた方がいい」と助言。「経営者というのは、プロフェッショナルの仕事なんだ」という牛尾の口説き文句が後押し/委員会等設置会社に移行、トヨタ自動車や花王などから社外取締役/1兆7700億円の特別損失を計上し不良債権の後始末にメド/今期の中間決算で2108億円の最終利益、不良債権比率は2002年3月期末の10.3%から4.8%に
- [11]鉄道事業に顧客管理の発想を持ち込みクレジットカード「ビューカード」の事業を始め、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」を入れた/井手正敬、松田昌士、葛西敬之の国鉄改革3人組の議論を整理する役回りで、結論が「分割・民営化」/りそなのトップを探してほしいと政府筋から頼まれた牛尾治朗(ウシオ電機会長)が細谷を推し(「銀行にしがらみもない。再建ができるのは彼のような男だと思った」)、昨年5月に会長就任を打診。金融業界の知人は誰もが「やめた方がいい」と助言。「経営者というのは、プロフェッショナルの仕事なんだ」という牛尾の口説き文句が後押し/委員会等設置会社に移行、トヨタ自動車や花王などから社外取締役/1兆7700億円の特別損失を計上し不良債権の後始末にメド/今期の中間決算で2108億円の最終利益、不良債権比率は2002年3月期末の10.3%から4.8%に
- 日経ビジネス 2003年6月23日号
- [10]1968年に国鉄入社。経理局や総裁室秘書課など管理部門の中枢を歩む。改革を推進する姿勢が疎まれ85年3月には地方に出されたが、わずか4カ月で本社の経営計画室計画主幹に返り咲いた。「首脳陣の刷新が必要」と明記した文書に署名、当時の中曽根康弘首相に直訴した「血判状」組の1人。JR東日本では財務担当の常務や関連企業約100社を統括する副社長を務めた。6月末で東日本キヨスク社長への転出が決まっていた。「銀行は特別な産業だという意識が強すぎた」
- りそなホールディングス 有価証券報告書(2006年3月期)【役員の状況】
- [12]昭和20年2月24日生。昭和43年4月 日本国有鉄道入社/昭和60年3月 同 天王寺鉄道管理局総務部長/昭和60年7月 同 経営計画室計画主幹/昭和62年1月 同 東日本旅客鉄道株式会社設立準備室次長/昭和62年4月 東日本旅客鉄道株式会社 総合企画本部投資計画部長/平成2年6月 同 総合企画本部経営管理部長/平成5年6月 同 取締役/平成8年6月 同 常務取締役/平成12年6月 同 代表取締役副社長 事業創造本部長/平成14年4月 社団法人経済同友会 副代表幹事/平成15年6月 りそな銀行 取締役兼代表執行役会長/平成15年6月 りそなホールディングス 取締役兼代表執行役会長/平成17年6月 りそな銀行 代表取締役会長
同月に委員会等設置会社へ移行し、社外取締役にはトヨタ自動車や花王などの出身者を迎えた。就任後の3か月は財務改革・ガバナンス改革・組織風土改革に充て、1兆7,700億円の特別損失を計上して不良債権の処理にめどをつけた。2004年1月に「待ち時間ゼロ運動」を開始し、同年4月にりそな銀行と埼玉りそな銀行で窓口の営業時間を平日17時まで延長した。2005年9月に前身銀行ごとに異なっていた勘定系システムを統合し、2009年4月にはりそな信託銀行との合併で、りそな銀行に信託の機能を統合した。2010年11月に「りそな資本再構築プラン」を発表し、2011年3月の公募増資などで公的資金の残額をピークの約4分の1にあたる8,716億円に圧縮した。2012年11月4日に執行役を退任した。
- 日経ビジネス 2004年12月20日・27日号
- [13]鉄道事業に顧客管理の発想を持ち込みクレジットカード「ビューカード」の事業を始め、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」を入れた/井手正敬、松田昌士、葛西敬之の国鉄改革3人組の議論を整理する役回りで、結論が「分割・民営化」/りそなのトップを探してほしいと政府筋から頼まれた牛尾治朗(ウシオ電機会長)が細谷を推し(「銀行にしがらみもない。再建ができるのは彼のような男だと思った」)、昨年5月に会長就任を打診。金融業界の知人は誰もが「やめた方がいい」と助言。「経営者というのは、プロフェッショナルの仕事なんだ」という牛尾の口説き文句が後押し/委員会等設置会社に移行、トヨタ自動車や花王などから社外取締役/1兆7700億円の特別損失を計上し不良債権の後始末にメド/今期の中間決算で2108億円の最終利益、不良債権比率は2002年3月期末の10.3%から4.8%に
- [16]鉄道事業に顧客管理の発想を持ち込みクレジットカード「ビューカード」の事業を始め、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」を入れた/井手正敬、松田昌士、葛西敬之の国鉄改革3人組の議論を整理する役回りで、結論が「分割・民営化」/りそなのトップを探してほしいと政府筋から頼まれた牛尾治朗(ウシオ電機会長)が細谷を推し(「銀行にしがらみもない。再建ができるのは彼のような男だと思った」)、昨年5月に会長就任を打診。金融業界の知人は誰もが「やめた方がいい」と助言。「経営者というのは、プロフェッショナルの仕事なんだ」という牛尾の口説き文句が後押し/委員会等設置会社に移行、トヨタ自動車や花王などから社外取締役/1兆7700億円の特別損失を計上し不良債権の後始末にメド/今期の中間決算で2108億円の最終利益、不良債権比率は2002年3月期末の10.3%から4.8%に
- りそなホールディングス 公式サイト「沿革」
- [14]2003年5月 預金保険法に基づく公的資金を申請/6月 委員会等設置会社へ移行、会長にJR東日本副社長の細谷英二氏のほか社外取締役を招聘。最初の3か月間は財務改革・ガバナンス改革・組織風土改革/2004年1月 待ち時間ゼロ運動開始/4月 りそな銀行と埼玉りそな銀行で窓口営業時間平日17時までの延長開始/2005年9月 前身銀行ごとに異なっていた勘定系システムの統合完了/2009年4月 りそな銀行とりそな信託銀行の合併/2010年11月 りそな資本再構築プランを発表。2011年3月、公募増資等により預金保険法優先株式の返済を実施し、公的資金の残額をピーク比の約4分の1となる8,716億円に圧縮/2015年6月 総額3兆1,280億円あった公的資金を完済
- [15]2003年5月 預金保険法に基づく公的資金を申請/6月 委員会等設置会社へ移行、会長にJR東日本副社長の細谷英二氏のほか社外取締役を招聘。最初の3か月間は財務改革・ガバナンス改革・組織風土改革/2004年1月 待ち時間ゼロ運動開始/4月 りそな銀行と埼玉りそな銀行で窓口営業時間平日17時までの延長開始/2005年9月 前身銀行ごとに異なっていた勘定系システムの統合完了/2009年4月 りそな銀行とりそな信託銀行の合併/2010年11月 りそな資本再構築プランを発表。2011年3月、公募増資等により預金保険法優先株式の返済を実施し、公的資金の残額をピーク比の約4分の1となる8,716億円に圧縮/2015年6月 総額3兆1,280億円あった公的資金を完済
- [17]2003年5月 預金保険法に基づく公的資金を申請/6月 委員会等設置会社へ移行、会長にJR東日本副社長の細谷英二氏のほか社外取締役を招聘。最初の3か月間は財務改革・ガバナンス改革・組織風土改革/2004年1月 待ち時間ゼロ運動開始/4月 りそな銀行と埼玉りそな銀行で窓口営業時間平日17時までの延長開始/2005年9月 前身銀行ごとに異なっていた勘定系システムの統合完了/2009年4月 りそな銀行とりそな信託銀行の合併/2010年11月 りそな資本再構築プランを発表。2011年3月、公募増資等により預金保険法優先株式の返済を実施し、公的資金の残額をピーク比の約4分の1となる8,716億円に圧縮/2015年6月 総額3兆1,280億円あった公的資金を完済
- [18]2003年5月 預金保険法に基づく公的資金を申請/6月 委員会等設置会社へ移行、会長にJR東日本副社長の細谷英二氏のほか社外取締役を招聘。最初の3か月間は財務改革・ガバナンス改革・組織風土改革/2004年1月 待ち時間ゼロ運動開始/4月 りそな銀行と埼玉りそな銀行で窓口営業時間平日17時までの延長開始/2005年9月 前身銀行ごとに異なっていた勘定系システムの統合完了/2009年4月 りそな銀行とりそな信託銀行の合併/2010年11月 りそな資本再構築プランを発表。2011年3月、公募増資等により預金保険法優先株式の返済を実施し、公的資金の残額をピーク比の約4分の1となる8,716億円に圧縮/2015年6月 総額3兆1,280億円あった公的資金を完済
- [19]2003年5月 預金保険法に基づく公的資金を申請/6月 委員会等設置会社へ移行、会長にJR東日本副社長の細谷英二氏のほか社外取締役を招聘。最初の3か月間は財務改革・ガバナンス改革・組織風土改革/2004年1月 待ち時間ゼロ運動開始/4月 りそな銀行と埼玉りそな銀行で窓口営業時間平日17時までの延長開始/2005年9月 前身銀行ごとに異なっていた勘定系システムの統合完了/2009年4月 りそな銀行とりそな信託銀行の合併/2010年11月 りそな資本再構築プランを発表。2011年3月、公募増資等により預金保険法優先株式の返済を実施し、公的資金の残額をピーク比の約4分の1となる8,716億円に圧縮/2015年6月 総額3兆1,280億円あった公的資金を完済
- りそなホールディングス 有価証券報告書(2013年3月期)【役員の報酬等】
- [20]2012年11月4日をもって退任した執行役1名(対象期間 2012年4月1日から2013年3月31日まで)。2025年の統合報告書は「細谷英二 元会長(故人)」と記す
銀行をサービス業と位置づけた待ち時間ゼロ運動や営業時間の延長は、JR東日本で鉄道に顧客管理を持ち込み駅の店舗を改めた経験を移したものとみられる。製造業から社外取締役を招いたのも、銀行を特別な産業とみない本人の考えに沿うと考えられる。2004年9月中間期には2,108億円の最終利益を確保し、不良債権比率は2002年3月期末の10.3%から4.8%に低下した。公的資金の完済は退任後の2015年6月で、成果のうちどこまでが細谷英二氏の代に帰するかは数字で切り分けられない。2025年の統合報告書は、細谷英二氏の言葉をグループの行動指針の冒頭に掲げている。
- 日経ビジネス 2003年6月23日号
- [21]1968年に国鉄入社。経理局や総裁室秘書課など管理部門の中枢を歩む。改革を推進する姿勢が疎まれ85年3月には地方に出されたが、わずか4カ月で本社の経営計画室計画主幹に返り咲いた。「首脳陣の刷新が必要」と明記した文書に署名、当時の中曽根康弘首相に直訴した「血判状」組の1人。JR東日本では財務担当の常務や関連企業約100社を統括する副社長を務めた。6月末で東日本キヨスク社長への転出が決まっていた。「銀行は特別な産業だという意識が強すぎた」
- 日経ビジネス 2004年12月20日・27日号
- [22]鉄道事業に顧客管理の発想を持ち込みクレジットカード「ビューカード」の事業を始め、駅の中に「ユニクロ」や「無印良品」を入れた/井手正敬、松田昌士、葛西敬之の国鉄改革3人組の議論を整理する役回りで、結論が「分割・民営化」/りそなのトップを探してほしいと政府筋から頼まれた牛尾治朗(ウシオ電機会長)が細谷を推し(「銀行にしがらみもない。再建ができるのは彼のような男だと思った」)、昨年5月に会長就任を打診。金融業界の知人は誰もが「やめた方がいい」と助言。「経営者というのは、プロフェッショナルの仕事なんだ」という牛尾の口説き文句が後押し/委員会等設置会社に移行、トヨタ自動車や花王などから社外取締役/1兆7700億円の特別損失を計上し不良債権の後始末にメド/今期の中間決算で2108億円の最終利益、不良債権比率は2002年3月期末の10.3%から4.8%に
- りそなホールディングス 公式サイト「沿革」
- [23]2003年5月 預金保険法に基づく公的資金を申請/6月 委員会等設置会社へ移行、会長にJR東日本副社長の細谷英二氏のほか社外取締役を招聘。最初の3か月間は財務改革・ガバナンス改革・組織風土改革/2004年1月 待ち時間ゼロ運動開始/4月 りそな銀行と埼玉りそな銀行で窓口営業時間平日17時までの延長開始/2005年9月 前身銀行ごとに異なっていた勘定系システムの統合完了/2009年4月 りそな銀行とりそな信託銀行の合併/2010年11月 りそな資本再構築プランを発表。2011年3月、公募増資等により預金保険法優先株式の返済を実施し、公的資金の残額をピーク比の約4分の1となる8,716億円に圧縮/2015年6月 総額3兆1,280億円あった公的資金を完済
- りそなホールディングス「統合報告書2025」
- [24]細谷英二 元会長(故人)。2003年6月、りそなグループへの公的資金注入に伴い、東日本旅客鉄道副社長からりそなホールディングス会長に就任し、その後の「りそな改革」を牽引。細谷元会長の言葉は「りそなSTANDARD」(りそなグループ行動指針)の冒頭に記載され、りそなグループ従業員の「道標」となっている
参考文献2件
参考文献
- りそなホールディングス 有価証券報告書(2006年3月期)【役員の状況】
- 日経ビジネス 2004年12月20日・27日号「細谷英二氏[りそなホールディングス会長]国鉄発「心の経営改革」へ」
事実根拠:出所(りそなホールディングス)